とらドラ! 第25話 「とらドラ!」
とまとめ ○+
もう随分いろいろ考えたけどよい感想が
でないのでテキトーにやります
なんちゅうか、肉体的接触の多いお話し
だったような、バイオレンスなやつからハグまで
ひととおり、きょうびのお話しではちょっと例を
みない頻度、さいご頭突きだし
最初は竜&虎がまわりの人達の心の壁を
ブッ壊しまわってたんだよねえ
それがまわりまわって自分たちのところに
戻ってくる、子供の関係範囲って小さいってこと
だからこそ大事なのかもしれないし
情けは人のためならずなんて美しすぎる関係が
成立するのかもしれない
なにげに話が進展するのは学校のイベントに
おいてだったりする、ただし凡百なテンプレ的
展開は慎重に避けてはいる、自分たちの祭りは
自分たちで創るんだ!ってな
まわりにある小道具に対するこまやかな利用が
よく目に付いたなあ、最終話だったら
シーツをはおってみたり
ケータイで撮った星→クリスマスの時の星
のコンボとか
珍妙な発明品とかマジックアイテムなんて
御免こおむるってな
そう、できている
結局、とらドラのドラマ性を保証してるのは
衒い気のある演出にではなくて
上記のようなそんなに背伸びしない日常を
よく観察して、それを着実かつ愉快に描き出して
いくことだったのだと思う
その下地があってこそおのおののキャラクターの
心理言行に重みが生まれたにちがいない
個性を捨てて地味な(そうでもないか)
いい仕事を続けていくこと、そういうものによって
できあがったのがこの高密度なおはなしなんだろう
ドルアーガの塔 ~the Sword of URUK~
第12話「つないだ手は…」 と総括
△+
離さないで
原作つきのアニメなんてもういちいち
表記するのもめどくなった今日この頃
「ドルアーガ」なるもう名前も知らない人もいよう
古の秘宝を引っ張り出してきたわけで
メディアミックスなる加護もなければ
原作準拠なるくびきもないそういう微妙な運命が
どういう結論を導いたかって問い
結論としては上手く消化できていたかな、と
イシターサーガのその神聖さを損なわず
かつ現代的なアニメの処理、エンタテインメントの
付与をほどこして破綻無く登頂しきったのだから
それにも満足がいかぬという勇気は
さすがに当方にはない。
ジルとニーバの最後の戦いはまあ、あれですな
「登頂者」だけにより高いところに昇った人が
勝つのが道理なわけで、そういうオチだったのかと。
逆に言えば、そういう演出上のつよさよわさで
カタがついてしまうぐらいのそれだったわけで
真にジルがレベルUpして苦難のすえに・・・
っていう20年も前に滅んでしまった思考様式で
考えるとちょっともの足りなかったり
本当の意味で「試練」っていえたのは
前期の最終話付近の巨大ドルアーガ退治の所の
ような気がする。
あるいは、こういう憶測
ニーバのように仲間を心から信用せず
次々と切り離していったのに対して
(神話《おのれ》の世界に閉じこもること)
ジルのように、裏切られることを恐れずに
仲間を信じて自分の可能性を切り啓いていくこと
(二次創作や他メディア展開を受け入れていくこと)
そのことが最後には勝利するのだというもの。
さすがにハッキリ断言できるほどの感慨は
受けなかったから笑い話程度のものではあるけど。
明日のよいち!第12話「あすの与一!」 △
「くだらん!」
もうほとんど何も考えずに見ていたので
ナンも、感想が、ないw
いやーほんと困った
ま、何も考えなくていいってのが
無価値であるとは全く思っていないので
これはこれでってことで
それにしたって―
いやいや―
CLANNAD ~AFTER STORY~
第24話(総集編) 「緑の樹の下で」と補足 ○
「総集編」っていうとちょいと前までは
1クールの区切りごとに寸稼ぎのために
よくやってたねえ
え、まだやってる?
「総集編」のくせにある程度CLANNADを
楽しんできた人達でないと多分楽しくない
他人のアルバムを見てもそんなに面白くないのと
一緒。そして作り手側はきっとそういうつもりで
このお話しを紡いできたのだろう。
にしても冗談でなく「おしまい」ってエンドを
平気で2回うてるってのがこのおはなしのオトし
どころを非常にややこしくしている。
クラナドの根本的な話のつくりとアニメーションの
妥協点ってところなのかもしれない
えんえんと続いている「かもしれない」おはなし
それが悲劇か喜劇かは分からないけれども
そうなると私たちに出来ることといったら
幸あれ―
って祈ることぐらいだろうか
考えすぎて頭が痛くなってきたのでこのへんで勘弁
あとはことみかイネスさんにでも聞いとくれ
まりあ†ほりっく 第12話
「美少女だらけの水泳大会 ポロリもあるよ」 △+
↑このフレーズが実際に使われた番組を見た人も
もうどれぐらいいようか
かなこさんの百合的妄想パワーで話がほとんど
回転しているから、それが衰えたときこの話も
一緒に心中でしょう、まりあさん達の罵言ですら
スパイスでしかないってのはある種畏敬の念を
おぼえるねえ。
にしても、シャフトは自分たちが力を発揮できる
原作をよく心得ているというか
「絶望先生」しかり「ef」しかり
共通点は「妄想」ですかねえ
そんなわけでその妄想が面白い限りは何をしても
かまわんわけで、そしてまだそれに耐えうるってのが
凄い、皆さんしってるとおり大概の妄想は
訳分からんだけで面白いものではないのだから。
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