パーフェクトワールド

現在はゆっくりの更新ですがよろしくお願いします。

★「1984」考再び。。。

2009-10-15 23:05:48 | ●2世問題

「1984」と言えば、村上春樹さんの「1Q84」の続編が出るみたいですね~。

読後「え、これで終わり~?」と思ったのでなんとなく納得です。


それはそうと!

ジョージオーエルの「1984」の記事を書いたあとにもう一度「1984」を読む機会ができました。

(前回のジョージ・オーエルの「1984」の記事はこちら。)


読んでとても引っかかったのが主人公が惹かれる女性ジュリアの描き方でした。


主人公は体制に不満を持っているので、体制の中で活動的なジュリアを憎んでいます。

彼はジュリアと一度も話した事がないのに「ああいう女が自分のような人間を密告する」とか「自分を怪しんでいる」とパラノイアに近い憎悪を抱いています。

ついには次にあったら(自分を守るために)彼女を殺してやるとまで決心するのですが、

はじめてジュリアとすれ違った時彼女からメモを渡され


意外にもそのメモには「好きです」と一言書かれていた。


それであっさり主人公は彼女を好きになってしまうのです。


彼女が主人公の周りをうろついていたのは彼を密告するためではなく単に好きだったからなのですが

彼女も自分がレジスタントだと告白します。


しかし彼女はエホバの証人でいう「ニュータイプ」二世みたいな人だったのです。


「悪いこと」(セックスなど)はしたいので「良いこと」(「1984」の中では政治活動)を沢山してそれを覆い隠す。

自分が熱心に活動していれば周りは自分をほうっておいてくれるから良い活動はたくさんするのだと。

心から信じて活動をしているのでも、やりたいから活動するのでもなく、自分がしたい事ができるように良い活動をするのだと。

そういう事をあっさり言ってのけるのです。



一方主人公は「1984」の中のイデオロギーにまじめに抵抗し、疑問を感じ、人間はこうあるべきではないと葛藤する。

それを聞いてジュリアは「どうでもいい」とか「よくわからない」といって関心を示しません。


ジュリアという登場人物は本当にエホバの証人の中のニュータイプそのものなので、読んでゆくにつれ


社会主義のような体制の中では人が変化するパターンのようなものがあるのかな?と思ってしまいました。



★アーミッシュ2世のドキュメントフィルム The Outsiders

2009-08-28 11:58:31 | ●2世問題
世界の2世特集(笑)

私はハリソンフォードの映画「目撃者」でアーミッシュの生活をみるまであまりこの宗教のことを知りませんでしたが、、

映画のほうは世界の犯罪や悪から逃れて清らかにひっそりと幸せに暮らす人たち、みたいな好意的な書かれ方をしていまいた。

ユーチューブでアーミッシュのコミュニティーで生まれた子供たち(2世)のドキュメンタリーが出ていたので見てみました。


The Outsiders: Amish Teens


少し前に見てもう一度きちんと見直す時間がなかったので少し情報が間違っているかもしれません。あらかじめご了承ください。すみません。


このドキュメンタリーによるとアーミッシュの2世たちは18歳になると世に出るか、アーミッシュの生活を選ぶか決める機会が与えられるそうです!!


これは個人的にびっくりしました。

あそこに暮らしている人たちはエホバの証人のように親の見えない圧力があってそのままアーミッシュの生活を続けていくのかと思っていました。


しかも選択の次期が近付くと「世」を体験する機会が与えられるのです!!!


へえ~。


それでパーティーやらコンサートやらばか騒ぎに参加するアーミッシュ2世が描かれています。

それで世を選択するか、アーミッシュにとどまるか決めるのだそうです。


JWのやり方から見るとずいぶん良心的なような気がしますよね。

もちろんJWと同じように親や長老は子供にアーミッシュの世界にとどまってほしいという圧力をいくらかは「期待」として与えているようですが、

18歳になればどちらかを選択する機会が決まりで与えられていれば子供が信仰を選ばなかった時も両親のあきらめもつきやすいでしょうし

なにより信仰をあとにする若者たちへの気持ちの負担が減ると思います。


もちろんその機会が与えられる前にアーミッシュコミュニティーを逃げ出したり、二重生活を送ったりする2世もいるみたいですね。

それから信仰を去った子はそれで幸せハッピーエンドになるかと思うと、やはり「おかげで天国には行けないけれど。。。でもアーミッシュでも全員が天国に行けるわけじゃないし。。。」

などと一人ごとのようにインタビューに答えている子供を見るとJW界と同じだな~と思いました。


それからアーミッシュコミュニティーにいれば教育が受けられないので家族を去ると決めた少女や、信仰に残る・去るの決定で引き裂かれるカップルなどなど

ここにも2世がいるんだな。。と見ていて身につまされるドキュメントでした。


もちろん同時に信仰を去ることを決めた2世の中には「アーミッシュでなくとも神に受け入れられる」と悟った2世や「本当の自分に罪悪感を抱かなくて良くなった」など精神の解放を経験しているようです。


しかし、もう一つのアーミッシュ2世を扱ったナショナルジオグラフィックのドキュメント「Devil's Playground」では約90パーセントの2世がアーミッシュの世界にとどまることを決めているという報告がありました。

JWの比率からするととても高い確率ですが、どうしてでしょうね?

★ジーザス・キャンプ

2009-08-08 23:09:31 | ●2世問題
 yukikkusuさんがポストしてくれた動画を見ました。

「ジーザス・キャンプ」というアカデミー賞候補にもなったというドキュメンタリ―映画の全編がyukikkusuさんのブログの「ジーザス・キャンプ」というエントリーで見られます。


も~、本当面白かったのでみなさんもぜひ見てみてください!!!

映画評論家のウェイン町山こと町山智浩氏のブログでは:


2004年の大統領選挙で、数々の失政にもかかわらずブッシュが再選された理由を、ブッシュの参謀カール・ローヴは「人工中絶と同性婚を憲法で禁じたいと願うキリスト教福音派がブッシュに投票してくれたからだ」と分析しています


と説明しています。

(町山智浩氏のブログではこのドキュメンタリーフィルムに出てくる「福音派」について短くわかりやすい言葉で説明してあるのでぜひそちらもご覧ください。)


なるほど。こういう過激派的な原理主義者というは意外に多いんですね。


ノースアメリカでは「ハリーポッターは子供に悪魔主義を教える」だとか「同性愛は禁止されるべき」だとか「婚前交渉はよくない」とかエホバの証人の主張を支持するような意見がよく新聞の投稿欄とかに載ってます。


エホバの証人たちはそれを見て一般の人たちもこう言ってるから自分たちは正しい。まともなのだ。」

とよ~く言ってました。

鬼の首でも取ったように。

でもその「一般の人」ってこういう人だったんだ~。


それからブッシュの時代に「学校で創造説も教えるように」と命令が出されたという記事、目覚めとかでよみましたよね!!

あれってこれだったんだ~。なあんだ。。。


また一つなぞが解けた。


(ちなみにブッシュ大統領がエホバの証人はいい人たちだと言ったという噂はあながち嘘じゃなかったかもしれませんね。これだけ原理派を支持ているんだったら。

ブッシュ大統領にはJWと原理主義者の違いが分からなかったかもしれないし、実際あんまり違わないですし。)

さ~て~

ふ~ん何処から感想を言えばいいのかなあ~??


元エホバの証人二世としてはつっこみどころ、いいたい事が多すぎます。


ええと、まずこの教会は子供たちに向けた強化キャンプみたいなのをやっているらしいのですが、自分たちの教えがを本当に信じてるならJWも見習えばいいのに?と不謹慎ですが思ってしまいました。


だってJWの教えって大人向きで子供はそれこそ不謹慎な内容をがんがん聞かされるわけで、それだけでうんざりします。

中には集会が始まると無意識無存在、無我の心境に達する修行を(間違って)してしまう子供も多いのはそんな理由によるところが大きいかと思います。


JWは大人中心に考えすぎ。子供の存在を甘く見すぎです。

だから若者が少ないんじゃないですか?


すみません。後先も考えずにこんな事を思ってしまいました。


さて内容ですが過激な聖書原理主義を子供に教える人たちが取り上げられています。


プロパガンダというものはいつの時代でもこういう風に伝えられてゆくんだなあ。と思いました。

ナチにしても宗教にしてもビジネスにしても。エンターテイメントにしてもです。


それから子供たちは本当に純真ですね。

やる気満々の女の子がいざ「伝道」しようとして女性に近づくんだけど、緊張してどもってしまう。ビラを受け取ってもらったあとは興奮して教会の牧師に報告。

なんか自分や他のJWの子供を思い出して痛々しい気持ちになってところどころ目をそむけたくなりました~。


それにしてもここに出てくる教会の指導者は悪そうな臭いがぷんぷんする。。

なにか、悪い冗談か「ナチュラル・ボーン・キラー」みたいな映画でも見ているような気分になりました。


付け足しておきたいのですが、アメリカのエホバの証人はこの人たちと同じ単語を使って同じような感じで話しますよ。。。

なんかみんな同じですね。



この熱狂のジーザス・キャンプにおいてエホバの証人二世のように冷めた子はいたんだろうか?と思いました。

★母と娘の境界線~。

2009-05-19 23:12:38 | ●2世問題
「問題のない母と娘などいない」

なんて言葉があるらしいですね。


私も母とは確執があるのですが、ちょっと前まではそれがエホバの証人であるがゆえだ~!と思っていたのです。

が、世間の本などを読むにつれ、母と娘というのは一般の世界でも問題が起こりがちであることを知りました。


エホバの証人である事はその問題をさらに複雑化させてる。と表現したほうがいいのかもしれませんね~。


こんな事を書くのも、親と向かい合って親を脱Jwさせた人たちのその後の幸せそうな姿を読んだり見るにつれ、「自分は一番大切な親とも向かいあえてない。一番大切な親を脱JWさせない限りは本当の親子になれる日はこない」と

いつも心のどこかで後悔したり後ろめたさや焦りを感じたりしていたのです。


そんな時、脱JWされたものの、組織に娘さんを残された元姉妹から経験をお聞きしました。

その元姉妹は娘さんに目覚めてもらおうと努力したそうですが、そうするごとに娘さんは心を固くされたようです。

しかしある時その元姉妹は「娘の信仰を尊重しよう」という気になられて、それからは娘さんの態度もやわらかく、そして家族の仲も戻ったという経験でした。


「他人を尊重する」というのは自分自身、おもに男女の関係で学ばせていただいたな~。とわかったつもりでいたのです。

カップルであるというだけで相手から個人としての境界線がなくなってそれに辟易したりですね、またある時は愛という名のおせっかいでこちらが誰かを追い詰めたりですね、

そういう経験です。

(その節は申し訳ありませんでした。


しかし、それを母と娘の関係においてあてはめる事がすっかりきれ~いに、まるで計ったように忘れられていたのです。


母には母の信仰ってものがあり、私もそれを尊重するべきなのだろう。か。?

ということです。


自分が扱ってもらいたいように他人― ことに母を扱うべきならばそうするべきなのでしょう~。

心はまだもやもやしていますが、



これからはあまり組織の話が出てきたら組織を批判したりして相手を刺激しないようにすれば、、いいのかな?

脱JWしていたのに、JWのころやっていた事そのままリバースで繰り返していたなんて事のないようにしなければなりませんね。


(まあ。。。相手も悪いんですよ。

2世が信仰をもつのは可能?

2009-02-26 21:59:00 | ●2世問題
2世って信仰を「培う」(笑。)ことができると思いますか??


現役時代は「信仰を持っている」と公言できる2世がうらやましかったですが、
私はついに現役時代に信仰を感じたり持ったりすることがありませんでした。

が、今は2世が信仰を持てるのかどうか、それ自体疑っています!!


世の中には親の信仰を継がなければならない人種はJW以外にもあると思うのですが、イスラムみたいに国ひとつがすべてその世界観に従って存在しているようなところやカトリックのように信仰をもっても人生がそれほど影響されない。

そんな種類の信仰と比べるとやはりエホバの証人2世がこの世の中で信仰を要求されるのは特殊な状況だと思います。


住んでいる世界が一つの宗教でなりたっているならその国民として生活することで信仰となるのだろうし、欧米のキリスト教のように人生が信仰の犠牲にならない程度の位置にあるなら「その宗派を支持する」程度で「自分は信仰を持ってる」といってもいいだろうし。

しかしJWが要求する信仰は難しい。

そういう種類の信仰は、それ無しで人生を経験してみないと生まれてこないように思います。

それなしで、というより2世は「人生」さえ経験してないですからね。

恋愛も結婚もしない、学校にも仕事にもいかない。本気で夢を追うこともないから、本気で挫折する機会もない。他の宗教の人々と交わる事が禁止されてるから人間関係もない。

これじゃあ、信仰なんてもつのは無理です。


信仰って誰かにすがり、頼ることじゃなくて悟りのようなものだと思うのですが、
そういうものを得るにはゲームでいえば「経験値」みたいなものを積むことが
必要なんですよね。

経験値が足りないと使えるアイテムが少ないとかある程度のパワーしか出ないとかね。

ゲームでは経験値をあげるために、ただゲーム世界内をぶらぶらしたり、つまらないゲームを繰り返したりするみたいなんですが、

一見時間の無駄に思えるそういう無駄な時間が経験値につながってく。

人生もそれと同じだと思います。


2世は経験値が少ないまま、経験値をゲットする行動も禁止されてボスキャラ
を倒さなければいけないゲームをさせられてるようなもんですよ!!


ドイツの社会学者エーリッヒ・フロムが「人生とは全てを経験することである」
と書いていたと思うのですが、


たとえば恋をして初めて恋愛についた本を本当の意味で理解できるようになるように、

信仰も人生を生きて初めて理解できる概念であるはず。


だから、自分には信仰があると公言する2世は、やはり何か勘違いしているのだと思うし、信仰が持てなかった自分も変ではなかったのだ、むしろ自然なんだ。

と思うようになりました。

だから、Wを出てから聖書を読んだりしても少しも心が動かない私ですが、それにはまだ経験値が足りないということで別にいいんだ。と思うのです。

ちょっと脱線。ベストセラー??

2008-06-23 05:25:27 | ●2世問題
ムチの話題、これが最後の記事といったのに調べていたら色々出てきたので続きます。

スポック博士の育児書について調べていたら、「ベストセラー本の一覧」というのがひっかかりました。ものみの塔でもおなじみ(?)のスポック博士の育児書はどうやら世界のベストセラー一覧入りしているらしいのですが、、


あれ

他にも見慣れたタイトルが。。。


●神はわたしたちに何を求めていますか 著者エホバの証人 部数二億


●地上での生活を永遠に楽しんでください 一億3900万


●とこしえの命に導く真理 (う!これも~??)一億800万


●永遠の命に導く知識(サブリミナル絵が載ってるやつですよね。)9300万

え~!!!まだあるの???


●あなたは地上の楽園で永遠に生きられます 4200万

●真の平和と安全-どのように見いだせるか 3700万

どうですかっ!!!


まあ、、、JW書籍はただだからベスト「セラー」というのかどうか分かりませんし、


読まないで捨てられたやつも部数に数えてもいいんですか、


とか、会衆の姉妹に引き取られて押入れの中で朽ちてゆく書籍も統計に入ってるのかな、


とか、私の嘘の奉仕報告がこのベストセラー表に反映されている?!とか、


疑問はいっぱいあります。


でもなんか、、すごいな~。私も現役時代は頑張たし。って感じ??



っていうか?神はわたしたちに何を求めていますかって本じゃないですよね。小冊子ですよね。

あの小冊子は嫌いでした!

無力感を学習させるエホバの証人の「むち」教育

2008-06-20 07:11:54 | ●2世問題
はい。また体罰ですか~。すみません、最近思い記事が重なっていて、、書いてるほうも辛いんですが、これがほんとに最後。


セリグマンという心理学者が犬を使って「学習性無力感」の実験をしたそうです。

2つのグループに犬をわけ、犬を固定します。軽い電気ショックが流れるのですが、一方のグループの犬は板を押すと電機ショックが止められるようになっていて、もう一方のグループは何をしても電気を止められないようになっている。

(実験者は後々までこの実験を悔いたそうです。。少量の電気だったそうですが、実験とはいえかわいそうですね。)


この二つのグループの犬を今度は自由にした状態で別の部屋に入れ、同じように電気ショックを与えると、電気ショックを止められなかった部屋にいた犬は、逃げられるのに逃げようとしなかった。という実験です。


この実験で犬は以前の体験から「何をしても無駄」と学び、状況が変わったとしても同じよう率先して無力になってしまう。


エホバの証人の「従順」教育のための体罰もこれと同じような効果があるような気がします。抵抗できないうちに体罰を与えられ続けていると、一人立ちできる年になっても自立の一歩(ものみの塔では「反抗・反逆」といわれているので一定の反対を受ける)という勇気が出ないのも当然です。


(ちなみに、この無力を学習してしまった無力犬ですが、実験者が無理やり犬を動かして逃げられることを示すとしばらくするうちに正常に逃げられるようになったとのことです。


エホバの証人の場合はものみの塔のマインドコントロールがかかった状態で行動することはかなり難しいと思いますが、マイコンさえ解ければ無力感も克服することが出来るという希望が見えますね。)

エホバの証人とダブルバインドその3「体罰」

2008-06-14 04:34:34 | ●2世問題
先回の記事でエホバの証人の体罰(通称「むち」)はしつけのための体罰ではなく体罰を与えるための体罰である、と書きましたが、


こんなブログがあります。

「あなたの子どもを加害者にしないために」
その中の「パワハラにおけるダブルバインド(二重拘束)の構造」という記事があり、(これは職場でのダブルバインドを用いたパワーハラスメントの記事ですが)

こんな一文があります。


以下引用:


要は、徹底的に罰を与えて反抗する気を喪失させることが真の目的であり、その最終目標は、自分の思うとおりに動くロボットを作ることなのである。


しかし、ロボットになれと命令することは非人間的でできないから、そのつど適当に枕詞をつける、それが条件なのだ。


“条件”には、もう一つ重要な役割がある。

条件に合わない行動であれば罰を与えるという、一見“しつけ”のように見せることができることだ。


このように、あいまいな条件は、被支配者を罰すると同時に、“外”に対してはまんまとカモフラージュになっている。これが、この手の支配が、時には隣に座っている人からも分からない所以なのである


以上引用終わり:



エホバの証人の「むち」「体罰」体験や批判が行われるとき、必ずくるのが
現役さんの


「そのおかげで常識が身についた」等の擁護コメントですよね。


これがあるから今までJW体罰について書かなかったといっても過言ではありません。はい。


今思うに、こういう「肯定」意見は体罰というDVの傷を負ってきた2世にとって、またはまだその暴力で苦しんでる人にとって二次的被害のようなもの、ではないでしょうか。


DVやモラルハラスメントを受けている人に向かって「あなたにも悪いところがあるんじゃない?」とか言ったり「お互い我慢あっての夫婦でしょう」などと暴力家庭に戻らせようとする、ああいう人のことです。


アメリカのエホバの証人体罰死についての記事にこんなコメントがありました。

「私はJW2世だけど、体罰を受けたこともないし、他の100人の同じようなJWも知っている。第一こういう事件を起こした人はエホバの証人だと主張するけどエホバの証人じゃありません。」





典型的無神経なコメントです。


まるで、、レイプ被害者の会で「女性にも落ち度がある」「その証拠に私は一度もそういう目にあったことがない」とかって言っちゃってるようなものです。


そこで上の擁護はさんにこんなコメントがついてました。

「私はカトリックで、修道院で育ったけど性犯罪にはあわなかった。あわなかったからといってそういう犯罪がおこっていないとはいえない」


そ~そう~

そうだよ!


体罰でひどい目にあってきたJWに「そういうのは極端な例はあまりない」とか、「自分はうけなかった」(←誰も聞いてないし)とか、

こういう発言でJWの「条件付け」体罰をなかったことにして欲しくはない。です。


以下、アメリカで起きたJW体罰死の記事です。

海外での虐待事件


(こちらでもリンクさせていただいている「元エホバの証人ポータル」サイトのYoshさんの記事です。yoshさんのブログはこちら→ 「雑記」


以下:


エホバの証人の両親が12歳の娘を縛り付け、叫び声が聞こえないよう娘の口の中にタオルを詰めた上、5フィートの電気ケーブルで160回以上鞭打ち殺害するといった事件が起きました。

事件を起こしたエホバの証人夫婦、夫ラリーと妻コンスタンス、には6人の子供がいました。土曜の夜に彼らは夕食に出かけようとしていましたが、コンスタンスの財布の入ってるジャケットが見つからなかったため、ラリーは8歳から17歳までの子供たちにジャケットを探すように命じました。しかし子供たちが一生懸命に探しているように見えなかったため、ラリーは電気ケーブルで8歳の息子レスターを4~5回叩きました。

しばらくしてラリーは汚れた洗濯物が散らばっていてジャケットを探すのが困難になっていることに気づきました。この家では、洗濯と洗濯物の片付は12歳の娘のLareeが担当していました。ラリーはLareeに「ムチの姿勢をとれ」と命令し、さきほど息子を叩いた電気ケーブルでLareeを4~5回叩きました。しかし、Lareeがもがいて逃げようとしたため、ラリーはさらに怒り、2人のティーンエイジャーの息子にLareeをベッドに縛らせた後、Lareeの背中を39回叩きました。その後、妻のコンスタンスも同じ電気ケーブルを使って、20回以上、Lareeを叩きました。

Lareeは叫び始めました。ラリーは息子に持ってこさせたタオルをLareeの口に詰め込み、スカーフでその上を覆い、止血帯のようにスカーフを棒に巻きつけました。さらにLareeのシャツを切り取り、他の子供たちに彼女のパンツを下ろさせた後、ラリーが39回以上、コンスタンスが20回以上、それぞれLareeを叩きました。たくさん叩かれたことでLareeの背中は出血し始めました。ラリーは彼女の縄を解いて彼女の向きを変えた後、おなかと胸をさらに39回以上叩きました。Lareeはその後病院で、複数の鈍的外傷による死亡を宣告されました。

後に父親ラリーは留置所で自身の胸をナイフで刺し自殺を図りましたが、軽傷で済んだようです。近所の人の話では、彼ら家族は静かで人付き合いのない家族だったそうです。隣の住人によると「唯一、ある土曜日に彼らが全員揃って教会に行くのを見たことがありますが、彼らは本当に楽しそうで、機嫌がよく、幸せそうに見えました。」とのことでした。

(シカゴ・トリビューン紙 2001年11月14日 より)


以上引用終わり:


Yoshさん訳をありがとうございます。


原文はこちら だそうです。


他の兄弟たちにこういう暴力にくわわせるのがエホバの証人らしい!(しかも殺している)

私のところも自分の兄弟が体罰用の棒を持ってこさせられたり、参加させられていました。とても嫌な感じです。


ここのお家は死まで至ったのですから、この娘さんの兄弟たちの心の傷もきになります。ただし、兄弟の一人は「(死は)エホバの証人のせいではない」とマインドコントロール的な発言をしています。

これから戦っていかなければならない感情

2008-03-26 04:55:03 | ●2世問題
脱JWして、回りのJWからの圧力を別にすると、、今、幸せです。


でも、JWだったころの名残が根強く残っていて、こういうのとはこれからまだまだ戦っていかなければならないかと思う事柄もしばしば。


特に、「何をやっても無駄」という感情が強くって、何か好きな事をやってるはずなのに途中で興味をなくしてしまうことがよ~くあります。


これは、JW時代の「エホバの前には何も(JW活動のほかは)取るに足りない」って教えの影響だと思うんですが、


エホバの証人ってよく「罪を犯していたら、良いことをいくら行ってもカバーできない」とか教えますよね~


いや~~~嫌な教えだな。。。一回悪いことをしたら、良いことをいくら行っても無駄。

みたいな。。。

たとえばこの教えの後遺症として具体的な例を挙げるとすると、、JWである母を苦しませているから、、その問題が解決するまで何もするべきじゃない、みたいに感じてしまうんです。



あとは王国を第一にしていなければ何をやってもむなしい。なぜなら神はそれを是認されないから、とか成功させないとか、、

「JWでもやりたい事をやればいいじゃないか。淫行とか偶像礼拝とか暴力に関係が無ければ禁止はされてません」とは良く言いますけど、実際には「王国を第一にしている」ならば許されている、の間違いですよね。

しかし!

王国を第一にする、とは?

非常に漠然としてますよね。心の中で第一にしてる、、んじゃあダメ。
つまりは開拓奉仕でしょうね。

私も開拓は長年やりましたが、あれをしてるととにかく体力が取られます。やってたのは20代だったから体力が一番あったときのはずだけど、奉仕いって、バイトやって集会から帰ってくると、、もう立ち上がる気力もなし。

(実際は夜間にかかる仕事をしてました。)

開拓してたら「心」は罪悪感感じないから平安(?)かもしれないけど、ほかの興味を追求する物理的余裕なし。


では、開拓しないで興味の追求をしていると、今度は「王国を第一にしてないのでは」って心がうるさい。からやっぱり物が手につかず。

こんな日々を25年くらいやってた。

そのくせがまだ残ってます。


ソロモンの「すべてはむなしい~。書物を作るのは疲れる~」

とか、、もう、何かやる前から気持ち萎え萎え。。。


そんなのが伝染してしまって、JWをやめた今でも、○○をしたい→でも、、そんなことをやって何になるのだろう→やりたいことをストップ。

ってことがよ~~~くあります。好きな事をやっていても落ち着かないんです。


もちろん、JW家族からの「JWじゃなければすべて無駄」的な突っ込みも拍車をかけてると思うのですが、、実際は自分からいろんな事を始める前から、または途中であきらめていることがほんとに多い。

JWを辞めて、ある程度時間が出来たのに、物事が手につかない、、、う~~ん、やだなああ。


「カルトに子供は邪魔」 おぉぉぉ~お!!!

2008-02-29 07:09:51 | ●2世問題
エホバの証人の親子問題、体罰問題を語る上で、「組織の責任」(体罰奨励時期の圧力)を抜かしては、片手落ち、というか、根本問題の無視!ということで。

70年代、80年代はエホバの証人体罰奨励されていた時代ですね。

ひよかさんのブログ「ひよかのJW自然消滅気」

こちらの一連の記事が、当時の体罰奨励の実態を良く表していると思います。

この記事は、ひよかさんによると「ある長老婦人が大切に持っていらした、かなり前に講演された講演者(たしか巡廻監督)の講演原稿」だそうです。

私も、ここで書かれていることは、良く聞いていたので、協会の筋書きに基づいたものであることは間違いありません~。ぜひリンク先読んでください、。


いっや~。

私は、オフ会かなんかで集まって、みんなでこの原稿を読んで、



どらぁぁあ~

とかって叫びたいです。



以下引用です。


テモテはなぜそのようなすばらしいクリスチャンになりましたか?

それはテモテの母親のユニケと祖母ロイスが彼をよく幼い時から訓練したからです。しかし、同じエホバの民であっても必ずしもよくなるとは限りません。

例えば 大祭司エリの子供は物質上の利得を得るため人をだまし結果として何を刈り取りましたか?

エホバ神から殺されました。




エホバ神から殺されました。って。。。


また引用


例えば、ある親は、子供が悪い時、軽く叩きます。それほど痛くありませんが子供は泣き出します。親が怒ったというだけで悲しくて泣き出します。子供が与えられるムチは涙が出るほど痛いものでなければなりません。

子供は叩かれた時、二度とこのようなことはしないと思うほど十分痛いものでなければなりません。そうしたムチを与える事がエホバ神の命令です。



いや、もう、突っ込みたいところを引用すると、全文引用になってしまいますから、ぜひ、リンク先を読んでいただきたいです。


この筋書きにも出てきますが、集会中、子供を寝かすな、寝てるなら起こせ、おもちゃや本、絵を書く紙などは与えるな、子供の集会の話から得られることがある。(あるかっ!!!

こういう事は、よ~く言われてましたよね。3歳くらいの子が集会の話から一体何を学ぶっていうんでしょうか。

集会のあとに何を学んだか、聞いてみるのもモチベーションになる、みたいな事もよく言われてましたが、大人になって聞かれてもわかんないような話なんですよ。


2時間、ただ座っている。寝るのも、絵を描いたりするのも禁止。やったら体罰。これって、、、何かの拷問?

こういう事から何か学ぶといったら、妄想の仕方、とか、無になる禅の精神とか、かな。(妄想のほうは、結構良い訓練になりました。)


またこちらのブログ はな みずきさんの 

の中で、こんな一言があり、これはまさに、か.い.が.ん!!でしたので、引用。


カルトに子供は邪魔



そうだ!!!これだよ!これだったんだよ!!!


はなみずきさんのブログ記事はこちらです。「愛し合う者同士が傷つけあうシステム」


組織の体罰奨励の影には、、子供らしい子供は組織の成長にとってマイナスである。

出来れば子供なんか、最初から作らなければいい。ペットも時間やお金や労力を取られる(奉仕をそぐならば)なら、子供と同じレベル。飼わないようにするか、「あるべき位置を保つ」ようにしろ、と。


こういう組織の本音があったのではないでしょうか。


子供をロボットに。促進の業に迷惑をかけないように。こうやってしつければ、迷惑にならないし、将来戦力になるから一石二鳥。


合点がいく!!!



以下引用

実は、このカルトは「子どもに道徳」を教え込んでいるわけではなく「道徳」の一部を「子どもを支配するための道具」として利用しているに過ぎません。だから、あなたの感じるような「謙虚さのない道徳観」のようなアンバランスを生み出すのではないかと思います。
子どもをどのように扱うかで、その宗教組織の「カルト性」を計ることが出来ると思います。



ひよかさん、はなみずきさん、啓発的な記事のアップ、ありがとうございます。

なんか、また目が覚めたような気がします。