前ブログで自分がエホバの証人を辞めるにあたって、言いたい事がほぼ全部書けたと思っているのですが、ひとつだけ書けなかった事があります。
自分の父のことなので書くこと自体が気が重いのと、笑える要素がまったくないので救われないな~という気持ちがあったからですが、
私がJWをやっていた頃は今とは比べ物にならないほど未信者からの迫害が激しくて、家族から暴力を振るわれていた姉妹たち、子供たちは多かったと思います。
80年代前半は姉妹たちが顔にあざを作って集会に来ることなんかは全然珍しくありませんでした。これを読んでいる方の中にも激しい迫害を受けけて来た方もたくさんいらっしゃると思います。
私はその頃いろいろな会衆を回っていたのですが「霊的」な会衆ほど迫害が強かったと思います。
JW活動に熱心であるよう会衆全体から圧力がかかるので、集会奉仕に励むゆえに家庭状態が悪化するのでしょう。
姉妹たちが明らかに迫害という暴力を受けていても、会衆は信仰の戦いとしてさらに炊きつけはしてもシェルターにはなってくれません。(というか、協会が原因なんだからシェルターになりえませんが)
あの頃は~
今と違ってすべての集会には絶対参加だったのと、「平行を保って未信者の家族をかえりみる」という考え方がなかったので家族の迫害があったのは仕方がなかったのだと思います。それも家族への積極的な愛の結果だったのかもしれないけれど、
私は、毎日親に殺されるかもと思って恐怖の夜をすごしていました。
たぶん母が最初に殺されて、次には私たちも、と思わざるを得ない激しい迫害でした。
集会から帰ると家にかぎがかかっていて、
外で夜を明かしたことも数え切れないほど。
毎日が恐ろしかったです。
絶対何か起こってしまう、と思っていました。そんなことになったら父の人生も狂ってしまうと思うと同時に父がとてもかわいそうだった。
迫害は長く長く長く続きました。
「迫害が続いていましたが、ついに夫は真理を学びました」という経験を読んだり大会で聞いたりすると、
それよりはるかひどい経験をしている私たちがなぜ、
そんな経験ができないのか
はるかに長い間耐えてきているのに、
迫害がやまないのか
神への怒りとも失望とも、疑問ともつかない思いで
悔しくつらく、不公平だと思った。
JWのマインドコントロールが解けて今の私は幸せです。今はたぶん、ほとんどすべての思いに折り合いがつきました。ただ、
毎日毎日恐怖だった長い迫害の日々のことはまだ時々思い出します。
父にはうらみはありません。