ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

聖徳太子の十七條憲法。  

2015年03月11日 | わが青春の、書抜き帳。
聖徳太子の一七条憲法の八条を思い起こした。
八に曰く、群卿百寮、早く参りて、遅く下がれよ。「公事は簡単なことは無い。
終日かかっても、やり果せない。ここをもって遅く出てきたのでは、急な事には、間に合わない。
早く下がったのでは、必ずやり残すことになる。」
まあ、こういった意味あいだ。
お役人は、朝早くから、遅くまで、仕事をしないと、民百姓の訴えには、応じきれないよ。といった具合だと思う。

我々の生活も、朝寝して早寝したのでは、日常が、おろそかに成る。
故に、お父さんは、家族の誰よりも早く起き、皆が寝てから、就寝と言う事に成っている。

言い訳にしても、聖徳太子まで、引き出さなくてもよか。





たくさんの書き抜きの中から、ノートの22ページを、今日は

2009年10月22日 | わが青春の、書抜き帳。

拾ってみよう。

誰の言葉か、17項目ある。

1、今日は最良の一日、今は無二の好機。

2、苦難は幸福の門。

3、運命は自らまねき、境遇は自ら造る。

4、人は鏡 万象はわが師。

5、夫婦は、一対の反射鏡。

6、子は親の心を実演する名優である。

7、肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号。

8、明朗は健康の父、愛知は幸福の母。

9、約束を違えれば己の幸を捨て他人の福を奪う。

10、働きは最上の喜び。

11、物はこれを活かす人に集う。

12、得るは與うにあり。

13、本(もと)を忘れず、末を乱さず。

14、希望は心の太陽である。

15、信ずればなり、憂えれば崩れる。

16、己を尊び人に及ぼす。

17、人生は神の演劇 その主役は己自身である。

(青春のある時期、どれも、もっともだとの思いでノートに書き抜いたもので、原典や編者が誰であるか不明である。)

(自分のために書き抜いたもので、ブログに載せることは著作権云々はないと思うが許されよ。)

今のように、自己啓発本が多く出版されていなかったので、書籍や雑誌で見かけた言葉を書き抜いて己の糧としたものである。

その後の自己啓発本の多くは、バブル期に「積極的に行け行けの思想」が席捲し、自己資金のない時は、借りてでも積極的に前へ前へ進めでブレーキの無い車を疾駆するように導いた。

バブル崩壊と同時に、間違った自己啓発本に導かれた成功者は泡と消える目にあった。

しかし、古典の書をよりどころにした、真の成功者は今もって盛んである。

どのような本にせよ、悪いと言うことはないので、受け止めて運用する側に責任がある。

幸か不幸か、目からうろこのような自己啓発本に行きあたらなかった所為で、大成功もしなかった代わりにどん底になっても生きながらえている。

自分にとって、ヒルティの「幸福論」とかは、価値ある出会いであった。

世に先人の知恵である東西の箴言、格言を噛みしめてみるのも時に救いとなる。

いろはカルタの中にも、人生の機微に触れるフレーズもある。

すべては、わが師と思えばよろしい。反面教師も含めて。


最もいいものになれ

2007年06月07日 | わが青春の、書抜き帳。

わが青春の、書抜き帳より。

                  ダグラス・マロックのことば。

もしお前が丘の上の松にになれないなら

谷間の柴木になれー しかし

小川のほとりの最も良い可愛い木になれ

灌木になれ、もし木になれないなら。

もし灌木になれないなら、小さな草になれ

そして街道をより美しくせよ

もしお前がカマスになれないならスズキになれー しかし

湖の水で最も生きのいいスズキになれ!

我々はみなが船長にはなれない、水夫になるものもいよう、

しかし、みんなに何かすることはある。大きな仕事もある、小さな仕事もある。 そして、しなくてはならぬことは皆同じだ。

もしお前が本街道になれなければ、ほんの小路になれ、

もしお前が太陽になれなければ星になれ、失敗と成功は大きさによるものではない。何になろうとも最もいいものになれ。


意志の疎通

2007年04月21日 | わが青春の、書抜き帳。

意志の疎通が可能になった敵は、もはや敵ではない。

逆に意志の疎通が不可能になった友人は、もはや友人ではない。

(フルシチョフ)

だいぶ前の書き抜き帳からだが、今も真理だ。

  

戦争も、立てこもりも、意志の疎通が出来なくなって起こる。

遠距離恋愛の二人も、まめに携帯やメールで意志の疎通をはかりましょう。三メートル以内の二人は、糸電話で話し合いましょう。耳の遠くなった高齢者夫婦は、拡声器や補聴器を活用してでも、混みニュケー所ンを取りましょう。あれ、混みニュケー所ンとしか変換できない。

もう一度、コミュニケーション。  わかった。コミニュでなく、コミュニだ。僅かな違いで変換できない。僅かな違いが誤解を呼ぶ。

六カ国協議でも、微妙な言い回しの違いや、誤訳に近い翻訳で話がこじれる事もあるのではとおもう。

官製談合などは、話が通じるから、談合できるのか。

夫婦間談合あれば、離婚ないか?     話脱線転覆。


春の朝

2007年04月05日 | わが青春の、書抜き帳。

春の朝(あした)

時は春、

日は朝(あした)、

朝は七時、

片岡(かたおか)に露みちて、

揚雲雀(あげひばり)なのりいで、

蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、

神、そらに知ろしめす。

すべて世は事も無し。

                 ロバアト・ブラウニング(上田敏訳詩)


飲酒の十徳

2007年04月01日 | わが青春の、書抜き帳。

飲酒の十徳

 礼を正し 労をいとい

 憂をわすれ 鬱をひらき

 気をめぐらし 病をさけ

 毒を消し 人と親しみ

 縁をむすび 人壽を延ぶ

         柳沢淇園  (1708~58) 「雲萍雑志」

お酒も正しく飲めば、このような十徳の効用がある。毎日適量であれば長寿にもつながる。

新入社員のころ、鯨飲して大失敗した事もあって、書抜き帳に拾い書きした。

お花見には、お酒がつきもの、上司や、先輩はアルハラ(アルコール・ハラスメント)で、飲めない人に無理なイッキを強いないように願います。


社是、社訓。

2007年03月24日 | わが青春の、書抜き帳。

現役時代、仕事でよその会社を訪ねる事が、しばしばあった。 

応接間に通されると、壁にその会社の社是、社訓が額に入れたりして掲げてあった。その隣に創業者や先代、会長、社長の写真があったりする。

社是、社訓はたいてい漢字二文字で、抽象的な文句や、或いは何か条に亘るものもある。

以前何かの本で読んだか人に聞いたか忘れたが、社是、社訓はもっともらしくても、その会社で守れなかったり、出来ないことが掲げてあると。例えばの話「誠実」とあっても社長さんも、社員従業員も誠意をもって、仕事や、顧客対応がなかなか出来なくて、理想として「誠実」を掲げているのであって、必ずしも「誠実」な企業であるとは限らないと。

「安全第一」といっても、制御棒が抜けていて臨界でも、隠していれば「安全第一」で通っていた様な物である。

校長室に、掲げてあるのも、えてして この手の空念仏ということもあろう。

本当かどうかの見分けかたは、文言が抽象的か、より具体的かである。 禅語のように短い抽象的な言葉は解釈が出来ることは、一般人には難しい。社長一人が悟ったような気になっていても、皆には説得力がない。

もう三十年ほど前のこと、白金の般若苑という料亭の厨房(板場)に掲げてあった、

「この一皿に魂を集めよ」は今も心に残っている。