長岡京市観光協会のブログ

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 ”くわばら くわばら” ~道真公~

2014年08月11日 | 伝説
”かみなり”の季節といわれますが、これは湿度の高い上昇気流が

空の寒いところで液化、凝固し雷が起こるという原理から

夏場のほうが湿度の高い気流が起こりやすいので、

かみなりは夏・夏の季語として使われています。


(長岡天満宮)

私たち長岡京市民にとって”かみなり”と言えば、

勿論、「菅原道真公」ですよね!

なぜ学問の神様が「天神さん」なのでしょうか?


(道真は845年丑年生まれ、死去した903年2月25日は丑の日)

道真は若くして学問に優れ、宇多天皇に大変可愛がれ、

醍醐天皇の時には「右大臣」にまでなりますが、

「左大臣」の藤原時平に妬まれ九州の大宰府に左遷され、

二年後には大宰府の地で亡くなってしまいます。




(道真が愛した梅の花たち)

ここからが大変!道真の死後都では、藤原時平が39歳の若さで亡くなり、

醍醐天皇の皇子まで相次いで亡くなってしまいます。

「平安京」は疫病と日照り、”かみなり”の天変に覆われる事になります。

道真の祟りと囁かれましたが、

決定的にしたのは天皇の住む皇居の清涼殿に雷がおち、

大納言・藤原清貫や多くの人が亡くなった事で、

道真の怨霊が雷神(天神さん)となって復讐をしているという

恐怖を実感した事からです。

怨霊となり天神となった道真公の恨みを鎮めるために、

神格化し祀るようになったのが、「北野天満宮」で、

道真公を「天神」として祀る”天神信仰”のはじまりとされています。

よく”かみなり”がなると”くわばら,くわばら”といいますが、

道真の領地であった「桑原」にだけは雷が落ちなかったという

逸話からとされています。


ベンジャミン・フランクリン
(彼はアメリカの100ドル紙幣の顔になっています)


ベンジャミン・フランクリンが、雷の正体が電気であると証明してくれるのは、

1000年近くも後の事ですので、疑問を持ちながらも私たちは、

”かみなり”は道真公の怨霊の仕業と思ってきたわけですね。

以前、宇治の平等院で末法(まっぽう)元年で始まる藤原氏の年表をみて

思わず、凄い!面白いと見入ってしまいましたが、

怨霊元年で始まる年表もありかも?と思ってしまいますよね。













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