ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

建国記念日と言うが。

2014年02月11日 | 歴史

建国記念日と言うが、戦前の紀元節のことだ。

紀元節には、国民学校の学童は「雲にそびゆる高千穂の~」の歌を唄った。

天孫降臨の神話が日本の紀元であり、建国である。

自分が3歳の時、紀元は2600年の式典があった。

今年は、皇紀2674年にあたる。

しかし、西暦よりも600年も前と言うからには、日本の建国は弥生時代か、縄文後期になる。

折々に、歴史認識を問われるが、史実でなく、神話で成り立っているので歴史認識もあったもので無い。

でも、西暦でも、イエスキリストが、聖書に基づいて、生誕とされているが、まあぁ、神話みたいなものだ。オーマイゴッド。

その時代から、今日まで生きてきた人は、洋の東西を問わず誰もいないのだから、確かめようがない。そうだと言うから、そうなんだ。

生物で、生きながらえてきたのは、縄文杉位だ。

聞いてみ。


古墳

2010年03月25日 | 歴史

奈良県明日香村の高松塚古墳の国宝壁画が対策不備で劣化が進んでいる、対応が後手になり「飛鳥美人」もカビでひどくなりつあるとのこと。

一方、同明日香村のキトラ古墳の石室からはぎとり、保存修理をおえた朱雀を含む四神壁画は、五月から特別公開されると言う。

古墳と言えば、ここ我孫子市の手賀沼周辺にも、古墳時代の古墳が数 分布している。

西大久保古墳や、この地域最大の前方後円墳の水神山古墳がある。

この水神山古墳の近くに、四月二十八日に「高野山桃山公園」ができて公開される。

手賀沼を眼下に見下ろす新しく出来た市の公園である。

古代の豪族も、風光明媚なこの台地に古墳を作たのであろう。


聖徳太子 十七条憲法

2007年08月06日 | 歴史

推古天皇十二年(604)、夏四月丙寅朔(ひのえとらついたち)戊辰(つちのえたつ)、皇太子親ら(みずから)肇めて(はじめて)憲法十七条を作り給ふ(たもう)。   〈日本書紀〉

憲法(現在の憲法とは意味合いが違う)として、日本最古の成文法。当時の豪族官吏にたいする政治的、道徳的訓戒。

豪族専権の弊害を矯(た)めようとした太子の意図が込められている。

すべて漢文で出来ている。次回から一条ずつ勉強して行くつもり。

現在も、為政者の専横を糾すのに充分役に立つ憲法じゃて。

和を以って貴しと為し、・・から始まる。


大津事件のこと

2007年05月28日 | 歴史

5月22日(火)の記事、「きっかけは・・・」の中で、電車で隣り合わせた老人から聞いた、大津事件のことふれました。

大津事件は、湖南事件とも言われ1891年に来日したロシア皇太子に、警固の巡査が斬りつけて傷を負わせた事件。この事件を題材にした著書が出ました。

「湖の南」

犯人津田三蔵のことを、近年明らかになった書簡や資料を丹念にあたって「湖の南」を著したもの。犯人の36年の生に迫っている。「生まじめな性格」ゆえに、明治新政府の下積みとして精神も暮らしも追い詰められた姿は、今も日本にありはしないか。大津事件 凶行への鋭い洞察  評者・由里幸子

富岡多恵子[著] 新潮社刊  朝日新聞書評(5月27日)

また、この事件は司法権独立史上特筆すべき事件とされている。

当時の政府(首相松方、内相西郷、外相青木)は、ロシアのことを恐れていたので大変慌てふためき、明治天皇自身見舞を行うと共に、司法部をあっぱくし、犯人を皇室罪に問う事によって死刑に処しロシアに迎合しょうとした。しかしそれにもかかわらず大審院は、普通謀殺罪として無期徒刑の判決を断行し、司法権の独立は擁護された。

これにより三権分立の意義は保たれた。