ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

今日のお色目 6

2006年07月30日 | 色の世界

牡丹色(ぼたんいろ)

昨夜は隅田川大花火大会、今年もテレビの中継で観賞。

花火・ゆかた・藍色~ 近年のゆかたはカラフルになり、連想は藍色につながらない。

  「一瞬の命はげしき大花火」   上野章子

花火もさまざまに趣向を凝らしたデザインで、色も形も 大空狭しと いっぱいに繰り広げ、かっての花火の情緒をかき消す勢い。

一瞬の~ 刹那みたいなものと、ちょっと違う。 江戸の粋はどこへやら。

バラエティと、イベントと、番組宣伝、それにコマーシャル。喧騒だけが、TV中継の花火。やはり現地の大川端へゆくべきかな。女

かって放浪の画家、裸の大将、山下清の ちぎり絵の「花火の図」を思い起こし、花火の色って、どんなだったかな。

花火は光、色は白、白はすべての色(光)の集約。

色即是空、般若心経に 色は有る様でない、無い様で有る。 なんちゃって(知ったかぶりの出来ない気弱な人間の照れ隠しの言葉)。

そこでもう一つ 夏の季語「水中花」 かな女の句

    「水中花菊も牡丹も同じ色」  長谷川 かな女

命の無い造花も、水につかると、涼しげに生きているように見える。それでも実際の花と違って、色は菊も牡丹も同じような色。

一瞬に大空に消える大花火、手元にて水を得て 生かされているが如き、水中花。 いずれも人間のはかない生命(いのち)を象徴するような夏の景物。

「候補者は花火をあげてまわるなり」  吉天子

やっと、牡丹色にたどり着きましたよ。

赤紫、赤と紫の中間に位置する色、花の王、牡丹から連想する赤みの強い華やかな色とは少し違うようでもある。

歴史的には七,八世紀、黒紫、赤紫と書かれている。

平安朝の「襲の色目(かさねのいろめ)」十二単のような重ね着の配色美の中に、牡丹と言う名がある。

花の名からとった日本の色名は優しい。現代は化学染料や、合成染料によるもので、牡丹色に近いもので洋紅色(ようこうしょく)、マジェンタである。

マジェンタは、印刷インクなどの三原色の一つでマゼンタともいう。

カラー印刷では、このマゼンタ(赤)シアン(青)イエロー(黄)の三原色に、さらにブラック(黒)の組み合わせで、さまざまな色が印刷再現される。 黒を含む四つの色を マゼアワセるのに、マゼンタとは。

ああ::疲れた~


自分のための介護予防 その4

2006年07月29日 | 健康・病気

介護予防は快・娯(かい・ご)からで、は自らを楽しむ事として展開しましょう。

その前に、介護予防とは、元気で自立した生活が何時までも続けられるように、自立できている現在から、将来に向けての要介護を軽減して行こうと言うものです。

国や、地方自治体のご都合による政策的介護予防でなく、自分自身が生きて行くための、介護予防であることが、真の介護予防であろうかと思います。

加齢による能力や体力の低下は、いたし方ないにしても、残された能力や、逆に今まで積み重ねてきたものを発揮することが出来るはず。

加齢ということは避けがたいハンディキャップであると同時に、一方沢山の人生の実り(知性と熟達)が、さらに熟成されて味わい深い人格を形成して行くことに成るのです。

衣食住の生活は出来るだけ質の高いもの、贅沢をするのでなく 自分にとって、快適で楽しいことを主眼としシンプルで煩わしくないのが何よりです。

クオリティ オブ ライフ(QOL)を高め、楽しさと自分らしさを、求めてゆく求道心、日常とかけ離れたものでなく身の回りから意識して環境を、快・娯に向けて行きます。

例えば、住環境も今まで「闘う生活」を象徴するかのごとく、取り乱されていたものを、ちょっとした工夫で「楽しむ生活」の場に戻して行きます。

雑誌のグラビアや、テレビで紹介されるインテリアや、お庭のように、生活感の無いものではなく、自分流の好みに合ったものでくつろげる場が欲しいものです。まったく余分のものの入り込む隙の無いものほど息苦しいものはありません。

掃き清めた庭に数枚の落ち葉を残しておく、利休の心に通じるほどのものです。

心の張りも、矯めすぎないことです。適度の遊びが無いと、ある日突然プツンなんてことになりかねません。

ブログなんてものは どうしても 毎日きちんと 更新して投稿し続けなければならないものではありません。

半分ブログ中毒になりかかってはいませんか。 自問します。

楽しくなければ、いつでも休んでよいのです。 

いいえ、楽しいです。

      また脱線しましたね。                         つづく


上野池之端散策 見聞録

2006年07月28日 | まち歩き

不忍池の蓮の花、よく咲いています。上野の夏祭りで、骨董市や、植木市で賑わっています。

そんな中、弁天島にいたる参道の池の端で何やらやっている中高年の小父さん発見。

足を投げ出している小父さんの周りに、雀が二,三十羽取り囲むように集まっている。餌をやっているのだ。

普通 鳥などに餌を与える場合、ばっとばら撒いて、拾いにくるのだが、彼の小父さんの場合は、指先で、米粒ほどの餌(何なのか不明)を一羽、一羽ごとに与えている。

雀の方も何の警戒心も無く寄って行き、小父さんの指先から でついばみ、引き下がると次の雀と入れ替わり立ち代りで、次々と餌をもらっている。

二,三十羽が常に取り囲んでいる、不思議な光景。

すっかり、信頼関係の出来た人と雀。

雀の学校の先生は、むちを ふりふりチイパッパではなく、餌を指先、チイッパッパでありました。     おしまい。


今日のお色目 5

2006年07月25日 | 色の世界

今日のお色目は、セピア色

もとは、烏賊(いか)の墨から作った絵の具の色。

甲烏賊の意味のセピアから、ギリシャ語、ラテン語を経て英語にもそのまま使われてきた、きわめて歴史の古い色。

昔の銀版写真が古びてセピア色になり、映画やドラマで回顧するシーンで、セピア色の写真が登場したりする。

かって、新聞 雑誌のグラビア印刷にもセピア色のインクが用いられた。 今もプリンターでセピア調に変えてプリントするのが流行っている。

昭和の時代のモノクロ写真は、さまざまなことを回顧して、よみがえらせる。

セピアを、国語辞典でひくと、暗褐色とある。


介護予防は、快娯から その3

2006年07月25日 | 健康・病気

将来 少しでも 介護を受けないで済む 老後を送るためには、介護を快・娯に置き換え 考え実践してみよう。 その2では、快・娯の部分に少し触れた。

こんどは、の部分について、とは人生の楽しみであろう。

かって企業戦士として、バリバリやっていた人が定年や、リストラで突然自由?の身になり何をやってよいか分からずほうけてしまう。

現役のころの趣味は、仕事がらみで接待ゴルフやマージャン、付き合い酒、体や神経に触ることの方が、大きい。真から気持ちをときほぐすものでは無かったのでは。

遊び上手は仕事上手と言われているが、仕事の無い時こそ遊び上手が、健康で介護のお世話にならなくて済む秘訣。

上手と言うからには、決して無理なことや、過ぎたこと、公序良俗に反することの遊びではないことが肝要であろう。

要介護や、認知症になってからのことは、いろいろと取りざたされているが、その予防については、どうなのか。

快・遊・娯について、自分にあった楽しみ方を見つけて今からでもやって行こう。 生涯現役 仕事が趣味と言う人も、達成感や生きがいを堪能できる人は、それはそれで結構。

加齢をはねのける、遊び心とロマン、おしゃれなチョイ悪爺。

女性は悔しくても爺にはなれぬ。

次は、快・娯の中の、快眠と、遊明(ユーミン)につて。 

つづく


アナログ爺さんに新しい刺客現る

2006年07月25日 | うんちく・小ネタ

つい先ごろ、V6(ヴィ ロクだか、ヴィ シックスだか)知ったばかりなのに、今度はWeb2.0とかロングテールのどうのとか、巷でのキーワードを見つけてしまった。 

ジャニーズでまた新しいグループをだしたのか? ロングテールはアイドルの髪型でポニーテールのもっと長いのか。

Web2.0は、ウエブ ツウー ポイント オーとか、ウエブ ニー テン ゼロ と読むんじゃそうだ。 どうやらV6の弟分でなくて、別もんらしい。

何でもこれからそういう時代になるそうじゃ。

吉天爺さんの右軸足は、相変わらずアナログで、左足にデジ引っ掛けて早いスピードで引っ張られ、この時代に股裂きされそうじゃて。

Web2.0なんて、ドウいうものか 早く正体見たいものじゃ。

知らなくても飯は食えると思うが、爺とて好奇心が許さん。


今日のお色目 4

2006年07月22日 | 色の世界

今日のお色目は、浅葱色(あさぎいろ)

たった今、NHKの「BS日本のうた」で、熱唱の石川さゆりが、着ていた きもの の色。

縦絽の生地に浅葱色の地色の訪問着。模様は金泥と白のぼかしで雲が描かれている。 帯は薄い朱色の草花文様の紗の袋帯と見た。帯締めを何時ものように斜に締めて着慣れた着物姿は、夏なお涼しげである。

浅葱色(あさぎいろ)は、葱(ねぎ)の若葉の色を意味するが、実際は、水色よりもやや濃い色、薄い藍色。 青系統の色は、藍染の染め具合で、濃淡いろいろで、伝統の色名も数多く分かれる。

さて、近頃のジャパンブルーは、日本の色名で何と言う。 藍染から来る日本の青は、幾分緑がっかっている。日本の紺色を意識して、ジャパンブルーと言うのであろうが、ユニホームなど良く見ると、プルシャン・ブルーに近い。

プルシャン・ブルーは、1704年にドイツとフランスでほぼ同時に発見された青い顔料と言う。 当初発見地から、ベルリン・ブルーとかパリス・ブルーなどと呼ばれたが、当時のベルリンはプロシャ王国の首都だったので、プルシャン・ブルーに落ち着いたと言うお話。

先ごろ、ドイツで開催されたW杯に、ジャパン・ブルーとして乗り込んだのは、プルシャン・ブルーであったとは、浅(浅葱)からぬ因縁の物語。


介護予防は、快娯から その2

2006年07月21日 | 健康・病気

最後まで介護されなくて、快適に楽しく、生涯を送ることが出来ればハッピーこの上なし。

介護を受けなくて済むよう心身のコントロールを、日常に心がけることが、介護予防と言えるのではないか。

そこで介護と言う字を、快娯に置き換えてみては如何だろう。

先ず快(かいは、こころよい)より始めよ。

こちら「隗より始めよ」は、中国の故事(戦国策・燕策) 自らやってみよ と言うことか。

快、快適、快眠

一つ目の快は、努めて、衣食住にバランスの取れた生活をする。

豪邸に住み、グルメな食事、豪華な衣裳をと言うのではない。

人間、足るを知ると言う。自分なりに満足できれば最高。清貧は好まない。清品と言いたい。贅をつくすのでなく、生活の質を高める。

二つ目の快は、快眠。

ぐっすり眠れること。加齢とともに睡眠時間は長くなるが、夜中トイレに行ったりで熟睡できない。自分にあった適度の運動で快い疲れの中で、ぐっすり眠り朝は早めに起きて寝覚めの良いこと。

そのほか、心と体に快いことを見つける。

そして、快・娯であるが、楽しいことの追求。  つづく。


介護予防は、快娯から その1

2006年07月21日 | 健康・病気

ここしばらく、老犬の介護に追われている。爺も婆も大変。齢15年(人間の年齢にして、80歳前後)メス、ミックス犬。今年になって、頬に、腫瘍が出来て動物病院の先生は老犬で麻酔かけたり手術は出来ないと、見放される。

悪性の腫瘍で、癌との宣告をうける。 いっとき死ぬかと思うほどの弱りようであったが、お粥を、かみさんが煮て、手で食べさせて幾分回復。

食欲も出てきてドックフードをお湯でふやかし、やはり手で食べさせる。 えさ箱に頬の痛いところが当たるので、手にのせて、手から食べさせる。少しずつにして、回数を増やし元気なときのほぼ全量に近いほど食べるようになった。 転移すると言われていたが、今のところ内臓には影響は無いようだ。

15年同居のペット、家族を和ませ、癒してくれてきた愛犬モナ、大変でも介護をつづけ最後を看取ることになるであろう。物言わぬ動物ゆえ態度や病気の様子を観察しながら対処する。

はからずも、犬を通じて「生、老、病、死」を考えさせられる。

犬の介護でこれほど大変なのだから、こと人間ともなれば生やさしいことではないのだと思う。

介護の世話に加えて、精神的なストレス、愛憎の問題もからみ、どろどろの生活を強いられるであろう。 介護保険や福祉のサービスがどの程度機能するものであろうか。

私の祖母は明治、大正時代の人で昭和46年88歳でなくなった。

「若いころから、隣近所の独居老人の、下の世話(排便、排尿などオムツをかったり、汚れ物洗ったり)を、数多くやってきて、自分は歳をとっても、人の世話にならないで死にたいと常々申しておりました。」

「介護とか、福祉とか、ボランテアとかの言葉も無かった時代、6人の子供を抱えた未亡人が、心から他人の難儀を救いたいと一生懸命やってきて、88歳の夏、願い通り誰の看護も受けることなく、ぽっくりと亡くなりました。」

何が言いたいかというと、介護以前の問題、介護の予防と言うことだ。

介護予防は、快・娯と言うこと。いよいよ本題は、次につづく