血に関して少し思うことがあったので書きたいと思います。
まず、エホバの証人は「高い道徳基準」を持ってるといつも宣伝してますが、どうでしょうか。
特にエホバの証人2世は婚前交渉はしない、うそはつかない、良識の模範のようだけれども裏を知れば、多くのJWが「淫行」の定義にひっかからなければセックスぎりぎりまでしてるし、裏表ある生活をしているという点においては世の人よりよっぽど良心が鈍い。
(それを攻めてるわけではありません。JWの禁止事項自体どうかなと思っているので、裏表は必然的ともいえます。)
エホバの証人は良い人だけれど、それはエホバの法律で禁じられていることをしないだけで、本当に良い人だから、良いことをしたいからしているという人は、
とても少ないと思う。
淫行はしてはいけないからしない。と、したくないからしないのでは大違いであるし、
輸血に関しても同じで、本当にしたくないからしない、という人は少ないだろうし、決まりでなければ生か死かと言われたときの判断が大きく違うと思う。
また私をはじめとして、世一般で悪いと言われていること、、つまり殺人とか、不倫とか、うそをつくことなど、JWの中ではあまりピンとこない人も多いと思う。
それは浮世離れしている環境で育ったということもあるけれど、つまるところ、
エホバの証人は「復活がある」ことを本気で信じ、信じるだけならともかく、それを生活の基盤にして考え、決定し、日々を生きているところに問題があると思う。
ある時私は医師である友人と映画を見ていて、映画の最後に主人公が刺されて死ぬというようなシーンがあった。
主人公は短くお別れを言って死んでゆくんだけど、私は友人に「こんなのって映画だけの話だよね~」と言ったら
そんな事はない、血を大量に失えば現実でもこんな風にあっけなく死んでしまう。
と言われた。
私の発言はもう、典型的はJW発言だったと思う。
はっきりした実例も文献も知らずにものみの塔のいうこと(人は結構な量の血を失っても生きられるとか、代用で生きられる例とか、、)を事実として信じていたんで、死、とか死に至る危険性とかシリアス性とかに鈍感だった。
友人はいい機会だと思ったんだと思う。普段は冗談ばかり言ってる人だったけど、私がJWであることも知っていて、
自分は病院でエホバの証人にあうし、血の問題で出版物にも通じているけれど、JWの用意している資料はたいていが古く、中にはまったく間違っているものもある。。第一代用だけでは間に合わない場合がたくさんあって、
代用血液で間に合うなら、どうしてみんながそれを使っていないと思う?医師も馬鹿ではないから輸血の危険をしっているけれど、あえて使うには理由があり、
血でなければ命が救えないからに他ならない。輸血の害というのは
命があるからこそ生まれてくる問題で、死んでいたら治療の可能性もない
輸血でおこる害については「後で」考える。なぜなら医者は死んだ命を戻すことはできないから。
というような事を言われた。
結局、彼からは「命に危険がある場合は輸血をすると約束して欲しい」
といわれたわけだけど、JWだった私は「約束はできない、」と言った。約束すると言っただけでエホバを裏切るような気がしたから。
と、友人は
「自分はたとえば蝿をできるだけ殺したりはしたくない。どうしてかというと、蝿くらい精巧な飛行機を作るとしたら、人間には作れない。しかもそれを殺して、同じものを作れといわれたら、絶対にできない。
自分が戻せないものは取らない。
医療も同じで、患者さんを生き返らせる事はできないから、その場で命をつなぎとめる最善の事をするまで。」
と加えた。
エホバの証人は命はいくらでも戻せると思う。
いくらでも取り返しがきく、悔い改めさえすればやり直しがきく、命でもなんでも。
だって全能の神が「リプレイス」してくれるんだから。
私はこのとき、どうしてエホバの証人が道徳教育に失敗するかその根本が分かったような気がしたし、同時に輸血に対する医師と(それから一般の世の人と)JWの間に理解できない溝があるわけも分かったような気がした。
命は戻せない。
エホバの証人がよく言う「ハルマゲドンを意識しつつも、今ある生活を精一杯生きる」だとか「この世代にハルマゲドンが来なくても納得できる人生設計を」
などが大抵現実には成り立たないわけは、
JWの根本をなす、復活と、やり直しの教理にあると思う。
いつでもやりなおせるPCゲームにある意味真剣勝負がないのと同じように、エホバの証人の道徳や人生に真剣勝負はありえない、
と思う。
まず、エホバの証人は「高い道徳基準」を持ってるといつも宣伝してますが、どうでしょうか。
特にエホバの証人2世は婚前交渉はしない、うそはつかない、良識の模範のようだけれども裏を知れば、多くのJWが「淫行」の定義にひっかからなければセックスぎりぎりまでしてるし、裏表ある生活をしているという点においては世の人よりよっぽど良心が鈍い。
(それを攻めてるわけではありません。JWの禁止事項自体どうかなと思っているので、裏表は必然的ともいえます。)
エホバの証人は良い人だけれど、それはエホバの法律で禁じられていることをしないだけで、本当に良い人だから、良いことをしたいからしているという人は、
とても少ないと思う。
淫行はしてはいけないからしない。と、したくないからしないのでは大違いであるし、
輸血に関しても同じで、本当にしたくないからしない、という人は少ないだろうし、決まりでなければ生か死かと言われたときの判断が大きく違うと思う。
また私をはじめとして、世一般で悪いと言われていること、、つまり殺人とか、不倫とか、うそをつくことなど、JWの中ではあまりピンとこない人も多いと思う。
それは浮世離れしている環境で育ったということもあるけれど、つまるところ、
エホバの証人は「復活がある」ことを本気で信じ、信じるだけならともかく、それを生活の基盤にして考え、決定し、日々を生きているところに問題があると思う。
ある時私は医師である友人と映画を見ていて、映画の最後に主人公が刺されて死ぬというようなシーンがあった。
主人公は短くお別れを言って死んでゆくんだけど、私は友人に「こんなのって映画だけの話だよね~」と言ったら
そんな事はない、血を大量に失えば現実でもこんな風にあっけなく死んでしまう。
と言われた。
私の発言はもう、典型的はJW発言だったと思う。
はっきりした実例も文献も知らずにものみの塔のいうこと(人は結構な量の血を失っても生きられるとか、代用で生きられる例とか、、)を事実として信じていたんで、死、とか死に至る危険性とかシリアス性とかに鈍感だった。
友人はいい機会だと思ったんだと思う。普段は冗談ばかり言ってる人だったけど、私がJWであることも知っていて、
自分は病院でエホバの証人にあうし、血の問題で出版物にも通じているけれど、JWの用意している資料はたいていが古く、中にはまったく間違っているものもある。。第一代用だけでは間に合わない場合がたくさんあって、
代用血液で間に合うなら、どうしてみんながそれを使っていないと思う?医師も馬鹿ではないから輸血の危険をしっているけれど、あえて使うには理由があり、
血でなければ命が救えないからに他ならない。輸血の害というのは
命があるからこそ生まれてくる問題で、死んでいたら治療の可能性もない
輸血でおこる害については「後で」考える。なぜなら医者は死んだ命を戻すことはできないから。
というような事を言われた。
結局、彼からは「命に危険がある場合は輸血をすると約束して欲しい」
といわれたわけだけど、JWだった私は「約束はできない、」と言った。約束すると言っただけでエホバを裏切るような気がしたから。
と、友人は
「自分はたとえば蝿をできるだけ殺したりはしたくない。どうしてかというと、蝿くらい精巧な飛行機を作るとしたら、人間には作れない。しかもそれを殺して、同じものを作れといわれたら、絶対にできない。
自分が戻せないものは取らない。
医療も同じで、患者さんを生き返らせる事はできないから、その場で命をつなぎとめる最善の事をするまで。」
と加えた。
エホバの証人は命はいくらでも戻せると思う。
いくらでも取り返しがきく、悔い改めさえすればやり直しがきく、命でもなんでも。
だって全能の神が「リプレイス」してくれるんだから。
私はこのとき、どうしてエホバの証人が道徳教育に失敗するかその根本が分かったような気がしたし、同時に輸血に対する医師と(それから一般の世の人と)JWの間に理解できない溝があるわけも分かったような気がした。
命は戻せない。
エホバの証人がよく言う「ハルマゲドンを意識しつつも、今ある生活を精一杯生きる」だとか「この世代にハルマゲドンが来なくても納得できる人生設計を」
などが大抵現実には成り立たないわけは、
JWの根本をなす、復活と、やり直しの教理にあると思う。
いつでもやりなおせるPCゲームにある意味真剣勝負がないのと同じように、エホバの証人の道徳や人生に真剣勝負はありえない、
と思う。