JWを辞めるにあたって母の反対があって、これはいろんな方のコメントやブログを見ても分かるように2世にとっては誰もが経験する、避けて通れないところなのですが、
一度は自分もJWだったから、母の気持ちも言い分も分かる。
それにしても、、、その言い分を聞いているとどうしても芝居がかってるとかんじてしまうんです。愛している、とか、毎日が辛いとか、死んでしまいたいとか、
うう~ん。
これって、やはり、長年JWやってるとものみの塔口調になるのか、それとも考えることが、ものみの塔の台詞でしかないのか、その両方かもしれませんが、とっても気になります。向こうは一世一代の説得をしているつもりなのかもしれないけど、こっちは、相手がものみの塔か書籍を棒読みしてるような、そんな気にさえなる。
愛しているのよ
という、言葉を発する前に愛とは何かとか、少しでも考えたことがあるんだろうか。エホバはあなたを愛しているのよ、とか会衆はあなたを愛しているのよ、とか、エホバが悲しむ、会衆がかなしむ、霊がかなしむ、私を苦しめている、会衆や私の気持ちにもなってみて、
とか、私にはどうしても子供が駄々をこねているようにしか見えない、聞こえないのです。
自分の子は(真理を離れたら、明日にもくるかもしれないハルマゲドンで滅ぼされるから)死んだも同じ。とか言う。
これは世の雑誌で読んだ話だけど、がんに侵された小学生の男の子が、延命のために足を切断しなくてはいけないという話があって、
その子は「僕はサッカーが好きなので、サッカーのために治療もがんばってきた。やっぱり最後の日々は病院で寝ているより自分の足でサッカーをしていたいから、延命のための手術はしたくない」というんですが、親はそれを受け入れる。という経験談がありました。
子供を「愛している」親なら子供と少しでも長く一緒にいたい、だから足の切断もしてほしいと思うかもしれないけど、子供を愛しているから子供の意思を尊重する。これが普通なような気がします。
JWを辞めると死んだも同然というのなら、本当に死に直面している親子を考えてみたことがあるんだろうか、と思います。
延命治療は辛く、長く、しかも効くかどうかわからない。延命治療をしていたら、時間も体力も取られ他の事が何もできない。子供も作れないかもしれない。だったら残された日を思いっきりすごしたい、という選択だってあるはず。
普通親はそれを「残された親の気持ちにもなってみろ」とか「あなたがどんなに回りの人を悲しませているかわかっているの」とか「利己的な願望を追い求めている」とか、言うだろうか。。。
JWに例えてみると、JWでいたら(JW教理の上では)ハルマゲドンで救われるかもしれない。でもそれは最後の試みだとか、日々の生活でダメになることもおおいにある。
それに引き換え毎日の奉仕、集会、仕事の制限、精神的な苦しみ、結婚や家族を設けることの極端な制限、世の中との摩擦、、実際に「普通」に生活できないので、ハルマゲドンで滅ぼされるかもしれないけど、自分の人生を精一杯生きたい、自分の家族を持ちたい、親を悲しませて申し訳ないけれど、でも行かせてほしい。
と主張する子供とどこが違うんだろう。
同じくJWを辞めることで子供は死んだも同然と思っていても子供の選択した人生を尊重する、という概念はJW親にはないのだろうか。と思う。
私は親にJWを辞めるくらいなら死んでてくれたほうがよかった、と言われた。これは他の子供が離れたJW親たちがたまに口にすることなので、あまり驚かなかったけれど、やはりこういう発言をされると、エホバの証人という宗教がいかに人に有害かしみじみ思いしらされます。ね。
信仰を持っていて死んだら復活の希望があるからいいけど、今、生きていてJWを捨てると復活がないし、ハルマゲドンで滅ぼされるので希望のない、死んだ状態と同じ、
という意味なのだけど、輸血で死んだ、とかそういうニュースがあると、JW内では「離れた子を持つよりは信仰をまっとうして死んだ子を持つほうがよい」というような会話が交わされることがある。
自分が子供の頃、会衆のある姉妹が「私の子は死んだ」といっていたので、本当に死んだんだと思っていた。後で普通に生きてるところを交わりで家にお邪魔したとき知って「あれ、死んだんじゃ、、」とびっくりしたんだけど、
ふつ~に元気なお嬢さんがいた。元気に挨拶して家を出て行ったけど、
今、あの子の気持ちが分かる、、
ところで、先にあげたがんにおかされた男の子の話だけれど、その子は「僕は今まで生きられて十分幸せで満足してるんだけど、お父さん、お母さんが悲しんでいるのを見るのが一番辛いです。ぼくが行った後も悲しむのかと思うと気がかりです。僕はそんなに不幸ではないことをいつの日か分かってくれるといい。」といっていた。
同じように、自分の感情ばかり大切にするJW親も、離れてゆく2世が一番心配して、辛く思っているのは親のことだということ、
そこのところを「大人」になって分かってほしい。
一度は自分もJWだったから、母の気持ちも言い分も分かる。
それにしても、、、その言い分を聞いているとどうしても芝居がかってるとかんじてしまうんです。愛している、とか、毎日が辛いとか、死んでしまいたいとか、
うう~ん。
これって、やはり、長年JWやってるとものみの塔口調になるのか、それとも考えることが、ものみの塔の台詞でしかないのか、その両方かもしれませんが、とっても気になります。向こうは一世一代の説得をしているつもりなのかもしれないけど、こっちは、相手がものみの塔か書籍を棒読みしてるような、そんな気にさえなる。
愛しているのよ
という、言葉を発する前に愛とは何かとか、少しでも考えたことがあるんだろうか。エホバはあなたを愛しているのよ、とか会衆はあなたを愛しているのよ、とか、エホバが悲しむ、会衆がかなしむ、霊がかなしむ、私を苦しめている、会衆や私の気持ちにもなってみて、
とか、私にはどうしても子供が駄々をこねているようにしか見えない、聞こえないのです。
自分の子は(真理を離れたら、明日にもくるかもしれないハルマゲドンで滅ぼされるから)死んだも同じ。とか言う。
これは世の雑誌で読んだ話だけど、がんに侵された小学生の男の子が、延命のために足を切断しなくてはいけないという話があって、
その子は「僕はサッカーが好きなので、サッカーのために治療もがんばってきた。やっぱり最後の日々は病院で寝ているより自分の足でサッカーをしていたいから、延命のための手術はしたくない」というんですが、親はそれを受け入れる。という経験談がありました。
子供を「愛している」親なら子供と少しでも長く一緒にいたい、だから足の切断もしてほしいと思うかもしれないけど、子供を愛しているから子供の意思を尊重する。これが普通なような気がします。
JWを辞めると死んだも同然というのなら、本当に死に直面している親子を考えてみたことがあるんだろうか、と思います。
延命治療は辛く、長く、しかも効くかどうかわからない。延命治療をしていたら、時間も体力も取られ他の事が何もできない。子供も作れないかもしれない。だったら残された日を思いっきりすごしたい、という選択だってあるはず。
普通親はそれを「残された親の気持ちにもなってみろ」とか「あなたがどんなに回りの人を悲しませているかわかっているの」とか「利己的な願望を追い求めている」とか、言うだろうか。。。
JWに例えてみると、JWでいたら(JW教理の上では)ハルマゲドンで救われるかもしれない。でもそれは最後の試みだとか、日々の生活でダメになることもおおいにある。
それに引き換え毎日の奉仕、集会、仕事の制限、精神的な苦しみ、結婚や家族を設けることの極端な制限、世の中との摩擦、、実際に「普通」に生活できないので、ハルマゲドンで滅ぼされるかもしれないけど、自分の人生を精一杯生きたい、自分の家族を持ちたい、親を悲しませて申し訳ないけれど、でも行かせてほしい。
と主張する子供とどこが違うんだろう。
同じくJWを辞めることで子供は死んだも同然と思っていても子供の選択した人生を尊重する、という概念はJW親にはないのだろうか。と思う。
私は親にJWを辞めるくらいなら死んでてくれたほうがよかった、と言われた。これは他の子供が離れたJW親たちがたまに口にすることなので、あまり驚かなかったけれど、やはりこういう発言をされると、エホバの証人という宗教がいかに人に有害かしみじみ思いしらされます。ね。
信仰を持っていて死んだら復活の希望があるからいいけど、今、生きていてJWを捨てると復活がないし、ハルマゲドンで滅ぼされるので希望のない、死んだ状態と同じ、
という意味なのだけど、輸血で死んだ、とかそういうニュースがあると、JW内では「離れた子を持つよりは信仰をまっとうして死んだ子を持つほうがよい」というような会話が交わされることがある。
自分が子供の頃、会衆のある姉妹が「私の子は死んだ」といっていたので、本当に死んだんだと思っていた。後で普通に生きてるところを交わりで家にお邪魔したとき知って「あれ、死んだんじゃ、、」とびっくりしたんだけど、
ふつ~に元気なお嬢さんがいた。元気に挨拶して家を出て行ったけど、
今、あの子の気持ちが分かる、、
ところで、先にあげたがんにおかされた男の子の話だけれど、その子は「僕は今まで生きられて十分幸せで満足してるんだけど、お父さん、お母さんが悲しんでいるのを見るのが一番辛いです。ぼくが行った後も悲しむのかと思うと気がかりです。僕はそんなに不幸ではないことをいつの日か分かってくれるといい。」といっていた。
同じように、自分の感情ばかり大切にするJW親も、離れてゆく2世が一番心配して、辛く思っているのは親のことだということ、
そこのところを「大人」になって分かってほしい。