先回の記事でどちらを選択しても罰を受ける八方ふさがりの状態とその葛藤から来る害「ダブルバインド」について書きました。
エホバの証人の中では沢山のダブルバインドが存在していて、それが精神的苦痛を生み出し精神疾患の元のひとつになってるのでは、と思います。
●ニーズが先き
キリスト教の概念に薄い日本人がエホバの証人のようなハードコア(?)クリスチャンになれるのはなぜ?と思う方もいらっしゃると思います。
元からキリスト教に関心があってJWになった一部の一世を除き、私の母のように家族生活に役立つと言われて軽い気持ちで研究を始めた主婦層が比較的多いのが日本のJW。「信仰」どころか「あいうえお」も読めない子供2世がどのように「JW的信仰」を得てゆくのか、、
マインドコントロールが解けてから、それこそ一夜にしてJWの頃持っていた信仰がなくなった私は、自分の「信仰」って何だったのかな、、と考えざるを得ませんでした。
マイコンが解ける一夜前はいわゆる「死も辞さない」JW信仰を持ってた(はず)なんです。。
今思うと、私の2世としての信仰は
エホバの証人のダブルバインドの産物だったのでは、と思のです。
脱JWした人たちのブログやHPを見ていると脱JWした2世で新しい信仰(特にキリスト教)に向かう人の少なさを感じます。自分もその一人です。
世の人はよく「自分は信仰の必要性を感じたことがない」とか「何かに頼る人の気が知れない」「宗教は弱い人のものだ」といいますよね。
私はその発言に一部賛成で一部不賛成です。
民族虐殺や不治の病で死んでゆく子供たち、人間に摂取虐待される動物たち、破壊される自然、、、こういう一人ひとりの力が及ばない問題を見るとき、解決策としてやはり人間は超自然的な存在又は神に頼らざるを得ないと思います。
そうでなければやるせないですし、自分には出来ないから関係ないというのはあまりにも非人間的。
では個人レベルでは?
というと、今の私には苦しいときの神頼みの精神(?)はありますが、エホバの証人のような「全てを捨てて」修行のような信仰は、、出来ません。
正直になぜかというと、、需要がないんです。
JWの頃はエホバの証人でいるニーズがあったんですよね。
それは「ダブルバインド」によりどんなに頑張っても挫折失敗するように仕組まれていて日々罪悪感を感じ、その結果どうしても許しが必要で、救いが必要で、「神の組織に身を寄せて」生きる必要が出来たから、
ではないか??と思うのです。。
親も会衆の長老も、ものみの塔も「自責」に比べればゆるいです。上の3つがいくら頑張っても隙間が出来る。でも「自分の良心」なら、24時間休みなしに責めてくるわけですから。。。
自分が一番の敵とはこの事です。自分だから容赦ない。許しがない。時に罪悪感はストップすることを知らない、
そんな感じですね。
神がそれを救ってくれることを願うのみ。
こんな感じ。
私の信仰はニーズ(ものみの塔のダブルバインドによる罪悪感)がなくなったので供給も必要でなくなった。
それだけ、という感じがしてきました。
罰を与えるのが目的の「ダブルバインド」ですもんね。
●ヨーロピアンのキリスト教も同じ原理??
罪をクリエイトすることによって罪悪感を感じさせ、いろんなレベルで一般人をコントロールするというやり方は特にヨーロッパのキリスト教歴史で行われていた、というとキリスト教の方に怒られるかもしれませんが、
私はそんな風にも思います。
原罪という考え方ですね。
エホバの証人の場合原罪にはあまり注目しないのですが、その代わり個人責任での罪(例えばマスターベーションなど)が異常に問われます。
自分という人間が恥ずかしい
自分という人間が恥ずかしさで直視できない
存在していることが罪なような気がする
神を利用したダブルバインドは往々にしてこんな感情を生み出すもの。
今でも多くの現役JWがこんな風に自分を思いながら、
日々生活しているのです。
そのとおりだと思いました。
最近思うのは、聖書自体が自己増殖機能をもつ意志をもった生物のようなものだと感じています。
いろいろ宗派はあるとは思うのですが、いずれにしてもそれに人がつき動かされているような気がして、恐さを感じています…
>民族虐殺や不治の病で死んでゆく子供たち、人間に
>摂取虐待される動物たち、破壊される自然、、、こ
>ういう一人ひとりの力が及ばない問題を見るとき、
>解決策としてやはり人間は超自然的な存在又は神に
>頼らざるを得ないと思います。
僕はこういう問題に関しても、人間の力でどうにかしないと、と感じています。「人間は無力だから神に頼れ」と教えられてきたことへの反抗なのかもしれません。「人間の力で世の中は良くなる」というのが、JWをやめたあとの僕の人生のテーマのような気がします。まあこのあたりは、人それぞれということで・・・。
エデンの園での最初の人間の失敗から始まって、ことごとく失敗を繰り返していく人間。そして今現在の状況が理想(エデンでの楽園生活)とはかけ離れていることを理由に、無理やり神が必要であるかのようにしむけて、神なしではやっていけないと錯覚させられていた…本当は自分でやっていけるのに
しかも、ダブルバインドによって、罪人であることを
嫌でも確認せざるをえなくしてますよね。
何をやってもあかんちゅ~て~、ど~せ~ゆうんか――!!ですよね。
またエホバという神は、自分につかせる為にサタン(悪)をうまく利用しています。いい事は自分から、悪い事はサタンからでているというんだから、サタンもいい迷惑ですわ。体のいい引き立て役です。
宗教が生み出したものを見ると、確かに良いものもありますが、不完全すぎて、やっぱり人間の業だと思います。
結局、人間の良心=神ではなかろうかと思います。
(宇宙を創造したなにかとはまた別です。)
そのほとんどがどうしようもなく自分を責めるもので、中には「こんな自分が許せないから死にたい」というものも。
心の平安や救いを得られるはずの宗教が自分を無価値に感じさせるように仕向けるというこの矛盾に、現役の時は気付かないんですよね。
みる。とか、経験者に対して、敬意を表す、
うんぬん、との記事だけど、現JW時代に、元長老に
何と言われたと思いますか?経験なんかクソにも
約に経たない!と奉仕の集まりで言われ恥をかかされ
ている。聖句の適用など、する人はいない、
記事は何とでも書ける、でも、実行は組織はしません。口ばかり、達者、小説みたい、理想と現実をはき
違えているのに。騙されない。ウソばかり、
個人的な思い出で申し訳ないが、そんな状況をある長老が嘲笑気味に話してたのを思い出します。
JWで言う健全なクリスチャンとは、無神経な人間か黒を白と言える位の腹黒い人間しか務まらんのでしょうな・・・
まあ、それならこの世で健全に生きてた方がメリットありますよ、「真面目な」人間の需要は大きいですから。
特にこの部分です
>民族虐殺や不治の病で死んでゆく子供たち、人間に摂取虐待される動物たち、破壊される自然、、、こういう一人ひとりの力が及ばない問題を見るとき、解決策としてやはり人間は超自然的な存在又は神に頼らざるを得ないと思います。
このようなこの世の不条理に敏感な方、そして
日本に於いてはご主人に省みてもらえないやるせない思いを抱えていた人たちが、グラインドコアJWになるのかな~と思います。
そして、自らの罪深さを自覚する事も、傲慢な人間にならない為に必要な思考だとは思うのですが、JWレベルになると人格を崩壊してしまうのかもしれません。
組織からの責めの代表として、年鑑の経験、大会での経験などがあるんじゃないでしょうか。”個人研究バリバリで霊的にスゲー幸せ入ってるんだけど!学校、職場で立派に証言かました!必要の大きな所で産出的な奉仕しまくりなんだけど!”みたいな話を聞くとイノセントなJWはあぁ彼らに比べて、私は駄目な人間だ、神様お許しくださいと感じてしまうかもしれません。
では、何も、「ものみの塔」の知識のみが、唯一
正しいと言い張るのは、おかしい。
過去は「訂正」だらけの、出版書籍、「聖書」に
しても、幾国誤訳。があるのです。
「組織」で選択したものだけで、JW使用。
C、T、ラッセル兄弟は、エジプトの占星術を行った
と聞きます。ピラミットの構造に関しても、個人的
見解みたいだし・・
真面目なJW2世の方々を、さまよわせて、けしからん。
罪の意識を異常に持たせて、信仰を強制する組織、
神は世の人間にも恵みの雨を降らせている。
神は公平です、罪深いのは、完全性を強調する、
人間の地上の「組織」だと思う。
はずです、毎日同じ聖句を朝、昼、晩、読むのでは
呪縛になる。この繰り返しは、当然のこと、
暗記させ、まるで、ものみの塔」が唯一の「キリスト
教」と信じこませるのに成功する。
伝道は勧誘に等しい。しっこさ、は有名で、創価学会
さえ行わない、
もう、伝道を広げないと、長老は言いました、なのに
今は、伝道に力を入れているのでは、.
これでは、いかに、組織がでたらめ、かハッキリです。
集団虐殺は、責任をとらない、殺された者は「組織」
を信じない。殺人は、重大な罪、ごまかし、を
知っているJWは同罪になる可能性もあるのです。