9月3日(月)
すっかり睡眠不足で疲れきったぴすけを見て、母と娘が旅行を発案してくれた。
続く暑さに疲れを増しているだろうし、夜も暑くて寝苦しいし
これは一つ、涼しい山間の温泉にでも入ってのんびりすればいいんじゃないのということであった。
発案してくれたはいいが、宿や旅券の手配などはぴすけがすることになった
宿や旅券の手配をぴすけがするなら、行きたい所に思いのままのはずが…
ぴすけが希望した奥日光はボツになり、娘が行ったことがない軽井沢と
昨年の長野旅行以来、母が念仏のように事ある毎に呟いている善光寺に決まった。
大宮駅10時18分発のあさま513号は、軽井沢駅まで停車駅はなく
10時55分に軽井沢駅に到着。
ホームに降り立つと、からりとした涼しい風が肌に当たり、ちょっと寒いくらいだった。
旧軽井沢方面に向かうバスに乗ろうとすると既に満席で
高齢で足元の覚束ない母は、立ってバスに揺られるのが心もとないため
バスをあきらめてタクシーを利用(バスの乗客は、誰一人として母に席を譲る気配なし)。
娘が、軽井沢らしいところを見たいというので、まずは旧三笠ホテルへ。
三笠地区は、軽井沢が別荘地として開発された最初の地区で
かつて軽井沢・草津間を結んでいた草軽軽便鉄道が1960(昭和35)年に廃線となり
その線路跡を道路として整備したのが、現在の三笠通りである。
カラマツ並木の美しい、高級別荘地の中を通る。
このタクシーの運転手さんは大変親切な方で、運転も乗り心地抜群だった。
バスに乗れなかったことが幸いし、まさに「損して得とれ」。
まるでチャーターした観光タクシーのように、要所要所の説明をしてくれたばかりか
見学する間待っていてくれるとのこと。
三笠ホテルは1905(明治38)年竣工のホテルで、「軽井沢の鹿鳴館」と呼ばれた。
三笠ホテル創業者の山本直良は、作曲家・山本直純の祖父である。
ロビーにあるソファは、当時の物を修理し、再現した。
このホテルを愛用していた近衛文麿・有島武郎(山本直良の義兄)らの写真も飾られている。
客室は洋室で、軽井沢彫りの調度が置かれている。
なかには、ベビーベッドが置かれている客室もある。
トイレのタイル・便器は英国製で、創業当時から水洗式であった。
入り口正面の階段には赤絨毯が敷かれて幅も広いが、この階段はかなりの急傾斜。
机のある部屋の窓からは、外の緑が眼に染みるようだ。
創業当初、一等客室の宿泊料金は12円。
当時の一般的な初任給は15円ほどだったというから、その高価さが計り知れよう。
政財界人や白樺派の芸術家達、当時のブルジョアの夏季限定サロンのようだったらしい。
旧三笠ホテルを後にして、再びタクシーで旧軽ロータリーへ。
運転手さんが教えてくれた川上庵で、せいろ蕎麦のくるみだれと鴨汁を食す。
鴨汁の鴨肉は大変美味で、くるみだれもつゆにくるみが申し訳程度に入っている物と違い
くるみ特有の風味が味わえる、かなり濃厚なつゆである。
蕎麦は二八とのことだが、コシのあるしっかりした蕎麦で、のどごしも良い。
もしかするとぴすけは、蕎麦粉十割より、二八蕎麦の方が好みかも。
腹ごしらえをした後は、旧軽銀座を散歩
買い物が主目的ではないのと、人ごみに疲れて、裏道に回り軽井沢聖パウロカトリック教会へ。
三角屋根と尖塔を戴く木の教会は、一見素朴な感じだが、窓ガラスの装飾は洗練されており
屋根と違和感なく絶妙なバランスで一体化した尖塔は、近寄りがたい印象さえ受ける。
不勉強なのでよくわからなかったが、教会左手の壁面にレリーフがはめ込まれており
それを読むと、設計者は、日光にあるイタリア大使館別荘と同じ、アントニン=レーモンドのようだ。
どうりで、ぴすけが惹きつけられるわけだ。
ぐるりと裏へ回ってみる。
背面のこの大きな窓から、聖壇に光を取り入れるようになっているらしい。
礼拝の仕方がわからなかったが、堂内に入り、心を落ち着けて静寂と平穏を愉しむ。
外に出ると、堂内の静寂が嘘のように、旧軽銀座は喧騒に包まれている。
早々に宿に行こうということに決まり、タクシーで塩壺温泉ホテルへ。
母が一休みすると言うので、娘と2人で千ヶ滝界隈を散歩。
ノリウツギが咲く別荘地。
道端には、ツリガネニンジンやツリフネソウ・ハギなどが咲いている。
旧三笠ホテルを見学し、別荘地を歩きながら、娘と反ブル談義に花を咲かせた。
別荘地を見て、いずれは自分も別荘を持つような御身分になりたいと思うか
一握りの人間が富や快楽を享受するより、みなでそこそこの暮らしをしたいと思うかの違いだ。
勘違いにせよ、ついこの間、「一億総中流社会」なんぞと言っていたのが夢だったかのように
明らかに格差は広がり、さらにその差を拡げようとしている。
弱者の苦しみの上に成り立つ社会を望む人がいるとは思いたくないが
自己責任の名のもとに、弱者を糾弾する昨今の風潮には、首をかしげざるを得ない。
いつ何時弱者になるかもしれない恐怖を抱きながら生きることを強いられる社会が
良い社会だとは思えない。
そんな反ブル談義をしながら歩いていると、神社の境内にやたらと大きな銅像が建っていた。
千ヶ滝地区の開発を手掛けた西武グループの創業者・堤康次郎の銅像だった。
境内には、銅像のモデルになった人物の低俗さにはふさわしからぬ、美しいカエデの紅葉が。
変な銅像を見ちゃった後の、目の保養
今宵の宿である塩壺温泉は、肌触りの良い湯で、湯上りもべたつかずにさらさらすべすべ
散歩の後に娘と大浴場に入り、そのお湯の良さにびっくりした。
「私は特にお風呂はね…」
などと嘯いていた母だが、貸切の家族風呂がこれまた3人で入るのに手ごろで
ほかの人を気にせずに、ゆったりと出来たのが良かったのだろう。
「ここのお風呂はとても良かったわ今まで入った温泉のなかで、いちばん良い温泉だったわ」
と、珍しく温泉に満足したようだった。
熱帯夜から解放されて、三世代川の字になって就寝
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