墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

自讃の事七つ

2006-03-07 22:25:54 | 徒然草
 自賛しようかと思う。

 兼好の心を知る為にも、まずは真似だと思うのだ。
 自賛の事の七つ程度も書かないで、兼好たら、こんな事を自慢してて馬鹿じゃねーのとか言うのは、馬鹿げている。

自賛その1
 体が丈夫。他の30代の皆さん方の、30倍は体が丈夫。

自賛その2
 歯も丈夫。

自賛その3
 友人の結婚式のときに、「ぜひラフな服装で」と招待状にあったので、作業着で出席した。

自賛その4
 かの、伝説的アニメ雑誌の『OUT』に、俺の投稿が採用された事がある。

自賛その5
 バイクの運転がうまい。

自賛その6
 チャリで、伊豆半島を一周した事がある。

自賛その7
 毎日、「店長」に怒られていても苦にしない強靭な精神力を持つ。

 では、自賛を七つ書いたとろで、他人の目になり自賛を統合して俺を再評価してみよう。ようするに、「体が丈夫で、ユーモアセンスがあると勘違いしている上に、常識がなくて、ナニを言われてもこたえない馬鹿」が、この俺である。

 自分で自分を誉めて、それを客観視できるなら、自賛してみるのもいいかもしれない。


徒然草 第二百三十八段<感想>

2006-03-07 21:56:12 | 徒然草

 御随身近友が自慢話を七つ書いていたので、兼好も真似して「自賛の事」を七つ書いている。
 自慢なんかすりゃ、他人から「あー、この人はこんな事を自慢にする程度の人なんだ」と、みくびられる。
 そんな事は兼好だって知っていたはずだ。
 だが、兼好はこの段では、あえて自賛をしている。しかも、その自賛のほとんどは他人から見たらどうでもいいような内容である。「だから~?」ってなもんだ。

 自賛1、
 ある男の乗馬の様子を見て、落馬を予言した。

 自賛2、
 『論語』の気になる言葉がどこに載っているのか教えた。

 自賛3、
 製造前の、釣り鐘の誤字を指摘した。結果は、納得いく訂正ではなかった。

 自賛4
 古い額の製作者をズバリ当てた。

 自賛5
 講師も忘れていたような事を覚えていた。

 自賛6
 人がいっぱいいる中から意中の人物をすぐに探し当てた。

 自賛7
 美女の誘惑に負けなかった。

 自慢話なんかすれば、人にあなどられる。
 こんな事、兼好だって知っていたはずだ。だが、どうも、兼好はあえて自慢話をしているようにも読める。「所詮、俺はこの程度の人間なのさ」と、アジに開き直っているようにも読めるのだ。

 この段の「自賛の事七つ」は唐突すぎて、兼好の意図が、まったく良く分からない。
 
 そんなところで、今夜はかんべん。
 「口語訳」と「意訳」は、また明日。
 「本文」を書き写すだけで、今夜は万国旗なのだ。あなたが信じてくれたなら空をも飛べるはずが。

 原作 兼好法師


徒然草 第二百三十八段

2006-03-07 20:48:53 | 徒然草

 御随身近友が自讃とて、七箇条書き止めたる事あり。皆、馬芸、させることなき事どもなり。その例を思ひて、自讃の事七つあり。

 一、 人あまた連れて花見ありきしに、最勝光院の辺にて、男の、馬を走らしむるを見て、「今一度馬を馳するものならば、馬倒れて、落つべし。暫し見給へ」とて立ち止りたるに、また、馬を馳す。止むる所にて、馬を引き倒して、乗る人、泥土の中に転び入る。その詞の誤らざる事を人皆感ず。

 一、 当代未だ坊におはしましし比、万里小路殿御所なりしに、堀川大納言殿伺候し給ひし御曹子へ用ありて参りたりしに、論語の四・五・六の巻をくりひろげ給ひて、「ただ今、御所にて、『紫の、朱奪ふことを悪む』と云ふ文を御覧ぜられたき事ありて、御本を御覧ずれども、御覧じ出されぬなり。『なほよく引き見よ』と仰せ事にて、求むるなり」と仰せらるるに、「九の巻のそこそこの程に侍る」と申したりしかば、「あな嬉し」とて、もて参らせ給ひき。かほどの事は、児どもも常の事なれど、昔の人はいささかの事をもいみじく自讃したるなり。後鳥羽院の、御歌に、「袖と袂と、一首の中に悪しかりなんや」と、定家卿に尋ね仰せられたるに、「『秋の野の草の袂か花薄穂に出でて招く袖と見ゆらん』と侍れば、何事か候ふべき」と申されたる事も、「時に当りて本歌を覚悟す。道の冥加なり、高運なり」など、ことことしく記し置かれ侍るなり。九条相国伊通公の款状にも、殊なる事なき題目をも書き載せて、自讃せられたり。

 一、常在光院の撞き鐘の銘は、在兼卿の草なり。行房朝臣清書して、鋳型に模さんとせしに、奉行の入道、かの草を取り出でて見せ侍りしに、「花の外に夕を送れば、声百里に聞ゆ」と云ふ句あり。「陽唐の韻と見ゆるに、百里誤りか」と申したりしを、「よくぞ見せ奉りける。己れが高名なり」とて、筆者の許へ言ひ遣りたるに、「誤り侍りけり。数行と直さるべし」と返事侍りき。数行も如何なるべきにか。若し数歩の心か。おぼつかなし。
 数行なほ不審。数は四五也。鐘四五歩 不?幾也。ただ、遠く聞こゆる心也。

 一、人あまた伴ひて、三塔巡礼の事侍りしに、横川の常行堂の中、滝華院と書ける、古き額あり。「佐理・行成の間疑ひありて、未だ決せずと申し伝へたり」と、堂僧ことことしく申し侍りしを、「行成ならば、裏書あるべきし。佐理ならば、裏書あるべからず」と言ひたりしに、裏は塵積り、虫の巣にていぶせげなるを、よく掃き拭ひて、各々見侍りしに、行成位署・名字・年号、さだかに見え侍りしかば、人皆興に入る。

 一、 那蘭陀寺にて、道眼聖談義せしに、八災と云ふ事を忘れて、「これや覚え給ふ」と言ひしを、所化皆覚えざりしに、局のうちより、「これこれにや」と言ひ出したれば、いみじく感じ侍りき。

 一、賢助僧正に伴ひて、加持香水を見侍りしに、未だ果てぬ程に、僧正帰り出で侍りしに、陣の外まで僧都見えず。法師どもを返して求めさするに、「同じ様なる大衆多くて、え求め逢はず」と言ひて、いと久しくて出でたりしを、「あなわびし。それ、求めておはせよ」と言はれしに、帰り入りて、やがて具して出でぬ。

 一、二月十五日、月明き夜、うち更けて、千本の寺に詣でて、後より入りて、独り顔深く隠して聴聞し侍りしに、優なる女の、姿・匂ひ、人より殊なるが、分け入りて、膝に居かかれば、匂ひなども移るばかりなれば、便あしと思ひて、摩り退きたるに、なほ居寄りて、同じ様なれば、立ちぬ。その後、ある御所様の古き女房の、そぞろごと言はれしついでに、「無下に色なき人におはしけりと、見おとし奉る事なんありし。情なしと恨み奉る人なんある」とのたまひ出したるに、「更にこそ心得侍らね」と申して止みぬ。この事、後に聞き侍りしは、かの聴聞の夜、御局の内より、人の御覧じ知りて、候ふ女房を作り立てて出し給ひて、「便よくは、言葉などかけんものぞ。その有様参りて申せ。興あらん」とて、謀り給ひけるとぞ。


徒然草 弟二百三十七段

2006-03-04 21:21:13 | 徒然草

 柳筥に据うる物は、縦様・横様、物によるべきにや。「巻物などは。縦様に置きて、木の間より紙ひねりを通して、結い附く。硯も、縦様に置きたる、筆転ばず、よし」と、三条右大臣殿仰せられき。
 勘解由小路の家の能書の人々は、仮にも縦様に置かるる事なし。必ず、横様に据ゑられ侍りき。

<口語訳>
『柳箱』
(やないばこ)=柳の木を細長く三角に削り、白木のまま幾つも(すのこのように)寄せ並べ、生糸または紙撚(こより)で二か所ずつ編んで仕立てた蓋つきのもの。硯、墨、筆、短冊、冠、鞠、経巻などを納めるのに用いた。後世、蓋の足を高くして台として用い、冠、経巻、装束などを載せた。(日本国語大辞典)
 やないばこは「ヤナギバコ」の音便。(新訂 徒然草)
 「筥」は「箱」に同じ。(徒然草 全訳注)

 (補足)細く削った柳を材料として組み合わせて造った箱が「柳箱」です。ようするに丸木を組みあわせて造ったイカダみたいなかんじの箱で、その上に、スノコみたいなふたを置いて硯や筆などを置きました。
 この段で問題になる「縦様」とか「横様」は、丸太船で言うなら木材を組み合わせた方向にどう物を置くかを問題にしています。組んだ木材と同じ向きに物を置くのが「縦様」で、組んだ木材の方向とは90度横向きに置くのが「横様」です。

Tate

 柳箱に据える物は、たてよこ、物によるべきか。「巻物などは。たてに置いて、木の間よりこよりを通して、結びつける。硯も、たてに置いてやる、筆転ばない、よい」と、三条右大臣殿仰られた。
 勘解由小路の家の能書の人々は、仮にもたてに置かれる事ない。必ず、横にすえられました。

<意訳>
 柳箱に物を置く時のたてよこは、物によるかな。

「巻物なんかは。たてに置けば木の間から、こよりを通して結びつけられる。硯もたてに置いてやれば筆が転ばなくてよい」

 と、三条の右大臣殿は仰られた。

 書道で有名な勘解由小路家の人々は、仮にもたてに置かない。必ず、硯は横にして置かれていた。

☆愛の感想☆
 おはようございます。
 マダムです。

 うっかり寝てしまいましたが、この段を完成させるべくキーボードを叩きます。

 ところで、寝ている間に変な夢を見ました。

 今夜は大事なお客さんが尋ねてくる。
 お客にビーフシチューを食わせねば。
 なぜビーフシチューなのか? そこらへんは夢なんで理由は不明。お客が誰なのかも分からない。ただ、お客にビーフシチューを食わせねばの一念。

 私が住むアパートの、みみちい流し台じゃマトモな料理なんて出来っこないので、実家に帰り、朝から、実家の台所でビーフシチューをつくります。
 肉と野菜をいためて、デミグラスゾースをベースに赤ワインとブイヨンをブヨヨンと入れこんで、後は、

 じっくりコトコト

 じっくりコトコト

 じっくりコトコト。

 出来あがりました。やった~! かんせい。

 次に、自分のアパートへのビーフシチューの搬入です。大事なビーフシチューをかかえてウロウロはできませんから、父の車を借りましょう。
 なにげに、ビーフシチューの鍋をかかえたまま玄関まで出てきてしまいました、おっと、先に車をまわしとかなきゃいけなかったな。
 さらに、なにげに、ビーフシチューを、玄関の横に置いてある傘立ての上に置いて、近所の駐車場まで車をとりにいきました。

 車に乗って玄関の前にもどると。

 ビーフシチューの鍋がひっくり返って、庭の水道の前に中身が捨ててありました。

 え?

 鍋がジャンプして庭まで飛ぶはずはない。誰かが鍋を庭に捨てたんだ。誰だ、誰がそんな事を? たちまち私の頭の中は怒りでいっぱいになります。
(実家の玄関は通りに直面しているから、傘立ての鍋は、誰でも簡単にいじれるのです。)

 ダレじゃーい! こんな事したのは!

 どこかに犯人はいないかと、周囲を探します。
 家の横の路地をのぞくと、小学生ぐらいの女の子が3人モソモソとなんかして遊んでおります。

「あんた達、この傘立ての上に置いてあった鍋、どうなったか知らない?」

 と、私が聞くと女の子が答えます。

「へんな気持ち悪いのが入ってたから、捨てた」

 捨てるな! ボケー!!

 チョー逆上です!

「な、なんで、人んちの前にある鍋の中身をかってに捨てる? お客様に食べさせる大事なものだったのに。今からつくり直すから、あんたら手伝いなさい!」

 玄関を開けて子供達を中に押し込もうとします。私はマジで子供らに手伝わせるつもりです。
 子供達はひどく迷惑げな顔。

「ごめんなさーい、おばさん!」

「おばさんゆーな!」

 嫌がる女の子達を、玄関内に拉致監禁しようと押し込んでいるうちに、少し冷静になりました。
 こんな事をして、後で子供らの親から「児童虐待」で訴えられたらまずいな。

「ウソ。もういいよ、二度とこんな事すんなよ!」

 解放された女の子たちは、てんでばらばらの方向に逃げ去って行きました。

 さて、私は泣き叫びたい気分。

 朝から丹精こめてじっくりコトコトしたビーフシチューが庭の肥やしです。今からまたあの手順を繰り返す事を考えたら、もううんざりです。だいたい、もはや材料がありません。
 すっかり、落ち込んでうなだれる私を両親が心配してくれますが、もうふて寝でもしたい気分です。

 アレ?

 これって、もしかして夢なんじゃないの?
 そうだ、私は寝てたんだ。
 コレは夢だ。
 ならガッカリする必要はないな。

 あー。夢で良かった!

 そう思ったら目が覚めました。

 それでは皆さん、良い休日をお過ごしください。

原作 兼好法師
意訳 マダムprotozoa


徒然草 弟二百三十六段

2006-03-03 22:01:34 | 徒然草

 丹波に出雲と云ふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。しだの某とかやしる所なれば、秋の比、聖海上人、その他も人数多誘ひて、「いざ給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて具しもて行きたるに、各々拝みて、ゆゆしく信起したり。
 御前なる獅子・狛犬、背きて、後さまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち様、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原、殊勝の事は御覧じ咎めずや。無下なり」と言へば、各々怪しみて、「まことに他に異なりけり」、「都のつとに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられ様、定めて習ひある事に侍らん。ちと承らばや」と言はれければ、「その事に候ふ。さがなき童どもの仕りける、奇怪に候う事なり」とて、さし寄りて、据ゑ直して、往にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。

<口語訳>
 丹波に出雲という所あり。大社を移して、めでたく造られた。しだの某とかが治める所ならば、秋の頃、聖海上人、その他も人あまた誘って、「いざ来たまえ、出雲拝みに。かいもちひ召させよう」と言って連れなして行くに、各々拝んで、ゆゆしく信おこした。
 御前なる獅子・狛犬、背いて、後さまに立ったりしてれば、上人、すごく感じて、「あらめでたいや。この獅子の立ち様、とても珍しい。深き故あろう」と涙ぐんで、「いかに殿方、殊勝の事は御覧してとがめないか。無下である」と言えば、各々怪しんで、「まことに他と異なる」、「都へのみやげに語ろう」など言うに、上人、なおゆかりしりたがって、おとなしく、物知るはず顔した神官を呼んで、「この御社の獅子の立てられ様、定めて習いある事にございません。ちとうけたまわりたいよ」と言われれば、「その事にございます。性ない童どものつかまつった、奇怪にございます事だ」と言って、さし寄って、据え直して、去れば、上人の感涙いたずらになりました。

<意訳>
 丹波に出雲という所があり、近頃、出雲大社を移して新築した。
 丹波の領主の志田のなんとかとかいう男が、秋の頃だったか、都に住む聖海上人やその他多くの人達を出雲に誘った。

「いざ来たまえ、出雲を拝みに。かいもちを食わせよう」

 聖海上人やその他大勢は、かいもちにつられて丹波の領主について出雲まで行き、それぞれ拝んで、さすがに出雲大社はすごいなと感動した。

 ところで、神の御前にある獅子や狛犬はふつうは向き合っておかれている。
 だが、出雲大社の狛犬は互いに後ろ向きで置いてあった。

 聖海上人はそれをすごいと感じて、涙ぐんだ。
(あらまぁ。この獅子の立ちかたは、とても珍しいぞ。なにか深い由縁があるのだろう)

「皆様方、これはいかに! これを見て何も思わないなら残念であるぞ!」

 なんて聖海上人が言うので、みな怪しんで語った。

「たしかに他と違う!」

「都へのみやげに語ろう」

 自分と同じ疑問を皆が抱いたので聖海上人は納得して、後はゆかりを知るだけだと、年寄りの物知りそうな神官を呼んで質問した。

「御社の獅子の立てられかたは、定めにしたがってございませんな。ちとその理由をうけたまわりたい」

 年寄りの神官は答えた。

「その事でございますか。しょうもない童どもの悪戯でございます」

 そう言って、さし寄って、すえ直して、立ち去れば、聖海上人の感涙はいたずらとなった。

☆愛の感想☆
 ち~マダっす。

 そんなで私は決めつけられるのが嫌い。マジでマジにマジですよ。

 私は百貨店のデパ地下ガール。ようするにデパ地下で食品の販売をやってるのです。契約社員なのでボーナスはないけれど、固定給と社会保険と雇用保険があって、規定以上に働けば残業代もでます。

 で、休憩時間には地下1階の灰皿のある休憩室でタバコ吹かしながら、「とりすえ」の唐揚げ弁当か「中華包」の中華丼弁当を食っています。
 朝飯は食わないし、夜は酒しか飲まないから、まともな飯は昼の弁当だけ。やさぐれマダムです。

 私が勤める店舗が入っている百貨店には、喫煙室のある休憩所は、地下1階と8階だけです。それで、この百貨店に勤めるスモーキング・ジャンキー共は、地下と8階にモクモクとたむろするのです。

 その休憩室で知り合ったのが、2階のコスメ化粧品販売に勤める喫煙者な若い女の子。
 彼女とは階も職場も違えども、なんとなく心は似通っていると思っていました。

 でも、今日なんとなく彼女に決めつけられてしまいました。

「マダムさんって、なんとなく芸術かぶれですよね」

 あうっ。湿疹かぶれとかのかぶれなのか私は?

 正直に告白すれば、私は彼女が好きだ。とんでもなく美人な上に、こんな私の話をまともに聞いてくれる。同じ階の同じ店に勤めている誰よりも、たぶん、この百貨店に勤めている人間のうちで一番に彼女が好きなのだ。

 でも、決めつけられてしまった。
 私は決めつけられるのが苦手、決めつけられると決めつけられたラインをふみこせなくなる。
 たしかに、彼女には私を凄いと思って欲しくて、あらんばかりに私の知識の全てをぶつけて話していた。映画の事、写真の事、絵画の事。たまには自分の過去。
 その結果が、「なんとなく芸術かぶれ」。

 うっ。立ち直れないかも。誰か支えて。ささえろやコラ。

 実をいや、前の旦那。結婚相手と別れた理由が正にコレ。

 男の「お前は俺の妻である!」という決めつけに私が耐えられなくなったのだ。

 私は私なんだ。私を固定して私を縛り付ける全てを私は憎む。好きとか嫌いは関係ないただ私を決めつけるな。

原作 兼好法師
意訳 マダムprotozoa