パーフェクトワールド

現在はゆっくりの更新ですがよろしくお願いします。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

★ バッグの中身は‐ジーザス!

2010-09-23 23:06:00 | ●キリスト教/聖書

先日ケーブルテレビでバッグの中身を見せ合う番組をやっていて、ちらっと見てみたら

アメリカのティーンがヴィトンのバッグの中身を見せてくれていて、


その子のバッグには、軽い感じのティーンらしくI Phoneやらキティーのデコノートやらコスメやらヘアアイロンが入っているんです。


しかし。その持ち物の中に「イエスキリストのイコン絵」というカードが入っていて、それを見せる時に「私はイエスを世界のだれよりも愛しているわ!」

と言うんですよ。これが。


私のバッグの中身はこのティーンよりも質素で堅実(?)だがイエスキリストのカードは入っていない。。。。さて神はどちらのバッグを選びたもう。(笑)


何をしてこの軽い感じのティーンにこれほどの(?)信仰を持たせるのか?

この子は楽しいティーンライフのどの辺でイエスキリストの事を考えているのか。。


ブランド物の財布をうれしそうに見せるこのティーンが私には遠く、とっても偉く見えました。

コメント (10)

★ キリスト教の壁

2010-09-03 12:41:35 | ●キリスト教/聖書

 エホバの証人と話していて「JWでも大学教授や医者がいる。」と言われるといつもちょっと言葉につまってしまいます。

自分が現役時代もそうだったのですが、医者や大学教授も信じているんだから真理だ、と思っているんでしょうね。

特に自分の会衆に医者、教授系がいる人は信仰が堅い。(笑)


しか~し、やはり「なぜ医者や教授でもJWでいられるの??」という疑問があります。


最近「バカの壁」の著者 養老孟司さんと河野和男の対談を読んだ時に「インテリジェントデザイン」という思想?運動?がある事をしりました。


対談ではインテリジェントデザインについて

「宇宙や生命の精妙なシステムが出現するためには、そこに超越的な知性をもった設計者(デザイナー)がいたとする論。

米国でも創造論を公立学校で教えることは違憲であるので、聖書に書かれている天地創造から宗教色を薄め、神の名を直接出さずに科学のよそおいをまとってダーウィンの進化論と対等の地位を与えようとするキリスト教保守派の一戦略と解されることが多い。」


と紹介されていました。


ウィキペディアでの紹介はこちら。


ウィキペディアからも最初の部分を引用させていただきます。


「インテリジェント・デザイン(「知的設計」論、intelligent design)説とは、知性ある設計者によって生命や宇宙の精妙なシステムが設計されたとする説。しばしば、ID(アイディー)と略される。

 旧約聖書から大きく影響を受け、宇宙自然界に起こっていることは機械的・非人称的な自然的要因だけではすべての説明はできず、そこには「デザイン」すなわち構想、意図、意志、目的といったものが働いていることを科学として認めようという理論、運動である。

 聖書信仰を基盤に宗教的な論説の創造科学から宗教的な表現ではなく、一般社会や学校教育などにも広く受け入れられるように意図したもので、近年のアメリカ合衆国で始まった。


 宗教色を抑えるために、宇宙や生命を設計し創造した存在を「神」ではなく「偉大なる知性」と記述することが特徴である。これにより、非キリスト教徒に対するアピールを可能とする。また宗教色を薄めることで、政教分離原則を回避しやすくなる(公教育への浸透など)。


 ギャラップ社の世論調査によれば、アメリカ国民の4割近い人々がこの論説を信じているとの調査結果もでている。」


以上ウィキペディアからの引用おわり。


エホバの証人の雑誌で取り上げられるとしたら、「私たちは神の名を知性という名に置き換えてその御名を薄めたりはしません」「故に私たちはインテリジェントデザイン論には賛同できません。」くらい書きそうですが、


一方で紹介することにより「やっぱJWってただしいのかも。他にもこういう事を認めている人が沢山いるみたいだから?」って読者の心理を誘導するのにもってこいな論ですね。



まあ、元からそういう使い方をしたいためにできたキリスト教の「自作自演」「さくら」「ダミー会社」みたいな論なのでしょう。


お話は元に戻りますが、その対談の中で河野氏がこんな発言をしていたんです。

以下引用させていただきます。

河野氏「アメリカの進化学者は非常に発言に臆病になっているところがあります。アメリカのキリスト教保守派というのは、今はやりのインテリジェント・デザインなんですけれども、われわれから見ればめちゃくちゃな理論です。

ところが多くのアメリカ人には非常に説得力があるんです。

進化論者の中でも異論があるという事を進化がなかったことにすりかえてしまうんです。


(略)

反進化論者は日本にも一部いますし(略)95%の人は進化がなかったなんてことは言いませんから、比較的自由に論議できるところはありますが、アメリカなんかはものすごいことになっています。

これはどうなっているんでしょうかね。」


河野氏「科学者でバリバリやってる人は創造論やインテリジェントデザインなんて信じないかというと全然そんなことないですね。

(略)科学者で活躍している人の中で実は自分は創造論者なんだ、という人はいます。」


養老氏「僕はアメリカの本はよく読むんだけれど、最近やっと分かるようになりましたよ。あ、これは何かに遠慮して言ってるな、と。(略)


河野氏「科学的なことは書く場合に宗教的なものを意識して抑制がかかるということですね。」


以上対談からの引用終わり。



この対談を読んで、

「あ、やっぱりエホバの証人とか元エホバの証人じゃなくてもキリスト教のマインドコントロールにかかっている人は世界に沢山いるんだな~」

と納得しました。


だから教授や医者や偉い学者さんなんかでも平然とエホバの証人でいられたりするのかもしれませんね?


三つ子の魂百までという事なのでしょうか。


科学と宗教、ビジネス(富の享受や追い求めること)と宗教など、まっさらな頭で考えると両立できないような考えが


キリスト教の教えに縛られた人は理論のほうを捻じ曲げてでもキリスト教の教えを守りたい。


元JWならよ~く分かります。が、捻じ曲げないで「やっぱり両立は無理?」とあきらめるほうが精神衛生上いいです。


P.S. 私は進化論が正しいとも創造説が正しいとも、今のところ意見はありません。宗教が自分の宗派が正しいと人を誘導するやり方にのみ意見があります。
コメント (6)

★ 岩窟の母とヨハネ一考

2009-04-13 20:08:12 | ●キリスト教/聖書
※この記事は2009年1月29日に書いたものです。


前回のトリノ聖骸布の続きです。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「岩窟の母」Modonna of the Rocks―という絵があるのですが、

オリジナルと言われている一枚目(写真)はパリのルーブル美術館に、

そして書き直しを命じられて制作された二枚目がロンドンにあるらしいです。

こちらのサイトで、両方の絵が見られます。

疑問に思っていたのはこの一枚目の岩窟の母で、真ん中に「聖母」マリア、マリアの近くにいる赤ん坊が普通イエスだとすると、マリアから向かって右のみ使いウリエルの近くにいるのがバプテスマを施す人ヨハネとみるのが普通。

だとすると、なぜイエスがヨハネに向かってひざまづいて祈っているのか。

(このイエスのひざまづきかたは、映画ブルースブラザーズで、ジョンベルーシが昔捨てた婚約者に復讐される時に思わずとった懇願ポーズを思い起こさせます。Pleeease!)


それからマリアの宙をつかむような不自然な左手のしぐさと、すぐそのしたにあるユリアの指をさしたようなポーズもへん。

なぜ洞窟なのか、とか、後ろの岩がペニスに見えるとか、そういうストレートな違和感もありますが、


マリアの左手はなにか見えない頭をホールドしているように見えるし、ウリァはその首のあたりをカットする「首切り」のような格好にも見えます。そう見るととても気持ちの悪い絵に見えますが、


これはウリエルの横(下あたり)にいて、イエスを祝福しているような格好のヨハネの首が、後に切られることを示唆していると、どこかの解説でよみました。


疑問は、なぜ、この絵のすべてがヨハネに注目しているのか、ということです。


宗教画なら、イエスを高める絵であるはずなのに?


そこで、先回紹介した本の最後の部分で「ヨハネ信仰」というものが存在していたという記述を見つけたのです。
(本のリンクは先日の記事にあります。)


p280 

「実際、新約聖書の中にもヨハネが本来イエスの露払いをするだけの存在ではなかったことを示す証拠がある。「使徒」の書にはパウロが初めてコリントとエフェソスに到着したとき、洗礼者ヨハネの教会があるらしいと知って驚いたと記されている。

そこでパウロは自分が、そのヨハネの後にくると予言されたイエスの代理人であると住民が知れば、住民は喜ぶに違いないと考えた。ところがさにあらず、住民はその予言についてはまったく知らなかったのである。」


A.N ウィルソンは著者「イエス」(1992年)の中でこのエピソードを取り上げ、「仮にパウロが使徒を書かなかったとしたら、今日ヨハネ派の人々はヨハネこそ神だと信じていたかもしれない。」と書いた。


実はヨハネを神、または神に近い役割を持つ古代の祭祀とする思想は古くからあり、今日でもヨハネの書を聖典とするイラクのマンダヤ教、錬金術の秘密結社、切断された首を崇拝するテンプル騎士団、フリーメイソン、そしてもちろんシオン修道会もその一つである。


引用終わり


え~ ヨハネを信仰する集団が、それもイエスの時代からあったなんて知りませんでした。


あとでレオナルド・ダ・ヴィンチ自身、ヨハネ信仰者だったという説も目にしました。


つまり、この絵を描いたレオナルドは、キリストをヨハネにひざまづかせることで
ヨハネこそメシアだったと言いたかったのかもしれません。だとするとこの絵はつじつまが合います。

さらにこの本には以下の記載がありました。


以下また引用

「そしてシオン修道会はマグダラのマリアを崇拝し、女神イシスを崇拝している。一見ユダヤ人がエジプトの地母神とつながっているなどということがあり得るだろうか。

しかし、アメリカの文化人類学者カール・ラッカーなどの最近の研究によってヘブライ人は当初から厳格な一神教を信じていたわけではなく、崇拝の対象を男神だけに断定していたわけではない証拠を示す証拠が提出されている。

(ええ~!)


エジプトとエチオピアには間違いなく異端のユダヤ人がおり、エホバとならんで女神を崇拝していた。」

以上引用終わり。


これを読むと、イエスがメシアではなく、ヨハネがそれだった可能性もあり、そっちの可能性を信じて、今でもヨハネを信仰している集団もあり、


さらに、詳しく読むと、ヨハネの「私の後にくる方は私より偉大」のセリフはイエスをメシアと断定したい「イエス派」の改ざんで付け加えられた一節であるという主張もあるらしいのです。


エホバの証人をやめてから、今まで聖書の中で常識とされていたことは、実はそれらとはまったく逆ということもあり得ると思ってきましたが、最近はヨハネについても、ヨハネがメシアという可能性はなかったんだろうか?とふと思っていたので、

他にもそう考える人がいるんだなあ、、と思った次第です。


ユダヤ人が最初から一神教ではなかったという証拠ですが、それはまた別の機会に調べてみたいと思っています。
コメント

★ トリノ聖骸布

2009-04-13 20:06:33 | ●キリスト教/聖書
※この記事は2009年1月22日に書いたものです。


現役時代、「トリノ聖骸布」という磔刑後のキリストの体を包んだという布について聞いて、恥ずかしながら信仰を強めてしまったことがありました。

(布の画像についてはこちらのサイトが詳しいです。
Shroud of Turin )

この布にはキリストとされる手足に傷のある男性の象が焼き付けられていて、それはイエスが死んだあと、イエスを包んでいた布であったとつたえられているのですが、

どのようにその布にその像が写ったかというと、たしか、「(その人から放出された)爆発的なエネルギー」によるものだ、とかなんとか言われていました。


キリストなんだから、なんとなくさもありなん。(笑)と思い、納得していました。


やはりイエスは実在していて、聖書にあるとおり杭にかけられて死んだんだ。だから聖書は正しいんだ。みたいに思っていました。


ところで、、ものみの塔のこの布についての見解はいつの時代も、ノーコメント的な姿勢でした。(笑)資料を見てみると、この布の信ぴょう性についてあまり断定できなかった頃の記事は「わからないけど、どちらにせよ、とにかく偶像礼拝はいけない。」とありました。


結論から言うと、最近の研究では、この布は西暦後1300年ぐらいのもので、偽物のようです。

ポイントとなる男性の残像(ネガ)はどうのようにして制作されたか、については


トリノ聖骸布の謎 リン・ピクネット という本で著者が実際その手法を使ってネガを作る場面があります。

誰が、なぜ、そんな特殊な方法を開発してはで作ったのかなどなど、なかなか面白かったので、機会があったら読んでみてください。


長年なんとなく(笑)信じていた聖布ですが、また一つなぞが解けたなあ~と私的にはちょっとした事件でした。


さて、この本の中で偶然、もう一つ長年疑問に思っていたことが取り上げられていたので、次回に続く。。。
コメント

外典

2009-02-18 22:11:18 | ●キリスト教/聖書

脱JWをして、この時点で、キリスト教にも他の宗教にも、神という概念にも信仰を持っていませんが、今まで絶対の信頼を置いてきた「聖書」というものの、素性を知りたいと思って時間がある時に色々調べています。

私はあの、JW時代使っていたものだけが聖書というのだと思っていたのですが、

それ以外にも外典偽典と呼ばれる、いわゆる、かつては聖書の一部だったと思われるものが存在しているらしい!

と知った時はちょっと衝撃を受けました。

一応外典について、Wikipediaではこんな説明がされています。

以下引用:

外典(がいてん、Apocrypha)とは、ユダヤ教・キリスト教関係の文書の中で、聖書の正典化作業の際に正典のリストに加えられなかった文書を指す。経外典(けいがいてん)とも。 アポクリファとは、ギリシャ語のαπόκρυφος(隠されたもの)に由来する言葉である。

正典と外典

文書の成立時点において正典・外典ということが意識されていたわけではなく、正典か外典かということは後代の人において判断された。ある時代において聖書の正典を選択した人々が、文書の内容をどのように判断したかということによっている。


引用終わり~

つまりどこかで、誰かにより端折られたのが外典みたいな感じですか?

その中には信ぴょう性の薄いものもあるらしいのですが、なぜ聖書枠に入らなかったのか理由が分からないものもあるらしいです。
(参考:「ナグ・ハマディ文書1」荒井 献 他 岩波書)

ヘブライ語で書かれていないのは偽、という見方もあるようですが、聖書から外されたものの中にはキチンとヘブライ語で書かれていたものや、原文がヘブライ語で、後に他の言葉に翻訳されたもの、エジプトなどの敵国にいたため、別言語で書かれた背景があるものなどがあるらしく、

一概に言語問題が信憑性にかかわっているとは言えないみたいです。

で、外典の内容をダイジェストで読んだ私の感想は、

イスラエル人の一神教を否定するエピソードや厳しい規則から逸脱したような状態があったことを表すエピソードがある書は抹殺されたのかな、という印象を受けました

もし!エホバの証人の統治体が聖書を編纂するとしたら、そういうことって起こりそうな気がしますもん。えへへ

具体的には、旧約外典偽典概説 レオンハルト ロスト 著 という本を見ると

外典の一つ「ヨベル書」の中には

「アブラハムはイサクの誕生日に仮庵(かりいお)を地上ではじめて祝った。」

というくだりがある。

聖書の中でもヨブが「自分の日を祝っていた」とありますが、イスラエル時代もやはり誕生した日はふつ~に祝われていたのではないかな?とこれを読んで思いました。

(JW的なところについつい引っかかってしまってすみません。


特に印象に残ったのは、イスラエルの中でも命にかかわるような場合や緊急の場合、安息日などの決まり事がちゃんと大目に見られていたエピソードや(輸血で殉教も辞さないエホバの証人はこういう所に注目してほしい)、エホバ以外に他に信仰されていた神がいたこと、魔術や心霊術などの使用などなど、

ファンダメンタルなキリスト教を教える人なら「なかった事に」したいエピソードがたくさん出ていること。

あと、聖書学者が「これが外典っていうならソロモンの色ごとを描いた書は一体なぜ聖書に入っているのだ」と書いている本や記事があったので、

やっぱりみんな、ソロモンに関しては思うことが同じ

と変に納得してしまいました!
コメント (6)