デンキ街の本屋さん 第3話 Party Hard/ひおたんよ家に帰れ/エンドレス・カルナバル △(+)
あれですよね、明らかに「友達」のセンを逸脱して仲良しなのに
ファックしてないって状態がおうおうにしてありますよね
当作品だと「18禁」を商売にしているという要素があるんで余計に目立つというか
いや、別にリアリティが無いとかいつものはなしをしたいワケではなくて
なんだろう「性欲」が完全に切り離されている感とでもいおうか
「スイッチ」的なものがあってそれを「ON・OFF」にするだけのことといったような―
一方で10ページもしないで「ON」しちゃう薄い本を販売してるわけで
そのあたりの「区分け」がさっこんの「草食系」的な存在を許容しうる環境を
つくっているのかもしれないな、なんて思った。だって肉喰わなくてもいいんだもの。
蟲師 続章(第2期) 第11話 草の茵 △++
ヤマノススメ
「枯れた山」ってのがあるだけでまあハナシがひとつふたつ作れるね
そこにまだ右も左も分からぬままに投げ出された不運な少年がいる、と
「俺にも力があれば―」というほとんど本能的な望みが切ない
対応して「蟲くだしのタバコ」とか「蟲師のイロハ」とかギンコを形作るものを
教えてくれたこの山の蟲師の人との出会いが救いか
世の中には何かを教えたがる人ってのはいるもので「第2の本能」みたいなものなのかも
そういう「知」に関する基本的な渇望とこの世に「そのままにある蟲」との関係性が
「蟲師」の骨格になっている気がする、これはその「骨」が固まる以前の
一人の弱々しい少年のおはなし、ってのが寂涼とした山で逆にいよいよ露わになっていたかと。
七つの大罪 第3話 眠れる森の罪 △+
モリノススメ
やったことある人は分かると思うけど(?)ブラだのパンティだのを外すのは
結構めんどうくさいんですよね、まあそのじれったさがよいのだけど
今回のように「獲られたのも分からない」とか何らかの特殊能力でも用いないと
不可能な「パンティ剥ぎ」ってのはいかにも脱がせたことのない人の発想で
意図的であるかどうかは別にして「少年誌的発想」ってかんじですね、今時ちょっと珍しい
そういう「変身能力」で遊んでおいて本命の「えん罪」にもっていくのは上手い感じですね
「正しいこと」をしていても人の世では理不尽が発生しうる、という態度
そういう「メンドいこと」をさらっと出せてしまう少年誌的美質と勢いが
この作品にはあるとおもう、これ狙ってやってるんですかね、どっちでもいいけど。
失われた未来を求めて 第3話 会長はきらめく瞳で夢を見る △(+)
さて、「2周目」いろいろまだ「特殊」な「1周目の裏」ですよね
解決しなかった案件を解決したりキャラクターの内面を掘り下げたり
そういう「できなかったこと」をやるゲーム的な愉しみが最も強い部分
あと、「子供が時間を越えて自分の親の若い頃を視る」っていう
とてもおいしい状況が発生しているね、よいシナリオかと
アニメーションでもそれを汲んでそのあたりを重点的にやっているのが好印象
そして「変わってしまった未来」に対してこの「セカイ」はどう応えるのか
未ゲームプレー組には楽しみと不安があるそそる展開です。
SHIROBAKO 第2話 あるぴんはいます! △++
↑ ハートのど真ん中あたり?
「アニメの製作過程をアニメで視る」という離れ業が凄いよね
なにげにそういう事情だと「大本(このアニメ)」が「作画崩壊」とかやっちゃうと
「作画崩壊シーンを作画崩壊で描く」とかとんでもないカオスが現出するというw
まあ、視聴している側はいい加減なもんでさんざネットとかで叩いた後に
「結局覚えているのはその回だけ」ってことが往々にしてあるw
まあ作り手側は「伝えたいことが伝わらなかった」っていう負い目があるから
存外「やっちまった側」の方が気にしているってとこはあるかもなあ
あと、「アフレコの視聴」っすよね、アニメ化した作品の原作者が一番愉しみにしてるというアレw
「声優を声優が演じる」という曲芸もバッチリやってのけてるから、やっぱりスゲーとおもう
作品を製作している内に作品やキャラが分かるようになるってのはあるね
無計画ってワケじゃなくて「そういうもの」に過ぎないのだけど
そういった生成に一番最初に気づいてそれを声にしてカタチにしていくのが
「監督」ってものでそういう意味では木下さんは仕事をしただけに過ぎないのかもな
まあ、その「余計なコト」で以下の人達が地獄を見るのだけどw
人ごとだと楽しいのよねえ
繰繰れ!コックリさん 第3話 狗神ステイハウス! △+
狗神を演じてる櫻井さんが「ウザ櫻井」やねwさすがにお手のものだ
コックリさんと併せてイヌ科の「かいがいしさとウザさ」が把握できるしかけ
まあイヌ科がイヌ科の世話をやくって時点で完結してるよね
五寸釘を刺されたコックリさん人形や増殖する狗神やカップ焼きそばに関する考察とか
「病んでる感」をギャグの勢いで処理している「おもコワイ」のが楽しい
「駄目なものをそのままに受け入れる」という物語の基本的なあり方がつよい。