パーフェクトワールド

現在はゆっくりの更新ですがよろしくお願いします。

集会週2回に決定、、らしい!

2008-04-29 05:28:11 | ●日々のJW生活報告
集会が来年から2回になるという公式の発表があったそうです。関西人さん情報をありがとうございました。


ちょっと回りの反応知りたくてブログ、掲示板などさらっと回ってみたけど、あんまり騒がれてません?

騒いでるのは元JWだけですか。

そうですか~



でも、、これって大ニュースだと思うんですが。


協会の説明ではパウロの聖句が引用されて、「淫行うんぬん、、、これ以外の重荷を加えないように」するため、集会が短縮されたみたいな。


集会って「崇拝」ですよね?崇拝は重荷ですか、、。淫行と絞め殺されたものを避けていれば「崇拝」のほうはしなくってもOKですか~???


めっちゃくちゃ矛盾!!!!はは。


もう言ってること分かってるの~??



もう沢山の人がつっこんでる部分だと思うけど、「ガソリンなどの高騰」で交通が大変だから経済的負担も減らせる。これも理由のひとつだとか。





はい!その通りなんですよ~。崇拝である集会は負担!集会への交通もお金かかるから負担!!!

でも、、


それを言っちゃ終わり。


エホバの証人という宗教が成り立たないでしょうが~~!!!


ものみの塔のいつものつじつま合わない、その時しのぎの発言のひとつに過ぎないのかもしれませんが、深読みすると、、


上の人はもう、辞めたがってるんじゃないかな、この宗教団体を。


これから負担を削減するという路線になるんだったら、

集会の電話回線、ネットで供給

なんていうのもありそうですね?


私は以前ちょっと病気して集会に出られなかった時があるんですが、その時電話回線で集会に「参加」してました。

あれ、結構いいんですよ。電話だから集会に遅れて聞きそびれるってこともないし、それこそ交通の手間、時間、危険(悪天候の場合)もないからすっごく心に余裕。人に合いたくないときとか、前後の交わりとか着てゆく服がないとか(笑)そんなどうでもよいストレスがなく公演に集中できて。

とっても霊的な気持ちできちんと公開公演聴いてました。


なので、電話回線というのも悪くないアイディアだと思います。



もちろん、エホバの証人が変わらなくてはいけない部分は輸血や教育の否定や排斥とかであって、、集会が減ればよいというわけでは決してないのですが、一応騒いでみました~!!

記念式が、、、、近い!どきどき

2008-03-22 03:52:01 | ●日々のJW生活報告
あ、日本はすでに記念式の日に突入してますね。


私は正直言ってJWが自分を探しあてにくるのではと、、、パラノイアになっております!!

先日知人の家に届け物をしにいったら、そこはかなり僻地なのに、玄関先に

記念式ビラ(例のあれ)が置いてあった!!!


きゃ~!!!!!

戦慄!!!!



どうしてこんな所に???どうして私が訪問する日に限ってJWが??


エホバだわ~



ああああ、怖い。





このところ、、居留守してるので未配達の郵便物がたまってます!(笑)
来週あけたらとりに行かないと!



思えば記念式って、、、なんで祝っていたのかなあと思います。

よく考えれば表彰物にあずかっている人たち(以前は羨望でした。私の会衆に表彰物にあずかった人がいる!なんて話を聞くと一度でいいから、そういう記念式に出席してみたい~と思ったり。)

その人たちなんか、数限りなくいるみたいだし、

明日、(日本では今日)表彰物にあずかる天的級というのは、以前はいよいよ少なくなる限定数の一人だとばかり信じていたので、すごい!と思ってたんですが、実は限定生産ってあおって売られていた時計が、限定生産じゃなかった。みたいな結末で、


ますます記念式がバカらしい。


ただし、まわりにまだ同年代のJW友人がたくさんいた頃はちょっとしたイベントだったので結構愉しみにしていました。

あるとき、記念式の後にみんなで打ち上げみたいな食事会は不謹慎だ、といいだした人がいて、その時からぱったり、みんなどこにも行かなくなったというちょっと寂しい思い出があります。

記念式って時間も早く終わるし、後食事にいったりするのにちゃんと十分時間があって、楽しかったんですけどね。


記念式の季節ですね。。。どんより。

2008-03-11 05:52:44 | ●日々のJW生活報告

いや~、、記念式の季節なんですね。今年は3月ということで、4月じゃないからまだいいや~って平和だった心がさっと曇りました!!!!


記念式。

JW信者を持つ元JWにとって、ちょっと特別な時期。脱JWしていても、これだけはと頼まれて行ってる方も結構いるんじゃないかなあ。

私の知っている元JWは結構記念式には来る、という人が多かったです。(自分の兄もその一人。)


わたしは絶対行きませんが、記念式だけ出席する人は「記念式だけ来てもねえ、」なんて陰口言われながら、周りから「集会に来ないの、、」なんて針のむしろでしょう。。。今思うと、家族の顔を立てよう、悲しませないように、ってがんばって来てたんだなあ、、と思います。


ところで、今キャンペーン中ですね。このキャンペーンによって記念式に来る人とは、どのくらいいるんだろうか。と思います。

記念式とは、脱JW前は厳粛な儀式だと思っていたけど、マイコンが解けてからはただの勧誘会のようで、とにかくがっかりしたのを覚えています。


、、、、とにかくこの時期は気が重い!!!!誘いが怖い。。。。たすけて~~~~。

子の心、親、知らず

2007-12-29 03:38:20 | ●日々のJW生活報告
JWを辞めるにあたって母の反対があって、これはいろんな方のコメントやブログを見ても分かるように2世にとっては誰もが経験する、避けて通れないところなのですが、

一度は自分もJWだったから、母の気持ちも言い分も分かる。

それにしても、、、その言い分を聞いているとどうしても芝居がかってるとかんじてしまうんです。愛している、とか、毎日が辛いとか、死んでしまいたいとか、

うう~ん。

これって、やはり、長年JWやってるとものみの塔口調になるのか、それとも考えることが、ものみの塔の台詞でしかないのか、その両方かもしれませんが、とっても気になります。向こうは一世一代の説得をしているつもりなのかもしれないけど、こっちは、相手がものみの塔か書籍を棒読みしてるような、そんな気にさえなる。

愛しているのよ

という、言葉を発する前に愛とは何かとか、少しでも考えたことがあるんだろうか。エホバはあなたを愛しているのよ、とか会衆はあなたを愛しているのよ、とか、エホバが悲しむ、会衆がかなしむ、霊がかなしむ、私を苦しめている、会衆や私の気持ちにもなってみて、

とか、私にはどうしても子供が駄々をこねているようにしか見えない、聞こえないのです。

自分の子は(真理を離れたら、明日にもくるかもしれないハルマゲドンで滅ぼされるから)死んだも同じ。とか言う。



これは世の雑誌で読んだ話だけど、がんに侵された小学生の男の子が、延命のために足を切断しなくてはいけないという話があって、

その子は「僕はサッカーが好きなので、サッカーのために治療もがんばってきた。やっぱり最後の日々は病院で寝ているより自分の足でサッカーをしていたいから、延命のための手術はしたくない」というんですが、親はそれを受け入れる。という経験談がありました。

子供を「愛している」親なら子供と少しでも長く一緒にいたい、だから足の切断もしてほしいと思うかもしれないけど、子供を愛しているから子供の意思を尊重する。これが普通なような気がします。


JWを辞めると死んだも同然というのなら、本当に死に直面している親子を考えてみたことがあるんだろうか、と思います。


延命治療は辛く、長く、しかも効くかどうかわからない。延命治療をしていたら、時間も体力も取られ他の事が何もできない。子供も作れないかもしれない。だったら残された日を思いっきりすごしたい、という選択だってあるはず。

普通親はそれを「残された親の気持ちにもなってみろ」とか「あなたがどんなに回りの人を悲しませているかわかっているの」とか「利己的な願望を追い求めている」とか、言うだろうか。。。


JWに例えてみると、JWでいたら(JW教理の上では)ハルマゲドンで救われるかもしれない。でもそれは最後の試みだとか、日々の生活でダメになることもおおいにある。

それに引き換え毎日の奉仕、集会、仕事の制限、精神的な苦しみ、結婚や家族を設けることの極端な制限、世の中との摩擦、、実際に「普通」に生活できないので、ハルマゲドンで滅ぼされるかもしれないけど、自分の人生を精一杯生きたい、自分の家族を持ちたい、親を悲しませて申し訳ないけれど、でも行かせてほしい。

と主張する子供とどこが違うんだろう。
同じくJWを辞めることで子供は死んだも同然と思っていても子供の選択した人生を尊重する、という概念はJW親にはないのだろうか。と思う。


私は親にJWを辞めるくらいなら死んでてくれたほうがよかった、と言われた。これは他の子供が離れたJW親たちがたまに口にすることなので、あまり驚かなかったけれど、やはりこういう発言をされると、エホバの証人という宗教がいかに人に有害かしみじみ思いしらされます。ね。

信仰を持っていて死んだら復活の希望があるからいいけど、今、生きていてJWを捨てると復活がないし、ハルマゲドンで滅ぼされるので希望のない、死んだ状態と同じ、

という意味なのだけど、輸血で死んだ、とかそういうニュースがあると、JW内では「離れた子を持つよりは信仰をまっとうして死んだ子を持つほうがよい」というような会話が交わされることがある。


自分が子供の頃、会衆のある姉妹が「私の子は死んだ」といっていたので、本当に死んだんだと思っていた。後で普通に生きてるところを交わりで家にお邪魔したとき知って「あれ、死んだんじゃ、、」とびっくりしたんだけど、

ふつ~に元気なお嬢さんがいた。元気に挨拶して家を出て行ったけど、

今、あの子の気持ちが分かる、、


ところで、先にあげたがんにおかされた男の子の話だけれど、その子は「僕は今まで生きられて十分幸せで満足してるんだけど、お父さん、お母さんが悲しんでいるのを見るのが一番辛いです。ぼくが行った後も悲しむのかと思うと気がかりです。僕はそんなに不幸ではないことをいつの日か分かってくれるといい。」といっていた。

同じように、自分の感情ばかり大切にするJW親も、離れてゆく2世が一番心配して、辛く思っているのは親のことだということ、

そこのところを「大人」になって分かってほしい。

初めてのクリスマスパーティー(笑)

2007-12-17 22:23:57 | ●日々のJW生活報告
なんか妙に初々しいタイトルですね。

さて、この時期になると現役時代は職場や学校「世」のお友達からクリスマスパーティーの誘いがあり、まさにクリスマスパーティと聞くと

戦慄

してました。


小心者な私です。


が、まじめに。どうやって断ろうか、断れない場合(会社の集まりとか)はどうしたらいいんだろうか、解雇??とかとか。色々考えて。


でも!今年はもうそんなことはありません!


というわけで、クリスマスパーティーというのは



淫行、飲み比べ、浮かれ騒ぎ、みだらな行い

がおこなわれていて、世の霊がうようよしているそうですから、大変興味深く、参加してみました。



うっ。

ただのつまらない会社のお食事会じゃないか~~~~


ものみの塔で散々教えられてきた浮かれ騒ぎのみ比べはどうしたんだ~


静かな地元レストランの一角のテーブルに座り、談笑、食事、食事の後にはちょっとお酒なども出たくらいで、それだけ。普段会わない部門の人と顔合わせ、という会なんですね、、。でもメールや電話でしかしらなかった部門の人と仕事以外で話すというのは大変良いことだと思いました。

会社のクリスマス会というのはこういう事なんですね。

現役時代はパートだったけど、やっぱり呼ばれて行けないと証言すると、上司がじゃあ、クリスマス会というタイトルじゃなければいいなら、名目をかえるから。
なんていってくれました。なんて優しい人だ、とかって思ったりしましたが、親睦と業務がスムースに行くための会ですもんね、こういう事かあ、

と今になって分かった。

クリスマス会っていったって、クリスマスの歌を歌うわけじゃなし。幼稚園じゃないんだから。笑


いままで何をがんばってクリスマスを避けてきたのか、ちょっとなさけなくなったホーリーナイト。

JW的DQNネーム

2007-12-16 01:03:19 | ●日々のJW生活報告
みなさん、DQN(ドキュン)ネームって知ってますか~?

DQNとは何か?はこちら→http://ja.wikipedia.org/wiki/DQN




DQNネーム(ドキュンネーム)とは簡単にいうと「DQN」(非常識)な人が自分の子供につける非常識な名前なのですが、一昔前なら「悪魔」ちゃんとか、ありましたね。ああいう名前です。


JW2世DQNが子供につけるDQNネームといったら、、私の時代は

義也、義弥(よしや→ヨシュア)などが典型でした!このお名前の方、すみません。別に他意はありません。ヨシュアに引っ掛けてないなら普通の名前だと思います。問題は日本人なのに

ヘブライ語の名前を強引にも子供につけようとする、そのJWDQNさにあると思います。



ペットにアガペーとかヘンな、名前をつけるJWとかいますね。


私は個人的にとってもDQNな名前を子供につけたJWを数人知ってますが、名前があまりにも非日本的なので、具体的に挙げるとすぐ顔が割れます、なので、載せられないのが残念~~~~~~。大体が聖書的名前や単語にかこつけて、聖書的な
漢字を当てはめた、そんな感じです。







あ、これはDQNネームではありませんが、アフリカ系の兄弟の名前は聖書的というか、、なんというかそれを超えたものがあるんですが、

女性ならリジョイス(喜び)とか、普通にありますね。

男性は


サンデー(日曜日)

とか、

ジャスティス(正義)とか、


サンクスゴット(Thanksgod)

とか。


日本のJW2世親もやるならこれくらいやって欲しい。


山田サンクスゴット兄弟。とか。

イスラム教からみたエホバの証人

2007-11-30 19:53:18 | ●日々のJW生活報告
題は大それていますが、小ネタです。

ちょっと前、会社でお得意様送迎をやらされました。いつも送迎役の人が病欠だったのでピンチヒッターです、、、が

どちらかというと、誰もやりたくないからやらされた感じ。

というのも、本当にお金を持っている人というのは、、中東の人なんですよね。というわけで会社の大きいお得意さんも中東の人であることは多い。

でもこういう人たちはイスラム教でスタンダードや生活形態が別世界。→失礼にならないような適当な会話に詰まってしまう。→付き合いを敬遠される。→ビジネスがうまくいかない。

となることも実は多々あって、それでみんな気を使うのです。


私も送迎前後のカジュアルな会話には十分気をつけるように!!!といわれ緊張。(笑)政治、時事問題は禁句。


さて、天気や寿司(笑)の話も終わり、全くの沈黙が続くなか、、(往復4時間)あまりに長い沈黙を破ってお得意さんが私に

「PWさん、ところで宗教はなに?」







宗教ですかあ~~~~



ここでうっかり日本人はまあ大体仏教ですから~なんてふってしまおうものなら、中東の人なのでファンダメンタル仏教(?)には詳しいだろうしすぐボロがでてしまうので、色々考え、、

やはり


一応クリスチャンです。


と答えた。


「一応というとカトリック?」


あ、いえ、う~ん。ここであっさり「まあそういう事で、」といってしまってもいいんですが、数時間の沈黙もあれなので、

「実は、、ご存知かどうか分かりませんが、アメリカのキリスト教でエホバの証人というのがあって、親がそうだったので今まで自分もそうだったんですが、

最近思うことがあって、教理に疑問を感じてまして、でストップしてます。」


といってみた。


と、イスラム教のA氏が一言

「あ~エホバの証人ね。


エホバの証人はクレイジーね。





この人は先週現地で家族の言い争いがあり、結局銃での打ち合いに発展し、従兄弟がその戦いで亡くなった、というこの人こそクレイジーな人、

と言いたいところなんですが、

なんとなく返す言葉がありませんでした。

2007地域大会3日目 感想

2007-08-08 01:47:27 | ●日々のJW生活報告
やっとノート見つかりました。尻きれトンボだった夏の大会の感想のつづきです。


3か目

●「キリストに従うことを言い訳して逃れてはならない」

英語タイトルは Do not "beg off" from floowing the christ
しっかし、このタイトルでお話の内容は「開拓」ですよ。いいんでしょうか。「言い訳しない」のタイトルで開拓???

聖句の使い方とかすごく不満をもったんですが、列王第二の「王は3回しか矢を打たなかった。」というエピソードのところ。なぜ3回しか打たなかったのですが、エホバも3回しかあなたを助けません。

ってやつです。

このエピソードは徹底して物事を行うっていう事で前から好きな聖句、お話ではあったんだけれども、

それを開拓に適用するのはいけないんじゃないかな。得に開拓奉仕の制度が別に聖書的根拠があるわけでもないし。

司会者「エホバの祝福を受けたいのなら、徹底して使えなければいけない。大体世俗の仕事をしてどのくらい幸福になれるのか。」

次に開拓奉仕をすすめ、出来ないのなら外国語をまなべ。そして区域ないの外国語を話す人たちをゲットしろ。

年金生活してる姉妹の経験。開拓して幸せ。

はあ、年金生活だからねえ。もっとましな経験でも持ってきてよ~。

●「霊的な必要を自覚している人たちは幸いです」

「富むこととは独立することである。独立できると神に頼らなくなる」

う~ん。

こうやって独立を避けるよう教えるからJWは精神的におかしくなるんじゃないでしょうか。なんで独立もできて、神への信仰もある、という築き上げかたじゃいけないの?信仰を得るというのは、誰にとっても難しいはず。

でも「貧しく、神の助けを必要な状態に自分を貶めて、神への信仰をつちかう」

って、すごくないですか。どういう質の信仰なんでしょう。

●シンポジウム 「はじめに兄弟と和解しなさい」

実演「和解の仕方」

自分には反発を感じている兄弟が会衆ないにいる。長老に助言を求める兄弟。
長老は「まず話しなさい。それから奉仕の取り決めをお互いしなさい。


まず話なさい。って。。。。他にいう事ないんだろうか。あと、奉仕を取り決めろってばかの一つ覚えのようにJWの方、おっしゃいますけど、

奉仕って、伝道って仲間のJWと談笑する場でも知り合う場でも仲直りする場でもないと思うけど??だから伝道してるJWは暇人だって言われるんだと思います。

私はよく会衆が変わったので、いろんな会衆で「New」でした。そうすると、かならず同じ台詞をどの国でもどの会衆でも聞くんですよ。「今度一緒に奉仕して知り合いましょう」って。

私はそれがすっごく嫌いだった。お茶に呼んで知り合うんじゃだめなの?私は一石二鳥?時間はいるからラッキー?だったら別に知り合わなくっていいよ。って。

しかも、仲直りを野外奉仕でやれってどうですか。


●シンポ「右目が躓かせてるなら捨てなさい」

ネットやテレビへの警告

●「求め続けなさい、そうすれば与えられます」

これも私の好きだった聖句、というかフレーズ。エホバという神はしつこい人が好きですよね、全般に。私もしつこいほうなので、それは勧められてる特質なんだな~とかって思って。(笑)

まあ、この話の内容は王国を第一にしてれば仕事が与えられますってこと。

経験:仕事が得られずずっと祈っていた。それがやっとかなえられました。

司会者:どんな方法でですか?

姉妹:自営業を始めることによってです。

(助けられていない…。

司会者:どんな仕事ですか

姉妹:翻訳の仕事です。翻訳の仕事はメールで来ます。その時すぐ受けないと、次の人に回されてしまいます。今回の大会では携帯をいつもオンにして仕事のメールは受け取れるようにしようと思いました。でもそれだといつも携帯をチェックしてしまい、プログラムに集中できないので、携帯はオフにすることにしました。

すると大会が始まる前に仕事以来のメールがきて、心配なくプログラムをたのしんでいます。


翻訳の仕事なんてなかなか食べるだけになりませんよ。。。。なんかあってないような経験だった。(後にこの姉妹は両親にパラサイトしてることが発覚。)

●シンポ「与えつづけなさい、そうすれば与えられます」

協会への奉仕。寄付。
お金だけでなく、開拓をする、建築をする、べテル奉仕、「こんなに沢山の与える道があるではありませんか?!」拍手。

誰がこの聖句の「与える」がものみの塔への奉仕だっていいましたか。
不敬にも程がある!

気をつけてきいてましたが、個人への「与える」ことは一切話されていなくて全て協会への「与え」でした。

●公開講演「誰が本当のキリストの追随者か」

エホバの証人は

1「結婚は聖なる者とだけ」をきちんと守っている。安定した結婚をするより、困窮した生活を選んでいる。

むなし~。それがキリストの追随者である理由の一つ??


2世の者ではないことによって

その生活のスタイルによって知られている。

3のべつたえるわざ

4神の名によって知られている

5愛によって知られている

ここで子供が寄付したという例があげられ、子供の間でもこうした自己犠牲愛がきちんと教育され、実践されている。

ははは。これに対してはもう書きましたが、またあとで。(え、また寄付強調も。。。会衆の御年よりを助けたとか、そういう話ではいけないんですか?寄付?マネー?)

この後、ノートが途切れています。


●最後の報告プログラム

ものみの塔はフランス政府から50ミリオンドルの税金を課せられている。今払わなくてもいいよう裁判中

ものみの塔脱税ですか?

っていうかお金あるんだから払えばいいのに。こんなこと渋るから当地で迫害が起こったりして地元JWが困るんですよね。

大会の感想を終わります。


ノースリーブ問題

2007-07-21 19:18:29 | ●日々のJW生活報告
以前エホバの証人は服装の点で一般のキリスト教会基準から、かなり劣っていると書きました「集会」が販売促進集会みちで崇拝の場ということを当JWでも忘れてしまうからでしょう。

特に暑くなるとノースリーブがJWで目立ちますね、、私も着てますよ、もちろん。だってJW集会なんて全然崇拝の形式じゃないから。と割り切って。だからノースリーブ云々で何を言うつもりもないんですが、

しかし。

どうなんでしょう。

ノースリーブを着ている姉妹の脇から

腋毛が見える

といのは!

うちの会衆にいるんですが、腋毛がすごい。しかもいつもノースリーブ。開拓者なのでよく注解するから手も高々と上げるわけです。

こういうのって、一応注意されないの?

2007夏の地域大会・3・日曜日プログラムの感想

2007-07-20 19:29:58 | ●日々のJW生活報告
今、ちょうど手元にノートがないので覚えてるところだけ書きます。後でノートを見て、付け加えるところがあれば、追加して書きたいと思います。

3日目全体の感想としては、、、

別に3日目がなくてもいいなあ。

というものでした。プログラムを貰った時、聞いておきたい項目にチェックを入れたんですが、1日目、3日目はほとんどチェックを入れたい項目がなかった。

(なんかすごく熱心JWに聞こえますね。要はつっこみのためであり、その時間にふらふらトイレで隠れメールでもしてて聞きそびれてもせっかくですので。

3日目がなくてもいい、というのは現JW時代からうすうす思ってたことです。公開公演、ものみの塔研究要約これは別に普通の集会と変わらないし、午後劇が終わった後はいつもの総会報告みたいな、、、みんなが寝てしまういつもの報告が延々とあるわけで、もう会場をさっさと後しても全然弊害ないようなプログラムばっかりだし。

●2007夏大会公開公演

最後になって出ました!キリストに従うものは誰か。2日ひっぱってきた結論ですが

それはエホバの証人なのです!

という内容。ノートないので詳しいことは後日。でもみなさん、内容は分かりますよね。

●ものみの塔研究要約

今回はお年寄りがエホバに仕える

という多分もっとも無害な内容ゆえなんともつっこみようがありません。

「体が思うように動かない老齢の人たち。しかし皮肉にも老齢の人たちこそが会衆の集会を決して休まないものです。」

それは、、、引退してるから、他にやることがないから?
仕事とかいかなくていいし、ね

というか、、ホントに高齢になった方の場合、JWでいることはいいことですよね。死の恐怖はないし、定期的にやることがあったり、家から出ることはいいことだし、若い人とのコネクションはあるし。

奉仕は歩くから体にいいし。

お年寄り健康法を地でいってるjWですから。

良いですよね、、としかいいようがない。

終わり。


●劇 ゲハジ

はげ頭上ってゆけ、で有名な預言者エリシャ(でしたっけ?)の僕の話。有名なお話なのできょ~みぶかく見れました。会話もプレーンで好感が持てます。

最初は霊的で無私の気持ちで使え始めただったゲハジが、特権意識に執着。(開拓者?)結局贈り物をうそをついてもらってしまい、らい病に打たれたってはなし。

特筆すべきは、、、結構台詞にユーモアが利いていて、、笑えこそはしないものの、、面白くは見れました。

しかし適応があいまい。開拓者や巡回監督、、そう、そこのあなたね。自分をもてなすことは神をもてなしてるとか言っちゃだめですよ、いつからい病に打たれますよ。

とかはっきり言えばいいものの。



●総会報告

なにも聞いてなかった。なぜ、この最後のプログラムを話す人はどの大会でも、どの国でも、、

よぼよぼの老人

なんでしょうかね。

で、なんで

お迎えが今きてもおかしくないくらい眠たそうに

話すんでしょうね。

なぞです。

長い祈りの後終了。むなしい疲労間が残る。