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日本美の再発見

2006年10月01日 | 美しい・・国・心・伝統文化

ブルーノ・タウト著 篠田英雄訳 「日本美の再発見」 岩波新書より 永遠なるものの章から末尾のタウトが日本を去るときの感想の一ページ余を全文紹介する。東京駅で親しい知り合いに見送られての別離のあと、列車が都市をはなれて、美しい入り江と紺碧の海に差し掛かり・・・・その後の記述。

 私達は、日本で実に多くの美しいものを見た。しかしこの国の近代的な発展や、近代的な力の赴く方向を考えると、日本が何かおそろしい渦に脅かされているような気がしてならない。私達は、日本人を このうえもなく熱愛していればこそ、ますます痛切にこのことを感じないわけにいかなかった。しかし私達がこの国で接した人々の高雅な趣味、温かい心持、厚い人情、また実に立派な態度からから受けた印象から推して、この脅威的な渦もさほど重大に考える必要はないと思うようになった。

陽は明るく照り、大気は清澄である。車窓に見る富士の姿、―――私は今日ほど偉大な富士山をかって見たことがない。頂はほんのわずかばかり雪を帯び、山嶺に遊ぶ行雲は裾野に軽い影をおとしていた。山頂から裾野にかけて長くひいている線は、えも言われず優美である。

この山は、これ以上秀麗な形をもつことができない、 ーーーそれ自体芸術品であり、しかもまた自然である。車内の人たちは、ほとんどみな私達のように、この山の見える限りいつまでも眺めやまなかった。そうしないのはほんの僅かの人たちだけである。

私達は、これこそ日本である、最も明亮な形で表現せられた日本精神であると語り合った。日本にあって、この国土の冠冕ともいうべき富士山を仰ぎ見、また嘆賞する人々は、みずから欲すると否とに論なく、この山が日本人の眼の前に呈示するところの清純を求めてやまないに違いない。

タウト夫妻が、1936年10月に日本を去るときのことであった。

ときまさに70年前の10月、タウトの見た美しい日本と、彼の接した日本人の心、その後の私達は、何を失い、何を得たか。

明日に向けて、日本の『真・善・美』の再構築こそ、今に生きる私達日本人の誠の道であると言えよう。               終

 


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
吉天さま、はじめまして。雪月花です。コメントを... (雪月花)
2006-10-07 21:57:53
吉天さま、はじめまして。雪月花です。コメントを残してくださり有難うございました。今宵、東京は美しい十六夜月がかかっています。

 十六夜や兎の型に切る林檎
 (平林恵子)

ブルーノ・タウトの『日本美の再発見』、ぜひ近いうちに読んでみます。タウトの予想に反して、日本は大きな渦に巻きこまれたまま、多くのたいせつなもの、美しいものを失い、なおも失いつつありますね。そのことに気づいている日本人は、まだまだ少数派なのでしょうか。
これからもブログを通してお互いに考えてゆきたいテーマですね。今後もよろしくお願いいたします。
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