長岡京市観光協会のブログ

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細川家~「九曜紋」~

2015年08月29日 | 情報


こちらはお馴染み細川家の家紋「細川九曜紋」です。

この家紋は江戸時代のある事件がキッカケで使われる様になりました。

今から250年程前の江戸城内での事です。

江戸城本丸大広間縁側で血まみれになった男が、

虫の息で「細川越中」と名乗り亡くなりました。

細川家第7代 細川宗孝(むねたか)でした。

犯人は板倉修理(いたくらしゅり)という旗本でしたが、

細川家にどんな恨みがあったのかと思えば!?

なんとびっくり ”人まちがい” 刃傷だったのです 

修理が恨んでいたのは板倉本家の勝清という人物で、

薄暗い江戸城の中で九曜紋と板倉家の巴九曜を

見間違えて刃傷に及んだというのです。


(巴九曜紋)

当然板倉修理は切腹・お家断絶でしたが、細川家には

藩主が江戸城内で殺害されるという前代未聞の事で憂慮し、

家紋のデザインを変えるように命じました。

変更前 → 変更後

この時変更されたのが「細川九曜」といわれる現在の紋です。

また細川家では、羽織につける紋の数を通常五カ所のところ

両袖の裏側にもつけ七カ所に付けるようになったそうです。

また宗孝には世継ぎがおらず細川家も大ピンチになりますが 

仙台藩主「伊達宗村」の機転により宗孝はまだ息があるとして

江戸城中からすぐに細川家に運びだされた後

すぐに幕府に末期養子を申しでて、

翌日、宗孝死去の届けを出し事なきをえました。



細川九曜紋と明智家の桔梗紋のプリントされた手ぬぐいです。

観光情報センターなどで販売しております。



一枚 500円です 















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