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長岡京市の民話・勝竜寺城

2015年08月11日 | 伝説
伝説・勝竜寺城



勝竜寺城は1339年に細川頼春によって築かれたと言われています。

足利尊氏の率いる北朝の前線基地でした。

京都盆地の南西にあって戦略的な守りの拠点で、

南朝の進行を食い止めるためのものでした。

この城は応仁の乱「1467年~1477年)で、

西岡地域の西軍の軍事基地として使われました。

1568年に織田信長が当時、都であった京都に来て

戦乱の時代が終わりました。信長が西岡地域を抑え、

細川幽斎として知られる細川藤孝に城を与えました。

1582年の山崎合戦で、信長に取って代わろうとして

上手く行かなかった明智光秀の根拠地として使われました。

歴史的な合戦が行われたことを別にして、

勝竜寺城にはロマンチックな話が残っています。

1578年に細川忠興が光秀の三女の玉とこの城で結婚をしました。

この時、玉は16歳で後にキリストの洗礼を受け、

ガラシャと呼ばれました。勝竜寺城は1992年に

公園として整備され、市民の憩いの広場となっています。

                (長岡京市昔話より)








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