ちょっとピンぼけ/倉敷界隈

日々の記録。見たり、聞いたり、買ったり、食べたり。

風の吹く町

2007年08月04日 23時43分30秒 | 写真

花七夕という祭りがあった。今年のテーマは風だそうだ。うまい飾りだと思った。

去年のことだ。花七夕祭りというのがあるというので家人と夜歩いて美観地区に行った。そこには幽玄の世界があった。薄暗い倉敷川の流れの中に竹と生花を使った生け花が飾ってあり、松明やろうそくで仄かにライトアップされた美観地区を楽しむことが出来た。軒先の七夕飾りが風に揺れ、短冊に願いを書いて結ぶことも出来た。とてもよかったんだけど心残りもあった。

暗くなってから行った方がきれいと8時過ぎて行ったのだが(点灯は9時まで)、その時に中橋の太鼓を片付けていた。天領太鼓があったのか、残念。そう思った。

とまぁそんなことがあり、今年はちゃんと催し物のスケジュールチェックをして出かけた。まず昼は下見とばかり出かけて驚いた。各橋の上に円形の竹飾りがあり、そこに竹の風鈴がぶら下げてある。音は大きくはない。ころころと小さな乾いた音を聴かせてくれる。しかしその飾り方は素晴らしい。コーディネータの才に感謝した。

このカップル、これをバックに記念写真を撮らない手は無かろう。いいときに倉敷に来たね。最高の記念写真になっただろう。

おっと忘れてた。夜の花七夕祭りはまた明日と言うことに。

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遊ぶ

2007年08月02日 21時06分23秒 | 写真

子どもの頃はよく遊んだ。じゃぁ何をしたのかと言われたらふと困る。ファミコンが出来たのは社会人になってからだった。家人が勤めていた時の同僚の家がおもちゃ屋で、そこで買ったのを覚えているから間違いない。子どもの頃は外で遊んでいたのだ。お金も使わずつまらないことをしてね。

それは山であったり川であったり、虫を捕まえたり魚を捕ったり。川で平べったい石を見つけて水面を切って飛ばして遊んだり。そういや一時期シャボン玉ばかりつくっていたっけ。川で拾った石の中にひどく硬いのがあって、今から考えたらチャートかなぁ、それをでかい金槌で叩いたら火花が出て、それを紙に移して火打ち石として使えないだろうかって何度もやってみた覚えがある。結局火花は出るけど紙に点けることは出来なかった。小さい頃は何でも楽しかったし、何かがないと遊べないことはなかった。どんなものでも遊びものになった。

では今それが出来るだろうか。いま遊ぶなら物がないと出来ないと思う。パソコンで遊ぶ。携帯で遊ぶ。道具を揃えてスポーツをする。買ってきたものを見る。お金を出して材料・原料を調達して作る。何万円もするカメラを買ってきて写真を撮る。そして、「こんな安物だから○○出来ない。もっと高級品なら出来るのに」と言う。

子どもの時の遊びって宝物のような気がしてきた。いつからあの遊びが出来なくなったのだろう。これが成長したと言うことなのだろうか。年とったと言うことなのだろうか。得たのか失ったのか。私には判らない。

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美観地区の魚

2007年08月01日 21時52分40秒 | 写真

美観地区の倉敷川に魚がいた。

元々いるのだけれど、本来はもっと水がある。おかげでさほど見えないし獲れる気もしない。ところがこの日は水が少なかった。

石垣の真ん中当たりの色が変わっているのは、普段はそこまで水があると言うこと。この日は深さ10cmぐらいまで水が抜いてありました。

その理由はこんなことだったみたい。後でニュースを見ると子どもたちが川に入って魚を捕っていたようですが、私が見たときには誰も入ってはいませんでした。

唯一魚を捕っていたのがこの人たち。どうやら捕った魚を調べていたみたい。でも、「この(大きな)魚は死んじゃったよ」なんて言ってましたので、この手の仕事に慣れてない人たちなのかも。調査する人が殺してはいけません。生きるために殺すのは道理でも、それ以外で生き物を殺すのは最小限にしないと。

私、魚は好きでよく食べますが、食べるために釣る人は理解しますけど、楽しみだけで釣ってリリースする人なんて全く理解しない。自分の楽しみのために生き物を痛めつけるだけ痛めつけて、逃がしたからいいことをしたでしょなんて考えがエゴイスト。いかにも外人の考えそうなトンチンカンな行動だと思います。そんな考えだから、お節介に人の国に殴り込んでいって一般市民を殺して、「いいことをした」なんて言っているんだよ。もっと考えろ!>アメリカさん

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