文豪ストレイドッグス
第24話 若し今日この荷物を降ろして善いのなら とまとめ △++
導入が「太宰のポートマフィア時代」から始まったのが吉だったねえ
前期の敦クンが武探に入社するうんぬんだと「異能力バトルもの」に
入っていくためのオサレ成分がちょいと足りなかったから
オダサクのささやかな夢がやぶれてはじめて「敗北のブンガク」が始まったようなな
そういう印象をうけるねえ、え?「オダサクは犠牲になったのだ」とな
そうだねえ「未来が視える」ってのはロクな結末がおとずれないよね
「現在」に尽力を果たすことが幸福なのだ、ということやね。
「文学」っていう「過去の遺物」を「今」を健やかに生きるものの
「超能力で閉塞した毎日をブチ壊したい」というありふれた現代の
夢の為に具しているわけだ、それが「けしからん」とか言える気概の
ある文学ファンがどれぐらいいようかねえ、とはおもうね。
しかしじゃあこのまま「名作」の名の下にほそぼそと「原典」をまっとうするか
それとも現代の「娯楽」のためにその表層の「ことば」を切り売りするか
そういう選択をせまられているってわけだ、そして実際やってみたら
なかなか「それっぽく」仕上がったという次第だったとおもう
かつて、それぞれその時代に精一杯カブいた文人や名作は現代においても
「消費するに値する」ってことが証明されたわけで、まずはそのことを喜ぶべきだろう
そしてそれをうまく消化している製作者の側も賞賛に値するかとおもう
「虎」の孤独も、太宰の「諧謔」も、乱歩の「叡知」も
そしてギャツビーの「虚栄」も当作品を視聴しただけで「わかった」とかほざいたら
それこそバーナード嬢よろしく文学少女にブチのめされかねないけど
「映像」として成立していること、そして名作がいくばくかでも甦ること
そのこと自体の評価はゆるがないとおもう。
Lostorage incited WIXOSS 第12話 夜明け とまとめ △+
夜明け前が一番暗い
最後は2対1とか、文豪もそんなかんじだったよねえ
いや卑怯だとかそんなことが言いたいわけじゃないんだ
相克にあい別れたふたりが今一度ヨリを戻す、こんないいハナシはないわけで
「現実」に翻弄されたはかない「記憶」が、最後に価値をとりもどすのが美しい。
ハナシの要素として前作だとオミットされていた「経済ゲーム」としての
側面をこっちでは持ち出してきたわけで、前作の「何かわからんけどひどいゲーム」から
「ひどい現実を模したゲーム」にひっくり返ったような印象を受ける。
これは前作がやり残したことをやりたかったからではなくて
ウィクロスで女の娘がひでえ目に逢うのを見るのが大好きなみなさんの為に
もう一本つくってくれたというそういうことなんだとおもう(ひでえ)
今回一番チカラをいれて描かれたのはちーちゃんだよね
彼女が堕ちて、他の人を墜として、そして泣くのを見るとゾクゾクしたよ
これじゃ里見と一緒だわな、でも1クールで片付けるならいいじゃん
ってもおもうのね、こういう「仮構のおはなしで人間を消費する」ってのは
「1クールで消費される大量のアニメ」としてはぴったりな題材で
そして里見のように「何度でも甦る」のかとおもう、少なくとも今暫くは。
Occultic;Nine -オカルティック・ナイン-
第12話 オカルティック・ナイン とまとめ △+
騒がしい幽霊
登場人物の大半が「幽霊」とかヤバイ設定ですよね
つーか私もそういう設定で一本ハナシが書けそうだなとか思っていたんで
くそう、パクりやがってとか勝手に悔しがっていた次第w
物語の最初のほうのエンジンとして「オカルトサイト」とか「コトリバコ」
とかありましたよねえ、「ネット」がみんなに解放されて
今までは雑誌関係とか研究していた人達に集中していた知識が
一気にお手軽になって、一時期界隈が賑わっていたものね
なにせ「根拠の無い与太話」そのものだもの、オカルトって。
そしてその与太話で何とか騙そうと「偽科学」が用いられるのも
またよくあることで、当作品はそういう「ニセモノ」であるがゆえの
うそくささと活気にあふれていたかとおもう
と、同時にハナシとしては歯を抜き取ったりコトリバコとか256人の死体を転がしたり
映像としてはおいしい画を提供できて、うまいしかけだったかのではないかと。
「テスラ」がハナシの核になっているけど、あの人もエジソンのせいで
「亜流」の烙印をおされたような歴史があるのよねえ
このおはなしは彼の恨みつらみが「交流的」に時間を遡って
極東の電子管にのっかっちゃったのかもしれない
って、ん、なんかきたぞ、黄色い救急車だッ、ばか、おれはうおいうd
ナンバカ 第13話 マジバカ とまとめ △(+)
ムショが最後の楽園とかどこの麻薬王だよ、ってな感じだよな。
「規律と拘束」に逆らう様が「笑い」ではあるわな
と、同時にその幼稚な反抗は「エンタメ」としては弱いね
むしろ「天下一武闘会」とか「過去のエピソード」とか
「ありがち」な展開で場を盛り上げていかなければならないのが
ほんとうの「拘束」ってことなんだろうねえ、という感じ。
あと「過去に苦しむ男共」ってのは女性向けの「それっぽい」展開だわな
男性的には精神的に他者が苦しんでいるのには鈍感なんで、つまらんのよね
まあ「拷問」までいけば流石にエモーションもうごくんで
流石に「ムショ」のはなしなんで「痛い」とこまでやっていたのは
評価できるわな、まあ「改造人間」なんでそこまでガチじゃないけど
ってなかんじでこの作品考えるとちっっっっっとも面白くならないのよね
バカが考えても仕様がないわなあ。
響け!ユーフォニアム2 第13話 はるさきエピローグ
と不完全終止によるまとめ ○(+)
Coolジャパン
「音が薄い」ってシーン、実際に音を間引いてやってるんだろうね
このおはなしはそういうとこで一切「手加減」しないに決まっている
なにせ「銅賞」だった全国大会は演奏を見せないぐらいの完璧主義者だ。
しかしまあなんちゅう「取り付くシマの無い」おはなししてきたよねえ
悪く言えば「かわいげ」のないハナシだったかとおもう。
やってることも「音楽」と「惚れた腫れた」ぐらいだもんね
「超能力者」も「幽霊」も「犯罪者」もここには出てこないわけだ。
その「やってること」も果たしてどれぐらいの視聴者の共感が得られたのか
「元吹部」って人でも全国出場かそれに近い成績の人ってなると限られるだろうし
惚れただのなんだのはまあ大概の人が通るけどw
でも顧問に惚れて全国まで行けたような「特別」な経験のかた、いるんだろうか
そもそも「全国」に出るような訓練を積んでいる人がアニメーションにうつつを抜かす
ような生活をしているのだろうか、ともおもわれる。
でもまあそういう「音楽(とその仲間)以外はどうでもいい」っちゅう
独善的な生活がまぶしくもあるよな、「音楽」はそれが許される数少ない
「聖域」なんかもしれん、そして視聴者を完全に突き放さないために
大前ちゃんっていうほんとギリギリで共感できる娘を用意しておいたのだろう
「久美子は(先輩が卒業して泣く)ような娘じゃないとおもってた」って高坂さんは言うけど
となりでバンバンいい音を奏でる超人みたいな先輩と仲良くしてたら
そりゃ「特別」にもなるよなあっておもうわ、「感傷」じゃなくて
ほとんど共有できない特別な経験を通してそこに至ったわけで
その別れが単に寂しくてたまらないだけのことだというわけね。
「ユーフォニアム」っちゅうキンキン響かない楽器を高らかに響かせた
この作品はその「音楽」と「青春」と「響け!ユーフォニアム」っていう
タイトルをほとんど微塵の雑音も入り込ませず純粋に視聴者の脳髄に刻み込んだにちがいない
それは「クラシック」の真髄であり、そして当邦のアニメーションにおいては
「特別」なものであるに違いない。
フリップフラッパーズ 第13話 ピュアオーディオ とまとめ △+
アモルファス≒無規則
「摩訶不思議大冒険」といった次第で、「CGがうんぬん」とか
そんなん関係ねえ!とばかりに「アニメ」やってましたねえ
無手勝手ではあるけど相応にクオリティを維持するのは大変だったとおもう。
「ゆめのせかいのおはなし」ではあるけれど「ボカンシリーズ」のように
やりたい放題やっておしまいってワケではなくてちゃんと現実セカイに影響があるとか
どうやってうまくまとめるのかねえと思っていたけど、何か強引にまとめてたねw
結局は「今まで流行ったアニメのセカイ」も「母ちゃんの庇護の永遠のセカイ」も
アカンということらしいね、まあありがちな決断ではあるけれど
ここ15年でありとあらゆるネタを食い散らかしてきたアニメ業界の事情を鑑みると
ちょっとおもうところはあるわな、「まだいける」のか「もうだめ」なのか
石油の採掘余力をめぐるようなおはなしになるけど、少なくとも私のような
凡夫からすれば「もうアカンやろ」っていうのが短絡的な結論なわけで
それに対して「やってみなくちゃわからない!」っていう言葉をお守りに
新しいハナシをリスクとってやるってことなんだとおもうのね。
つまり全てのセカイと関係性のどれもが「安住の地」にならないというなら
あとはトモダチと一緒に思いのままに飛び出していくのみで
このおはなしに後引き感がないのはそういう「覚悟」を決めて
「ぜんぶやりきる」をやったからだとおもわれる。
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