とこしなへに違順に使はるる事は、ひとへに苦楽のためなり。楽と言ふは、好み愛する事なり。これを求むること、止む時なし。楽欲する所、一つには名なり。名は二種あり。行跡と才芸との誉なり。二つには色欲、三つには味ひなり。万の願ひ、この三つには如かず。これ、顛倒の想より起りて、若干の煩ひあり。求めざらんには如かじ。
<口語訳>
永久に違順に使われる事は、ひとえに苦楽のためである。楽と言うは、好み愛する事である。これを求めること、止む時ない。楽欲するところ、一つには名である。名は二種ある。行跡と才芸との誉である。二つには色欲、三つには味わいである。万の願い、この三つには及ばない。これ、本末転倒の想いより起こって、若干の煩いある。求めないのには及ばないだろう。
<意訳>
人が死ぬまで、幸せ、不幸せにこだわる。
これは、苦しみと楽しみのためだ。
なぜ楽しいのか?
楽しい事を、好み愛しているから楽しいのだ。
楽しさを求める事をやめる事はできない。
楽しさを求める心は「欲望」である。
求める欲望は、三つある。
『誉められたい』
『ご飯食べたい』
『気持ちよくなりたい』
ようするに、心とおなかと体が満たされると、幸せな気分になれる。
だが、快楽を重視しすぎると、図に乗ったり、お腹をこわしたり、身の破滅だったりして本末転倒する。
求めないでいられるなら、それがいい。
<感想>
人間はラジオと同じく、感受装置にすぎないけど、視聴者でもある。
出来れば楽しい放送ばかりを受信したい。
だが、楽しいばっかりじゃ、楽 くくく苦ってなもんで、いずれ破綻してしまう。
楽しくも苦しくもないなら、それで充分じゃん。
他人の電波が届かないところ、アンテナの一本も立たないところが、実は安住スポットだったりするよと兼好は言っている。
原作 兼好法師
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