機巧少女は傷つかない 題12話 Facing "Elf Speeder" IV とまとめ △
うーん「原作に忠実にやる」って責任を「原作に押しつける」とも言えるよなあ
「忠実」とも言えるけど「出藍の誉れ」ともならない
「現状守株」と「新進気鋭」のせめぎあいですわなあ
まあ実際に製作している側の苦労なんて視聴する側は分かってくれないんで
「いい子」でいるのが一番ラクなんでしょうけどな。
そんな感じで「機巧少女は傷つかない」はとても何かを「忠実」にやってくれた
そんな内容の作品だったとおもう、ラノベを「アニメ」にするようになってから
20年ちかくになるけど、こんだけできるようになればもう「何でもできる」
のではないかと錯覚するぐらいだ。
だからもう「小説」とか「漫画」とかの原作の人はちょっと人気がでたら
「アニメ」によって自分の作品が歪められること無くそのままに「拡大して」
評価されることを覚悟しなければならないのかもしれないなあ
もし「アニメ」の側から「ここ改変してOKっすか?」と言われたのなら
それは「面白くないから」ってのが頭についていると考えるべきなんだろうね
かくして創作者にとって「アニメ化」は「ゴール」ではなくて
「中間試験」となったのかもしれないねえ
それは最近の「ライトなノベル」なら手当たり次第に「アニメ」にしてきた
ここ20年のあり方が変質しようとしているのかもしれない
まあ「オリジナルありき」っていうそれ以前の流れにさらに逆行するだけなのかもしれんけど
<物語>シリーズ セカンドシーズン
第26話「恋物語 ひたぎエンド 其ノ陸」 とまとめ △++
あれやなあ神原とか八九寺と遊ばなくなってから
ハナシが随分前に進むようになったなよなあ
大人になってから遊ぶのを止めると随分時間が進むのが早く感じるように
なるような、そんな感覚。この物語シリーズで言うなら
阿良々木暦→羽川翼って「成長」させて、「撫子」でいったん落として
最後の貝木までもっていったような、そんな印象
いろいろな姿を見せた今回の「物語シリーズ」だけど
八九寺まわりのハナシと今回の貝木のハナシのデキがよかったかと
前者は幼女遊びとSF的ハナシづくりの成功とその終焉の痛切さで
後者は「80年代」的なハナシの「進歩的回帰」によって。
貝木のハナシはこよみんには「できないこと」を大体やったハナシかと
なんちゅうか「大人力」で子供を諭したようなそんな印象
そうね、昔忍野メメが担っていたポジションだったかもしれない
最後にどうでもいいやつに横死されるのも「80年代的ノリ」かもな
とまあえらい褒めているように見えるけど最後にこうなんか一つ足りない
感じなのよねえ、なんだろう。
やっぱりこれも「原作に忠実」的な何かの「限界」によるものなんかねえ
という気もする。「物語シリーズ」はたぶん「アニメ化」を最も上手く
やってのけている作品のひとつなのだろうけど、それゆえに「限界」を
より一層あらわにしている気はする
それともまだ「可能性」を残しているのかね
多分、その答えは次の「サードシーズン」で分かるはずだ
とりあえず「中間試験」としては十分な成績だったかとおもう
随分好成績ではあったけれど。
蒼き鋼のアルペジオ -ARS NOVA- 第12話 「航路を拓く力」 とまとめ ○
今おもうとイオナとコンゴウはメンタルモデルの「人格」形成としては
「陽」と「陰」のような関係で描かれていたかもなあ
どっちも物語としては有効な手段ではあるけど両方提示するのがバランスが良いね
そしてできれば「陽」の側が「陰」の側を救うのが最高だ、よってこのおはなしは最高ですw
冗談はさておき(半分だけど)このおはなしは「3DCG」で民放のアニメが
出来ることをほとんど全部やっているような印象やね
何が得意で何が苦手で(なんでもできそうだが)そんなのがほぼ晒されているかと
そしてそれが「擬人化した海戦ゲーム」という舞台に最高にマッチしていたかと
これ、こういう方法論で「アニメ化」しようと思った人の発想の時点で勝利していて
そしてさらに相応な努力があったわけで、グンゾーのように「良い指揮官」がいたんだろうねえ。
こんぐらいの「CG技術」はもう10年も前に実現していたのだろうけど
それに相応しい「すわりのいいハナシ」ってなるとどうだったかね
「とりあえずSFにしときゃいいだろ」って怠慢があったような気がする
ま、このおはなしが「たまさかのキセキ」なんか「進化過程での必然」だったのか
来年以降より一層はっきりしていくことだろうねえ
そして3Dで描かれた女の娘が当たり前のように僕たちを魅了する時代が来るのかもしれない
リトルバスターズ!~Refrain~ 第13話「リトルバスターズ」 とまとめ △+
なんでしょうね前回のおはなしと最終話のおはなしがどうも一致しないというか
私としては理樹と鈴以外がみんな「死んじゃっている」展開を予想していたものだから
「バスの中のクラスメイツを頑張って助ける」って展開をぼーっと見ていたという
途中から「違う世界線」にでもなったんでしょうかね、という印象
いやね、いいんですよ、この終わり方で、「最高」なんですよ「ゲーム」的にはさ
ただ「報われないつらい現実」を少しでも救う為に1年近くも「繰り返されるハナシ」を
するのは「アリ」だと個人的には思うわけで、え、そんなに救いの無いハナシが
好きならそういう「ゲーム」とかでも買うか、自分で勝手に妄想してろって?
たしかにまあそうですねえ、もしこのリトルバスターズっちゅう「ゲーム」を購入して
何十時間もモニタの前でつらい「選択肢」を選び続けてこの「TRUE END」に
辿り着いた人にはそう言う資格があるかもしらん
ただアニメちゅう「理樹クンが最善の選択肢を選び続けるハナシ」を視聴するだけの立場
(そう、どっちかというと「恭介」の立場に近い)で果たしてそこまでハッピーでいいのか
という卑しい人間の限りなく不満に近い「不安」があるわけだ
前回の恭介の悲痛な叫びはなんだったんだ、というしこりがあるわけだ。
まあ多分「悲惨な現実」と「幸福なゲーム」ってのがある程度キッチリ分け隔てられていて
それを長い時間ゲームでごっちゃにさせるのが「うまいやりかた」なのだろうけど
ゲームを製作した側が「ハッピー」を綺麗に提示して
それをアニメの側で忠実に再現してみせたからこそかえって「できすぎだろう」って
感じになっちゃったのかもしれない。
「みんなが望むおはなし」を作ったってこと自体は何の不満もないのだけど
なんかこう「最初からこういうハッピーになる」って感がハナシ全体を
「できあがっている」もののようにしていた気がする
「童話」を見ているような安心感に満ち満ちていたようなそんな感じだった
何度も言うけどそれ自体は「悪くないこと」だから困るのよね
ただ、作品それ自体が「いいもの」「わるいもの」ということを黙らせるような
そんな方向性があるのよね、もしかしたらそれこそが制作者の真の狙いだったのかもしれない。
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