フレームアームズ・ガール
第12話 ラストバトル/君に贈るもの とまとめ △+
ざっくり言うと前半は勢いがあって、後半は息切れしてたような印象。
皮肉にもバトルとFAガールズの紹介がメインの前半と
その娘たちとの情緒あふれる生活がメインの後半部分といった構成で
昨今のアニメだと後半部分のほうが「あり」なんかもしれないねえ
「踊ってみた・歌ってみた」とかな、まそうなるとフレスとの
最後の方のバトルはなんだったんだ、とかなるが。
アニメ的には「たのしいまいにち」を取ったカタチになったけど
そもそもFAガールズってなんでおるん、っていうギモンがあるのね
もしフレスの言うとおり「戦い」が本来の役目で、それに沿って描く
ガッチリ「戦いの日々」の中で最後に絞るように出てくる感情・涙と
のんのんな日々の中でとってつけたような別れでの涙が等価値であるとは
流石におもえないよなあ、といったところで
もしかするとこれからのアニメは「たのしいまいにち」よりも
「プレスチックな何か」の方が「これから」なのかもしれないなあ
と思った次第。
ロクでなし魔術講師と禁忌教典
第12話 見つけた居場所 とまとめ △(+)
こういう「昼行灯もの」ってのはモードの切り替えがキモで
最初はいきがってたグレン先生も段々切れ味が鈍ってったかんじやね
最後は「何マジになっちゃってんですか、ププッ」とか馬鹿なこと
いいたくなるかもなあ、といったところで。
「碌でなし」になるならマジでそれをやりきるべきで
もっとヒロイン陣に不逞をはたらいてみたり、同僚をおとしいれたり
ぐうたらな毎日を楽しんでみたかったとおもうのね
そこではっちゃけるからこそ「夜」が来たら大活躍できるという形式のはず。
あとはまあその「真剣モード」に入るきっかけかなあ
ちょいと「ラノベだから」に甘えた展開だったかもしれん
こういう「ハナシの盛り上げ方」ってのも昔は教科書どおりのカタが
あったような気がするけど、今はその「定型」すら個人の努力と才能に
帰属しているような気がせんでもないわな、え、もうみんなそういう
「しっかりした構成」とか誰も気にしないって?それもそうですなあ
クロックワーク・プラネット
第12話 終焉機動(スティール・ウェイト) とまとめ △(+)
時計的ガジェット用語によるオレ強ェー劇って寸法ですわな
こういう言葉を振り回してオレに騙されろってやり口も、懐かしいかもね。
「いきもの」の政治的判断は常に悪で、「天才」や「人形ちゃんへの愛」は
常に正しいとか実にすがすがしいことだと思いますわん。
ま、そういう世界観でマリーさんがほとんどその間にたって
主人公的な、あるいは「人間的な」苦労を買っていたような気がするね
あるいは「ドール」たるリューズさんやアンクルちゃんが
「毒舌」だったりあるいは「娘」だったりしてハナシをこう
やんわりとさせていたような気はするわな
そういう和らげる必要があるぐらいの「独善」が感じられる作品
ってのもあっていいのかもしれないね。
ひなこのーと 第12話 あこがれのばしょ とまとめ △+
舞台のない演劇
ガッチリやったのは文化祭の時ぐらいかねえ
あとは「舞台」自体はサックリあつかっていたような感じだわな
そもそも特技がかかしのひなちゃんが演劇を目指した動機に
なったきっかけの舞台も曖昧模糊だし、こう熱意と
日々の生活の温度差にギャップがあるようなかんじだわな
もっとこう「ゆる」な感じでやってもよかったろうけど
なんか「演劇もの」っていい加減にできないような空気があるわな
多分演劇ってのは演じる側が「ガチ」でないと全く面白くも何ともない
ものになるからで、多分作り手側もそれが分かっているからこその
この距離感だったのかもしれないなあとおもうのね。
しかしまあこのキュンキュンするための4コマ雑誌ではたして
「ガチ」なんてのが求められているのかどうか、わからんね
「かわいいは正義」の名の下に「何も演じなくていい」という
許可証をいただいた妖精たちのごっこ遊びのようにもみえんくはない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます