ついに師走。一年のすべてが押し寄せてくる。12ヶ月の中に納まらなかったもの。余裕のあったもの。
ゴルフの場合は「アンダー」はマイナスの印がつくのに成績の良いこと。他の競技になると「ビハインド」は得点が及ばなかったこと。
この一年「アンダー」と「ビハインド」どっち。
ついに師走。一年のすべてが押し寄せてくる。12ヶ月の中に納まらなかったもの。余裕のあったもの。
ゴルフの場合は「アンダー」はマイナスの印がつくのに成績の良いこと。他の競技になると「ビハインド」は得点が及ばなかったこと。
この一年「アンダー」と「ビハインド」どっち。
今日29日、安倍首相直属の教育再生会議で、「いじめに関する緊急提言」がまとめられた。緊急というだけあって、対症療法であることは否めないが、もっと根本的なところに「いじめ」の因子のある事を追及して、現代社会の子供達を守り救いの道を開かなければならない。
多くの専門家を動員して「いじめ」について、深く掘り下げ徹底解明し、現代の社会病理として位置づけ対応すべきと思う。
社会学、児童心理学ほか、その筋の専門の先生方の学際的な連携により、学校や家庭、保護者だけの問題以外にも、因果関係のあることを究明され、こたびの緊急提言にもあるとおり、「いじめ問題」を一過性の対応で終わらせてはならない。
このまま行けば、日本発の国際語「IJIME]になりかねない。
思うに、浅薄な知識しか持ち合わせない素人の考えだが、現代の子供にかかる過重なストレスによるものではないか。
そのもとは、少子化であろう。
かっては6人から8人の兄弟姉妹が共に育って大きくなった。
ストレスも分散され、外敵(ガキ大将)にも兄弟力合わせて対応し、親の圧力も撥ね退けるほど丈夫(?)な子供達はストレスもその場で発散じめじめ持ち越すことはなかったのではと思う。
ところがいまは、少子化で家庭の中には一人か二人、親の愛を一身に受けてとは、表向き。
実はかまい過ぎ、あれこれ口うるさく勉強だ塾だ、お受験だ、おまけに習い事。子供本来の、伸び伸びと育つ時間や、空間はどこにもない。スポーツとて一流選手めざしての英才教育。
全体重が、ハイヒールのかがとにかかるように、一人の子供にかかるストレスは相当なもの。
この絶大なストレスの吐け口は、「いじめ」に集中してもおかしくない。
これは、自民党議員へ復党された政治家のストレスの比ではあるまい。
今日の自由研究のお題
<厚顔と紅顔の違いを辞書で調べてみよう。>
人生は、巨大な「アミダくじ」。
節目、節目で右に左にたどって行くと、行き着く先に○が見えてくる。或いは×印かもしれないが。 結果ではなく、行程に命がこめられるのが人生。
「人間万事塞翁が馬」 くよくよするこたあ~ないさ。
それでまた、こういうのもある「最後に笑う者の笑いが最上」。
ディープインパクトよ、ゴール前600メートルから、飛んで二馬身差の勝利はすごい。まさに天馬空を行くの高笑い。
ウイニングラン終わって、彼の馬の顔は、哲学者のように見えましたぞ。
パリの禍は、東京での福。「いにしえの人いわずや、禍福は糾う縄の如し、人間万事往くとして塞翁が馬ならぬはなし」(曲亭馬琴の南総里見八犬伝)
遠い昔 中学で習った英語の教科書に「あなたは何処に住んでいますか?」の質問の答えに、
「アイ リヴ イン サバーブス オブ ザ トウキョウ」と言うのがあったと記憶している。
田舎の中学生だった自分は、東京の郊外サバーブスとは、どんな素晴らしいところかと、想像だにできなっかった。
今、都市化が進み、どの辺から郊外と言うのかと首をかしげる。
さかのぼって、江戸時代「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」(川柳)と言ったそうだから、本郷3丁目に今もある「かねやす」のお店から先は江戸じゃないと言うことになる。市街地なるものは今の東京からするとごく狭い範囲になる。
火事の多かった江戸は、「かねやす」あたりまでの市街地は、燃えやすい葦ぶきや、藁ぶきの屋根を廃し、瓦葺きの屋根にしたので区別が歴然としたのであろう。
ここからが本題の野菜について、
江戸の消費地の周辺で野菜は生産され、毎日新鮮な野菜が大八車のようなものに積んで供給されていたであろうと推測する。
今、伝統野菜として、その名を耳にする練馬大根、亀戸大根、深谷ねぎなどの江戸野菜。 京野菜の壬生菜(みずな)など、いずれもかっては、都市の近くの農家で作られたものの名残であろう。
生産地と消費地が離れた現代、物流の発達で日をおかず新鮮な野菜を口にすることができる。外国産の野菜も入ってくる。
その年の気候や何かで、広い農場の出来が違うと、流通経費も出ない超安値になり、無残にも踏み潰すことになったり、台風や何かで不作になると今度は超高値で、大変な騒ぎになる。
吉天爺など、昔人間には食べ物を粗末にする この様な仕儀には絶えられない。
千葉県だけかどうか知らないが「地産、地消」を推奨している。つまりその土地で取れた産物を、その土地で消費すると言うことらしい。
日本人の食生活の面で、野菜の摂取量が少ない。脂質のものが多く健康上も良くない。バランスをとる為に、いろんなサプリメントに頼っている。
一方で出来すぎた野菜をトラクターで踏み潰している。なおかつ自給率が少ない。
農水省や、厚生労働省も、食糧の生産供給の安定と、国民の健全な食生活にもっと配慮すれば、将来の医療費や、介護費の問題まで変わってくるのではと考察する。
人間は、自然ともっと溶合って生きる事が大事だ。
自然をないがしろにする人類は、いずれ自然から大きなしっぺ返しを受ける事を恐れなければなるまい。
緑豊な、サバーブスはユートピアだ。(マンションの宣伝でなく。)
我ながら、気が多い。ブログのタイトルデザインを、クリスマスツリーのテンプレートをはずし、元のシンプルなのに変えた。
改むるに憚ることなかれ(論語・学而) 何、飽きっぽいだけさ。
秋(厭き)の天気は、変わりやすい。 おのおの方心せよ。
内閣府は、21日「世帯類型に応じた高齢者の生活実態等に関する意識調査」の結果を発表した。
「独居高齢男性 地域で孤立」。「親友なし」41%女性の2倍。(22日 読売新聞2面)
かって働き蜂だった男性は、つり仲間とか、ゴルフ付き合い、カラオケ仲間、飲み友達などのサークルにも入らないで孤独の人も多い。
爺と婆の比較で行けば、婆(女性)の方が、たむらして勝手にタウンミーティングしている(やらせでなく)。昔から井戸端会議は、お手の物。
そこえ、いくと爺(男性)は、お互いにけん制しあって容易に付き合いのきっかけがつかめない。
昔の某ビール会社のCMで、「男は黙って○○ビール」と言うのがあった。男らしさの象徴、三船敏郎だったと思う。
男は寡黙をもって良しとした。爺になっても孤高を貫く頑固者だ。
バスツアーも女性の団体様、街のコーヒーショップも5、6人のグループで占拠する。家事や子育てから解放されたばばさま方は、羽をのばして、趣味やショッピング、ツアーに繰り出す。
一人暮らしの爺は、マンションの一室に入ると近所付き合いもなく、「隣は何をするひとぞ」になり、秋深しをしみじみ味わうしかない。
今思うに、昔の爺さんは、隠居さんで隣近所はもとより、在所中行き来していた。
自分は小さい頃、おばあさん子で過ごした。(父母は戦前中国へわたっていたので) 祖母のことは以前このブログで紹介したが。(06・7・21介護予防は快娯から その1)
祖母は未亡人の婆だったので、近所の爺たちが、気楽にお茶のみに来た。
大きな火鉢と、四角い ちゃぶ台を囲み、さながら爺サロンであった。
から茶で一服、皆さん煙管と煙草入れで、きざみ煙草をキセルにつめては火鉢の火でつけて、ぷかぷかふかし、とり止めのない話をして帰った。 それだけの気晴らしで、婆と違って嫁の悪口を言うでなし、たまに祭りの団子餅を食べるくらいであった。
現代も、居場所のない爺のサロンを開くママさんいれば救われるか。
今日の「爺問題」でした。
我が庵の小庭(こにわ)にも晩秋の気配い。
楓が色づき もみじも はらはらと、黄色い小菊のひとむら、百日草は二、三本くり返し花をつけ、陽は穏やかにして、梨畑のノラは横たわりて毛づくろいに余念なし。 鳥きたりて目をやれば笹鳴きして枝わたる。 まこと、小春日とは、このようなことなんでしょうか。
晩秋から初冬への、グラデーションの移ろい。
小雪(ショウセツ)と小雪(コユキ)
今日は、暦の二十四節気の小雪(しょうせつ)にあたります。
旧暦十月亥(い)の月の中気で、新暦11月22日~23日ごろです。冬もやや進んで、北国から初雪の便り聞かれる候です。(高島易断所本部編纂東京神宮館蔵版)
カレンダーの他に そろそろ一冊あると良い来年の暦ですね。
一方 小雪(コユキ)はモデルで女優の小雪さん。今大型液晶画面のテレビのCMでお目にかかります。ドラマでもクールで優しい役をこなしていましたね。
名前に「小」が付くと可愛い女性のイメージです。
小町にはじまり、小春、小梅、小太郎、小百合、小泉(ウン?何でコイズミ。もう古泉じゃなっかった?)
今日は小春日和、明日は天気は下り坂、小雪とは、雨が寒気で雪に変わる頃を言う。とNHKFMのお姉さんが放送で今言ってますよ。
何でも「小」をつけると、可愛いとはならないから注意して ご使用ください。 「小憎らしい小娘」のような使い方は決してなさらないでください。けたぐり喰らって転倒する恐れがあります。(使用上の注意)
今日の東京国際女子マラソン、土佐礼子が優勝。
しかも明日はご主人の誕生日と言う、「いいプレゼントになりました」とのおまけ付き。
冷たい雨の降りしきる悪条件の中の優勝。
監督の言葉「悪条件には強い」。
今の世の中、日常に悪条件がみちている。悪条件を逆手にとって生き延びるど根性こそ、勝ちにつながる。
日ごろから、どういう条件のもとでも、闘えるように鍛えておきたいものだ。
そろそろ年賀状の準備の頃となった。
街の印刷見本は、どれもこれも同じようで変わり映えがしない。
亥年のいのししのデザインか、孫や子供の写真に、さらには結婚しましたとの報告などで、送り主の名前をはずせば、どちらさんの年賀状か区別がつかない。 パソコンでインクジェットのプリントが増えて筆跡をたどることも出来ない。沢山出す人は、ちょっとした添え書きもなしだ。
自分だけのオリジナルで気の利いたものをと、考えるのも容易でない。
そこで、こんなのはどうだ。 いのししや、うり坊がいっぱいいて、 その中に一匹の蛙が囲まれて困惑している図と言うのは。
判じ絵だ。分かるかな。「亥の中のかわず」てえんだ。
いのししが、沢山散りぢりに、散ってゆく「亥散過多で症」なんてのもあるよ。 つまり「亥亥(いい)加減にしろよ」っていうわけだ。
どうぞ「イイ お年をお迎えくださいましな」
吉天(切手)貼ってね。