喜びなさいって、、、言われてもぉ~
葬儀屋さんにいてよろこべない。
っていうわけで、「喜びなさい!」についてです。
エホバの証人ってよく「喜びがない」とかって人を批判するんですよ。
世の中には色んなことを批判する人がいるけど、喜べないからって批判するする人は少ないと思う。
なんでエホバの証人は人の感情まで指図するんだろう。
大体規則ずくめ、集会奉仕に、家族から迫害。将来はこれからナチ以上の迫害がまっている(らしい)ただでさえ暗くなるよ!っていうのに、何をそんなに喜べっていうの~。将来の個人的な夢もなし、結婚も家庭を持つこともかなりラッキーでなければありえない、っていうのに、何よろこんでられるんじゃ~!
喜べ喜べといえば暗示にかかるかもしれません。でも私としてはイエスが喜べ喜べといったのは、、単に啓発セミナーのさきがけであって、「見よ!」とか「喜びなさい」とかいうのは調子を盛り上げるための掛け声のようなもんでしょう。と思います。
それを文字通りに取るのはJWくらいです。いい迷惑です。
人をうつ病にしておいて喜べとはなんですか。落ち込んでるときに「喜びがない」からって罪びと扱いされる辛さといったらありませんでした。ハッピーハッピーじゃないと罪悪感を感じさせられるんです。
世の人への良い宣伝のために外では空元気を装いました。「エホバの証人は幸せそう。なぜなんだろう。」と思わせてjwにおびき寄せるためです。
家では父が迫害者だったのでなおさらがんばりました。
この強制ハッピーについて、いつも思い出すんですが、イギリスのコメディ番組に「モンティパイソン」というシリーズがあって、その中で「ハッピー王国」っていうコントがあるんですよ。
昔、昔、ハッピー王国という国がありました。ハッピー王国の臣民は皆毎日ハッピーに暮らしていました。
賢い王様が不幸な人を全て処刑していたからです
というコントなんですが、
妻が死んで嘆いている人が「公の場でアンハッピーだった」罪で捕まるんですが、裁判で「ハッピーになるまでつるし首」の刑を言い渡されるんですよ~
ハッピーになるまでつるし首、神に立ち返るための排斥。
ハッピーなjwというイメージ維持のための喜びの強制。なんかエホバの証人社会ではこれって、現実なのであまり笑えません。
モンティパイソンとういと、そのメンバーにテリーギリアムという人がいて、この人は一貫してこういうむちゃくちゃな宗教裁判みたいなものを題にブラックコメディーを作っています。
彼の後の作品に「未来世紀ブラジル」という映画があり、こういう不条理な宗教裁判テーマを膨らませたもので、私的にはいつもエホバの証人世界を思い出します。
(ちなみに「ハッピー王国」のコントでハッピーになるまでつるし首の刑を言い渡された人の役はテリーギリアムが演じてました。)
不条理。これエホバの証人。
葬儀屋さんにいてよろこべない。
っていうわけで、「喜びなさい!」についてです。
エホバの証人ってよく「喜びがない」とかって人を批判するんですよ。
世の中には色んなことを批判する人がいるけど、喜べないからって批判するする人は少ないと思う。
なんでエホバの証人は人の感情まで指図するんだろう。
大体規則ずくめ、集会奉仕に、家族から迫害。将来はこれからナチ以上の迫害がまっている(らしい)ただでさえ暗くなるよ!っていうのに、何をそんなに喜べっていうの~。将来の個人的な夢もなし、結婚も家庭を持つこともかなりラッキーでなければありえない、っていうのに、何よろこんでられるんじゃ~!
喜べ喜べといえば暗示にかかるかもしれません。でも私としてはイエスが喜べ喜べといったのは、、単に啓発セミナーのさきがけであって、「見よ!」とか「喜びなさい」とかいうのは調子を盛り上げるための掛け声のようなもんでしょう。と思います。
それを文字通りに取るのはJWくらいです。いい迷惑です。
人をうつ病にしておいて喜べとはなんですか。落ち込んでるときに「喜びがない」からって罪びと扱いされる辛さといったらありませんでした。ハッピーハッピーじゃないと罪悪感を感じさせられるんです。
世の人への良い宣伝のために外では空元気を装いました。「エホバの証人は幸せそう。なぜなんだろう。」と思わせてjwにおびき寄せるためです。
家では父が迫害者だったのでなおさらがんばりました。
この強制ハッピーについて、いつも思い出すんですが、イギリスのコメディ番組に「モンティパイソン」というシリーズがあって、その中で「ハッピー王国」っていうコントがあるんですよ。
昔、昔、ハッピー王国という国がありました。ハッピー王国の臣民は皆毎日ハッピーに暮らしていました。
賢い王様が不幸な人を全て処刑していたからです
というコントなんですが、
妻が死んで嘆いている人が「公の場でアンハッピーだった」罪で捕まるんですが、裁判で「ハッピーになるまでつるし首」の刑を言い渡されるんですよ~
ハッピーになるまでつるし首、神に立ち返るための排斥。
ハッピーなjwというイメージ維持のための喜びの強制。なんかエホバの証人社会ではこれって、現実なのであまり笑えません。
モンティパイソンとういと、そのメンバーにテリーギリアムという人がいて、この人は一貫してこういうむちゃくちゃな宗教裁判みたいなものを題にブラックコメディーを作っています。
彼の後の作品に「未来世紀ブラジル」という映画があり、こういう不条理な宗教裁判テーマを膨らませたもので、私的にはいつもエホバの証人世界を思い出します。
(ちなみに「ハッピー王国」のコントでハッピーになるまでつるし首の刑を言い渡された人の役はテリーギリアムが演じてました。)
不条理。これエホバの証人。
いやあ、まさにJWっぽいですよね。(笑)
あの組織の中にいてあんなに規則に縛られてたら、
ホント喜んでなんていられませんよ。(笑)
喜びって内面から湧き出てくるものだと思うけど、
JWの人って、本当は喜んでなんていないのに
無理に喜んでいるふりをする人達多かったですよね。
口元は笑ってても、目が笑ってない人とか。
私はそういう人、能面とか埴輪って心の中で
呼んでました。(笑)
<人の感覚まで左右する>まさにそうですよね。
プライバシーの侵害もはなはだしいです。
僕ら2世は現役時代、ことのほか「喜んでいるフリ」が上手だったと思います。
そうやって偽りの笑顔で自分を騙し、周りを騙し続けて平気だった過去の20年間が、今となっては全くシンジラレナイ!
僕が今一番、嫌なこと。
「自分を騙す」ってことなんですよねぇ。
喜んでないのに、「喜びなさい」と言われて、
「はいそうですか」と喜べるわけないじゃんっ!
喜びは感情で、理性でコントロールするもんじゃないですから。
現役JWさんも、つらいときはどんどんつらい顔しちゃっていいんですよ?
って声を大にして言いたいです。
まったく,おっしゃるとおりですね。
そもそも,人から「自由」を奪い,
「結婚」や将来の「夢」を奪い,
「やりたいこと」や「したいこと」
ができる機会を奪い,
「教育を受ける」機会を奪い,
「喜べなくしてる」のは,協会なのですから。
まったく,ふざけたいいぐさだと思います。
ところで,「解約」のサイトにリンクされてる,
当時の「ラザフォード会長宛の手紙」を読んでいて,
ものすごく頭に来た一節がありました。
“As though that residence were not sufficient, a further small place of seclusion in the woods of Staten Island where you can go and rest your weary body while the pioneers and others trudge from door to door.”
http://www.docbob.org/modules.php?name=Content&pa=showpage&pid=22
WBBRのラジオ放送局のあったスタテン島の邸宅は,「宮殿のような住宅」であったと,そのすぐ前には言及されていて,そこで,ラザフォードは,パイオニアたちが家から家にがんばってる中,ぜいたくな暮らしをし,ゆっくり休んでいたことが指摘されています。WBBRは,単に,彼の「贅沢な暮らしをカモフラージュするため」だと。
結局,今の統治体の成員も,日本支部の支部委員も,「全時間奉仕」と言いながら,その実は,ベテルでの奉仕で,伝道時間は実質「ゼロ」であり,自分たちは偉そうなことを言っておきながら,いやなこと(伝道)からは逃げるというこの実体は,昔から変わっていません。
まったく,イエス・キリストが,「マタイ23章4節」で言われたとおりだと思います。
まさか「真理」を教えてくれてると信じていた組織の上に、まさにあらゆる「聖句」が成就しているとは・・そんな時が(今現在)訪れるとはガーーーン!ですよまったくw
迫害されたら喜びなさいという聖句を当てはめるの難しかったな、
集会から帰ってきて・・1時間ほど一人にさせていた夫に、待っていましたとばかりにテーブルの上の物を投げつけられて・・どう喜べばいいんだろうって・・
仕事から疲れて帰って来た時、迎えて上げられない申し訳なさも正直あるし・・
夫の見たくない暴れている姿に、「あぁ・・私が神の側に立っている証拠ね!」・・って喜べばよかったんだろうが・・・
なんか精神を壊してしまう教えだったよねw
あれがたまらなくいやです。ぜんぜん歓迎してないし、心からなんて絶対に思っていないはず。うちの会衆だけかもしれませんが・・・
偽善集会のはじまりかーと思っちゃいますよ。
ところでちょっと個人的なお話させてください。。
この間、別居中の夫(JWが原因で別居したわけではありません)と排斥の息子と息子の彼女と私とで食事をしました。
夫はおしゃれなレストランを予約し、朝から3回もなんだかんだと私に電話をかけてきて、そわそわ落ち着かない様子。私たち親子3人で食事をするのは何年ぶりなのか、記憶にもありません。しかも彼女も一緒。しかも息子はJWやめてる。夫はかなりいろいろな面でほっとしたみたいでうれしそうでした。
チョイ悪風親父と片耳ピアスですらっとした息子、マシュマロのような肌の彼女…そしておしゃれなレストラン…絵に描いたように素敵な夜でした
家に帰って息子と話しました。「結局、すべてがうまく行ってるね。」と…
心がほんわかする喜びを感じたのは何年ぶりだろう…
世の人からの迫害より悪いとね、そして思ったことは、本当に賢いJWならば、気が付いたら脱JWするとね。そして思ったのは呪縛して組織につくようにさせている、.米国社会を知っている人ならば、疑問を持つ。米国は寄付社会であるし・・
ホームレスは肥え太り、しかもブランド犬を飼っていた。製品にしても粗雑に出来ており、ジャージーをかったら、すぐにチャックが壊れた。帰国するとスーツケースの中は洗濯機の荒いもの、グチャグチャでしたっけ、視察は宗教事情共々役にたちました、
アメリカの老人ホーム事情・・・すごいですね。
ところで、「喜びなさい!」
これ、JW組織内ではほんと無理ですよね~
それでも、開拓者時代は、自分は幸せなんだって自分に言い聞かせてました。経験なんかを依頼されると「模範的」に「若い時代を開拓奉仕という素晴らしい特権に捧げることができているのは、本当に“喜びです!”」
なんて、言ってました
でも、この「喜びなさい!」って「真理」ですよね~ 「霊の実」の一つだし。
最近「喜び」のない「野外奉仕」は全然やってません(笑)
思うんですが
パウロってこういうところは良く分かってますよね。
「喜びなさい!もう一度言います!喜びなさい!!」
って。この聖句、私は好きです。
JW教理の呪縛から開放されたことは本当に「喜び」ですよね!
「モルモン教、」「統一教会」「ものみの塔」は三大
カルト、と呼ばれているんですね。
ビックリー!
他の宗教を一切排除するからなのでしょう。
ちなみに,今の私の観点から見ると,
聖書を「文字どおり」に解釈し,
「地獄」「再臨」「死後の裁き」「罪」等を教える
キリスト教世界も「カルト」です。
(おまけに,うちの掲示板でも述べてますが,
私の営業の経験上,その多くは「ネガティブ」です。)
聖書を「文字どおりに」とらえる宗教は,
人を批判してる場合ではないと思います。