ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

靴の紐を結ぶ

2010年01月16日 | 美しい・・国・心・伝統文化

以前は、紐の無いスリップインの靴を履いたり、スニーカーも紐はあっても解いたり結んだりしないで、ぐいと足を入れて履いておりました。脱ぐときもポンと脱いで終わりでした。

しかし、

冬になって、靴下も厚くなり、二枚重ねた靴下だったりして、紐のある靴は必ず紐を解いて足を入れ、ぐいと紐を締めきちんと結び履くようにしています。

しっかり紐を結べば、歩くのも気持ち良く楽です。

おそらく昔の人は、草鞋(わらじ)の紐をきちんと締めないと歩けないので、出かける際は心して結んだことでしょう。

草鞋は子供のころ、お祭りで神輿を担ぐのに履いてから一度も足に付けていませんが。

日本は、「結ぶ」と言う伝統文化があります。

きものは、腰紐や、帯、帯締め、羽織紐、帯揚げ、すべて結ぶことに終始します。

男子の袴も紐を結ぶことで着装できます。

ボタンや、ファスナー、マジックテープと言ったものは洋装、洋服のたぐいに使います。

以前、舞踊のお稽古で若い男子のお弟子さんが、帯に刀を差したところ、はらりと角帯が開いて、刀がガタンと落ちたそうです。

それは、結ばない角帯の作り帯でマジックテープでとめたものだったそうです。

結ばない改良型の簡易なものも、次々と出てきますが、やはりきちんと結ぶべきものは結んだ方がよろしい。

ネクタイを結ぶことが出来れば、帯も結んで締められるでしょう。

今、初場所でお相撲さんは、まわし(しめこみ)を締めて毎日勝負に挑んでいます。

あの「まわし」がマジックテープで止めてあったら、取組みの最中にどうなるか、想像するだけでびっくりですね。

民主党の小沢氏も、マジックテープでで止めてあった「まわし」がはらりと落ちたら、党もろとも政権の行方が危うくなり土俵に残れなくなります。

平幕か十両に落ちた自民党も、相手の「まわし」がなくては、相撲取れませんがな。

両者もう一度「まわし」をしっかり締め直して土俵に上がってくだされや。


山が、美しい。

2008年04月22日 | 美しい・・国・心・伝統文化

本日は、朝から群馬県にに行ってまいりました。

絶好の日和で、山がとっても綺麗でした。

群馬県は、海に接するところのない県で、関東甲信越のお臍です。

吉天は、海彦、山彦に分けると山彦の方で 潮海から、隔離された山の方が性に合ってるみたい。樹木や、山野草に囲まれた土地にあこがれます。

時に、太平洋や、オホーツクの海に面したところも好きになりますが。

その時の気分とかで変わりますがね。ともかく今日は、山彦でした。

今日の話は、また後で・・ムニャムニャ・・・・おやすみなさい皆々さま。


七五三のお祝い

2006年11月15日 | 美しい・・国・心・伝統文化

七五三のお祝いは、日本の伝統文化の一つ、七五三に限らず人生の通過儀礼は皆、日本の伝統の継承として意義あるものです。

生まれて、お宮参り。3歳、5歳、7歳と七五三祝い。京都関西方面での十三参り。 二十歳で成人のお祝い。

特に、お宮参りや、七五三は幼少の子供の無事に育つことを願っての厄払いの祈願。

特に、この節 子供達の安全が脅かされている時代。

虐待、いじめ、自殺、事故と ご難つづきにある子供達。

元来、日本は子供を大切にしてきた。 猫可愛がりでなく、厳しくとも成人して自立できるように手塩にかけて育てた。

「子は宝」と言う。天からの授かりものという考えに象徴される。

子供は、親の所有物ではない。

一方、「親はなくとも、子は育つ」と言う。これは子沢山で親が十分に手をかけられない時、子供達兄弟姉妹が協力して弟や妹の面倒を見ながら育つ事を言う。

虐待したり、自分の欲望のために殺したりするような親はないほうが良い。ひどい世の中になったものだと嘆いてもしょうがない。

日本のどこかで大きく歯車が狂ったのを、日本の伝統に基づいて是正しなければならない。

七五三などのお祝い事は、金がかかる。今風の合理主義に反するかも知れない。

しかし、親の為の七五三祝いでない。ささやかでも、子供達の無事と健康を祈り、立派に成長をする事を、神仏に祈願するだけの愛情を注いで欲しい。

日本の伝統の通過儀礼は、それぞれ深い意味があってのこと、おろそかにしないで、きちんと人生の節目を付けて子供達を不幸な事件に巻き込まれないよう皆して祈りたいものである。


日本美の再発見

2006年10月01日 | 美しい・・国・心・伝統文化

ブルーノ・タウト著 篠田英雄訳 「日本美の再発見」 岩波新書より 永遠なるものの章から末尾のタウトが日本を去るときの感想の一ページ余を全文紹介する。東京駅で親しい知り合いに見送られての別離のあと、列車が都市をはなれて、美しい入り江と紺碧の海に差し掛かり・・・・その後の記述。

 私達は、日本で実に多くの美しいものを見た。しかしこの国の近代的な発展や、近代的な力の赴く方向を考えると、日本が何かおそろしい渦に脅かされているような気がしてならない。私達は、日本人を このうえもなく熱愛していればこそ、ますます痛切にこのことを感じないわけにいかなかった。しかし私達がこの国で接した人々の高雅な趣味、温かい心持、厚い人情、また実に立派な態度からから受けた印象から推して、この脅威的な渦もさほど重大に考える必要はないと思うようになった。

陽は明るく照り、大気は清澄である。車窓に見る富士の姿、―――私は今日ほど偉大な富士山をかって見たことがない。頂はほんのわずかばかり雪を帯び、山嶺に遊ぶ行雲は裾野に軽い影をおとしていた。山頂から裾野にかけて長くひいている線は、えも言われず優美である。

この山は、これ以上秀麗な形をもつことができない、 ーーーそれ自体芸術品であり、しかもまた自然である。車内の人たちは、ほとんどみな私達のように、この山の見える限りいつまでも眺めやまなかった。そうしないのはほんの僅かの人たちだけである。

私達は、これこそ日本である、最も明亮な形で表現せられた日本精神であると語り合った。日本にあって、この国土の冠冕ともいうべき富士山を仰ぎ見、また嘆賞する人々は、みずから欲すると否とに論なく、この山が日本人の眼の前に呈示するところの清純を求めてやまないに違いない。

タウト夫妻が、1936年10月に日本を去るときのことであった。

ときまさに70年前の10月、タウトの見た美しい日本と、彼の接した日本人の心、その後の私達は、何を失い、何を得たか。

明日に向けて、日本の『真・善・美』の再構築こそ、今に生きる私達日本人の誠の道であると言えよう。               終

 


国見の歌・民の竈

2006年09月30日 | 美しい・・国・心・伝統文化

「美しい国・日本」で船出した安倍政権。演説の中身に具体性が無いなどと、批判を浴びている。

はたして、美しいとはどいう事か。

舒明(じょめい)天皇の国見の歌をひいてみると

「大和には群山あれど とりよろふ天の香具山 登り立ち国見をすれば 国原は煙立つ立つ 海原は鴎立つ立つ うまし国そ蜻蛉島 大和の国は」

古語辞典で、うまし は<美し>で①満ち足りている、満ち足りて楽しい。②十分にそなわっていて美しい である。

つまり 民の暮らし向きが満ち足りていることが美しい国の原点であろう。

もう一つ、仁徳天皇の「民の竈は賑わいけり・・・・」は、高殿に登って、難波の街を見渡したら煙もたたずにさびれ、民貧しいと仰せられ租税を免除して三年後に再び高殿に登ってみるとこんどは家々の竈(かまど)から煙の立ち上るのが見られ、民の経済も安定してきたので、租税をかけてもやっていけると判断されたというお話。

ことほどさように、為政者は民百姓のの暮らし向きを案じて美し国づくりをなして来た。

格差社会の拡大が進む中、美しい国・日本空念仏にならない事を ひたすら念じるばかりである。