「言葉の意味は難しい!」
と、死神が言う。
「しつこいと思うかもしれないが、『本当の自分』って何だ?」
「知らない。だいたい本当には嘘も本当もないんでしょ。本当は純粋に本当としか言えないんでしょ?」
死神はテーブルの下にころがっていたお父さんのお古の新明国語辞典を手に取ると、パラパラめくりながら答えた。
「だといいんだが。『本当』に反対語は無いにもかかわらず、だが『本当』という言葉を辞典でひくと『偽りや、冗談・見せかけではないこと』と書いてある。ついでにと思って『自分』を辞典でひくと『行動したり感じたりする、当のその人』とある」
「ん。てことは、辞書も『本当』は嘘でない事と一部認めているんだ」
「まぁ、本当のところは分からん。言葉は難しいんだよ。だが、この辞典に載る意味を素直につなげれば、『本当の自分』の意味は『偽りや、冗談や見せかけではない、行動したり感じたりする、当のその人』となる。これだと『本当の自分』は、『偽りのない当の本人』という意味になるな。でも、自分の『気持ち』なら偽れけど、『自分』なんか偽れるものだろうか?」
「ペルソナだよペルソナ。猫なんかもかぶったりなんかして!」
「それは、他人に『偽りの自分』を演技しているだけだろ。演技でなく純粋に『自分自身』を偽れるのか? あんたが『自分』であるなら、その『自分』の感覚や気持ちをどうやれば偽れる? 偽れたとして、それは本当に偽れたと言い切れるのか?」
「暑いのに、暑くないふり」
「フリは演技だろ。例えば、熟練したパン屋なら多少熱いくらいの天板だったら素手で持てる。訓練すれば熱いのにかかわらず、そんなに熱くないと思えるようになる。だが、それは偽りか? そうではないな、あんまり熱くないと感じているだけ、指の皮が厚くなっただけとも言える」
「まぁ、誰もいないのに1人でヤセ我慢しても意味ないもんねぇ」
「『自分』なら『自分以外の他人』に、暑いのに寒いとか、痛いのに痛くないとか嘘を言える。だが、『自分自身』は簡単に偽れない。『自分』にできるのは勘違いとか間違える事だけで、そう容易く『自分』が嘘だと思っている事を真実だと思えない」
「自分はそう簡単にだませないもんね。イヤな事はイヤだし」
「確かに、他人に対してなら猫もかぶれるし嘘もつける。その『他人に対して偽った自分』を『偽物の自分』だと仮定も出来る。だが、『自分』とはそういったものなんだろうか。痛いとか眠いとかを感じる心こそ『自分』なのではないか?」
「うーん。その理屈でいくなら、自分で自分に嘘をついてその嘘を真実だと信じ込める人間になら嘘の自分があると言えるけど」
「『自分自身』を偽りとおせないようなら『本当の自分』はあり得ない」
「いや、待ってよ。『嘘の自分』って、ペルソナつけて演技している『自分』を意味するんじゃないの? だとすると嘘があるなら『本当の自分』はある」
「自分のとらえ方が違う。『他人に思われている自分像』や『未来の理想とする自分像』などというモノは『自分』じゃない。ただのイメージだ。『自分』とは、あくまで今ココで呼吸し、感じたり考えたりしているこの心そのもの事だ!」
「自分てそういう意味なの?」
「とにかく、『本当の自分』という言葉には、現在だれもが持っている共通の概念は無い。なんとなくこんなかんじのイメージしか持たれていない。イメージだけが一人歩きしているかんじだ。ところで『ツンデレ』の意味ってなんだ?」
「え。ツンデレ? いつもはツンとしてるんだけど、イザッとなればデレッとしちゃう人のことだと思う」
「なら、今度は『つっけんどん』の意味は何だ?」
「いつもツンツンしてる人」
「ソレは違うな。いつもはツッてしてるのに、たまにケンケンしながらもドーンと行っちゃう人の事だ!」
「ウソつけ!」
「言葉の意味は難しい」