絶版プラモデルやじ馬考古学・ボックスアート美術館(なつかしき50~60年代アメリカプラモの世界)

古き良き時代の絶版プラモを発掘する、インターネット考古学。現在、・ボックスアート美術館にてエレール特別展を開催中!

『戦うアーティスト John Steel先生』

2009年01月18日 | プラモデル



諸君!
かなり遅いが、あけおめじゃ!

学生増のため、校舎を新設したゾ。
湘南校舎じゃ。
天下の湘南地区で、江ノ島も見えるゾ。

よろしく、たのむ。!!

プラモデルやじ馬考古学
                                                                                                                         


このM48架橋戦車に初めて出会ったのは、私が小学生低学年だったときのこと。
近所の神社で祭りがあったので、遊びにいったところ、露店でたまたま見つけたのが
このキットだったのです。
当時、レベルの存在などまったく知りませんでしたが、この迫力あるボックスアートに
衝撃を受け、この「橋を架けようとしている奇妙な戦車」にモーレツな興味をもったのです。どんなキットなのだろうか。とにかく、中身を見てみたい。
もう、それしか頭にありませんでいた。
店の人は、どうもあちらの関係者みたいで、とても恐そうなオッサンなのですが、
どんなキットなのか中身を見てみたいという好奇心が強かったので、恐る恐る手にとってフタを開けてみました。

‥‥こ、これはなんじゃ!
車体や架橋部分の大きなパーツに混じって、非常に繊細で細かいパーツが
ギッチリ詰まった状態というのは、いままで見たことがなく
ボックスアートと中身とで、ものすごいダブルパンチを食らったのです。
恐いオッサンそっちのけで、ただただ眺めているだけでした。
あの当時、いくらで売っていたのか忘れましたが、自分の小遣いでは
とても買えるものではありません。
……「もっとカネがあればなー」
ため息をつきながら、箱を元に戻し露店を後にしたのを昨日のように覚えています。

それからは、このキットのことが脳裏に焼きついて、消え去ることはなかったのです。

当時、駄菓子屋等で外国のプラモを売るケースはありましたが、露店に置いてある
のを見たのは、あとにも先にもこのときだけです。
いったい、どんなルートで流れてきたのでしょうか‥‥


ところで、私の脳裏に強烈なインパクトを与えたM48架橋戦車のボックアート。
描いたアーティストは、どんな人物かとても興味がありました。
今回は、その人物の特集です。

戦うアーティスト John Steel先生特集

                                                       

このM48架橋戦車のボックスアートを描いたのは、John Steel先生。
Leynnwood先生と並ぶ、レベルの大御所アーティストです。
力強く、堂々とした作風にシビレたファンも多いことでしょう。


Thomas Graham氏が書いた『REMEMBERING REVELL MODEL KITS』
Schiffer Publishing 2002刊の中に、Steel先生の写真が掲載されていました。
おそらく、先生の顔が確認できる資料としては、いまのところこれが唯一のもので
しょう。



John Steel先生の写真部分を拡大すると……




ホントにアーティストなんでしょうか。
頭はスキンヘッドだし、眼光は鋭く、チョッと恐そうな雰囲気。
一般的に私たちがイメージするアーティストとは、およそかけ離れています。

そうなんです。
Steel先生、じつはガダルカナル島攻防戦に参加した元海兵隊員だったんですから。
しかも、ベトナム戦争当時は実際に現地で従軍写真家・画家もしていたんです。

それだけではありません。
先生は、さまざまな顔をもっていました。
スキンダイバー、水中カメラマン、ハンター、漁師、柔道黒帯有段者、
ベトナム戦争コンバットアーティスト、野生動物アーティストetc

日本では、レベル社等のボックスアートの作者で知られていますが、
アメリカでは、ベトナム戦争コンバットアーティストや野生動物アーティストとして
有名です。
Steel先生が、野生動物を描いていたというのは、チョっと意外ですね。

先生は、1921年6月14日、ニューヨーク市で生まれました。
その後、フランスとスペインで生活し、十代の頃アメリカに帰国するときには、
フランス語、スペイン語ともペラペラだったそうです。

家族に歌手や俳優がいたため、先生もその影響を受けて短期間ながら
ブロードウェーの舞台で活動していたこともありました。
また、時おりラジオで歌の仕事もしていたそうですよ。
才能のある人は、子どものときから違うのですね。
そういえば、Leynnwood先生も子どもの頃、ショービジネスの世界で活動しており、
似たような子ども時代だったんすねー。

その後、先生はフロリダの私立学校に進学しましたが、そこで名誉ある(?)
特別任務を与えられました。
それは毎週金曜日に、学校の全教職員生徒の夕食用の食材である魚のバスを
捕らえることでした。
捕獲に失敗すれば、晩のおかずはありません。責任重大です。
そんなプレッシャーにもめげず、先生は立派に任務を達成したのです。

先生はニューヨークのアートスチューデントリーグと、ロサンゼルスの
アートセンタースクールでアートの教育を受けました。
John Steel先生の輝かしい第一歩が、スタートしたのです。

初期の活動は、ディズニーランド(当然、アメリカ本土のもの)の園内デザインに
参加したり、映画「バウンティ号の叛乱」、「べンハー」、「スパルタカス」の
ストーリーボードを描いたり、ノースロップ社の広告用イラストをデザインしたりと、
じつに多彩です。
そういえば、Leynnwood先生もノースロップの仕事をしていました。
当時、後発の航空機メーカーであったノースロップ社では、広告宣伝のため
新進気鋭のアーティストを求めていたのでしょうね。

先生の経歴を見ると、まさに「戦うアーティスト」です。
これは、けっしてオーバーな表現ではありません。
太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争に従軍し、常に最前線で戦い続けたのです。

沿岸警備隊の信号手を経て、海兵隊へ入隊。
ガダルカナル島攻防戦に参加、その後太平洋各地を転戦。
朝鮮戦争従軍。
ベトナム戦争が始まると、海兵隊の従軍写真家・画家として参加。
何千という写真やスケッチを制作し、多くの書籍に発表、コンバットアーティスト
としての名声を高めました。

このコンバットアーティストとしての輝かしい軍歴のため、
サンフランシスコの海兵隊戦闘特派員協会(‥と訳すのかな)ジョーローゼンソール
支部の終身メンバーとして迎えられるという栄光に浴したのです。

また、60年代から70年代にかけてレベルやモノグラムのボックスアートを何百と
描き、スキンダイバーマガジンのメインカバーイラストレーターとして活躍しました。

こうやって先生のボックスアートを見ていくと、それはすべて戦場での実体験から
出たものだ、ということがわかります。
写真や資料を見て、頭の中で想像して描いたものではありません。
それは、弾が飛び交う戦場にいた者でしか描けない、恐ろしいくらいの臨場感が
すべてを物語っているのです。

持病の悪化により、1998年8月9日逝去。


特徴あるサイン


Steel先生 アートギャラリー











オーロラのもあるでヨー!

















ガダルカナルの記憶

ガ島攻防戦の実体験を描いたような作品。
ボックスアートの主役であるべき戦車が撃破され、
砲塔には戦死者の姿も!
プラモデルの売り上げなど度外視した絵を依頼したオーロラもすごいが、
これがガ島の現実だったんでしょう。


次回のチラリズム
                                                       

引き続き、Steel先生のアートギャラリーをやるぞ。
先生のボックスアート特集をやっているのは‥‥

本講座のみ! 注目!








そして…

オラも忘れないでくれよ‥‥



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13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
wonderful site (teensound)
2011-11-11 16:33:48
この、ちらしでレベルの艦船プラキットを持っているのは、マニング大佐!「戦慄プルトニウム人間」のグレン・ランガンではないの?JOHN STEEL画伯はこのちらしの人ではないと思います!それにしても、すばらしいコレクション!アタシはREVELL-1956年のカタログがこの世で一番素晴らしいと思っています!すでに、1956年に頂点を極めていたと思っています!レベルに比べれば、他のどのメーカーもカスのようなもんです!(個人的に)質問ですが、REVELLとADAMSの関係をご存知なら教えてください!間違いなく関連会社だということまで追跡したのですが、、、、
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teensound様 (絶版プラモデルやじ馬考古学ブログ管理者)
2011-11-16 14:24:08
コメントをいただきました。
ありがとうございます。

早速本題ですが、レベルの広告に登場する人物は別人ではないかという点ですが、私もこのブログを書く際いろいろ調べてみました。検索サイトの画像では、この広告以外の本人画像が見つからなかったのでなんともいえないのですが、Thomas Graham氏の『REMEMBERING REVELL MODEL KITS』Schiffer Publishing 2002刊の70ページに画伯に関する記事があり、そこの掲載写真にこの広告が使われていました。また、この広告写真のすぐ下の部分に画伯のサインと思われる署名があり、おそらく本人であろうと判断しました。

レベルとアダムスの関係というのは、よくわかりません。ただ、過去に聞いた話ではレベルのスタッフが独立してスナップという会社を設立し、スナップ倒産後金型はアダムスに引き継がれたという話です。確かにスナップ製品はレベルと同じ作風で作られています(スタッフが同じなので当然なのでしょうが)が、内容はレベル時代よりさらに洗練されています。確認はしていませんが、レベルのスタッフが退社したのは事実のようで、1960年代後半のレベル製品の出来が急に低下しています。いちばんよい例が、32スケールの航空機プラモで、P40、スピット、メッサーは素晴らしいのに、その後のP51B以降は雑になったという点です。
旧スナップ製品は、30年くらい前ライフライクが再販しましたが、その後これらの金型はどうなったのか不明です。
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thanks lot (teensound)
2011-11-17 16:29:57
さっそくにありがとうございます!このチラシあたしも持っておりますが、サインはサイン!画像の人物は、映画俳優でもないけど、海軍出身の「プルトニウム人間」をゲストに使ったのでは?ADAMSは1958年の時点で即倒産?このときまでに出ていた、ミリタリー以外多くのREVELL商品とのダブリ!80日間の気球、ベンハー、その他ミニチュア/マスターピースの西部開拓シリーズ、馬車など両社とも発売していましたよね!ただ、REVELLは著作権を取っておらず、ADAMSは著作権取得済みの商標とタイトルが付いていました!この後、ATHERN社が同じものをリリースして、その後M-20や、JEEP、兵隊などREVELLブランドも重複させて、SNAP-MARUSANもしくはSNAPでリリースされたものだと思います!たぶんADAMSは倒産ではなく、お互いの商品を売りやすく、海外および、さらにマーケットを広げるためにいくつかのブランド名に振り分けてマーケットに出したと思われます!それが証拠に4社ともに、住所がほとんど同じ!それにしても物凄いコレクション!どれもがため息!こんなものをこれほど集められる社長さんて、どんなお方なのでしょう?アタシの知る限りN君くらいしか考えられないけど、世の中には凄い達人がいっぱいいますから、、、、それにしたって、この時代のプラモデルは、ボックスだけでも、箱を開けて中身を見ているだけでも、一時の陶酔感というか、う~~ん素晴らしい!素晴らしいブツを拝めるだけでも感謝です!
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thanks lot (teensound)
2011-11-17 16:55:13
質問なのですが。auroraの

sheena-queen of the jungleっていう

キットって当時出ていたのでしょうか?
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teensound様 (絶版プラモデルやじ馬考古学ブログ管理者)
2011-11-18 10:43:04
コメントをいただき、ありがとうございます。

アダムスという会社については、まとまった資料的なものがほとんどなく、よくわかりませんがレベルの関連会社でレベルの金型も製作していた…という記事を何かのサイトで読んだことがあります。ただ、どこまでが事実かは不明です。海外のオークションサイトを見ても、アダムス製品は出品数がきわめて少なく、ナゾが多い会社です。

オーロラの「シーナ、ジャングルの女王」は60年代と70年代に発売されていたようです。
もともと人気のアメコミで、50年代はアメリカのテレビで実写ドラマが放送されていたそうです。

「プルトニウム人間」は、YouTubeにその映像が出ていたので見ました。広告の人物によく似ていますね。映画では巨大化した大佐に薬品を注入するため、大きな注射器を作って注射するシーンがあるのですが、逆に大佐に奪われてしまい投げ返されてしまうと、スタッフのひとりにその大きな注射器が刺さって死んでしまうという、何とも笑えるシーンがありました。当時としては、恐怖シーンとして撮影したのでしょうが…
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sheena-fantasy box (teensound)
2011-11-18 16:18:56
良く調べてみたら、sheena-queen of the jungle
こんなキットはオーロラから発売されていないのですね!
近年、Fantasy Boxとクレジットされて、AURORAがいかにも出しそうな、出したらこんなボックス・アートだったろうと、いうことでシュリンク付きのフルサイズボックスのみ売られているようです!中身は無いのでした!

http://www.morbidmonster.com/scart/shop_c1.asp?PageNo=3&CatVals=2,10 - Aurora Fantasy Boxes

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teensound様 (絶版プラモデルやじ馬考古学ブログ管理者)
2011-11-18 19:16:34
コメントをありがとうございます。

オーロラの「シーナ、ジャングルの女王」は実在しないそうですね。それが事実なら私の調査不足です。情報提供をしていただきまして、ありがとうございます。
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ADAMS-REVELL (teensound)
2011-11-22 03:11:47
少し判りました!Revellの本を訳していたら以下のことが、、、

ADAMSはREVELLのモールドメーカーで
自分達の作っていた、西部時代の1/48のマスターピースやらTony Buloneという原型士にやらせていて、彼の新作が、PATTONのフィギュア、GIソルジャーで、ADAMSとパートナーシップを組んだ矢先に喧嘩別れし、ADAMSが独自のブランドを立ち上げて、それまで自分のところで作っていたものをADAMSブランドでリリースした!これらがRevellと重複して、リリースされていたわけで、Tony Buloneは、このときフリーになっていて、実に、バービーの第一号の原型を作ったのですな!う~~~ん!凄いことだ!
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teensound様 (絶版プラモデルやじ馬考古学ブログ管理者)
2011-11-22 20:06:36
貴重な情報をありがとうございます。

ADAMSに関して断片的な話は聞いてはいましたが、このような具体的な話がでてきたのは初めてです。ところでレベルの本とはThomas Graham氏の『REMEMBERING REVELL MODEL KITS』のことですか。それとも別の書籍ですか。
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Revell-Adams (teensound)
2011-11-23 02:17:47
Thomas Graham氏の『REMEMBERING REVELL MODEL KITS

そうですよ!この辺のことは全部書いてありますね!

ちなみに、youtubeで、Anthony Buloneを見ると
Adamsの兵隊や、コアラベアなど彼の素晴らしい遺産が見れます!Anthony Bulone=Tonyの素晴らしい原型、Revell-Adamsのその原型の抜き方、当時、いや現在でも、Revellほど薄いモールドで一発で仕上げるメーカーなど存在しないでしょう!オーロラは金型からこういうモールドを抜けなかったために、分厚いモールド、多くの分割を必要としました!今のタミヤやドラゴンと同じ。根本的に次元が違うのです!1958年のREVELLの技術は、現在の、タミヤ、ドラゴンなどより遥かに金をかけて金型など製作していました!センスだってまるで違う!Tonyの多くのフィギュアを見れば、現在のどんな原型士、どんな技術を使ってもこれほどのモノは出来ないでしょう!

ところで、1958年のRevell catarogは持っていますか?
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