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墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

徒然草 第三十三段 今の内裏

2006-07-28 19:53:20 | 新訳 徒然草

33dan

マンガ日本の古典17『徒然草』バロン吉元(中公文庫)より。

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 今の内裏作り出されて、有職の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、既に遷幸の日近く成りけるに、玄輝門院の御覧じて、「閑院殿の櫛形の穴は、丸く、縁もなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。
 これは、葉の入りて、木にて縁をしたりければ、あやまりにて、なほされにけり。

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<口語訳>

 今の内裏作り出されて、有職の人々に見せられたら、いづこも難なしとして、すでに遷幸の日も近くなってから、玄輝門院が御覧して、「閑院殿の櫛形の穴は、丸く、縁もなくてあったぞ」と仰られた、すばらしかった。
 これは、葉が入って、木で縁をしていれば、誤りで、直されたそうだ。
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<意訳>

 新しい皇居が再建され、知識ある方々に見ていただいたところ、どこにも問題なしとなり、すでに天皇の引っ越しも間近になっていた。

 ところが、天皇の祖母の玄輝門院が、新皇居を御覧になられたところ、

「昔あった閑院殿の半月の形の覗き穴は、丸くてふちもありませんでしたよ」

 と、仰られたそうで、これはすばらしいご指摘であった。

 問題の窓には、切り込みがあり木で周りにふちをつけていたが、これは誤りであるとして直させたそうだ。
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<感想>

 全体から見ると、『徒然草』としては特殊な表現の続いた「センチメンタル編」は前段で終了した。

 ちなみに、俺が強引にくぎったカテゴリを迷惑だろうがおさらいしてみよう。

 序段から18段までが、「青春・苦悩編」である。
 兼好が、出家に至るまでの苦しい胸の内が書いてある。

 19段から21段までが、「出家ほやほや編」だ。
 出家したての兼好の、ホヤホヤな産みたての気持ちが書かれている。世を捨てて、季節を愛で空を眺める境地に自分で自分に感動している。

 22段から32段までは、「センチメンタル編」なのだ。
 親しい人を亡くした事による悲しみから、兼好の文章は極端にセンチメンタルしている。

 そして、この33段から38段までが、「おセンチ無常編」となる。
 「センチメンタル編」では感情あふれる悲しみの表現が続いたが、「おセンチ無常編」では、兼好の感情は読めなくなる。
 だらだらとなんとなく筆は続き、38段で最後にとんでもない無常観を見せる。その無常観は、後半の『徒然草』で書かれる無常観とはかなり違い、ややヤケクソぎみである。
 そして、もうひとつ「おセンチ無常編」が特徴的であるのは、結論となる38段以外は全て女性から連想されたと思われる話で構成されていることだ。

 テキストによれば、この33段で問題とされる「櫛形の穴」は、清涼殿の鬼の間と殿上の間との仕切り壁の間に設けられた覗き窓のことなんだそうだ。これは、皇族などの尊いお方たちが、控え室から外の役人達の様子をこっそり覗き見るために作らせた「覗き窓」の事であるらしい。
 ようするに、火事で焼け落ちる前の内裏では、半月の形であったはずの内裏の覗き窓が、新築の内裏では、葉っぱのような変な切り込みの入った、しかもなかったはずのふちまでついた見たこともない窓になっていた。
 それを見た皇后である玄輝門院が、昔の内裏の覗き窓とは違うぞと工事関係者にクレームをつけたというのが、この段の話である。

 古い内裏が焼け落ちて新しい内裏が再建されるのは、内裏の焼失から58年後のことである。
 だから、当時の内裏の記憶をもつ玄輝門院の発言に意味があったのだろう。
 ちなみに、内裏が焼け落ちた時に玄輝門院は14歳の少女で、再築の時には72歳となっている。

 兼好は、この33段で、玄輝門院の指摘を「いみじ」と評価している。10代の玄輝門院は覗き窓から外の役人たちをどんな目で見ていたのだろう。
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<解説>

『今の内裏』
 新しい内裏。
 内裏は現代風に言うなら皇居。
 焼け落ちた内裏に変わり、二条富小路に内裏を再建した。

『遷幸の日』
 天皇が引っ越される日。

『玄輝門院』(げんきもんいん)
 皇后、この時の天皇の祖母。

『閑院殿』
 焼け落ちた昔の内裏。

『櫛形の穴』
 くしがたの覗き窓。
 昔のくしは半月の形をしていたので、半月形の覗き穴。

『葉の入りて』
 葉っぱのふちみたいな切り込みが入って。


映画化

2006-07-27 20:04:12 | 新訳 徒然草
 さて、『徒然草』映画化決定(妄想)の話である。

 冒頭シーンは、第50段。
 鬼女の噂の話からはじまる。
 広大な中世の京の都のセットに、群衆シーンで意外に金がかかる。

 女が鬼になったのを捕えた侍が京にのぼったという噂が流れる。
 噂は噂を呼び、都は喧噪に包まれる。

 そこへ、若い男が供の者を連れて登場する。
 鴨川にかかる橋で、若い男は「鬼女」の噂を耳にするが、あまりの人だかりに閉口して、供の者に様子を見にやらせる。
 帰って来た供の者は鬼なんてどこにもいませんでしたと主人に報告する。

 それを聞いて若い男は直感した。
 鬼女の噂はデマで、この群衆はデマに踊らされているだけだ。
 男は自分が頭が良いと確信していた。
 しかし、その頭の良さを、この京都でどう生かして良いのやらサッパリわからなかった。男は橋から都を眺めながらつぶやく。

「やっぱり出家するしか手はないのか」

 若い男の名前は卜部兼好。
 この時の兼好は20代後半であった。

 時は10年ばかり流れる。
 兼好もすでに30代後半。
 最近は法師姿もサマになってきた。
 だが、兼好の真の目的は出家にはなく、歌人になることだった。
 彼が憬れるのは、平安時代の優雅な貴族社会とその社会が生んだ文学や詩歌。もしも、下級貴族として、自分の歌を世間に発表したなら、自分の歌は下級貴族の歌としてしか評価されない。だが法師ならもはや身分は関係ない。法師という身分を超越した人間として、自分の歌を正当に評価してもらえるはずだ。
 それが出家のひとつの理由でもあったのだ。
 歌の為なら「世間」だって捨てられる。それが若い兼好の隠された本音であった。

 そんな頃、歌のつながりで若い女と知り合う。
 貴族の家につかえる女房で、名を近衛といった。
 何首も歌集に入選している新鋭の女流歌人。

 いつの間にか、幾度となく、兼好と近衛は、私的に歌や手紙をやり取りするようになった。

 この頃の兼好はまだ歌人としては認められておらず、歌集への入選もない。いっぽうの近衛は若いながらも、何首も歌を歌集に収めている。
 兼好はすでに三十過ぎの世を捨てたおっさんな上に坊主で、近衛にアタックできるような資格はない。

 ある雪のつもった朝。
 兼好は使用人に近衛あての手紙を持たせた。
 たいした用事なんかなかったけど、ただ近衛に手紙を書きたかったから昨日の夜のうちに書いた手紙を使者に持たせたのだ。
 午前中のうちにその返事が来た。

「今朝の雪の白さにもふれらぬようなひがみっぽい人のお願いを聞き入れても良いものかしら」

 アハハッ。
 近衛ってば、こりゃおじさん一本やられたな。
 
 ある月のきれいな夜。
 兼好は供もつけないで月見に出かけた。
 秋の月は半月なのこそ最高だ、未完成であることに美は宿るんだよとか理屈つけつつ、ブラブラ歩いているうちに、郊外にある近衛の家の前にたどりついてしまった。
 
 気後れしながら、近衛の家の門を叩くと、年とった女中が家の中に案内してくれた。
 男手が足りないのか、庭には草が生い茂り、秋の虫が鳴いている。
 家の中には、普段から焚いているのだろう、なんともいえぬ香の匂いが柱にまで染み付いている。

 近衛と会って、話して茶を飲んだ。
 つい、なごりおしく帰るふりして見送ってくれた近衛の様子を見守る。
 近衛は扉を閉めずにしばらく月に魅入っていた。
 兼好は思う、俺と同じ月を見ている。

 それから数日後。
 兼好がむかし仕えていた家の主人が亡くなられた。
 かねてからの縁もあるのでイヤイヤながら葬式に出席する。
 あー、葬式はかったるいなと帰宅した兼好に、さらなる訃報が届く。

「近衛が死んだ」

 なんで!

 まさになんでだ。

 近衛が死んだ。
 その夜、どうしても眠れずに近衛からもらった手紙などを取り出して眺める。いろんな記憶がとめどなく溢れ出し涙が流れそうになる。
 ふと、むかし自分が書きなぐった書きそこないの束を見つけた。
 そういや、若い頃は「枕草子」に憬れて似たようなモノは書けないかと模索していたんだっけ。

 次の朝、起きても喪失感から抜け出せない。

 思いついたように兼好は墨をすりはじめ、筆に墨をつけて少し考え、書きそこないの一枚に書き連ねる。

「つれづれなるままに」


うみねこ

2006-07-27 20:02:46 | 新訳 徒然草
 どうもなかなかそうだとも言い切れないのが『徒然草』の辛い所で、俺はシロウトだから間違った事を書いちゃっても「これが俺の読み方だ」と言い張ればそれで許されたりもしますが、『徒然草』を研究なさっている方々にとって『徒然草』の記述はあまりに曖昧すぎて手をつけられない部分があるだろうなというのはシロウトの俺にさえ想像できます。

 例えば、つながりから考えるなら29段に出てきた「亡き人」と、31段の「亡き人」は同一人物であるなんて簡単に言ってしまいますが、それはただの「ひとつの読み方」で、どこにもその証拠なんてありゃしません。
 さらにシロウトである俺は、「亡き人」と、32段に登場する「その人」も同一人物であるなんて言いますが、それだって何の証拠もありません。書いた本人にでも直接きかなきゃ実証はできないでしょうし、『徒然草』の著者である兼好法師は600年以上まえに死んでいます。

 古典の研究者による、古文の現代語訳はみょうにまわりくどくってわかりにくく、文章量も原文の2倍ぐらいあったりします。
 それというのも、間違えたくはないという思いが訳を複雑にしてしまうからなのでしょう。あまりに、正しい訳文にこだわりすぎて、普通の人にはよくわからないというのが、古典の先生の訳です。

 趣味と仕事は違います。
 俺のやっている『徒然草』は、趣味で遊びです。
 そもそも、ちゃんとした古典教育は受けていません。
 高校生レベルの古典教養しかないし、日本史の理解なんかも中学生並です。そんなシロウトだから間違えても平気でいられるのです。

 だから、これからもバンバン間違えようと思います。
 学者がおそれて渡らない橋を渡って橋桁をふみはずし川底に転落して、急流に流され海にたどりつき、屍をウミネコにつつかれたいと思います。
 俺はバンバン間違えてドザエモンとなります。
 未来の古典の先生にとって、せめて踏み台にでもなれればと考えます。


徒然草 第三十二段 九月廿日

2006-07-21 19:45:18 | 新訳 徒然草

 九月廿日の比、ある人に誘はれたてまつりて、明くるまで月見ありく事侍りしに、思し出づる所ありて、案内せさせて、入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち薫りて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。
 よきほどにて出で給ひぬれど、なほ、事ざまの優に覚えて、物の隠れよりしばし見ゐたるに、妻戸をいま少し押し開けて、月見るけしきなり。やがてかけこもらしまかば、口をしからまし。跡まで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうの事は、ただ、朝夕の心づかひによるべし。
 その人、ほどなく失せにけりと聞き侍りし。

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<口語訳>

 九月二十日の頃、ある人に誘われいただいて、明けるまで月見あるく事ございましたら、思い出される所あって、案内させて、入られた。荒れた庭の露繁くて、わざとでない匂い、しめやかにうち薫って、忍ぶ気配、とてももの哀れだ。
 よき程にて出られたけれど、なお、事様が優に思えて、物の隠れよりしばらく見ていると、妻戸をいま少しおし開けて、月見る様子である。すぐにかけこもったならば、口惜しかろう。あとまで見る人あるとは、いかが知ろう。このような事は、ただ、朝夕の心づかいによるはず。
 その人、ほどなく失せたと聞きます。
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<意訳>

 九月二十日の頃。
 ある人にお誘いいただいて夜明けまで月を見て歩く事がありました。
 連れの方が、ふと思い出された家があり、その家の者に案内させて門をくぐると、荒れた庭は草木生い茂り夜露に覆われている。だが、わざとらしからぬ香の匂いがしめやかに薫り、忍ぶ気配はなんとも哀れであった。

 適当な時分でおいとまされたが、なお、様子を優雅に思い物陰よりしばらく見ていると、家の主人は戸を少しだけ開いて月を見ている様子。すぐに引きこもって戸締まりをしたなら残念に思えただろう。
 最後まで見ている人間がいるとは知りもしないはず。こういう事は、ただ毎日の心づかいによるもののだ。
 この家の主人は、ほどなく亡くなられたと聞く。
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<感想>

 この段は、すごく判りにくい文章で兼好の本意はまったく分からない。

 まず、この文章に書かれている「ある人」と「その人」は別人である。
「ある人」は、兼好と夜明けまで月を見て歩いた人。敬語をふんだんに使っているので身分ある人なのだろう。
「その人」は、「ある人」が思いつきで尋ねた家の主人。

 この段を素直に解釈するならこうなる。

「9月20日頃に、俺(兼好)は、ある偉い人のお誘いを受けて、夜が明けるまで月見に出かけた。
 その途中、偉い人が寄りたい家があると思い出されたので、寄ってみると、庭こそ荒れていたが、家にはさりげなく香の匂いただよい雰囲気がでていた。
 ある偉い人は適当なところで家を去ったが、俺はその家の様子が気になって物陰から覗いていたら、その家の主人は戸締まりも忘れて月にみとれている。なるほど風流だなと感心した。
 その家の主人は最近亡くなられたと聞く」

 この文章は何か変だ。
 この文章のままなら、兼好は夜明けまで一緒に月を見たはずの「ある人」が、ふと思いつきで尋ねた家で、「ある人」の用事が終わるまで待っていながらも、「ある人」が帰るのをほったらかしにして、物陰からその家の主人である「その人」の様子をストーカーのごとく覗いていたという事になる。
 兼好のいる位置でさえ、まるで夢の中の出来事のように不確定で、兼好がどこで「ある人」を待ち、どこから様子を見ていたのかまるでわからない。
 日常の出来事を書いた風で、じつはなにもかもはぐらかそうとしているようにもこの段は読める。
 兼好はなんだってこんな変な文章を書いたのだろう?
 兼好は何をはぐらしたかったのだろう?

 つながりで読むなら、家の主人は前段で雪の日に手紙を送ったその相手だと読める。
 雪の朝にその家の主人に用事を頼んだら、この雪の事をなにも書いてよこさないようなひねくれ者で唐変木のお願いなんて聞いて良いものかなと返事を返す。

「この雪いかが見ると一筆のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるる事、聞き入るべきかは。返す返す口をしき御心なり」

 そこまで言うなら、お前はどこまで風流なのかよと覗いていたら、客を見送った後もすぐに戸は閉めないで月を見ている。
 おぉ!
 そこまでの風流はなかなかだぞ!

 そして、その家の主人は詩が大好きで、詩の下書きや落書きまで平気で兼好に送りつけていた。(第29段)

 兼好にしてみれば「その人」が、可愛くて仕方がなかったのだろう。
 兼好と、詩を愛する「その人」との交流があったはずだ。
 互いに相手を憎からず思っていたかもしれない。
 でも兼好は坊主だ!
 兼好法師なのである。
 迷いはドブに捨てた。
 はずなのだ。
 それに、たぶんこの時の兼好は40過ぎのおっさんだ。
 相手にだって世間体もあろう。
 さらに、その人はすでに死んでしまった。
 いまさらになんだかんだ言うべきじゃないだろう。

 だから兼好は、わざとはぐらかして書いたんじゃないかなと想像する。

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<解説>

『九月廿日の比』
 9月20日ころ。旧暦では満月は15日になるので、すでに半月だ。わざわざそんな頃に月見をするのが風流だったのだろう。

『妻戸』
 貴族の館などにあった外へ両開きになる木製の戸。いわゆる観音開き式の戸である。

『やがて』
 すぐに。
 現代語では「やがて」はワンテンポ遅れた時を表現する言葉となっているが、兼好の頃の「やがて」は、間もなくという意味だったらしいので「すぐに」と訳されるが、「やがて、間もなくすぐに」という状況を現代人は想像できる。


徒然草 第三十一段 雪

2006-07-19 19:21:50 | 新訳 徒然草

 雪のおもしろう降りたりし朝、人のがり言ふべき事ありて、文をやるとて、雪のこと何とも言はざりし返事に、「この雪いかが見ると一筆のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるる事、聞き入るべきかは。返す返す口をしき御心なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。
 今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。

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<口語訳>

 雪のおもしろく降っていた朝、人のもと言うべき事あって、手紙をやると、雪のこと何とも言わなかった返事に、「この雪いかが見ると一筆のたまわれぬほどの、ひねくれてる人の仰られる事、聞き入れるべきだか。かえすがえす口惜しい御心だ」と言っていたのこそ、おかしかった。
 今は亡き人であれば、こればかりのことも忘れがたい。
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<意訳>

 面白いぐらいに雪が降り積もった朝に、人のもとへ用事あって手紙を送らせた。今朝の雪の事には何も触れなかったその手紙への返事。

「この雪をいかが見るの一言すらないような、ひねくれた方の頼みを聞き入れて良いものだか、かえすがえす残念な心がけだ」

 ただ、おかしかった。

 今は亡き人であるから、こればかりの事も忘れがたい。
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<感想>

 この段で、兼好が雪の朝に手紙を送った相手の死が、最近の兼好をブルーにさせている原因だろうと俺は読む。
 この段に登場する「亡き人」は、29段に登場した「亡き人」と同一人物であろう。兼好と何度も手紙をやりとりし、詩の習作や、手慰みで描いた落書きなどまでやりとりしていた相手、それが「亡き人」だ。
 兼好と「亡き人」はとても親しかったからこの段の手紙のような内容もおふざけとして許されたのだろう。そして、その「亡き人」の死は兼好にとってよほど悲しかったに違いない。

 ちなみに、昔の貴族は男も女も同じ言葉遣いだったので「亡き人」の性別はこの段だけでは特定できない。
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<解説>

『がり』
 寿司のガリではない。
 岩波の古語辞典では通説として「がり」は「が、有り」の略であろうと言う。要するに、誰かや、なにかがある所が「がり」なのだ。「~の所」「~のもと」などと訳せば良いだろう。

『文』
 この段では「手紙」のこと。

『ひがひがし』
 僻みっぽいみたいな意味。「ひが」は、そのまま現代語の「僻む(ひがむ)」に通じている。僻むのはたいてい間違いが原因であるから、「僻事」だと間違った事という意味になる。