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徒然草 第二百三十八段<意訳>

2006-03-10 03:18:33 | 徒然草

 御随身の近友が「自讃」だといって、自分の自慢話を七つ書き止めた事がある。
 内容は、みな馬術がらみの他愛もない内容であるが、その例を真似て、自讃の事が七つある。

 一、
 大勢で連れだって花見に行くと、最勝光院のあたりで、男が馬を走らせている。
 それを見て、
「今一度、馬を馳せれば、馬倒れて、落ちるはず。しばし見ていたまえ」
 と言って、皆を立ち止まらせた。
 男は、また馬を馳せる。案の定、馬は止まる直前に引き倒れて乗る人は泥土の中に転がり込んだ。
 言った通りになったので、人はみな感心した。

 二、
 後醍醐天皇が、まだ皇太子でおられました頃。万里小路殿が皇太子の御所でありました。
 堀川の大納言様に用があり、御所に伺候なされている大納言様の部屋に参りますと、大納言様は『論語』の、四・五・六巻を広げておられます。
「今、皇太子に、『紫の、朱 奪うことをにくむ』という文を御覧になりたいと希望されて、『論語』から原文を捜しているのだが、見つからないのだ。『なおよく引いて見よ』と、仰せの事なので、さらに捜している」
 そう言われますので、
「それは、九巻のそこそこのあたりです」
 と、お教えしたらば、
「あら嬉しい」
 とか言って、九巻を持って行かれた。

 こんな程度の事は子供でも知っている事だけれども、昔の人は些細な事でもすごく自讃したのだ。
 後鳥羽院が、「袖」と「袂」を、一首の歌の中に入れたら悪いだろうか? と、藤原定家に尋ねたところ、『古今集』に「秋の野の草の袂か花薄穂に出でて招く袖と見ゆらん」という歌がありますから、問題はございませんと答えたという事が、『時を狙って歌を記憶しておくのも、歌人の冥加であり、これは幸運であった』などと、ことことしく書き残されております。
 九条相国の伊通公の款状にも、さしたる事ない題目を書き載せて、自讃されています。

 三、
 常在光院のつき鐘の銘は、在兼卿が下書きした。
 行房の朝臣が清書して、鋳型に模そうとする前に、奉行をしていた入道がその草書を取り出して見せてくれた。
「花の外に夕を送れば、声百里に聞ゆ」
 という句が草書にある。
「陽唐の韻に見えるが韻をふんでいない。百里は誤りではないだろうか?」
 と言うと、
「よくぞ見つけられた。これは私の手柄にさせてもらいますよ!」
 と言って、筆者のもとへ奉行の入道が知らせれば、
「誤りでございました。百里は数行と直されませ」
 と返事あった。

 しかし数行もいかがなものか。もしや数歩の心か。おぼつかない。
 数行なお不審。数は四五である。鐘四五歩では幾ばくもない。
 ただ、遠く聞こえる心である。

 四、
 大勢で比叡山の三塔を巡礼しました。
 横川の「常行堂」の中には『滝華院』と書かれた古い額があります。
「この額の作者は、佐理であるか行成であるか、今では分からないと言い伝えらえております」
なんて、案内の僧がもったいぶっていうものだから、つい、
「行成なら裏書きがあるはず。佐理なら裏書きがあるはずない」
なんて言ってみたりしたら、額の裏は塵がつもり、虫の巣で良くわかんなくなってるのを、はらって拭いて見ますと、行成の位署や名字、年号まで、さだかに裏書きが見え、みんなに感心された。

 五、
 那蘭陀寺で、道眼の聖が講義した。
 『八災』を忘れて、
「誰かこれを覚えておらぬか」
 と尋ねたが、弟子はみな覚えてなかったのに、奥から、
「これこれでは」
 と言い出したら、すごく感心された。

 六、
 賢助の僧正にお供して「加持香水」を見ました。
 まだ行事も終わらないないうちに、僧正は帰りだします。
 ところが、一緒に来ていたはず僧都の姿がどこにも見えません。
 僧正は、弟子達を戻されて僧都をさがし求めさせたが、
「同じ様な格好の法師が多くて、僧都は見つかりません!」
 なんて言いながら、かなり時間がたってからノコノコ戻ってきたので、
「あーわびしいな。あなたが捜してこられよ」
 と言われたので、行って、すぐに僧都を連れてきた。

 七、
 二月十五日、月が明るい夜。深夜、一人で千本寺に詣でた。
 後ろから入って、顔を隠し聴聞していると、姿や匂いが際だった粋な女が分け入ってきて、いきなり膝に寄りかかってきた。
 その匂いも移るばかりで、こりゃ都合がわるいぞと逃げ出すと、女は尚も寄ってきて同じ有様なので、退散した。

 その後、ある御所の近所の古い女房が、世間話ついでに、
「あなたは、ある女に色を知らないと見下させられてますよ。情けないと恨んでいる女がいます」
 と言われて、
「それは心得ませんでした」
 とか言って話を止めにした。

 この後に聞いたところ。
 どうやら、この夜、御局の内より人が見ていて、その人に仕えている女房の一人をかざり立てて、
「上手くやって、奴に言葉などかけるのだぞ。その有様は帰ってから申せ。面白かろう」
 そう言って、たばかろうとした人がいたんだそうだ。

原作 兼好法師

<感想>
 こうして連続で読むと、「自讃」というよりは、過去の思い出話に近い。
 自慢話という程の、特にたいした自慢ではない。「自讃の事」とは言っているが、兼好は「自讃」ということにして昔の思い出話を書き並べてみたようだ。
 ほとんど自分の事を書かない兼好にしては珍しい段である。


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