はじめに「ダブルバインド」(double bind theory)という言葉を知ったのは以前紹介させていただいたこちらのブログでした。
「カルト宗教 エホバの証人(ものみの塔)の被害を乗り越えて」の中のこちらの記事-
カルト宗教エホバの証人における妄想強化性とダブルバインド性による総合失調症と悪化」
この言葉を知ったとき、
これだあぁぁぁぁ~~~

と思いました。
これだ!これだよ!!
これなんだよ~!!!!
今までパニック症に陥りながらも脱JWして、それからなおもブログを書くという助けが必要で、実際に会衆から逃げた日から1年たって、、そしてコメントなんかで時々「もうJW苦情はやめたら?」みたいなご意見をいただくことも増え、
最近ちょっと考えていました。
たしかに前向きに生きなければいけないかもしれない。
でも!!!


なんかまだ完全にすっきりしてないぞ!!!
という気持ちが強かったのです。
怒涛のようだった脱マインドコントロール前後は別にしてなんとな~くまだもやもやしてる。つまり、、
まだものみの塔を糾弾しきれてない!!!

という気持ちがあったのです。
そこをもってこの「ダブルバインド」という言葉に会い、これでその「もやもや」や「怨念」(笑

)が説明できる~!!!と、こころが晴れました!!!
●ダブルバインドとは?
Wiki調べてみたら 以下引用↓
1956年にグレゴリー・ベイトソンによって発表された説。家族内コミュニケーションがダブルバインド・パターンであると、その状況におかれた人が統合失調症に似た症状を示すようになる、と指摘する説。
↑以上引用終わり。
そっ!総合失調症に似た症状!!?
●その理論
1 2人以上の人間の間で
2 最初に否定的な命令=メッセージが出され
3 次にそれとは矛盾する第二の否定的な命令=メタメッセージが、異なる水準で出される
4 そして第三の命令はその矛盾する事態から逃げ出してはならないというものであり
5 ついにこのような矛盾した形世界が成立しているとして全体をみるようになる
つまり、簡単にいうと「本音と建前が理解できない(ように設定されてる)」世界における矛盾からくる苦しみ、というわけですね。
ここまで書くと、もうみなさんは「あ、それJW世界」
ってピンと来ると思うのですが、エホバの証人世界では家庭レベルで、会衆レベルで、そして個人レベルで様々な形のダブルバインド(二重拘束)が行われていたわけです。ダブルバインドの宝庫、オンパレード、っていう感じでしょうか。
●ダブルバインドによって起こること。
なぜ矛盾した二つの命令が与えられるのか?
これは「罰する口実」を作るためだそうです。
二つの矛盾した命令があり、両方を立てることは出来ない。だから必然的に犠牲者はこの決まりを設けた者からどちらに転んでも罰を受けることになる。チェスで例えるなら(またこのたとえ

)どこに動いてもゲームオーバーになってしまうシチュエーション「チェックメイト」状態です。
被害者はそうならないために努力するが、与えられた命令が対立するため無理。よって罰は与えられ、心の葛藤の末、無力感を学ぶ。
ダブルバインドを続けられると被害者は
ロボットのようになってしまうそうです。
ロボット。。。

エホバの証人ブログでよく聞く言葉ですよね。
ダブルバインドを仕掛けてくる人は被害者に対して何がしたいのか。
それは無力にさせて、操りやすいロボットにすること。「決まり」「ルール」によって霊的に成長させたり、行儀をしつけたりするのが目的ではなく失敗して失望して自分の下にやってくるのが狙い。
●エホバの証人の家庭でおこるダブルバインドの例:
1 熱心なJWである母親により
2 世俗の教育を避け、世俗の仕事にもつかず(バイト生活)恋愛もしないで開拓奉仕をするよう「励まされる」
3 開拓&仕事はきついのでずっと続けてゆくことは不可能。時期がきて降りようとすると「開拓しないような人は家に置けない。即日出てゆくように」と言われる。あるいは自立するすべを奪っておいて、自立するように要求する。
学歴も職歴も結婚する予定もなく、開拓をやってるので働く時間もないこの2世にとって八方ふさがりになる。さらにエホバの証人は開拓者でない者には援助をしないという強い傾向を持っているので、周りからサポートを受けて一人だちは無理。
4 宗教的マインドコントロール(JWを辞めるなら神から疎外される。ハルマゲドンで滅ぼされる。排斥になれば近親者や友人から絶たれる)により、その場を去ることが許されていない。
こ~んな状況があるのではないでしょうか~。私はこのパターンに悩まされていました。
あと、女性なら
1 JW親により世の人との結婚を破談にさせられる。
2 その上で「○○姉妹に赤ちゃんができた。」などとこれ見よがしに言われる
3 JWマイコンによりJW以外の人と結婚することは出来ない
こういういやらしいモラルハラスメントを受けてきた姉妹たちもいるでしょう~。
家庭でのJWダブルバインドの悪いところは、親が自分のやっていることに気づかないとはいえ、聖書や神、ものみの塔教理などを持ち出して自分のしたいことを子供にさせる、あるいはいじめて鬱憤をはらしているという点ではないでしょうか。
親もエホバの証人ならむしゃくしゃしてるでしょうから(笑)酌量の余地はあるものの、ゆくゆくは精神崩壊を招く要因となりえる、こんなセオリーを知らないとはいえ使っているというのは大変危ない火遊びだと思います。
一番顕著な例はエホバの証人が奨励している「鞭=体罰」でしょう。
1 JWの幼児が集会にいく。そこで騒いだり遊んだり、書籍以外の本を読んだり、泣くことさえも禁じられている。
この場合、ひとつの決まりだけでもうすでに矛盾しています。
幼児が数時間完璧に行儀よくしていられるでしょうか。新生児にもこの決まりは当てはまります。
2 結果鞭という体罰を受ける。集会に行かないという事は許されていない。
3 幼児なのでその状況から立ち去る(親もとを離れる)ことは不可能
これぞ完璧なダブルバインド!!
しかも、失敗するたびに
体罰を与えられるというドメスティックバイオレンスまで加わっています。
ここからエホバの証人が主張する
「鞭という体罰」が単なるしつけの体罰では決してない
ことが分かりますね。
エホバの証人の体罰は
条件付けの体罰です。
組織に都合のよいロボットを作ってゆくための。ダブルバインドと暴力の結果、反抗する気力もない子供をつくるための。
ちょっと精神が壊れて日常生活がまともにできず、エホバを頼らざるをえない「良い」青少年を作ってゆくための。
みなさん!!!だまされちゃいけません!
JW2世に精神を病んでいる人たちが多いのがうなずけますよね。2世はダブルバインドで苦しめられるほか、文字通りの暴力でそれを体験付けられているんすから。
そして悲しいことに、大人なら「家庭内暴力」と世間に抗議できますが、JWの体罰は表向きは躾となっているので抗議を聞いてもらえない場合が多いでしょう。現役JWの発言などからも分かるように、ハラスメント、暴力を受けている本人が「自分のために」「愛によって」行われていると組織の主張どおりマイコンされている場合が多い、っていうか、ほとんど。
私もそうでした。
情けない!

今気づいてよかった。ありがとう。
エホバの証人の会衆の中で起こるダブルバインド例:
1 一瞬たりとも性的な事を考えてはいけない。イエスは欲望を抱くものはすでに淫行を犯したと言った。罪!
2 それ守るの無理。

夫婦間でも「貪欲」さが見られたら排斥理由にもなりえる。性と貪欲さとはっきり線を引ける人などいない。
3 JW辞めるのは許されない
守ることが不可能な決まりを生活全般で与えられているJWは罪を犯さずには居られない。→罪悪感、告白、審理委員会などの恐怖や屈辱。
無力化。欝。
その図式がはっきりしてますね。
それからもっと複雑なダブルバインドもあります。↓
●自分の心理の中で起こる教理によりダブルバインド
1 神は愛!私たちを気遣っておられる、神の愛を感じなさい!
2 聖書の中で神は残酷なことを沢山している。許すことより罰することのほうが多い。人を滅ぼす計画がある。
1 エホバの証人は愛で満ちている!!!世界一幸福な民である!喜べ!喜びを世の人に宣伝しなさい
2 エホバの証人であるが故に貧困、婚期を逃す人や子供をあきらめる人、家庭の崩壊などで苦しんでいる。会衆内にはいじめや足の引っ張り合い、地位によるへつらい、ひいきなどがある。
1 祈りは私たちに与えられた特権。私たちは自由に神に近づける。それから慰めを得なさい!!
2 少しでも罪を犯せば祈りは聞かれない。
罪を犯すから祈りたい。でも罪を犯したから祈れない。(罪を犯さない人間はいない。)
やはりJWにとって辛いのはこの教理でのダブルバインドではないでしょうか。親に捨てられても神はあなたを捨てないという概念がありますよね。
ものみの塔のマインドコントロールにより、ものみの塔の命令は神の命令と思わされていた私たちにとって、
神からの疎外

という罰は一番怖かった、はず。
ものみの塔の目的はどう頑張っても達成できない決まりを作ることにより、私たちは無力でいたらなく、常に許しを必要としている惨めな人間なのだと、だから組織に従ってないと神から是認されないのだと、
そしてその勤めは死ぬまで続く。という。
これがこういう卑劣な手を使ってくる相手が上司とか、親とかなら、もっともっと早く「冗談じゃない!」と見切りをつけられて、精神的ダメージも少なかったと思うのです。でも相手が「神」なら?
精神的ダメージも人間からやられるのと比べると、、強い。
私は親の迫害、DV,モラルハラスメント、もちろんこのダブルバインドを受けながらもそこそこ大丈夫でした。
でも教理のダブルバインドだけは辛かった。
ほんと精神病になるかとまじめに思っていました。今思うとそれにはそれなりの理由があったんだな、と納得です。ケーススタディーにしていただきたいくらい。エホバの証人の中には実例わんさかです。
神は愛。なのに私はそれが分からない。
兄弟たちは愛。でもそれが感じられない。
愛が動機。でもその愛が見えない。
愛がないのが問題じゃない。問題があることが問題じゃない。
例えば私が小学生の頃、エホバの証人だという事で先生たちからいじめられていました。
が!
私は全然辛いとは思わなかったのです。
なぜなら先生というのは怖くて意地悪で生徒をしかるのが仕事な人たちと思っていたから。(つまり「担任」と書いて「鬼」と読む感覚。

)
一方会衆では些細な仲間はずれや大人姉妹兄弟の言葉にもいちいち躓いていました。
理由は、、、そう、愛があふれること、慰めが得られることを「神」から約束されているのに、それがちっとも行われていなかったからです。
これが、逆に「先生とは生徒をいつくしむ保護者のような、聖職」と認識していたら、先生たちにいじめられるという出来事はどれほど私を傷つけたか?ってことですよね。
問題は「そうであってはいけない」はずなのに、という心が分裂しそうなほどの矛盾なのです。。
よく、「組織には問題がつきもの」とか「人間間の不和とか上層部のネグレクトとかどこの社会にもあること」とか言う人がいます。
今やっと説明できるけど、
違うんだよ!それとは!!
参考にしたブログ、HPです。ありがとうございました。
ブログ「あなたの子供を加害者にしないために」の中の
パワハラにおけるダブルバインド(二重拘束)の構造
これ元HPが分からず、、、
§6 ダブルバインド