ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

やっと一年、もう一年。

2007年06月30日 | ブログ

この七月二日で、吉天のブログ開設一年目。二年生に進級できるかな。「明るい『爺問題』と私」でかなりいい加減な事ばかり記事にして参りました。

こんな爺ログに、アクセスして下さった多くの方々に謹んで御礼申し上げます。

皆様のアクセスやコメントに励まされて続けて参りました。二年目を迎えるにあたり、もう少しまともなことをと考えますが、背伸びしてもしょうがないので、等身大のチビログで、この季節の蝸牛のようにソロリ ソロリと参ります。

どうぞ引き続きご贔屓のほど、すみからすみへと、ずずいーと御ン願い奉ります。

     半夏雨蝸牛角上参院選   吉天子

「大臣。季語が二つ重なっていますが?」

「しょうがない」

「訂正するか、取り消しは。」

「その気はない」

大臣の失言のたびごとに、かばい続けている安倍総理は、参院選を前にして閣僚達の「日本語再教育」に乗り出しノーパーの日本語教室に駅前留学をさせることになった。

一方、日本語会話の問題でなく、心根を正す事が先決と識者の間で意見があがっている。

以上、現場からの中継、吉天がお伝えいたしました。(いつもの脱線放送局)


ストンと心に落ちる本

2007年06月30日 | 本と雑誌

ひろさちやの「『狂い』のすすめ」、集英社新書を読んだ。

ストンと心に落ちて、気持ちが楽になった。

沢山本を読んでも、なかなか「眼から鱗」というようなのには行き当たらない。

ひろさちやの仏教書の多い中で、これは「狂い」のすすめと、逆説的な表題であるのに、心にストンとくる。

近頃世の中狂ってると言う前に、一度読んで民社意、みんしゃい。


半夏生

2007年06月29日 | 日常・身の回り

6月も終わると、来週の月曜日七月二日は「半夏生(はんげしょう)」。このころは、吉天の誕生日近くで、半夏生草の葉が白い葉をつける。

半夏生草はドクダミ科の多年草植物。半分、お白粉をつけた様で「半化粧」とも言われる。また同じ意味で「片白草」ともいわれる。

近くの農家の生垣から、この時季に覗いているので、毎年七月の自分の誕生日になったと思う。

『半夏生』は、二十四節気七十二候のうち、夏至の第三候にあたり、夏至から数えて十一日目、七月二日ごろとある。

半夏生と半化粧は、変換ミスのような面白い出来。

       散髪の頭たたくや半夏生  吉天子

      半夏生七、八割は白髪かな  吉天子

「片白草」よりも、多い白髪頭を、床屋の鏡見て思わず叩いてしまった吉天爺。


「食わせ物」

2007年06月22日 | 不思議ニッポン

ミンチ症。豚も牛もわからない症状、さらに何時ごろからか、容易に思い出せない。認知症よりひどいミンチ症。

今回もノースイも含めて、トンだ「食わせ物」。

ミンチ同様、中身のわからぬまま、強行採決される法案の数々。

「食わせ物」は、ミンチだけではない。偽装を見破る眼をもって参院選に臨もう。


いろ波・12 茄子紺

2007年06月21日 | 色の世界

茄子紺(なすこん)

「親の意見と茄子の花は、千に一つもむだはない」。

茄子にはむだ花がなく、花が咲くと必ず実がなるように、親が子にする意見には決してむだがない。と言うことわざ。昨今はどうか?親はしっかりと子に意見が出来るか、子は素直に聴くか。

吉天の通る「哲学の道」の傍ら、畑の茄子も、もう色の良い実がなっている。茄子は成すに通じ、「一富士二鷹三茄子」と初夢に見る縁起物。

さて今回は、色の良い茄子のような「茄子紺」について。

江戸時代、染物屋が繁盛し忙しくてなかなか期日とおりに出来なくて、あさって、あさってと一日伸ばしになり、あてにならぬことの喩えに「紺屋(こんや・こうや)のあさって」と言われた。又お客の染物が忙しくて自分の物を染めるのに手が回らなくて「紺屋の白袴」とも言う。

濃い藍染は、紺であり赤みの多い紺を「茄子紺」。

緑ぎみの紺色は「鉄紺」。青みの多い紺を「紺青(こんじょう)」と称している。

もともと濃い藍染は、染色したては、表面にかなり強い赤みが浮いて見えて、茄子紺に近い色に見えるが、年月を経て赤みが失せてしまう。この天然藍に含んでいる赤の色素はインヂゴ・レッドといって不安定な色素。

茄子紺を染めるには、藍の他に特に赤染めの染料を併用する。

ちなみに吉岡幸雄氏の茄子紺は、紫根(椿灰)×日本茜(椿灰)と、記されている。

茄子はインド原産の野菜で、英語でもエッグプラント(eggplant)と言う色名が1915年に出来たそうである。茄子色と言う事で植物の色から連想するのが、洋の東西を問わず表現の早道らしい。


文様に親しむ「紫陽花文」

2007年06月19日 | 文様・模様・家紋の世界

先日のテレビでのアンケートで、この時季、鎌倉へ行く理由の第三位は、大仏様、第二位は銭洗い弁天や、八幡宮。第一位は何と「あじさい」。

紫陽花 人気で、今回は「紫陽花文様」。

日本の文様は、四季の花々をうつした植物の文様が多い。梅、桜、椿、藤、菊、紅葉など数多い中で、紫陽花は比較的少ないほうであるが、昔から、陶磁器や蒔絵、小袖や能衣裳に優れた意匠を残し、現代では、ゆかたや、きもの、帯の模様として親しまれている。

他の花が四季を通しての模様に使われるのに対し、紫陽花は夏限定と受け止められて、出番が少ないのかも知れない。

しかし、紫陽花は日本固有の花として、世界にも誇るべき花木である。

その名の由来の、アジサイとは、「集まる真の藍」と言う意味で、古には、「集真藍」と書きアズサイと呼ばれ、ズがジに転じてアジサイとなったと言われている。

このアジサイは、日本固有の花であり、中国には元来無い植物で「紫陽花」と言う事はない。白楽天の詩の中に出てくる紫陽花と言う別の花をアジサイと想い込んだのが『紫陽花』として定着したと言う。

アジサイの原種は、伊豆地方などの海岸線に野生するガクアジサイといわれる。万葉集にも詠まれているが、鎌倉時代に園芸化され、青紫の大輪の花が好まれ江戸時代に文様化された。

因みに歳時記で、アジサイの季語を拾ってみると、あずさい・手毬花(てまりばな)・四葩(よひら)の花・七変化(しちへんげ)・八仙花(はっせんか)・かたしろぐさ・刺繍花・瓊花(たまばな)など、この花の特性がよくわかる。 あずさい・よひらなどは、あじさいの古名。

紫陽花やはなだにかはるきのふけふ  正岡子規

紫陽花や帷子(かたびら)時の薄浅黄(うすあさぎ)  芭蕉

紫陽花文様の工芸には、

「色絵紫陽花図皿」 色鍋島 江戸時代  東京・松岡美術館蔵2_053

「紫陽花蒔絵螺鈿硯箱」 木製漆塗  江戸時代  東京国立博物館蔵

「紫地紫陽花雲模様 舞衣」 絹  江戸時代  東京国立博物館蔵2_054

「紫陽花模様縫箔」 能装束 江戸時代  サントリー美術館蔵2_059

2_058

そのほか、多くの名品がある。

本土寺のあじさい実写2_0502_0372_051

2_052


父の日の作業

2007年06月18日 | 日常・身の回り

昨日は、梅雨とは言うものの雨降らず好天で、朝から身支度して黄楊(つげ)の生垣の剪定作業をした。剪定ばさみと、バリカンで床屋さんのように、綺麗に刈り込んだ。

かっては刈り込みバサミだけで、やっていたがどうしても真っ直ぐに行かず、それに腕も疲れるので2年ほどまえから、DIYのホームセンターで、電動のバリカンを求め、機関銃のようにバリバリと刈り込みずいぶんと楽になった。

バリカン買ったその年、生垣の表側7,8メートルを終えて、裏側の狭いところを、刈っていたら、すっとモーターまわらず、コードが抜けて電源切れたか、と見ると。

黄色い専用コードを見事にすっぱりと自らのバリカンで切っていたのである。自分の手足なら、大怪我になるところを、コードが犠牲になった。メーカーからコードを取り寄せ、以後慎重に作業をしている。

それでも午前中だけで、大汗をかき昼食後、下着を取替え作業を続け、かみさんにも、後始末手伝ってもらって夕刻終わった。

シャワーを浴びようとしたら、体中から黄楊の葉っぱがこぼれ落ちた。

さっぱりして、夕餉の膳に向かうと、味妻の手料理に父の日のおしるしの、ビールがでた。汗をかいたあとの水分補給はビールに限る。

そして、今日の作業は、粗大ごみのクリーンセンター運びで、午前中少しでも、小さくと解体作業をしたが、ネジが錆付いていて壊せないので、そのまま車で運んだ。3個の粗大ごみで、1260円の料金であった。

父の日の翌日、粗大ごみと言うのは、なんと絶妙な取り合わせでは御座らぬか。


味妻(あじさい)のこと

2007年06月14日 | 日常・身の回り

本土寺(あじさい寺)は、ここからは近いので朝の天気予報を確認して、午後から出かけても日の落ちない前に帰れます。

10日の日曜日は、雨のあじさいも良いかと出かけましたが、途中からどしゃ降りの大雨と雷に見舞われ、駅を出る事もかなわずにひき返しました。

昨13日は、入梅前の晴天で今こそチャンスと、お昼を済ませてすぐに、さっと軽装で飛び出しました。

駅につづく参道を、両側にならぶ店をちらちら眺めながら、寺に向かう人々と共に着いたところで、入場料(入寺料?)大人一人500円也を二人分払ってゲートイン。

山門をくぐって、五重塔の下に、あじさいの花の群れ、盛りかさなるさまは、ポスターの写真と同じ視角で、このポイントが売りの景色かと、考えていると「すみません。シャッター押して頂けますか」「ここ押すだけでいいんです、あの五重塔も入れてお願いします」。

中老のご夫婦と、あじさいと、そして五重塔をバランスよく、ファインダーに入れて、シャーカシャ。

初めてのボランティァ作業をおえて周りを見回すと、ほとんど皆さんと言っていいほど、私達同年輩の中高年の夫婦者ばかり。

花に引かれて、お寺参り。本堂で、カン、カン、チャリン。手を合わせ何を祈るやら。

あとは、矢印にそって、あじさいの花を左右に見て進む、青紫や紅色、空色のような青い花、紫陽花の名の如し。木陰では鶯も鳴く。

コースを巡って、菖蒲園に出ると五百坪に百種類と言われる菖蒲の花が広がる。ここでも人々は、カメラ、デジカメ、ケイタイカメラで撮りまくり。吉天は、わが眼にしっかりと記憶装置に要れ、頭の中に保存しました。

『四季の寺』ともいわれ、春は、桜、しだれざくら、雪柳と咲き乱れ、夏はあじさい、菖蒲、秋は紅葉でライトアップもされると言う。

冬は、雪中の寒椿、蝋梅。雪は降ったとき菖蒲?(勝負)で、運がよければ一面の銀世界が。

日蓮宗本山・長谷山 本土寺 http://www.hondoji.com/

仁王門を出て、帰りは来るとき目をつけていた参道の店をみて、試食にひかれて、漬物屋で柴漬けなどもとめ、赤飯饅頭なる、珍しきもの 蒸しあがったの一つづつ、店内で食す。ほんの二口、三口 アツアツを冷たい麦茶でいただく。一個150円なり。

漬物屋で思いついたが、つれそって四十年、そろそろ味も出てきたことなれば「糟糠の妻」なる美名?を召し上げ、新たに「味妻(あじさい)」の名を進呈するがどうじゃ