パーフェクトワールド

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★「良心の危機」って電子化されてるの?

2009-04-13 20:10:30 | ●エホバの証人と恋愛/未信者の方へ
2年たってついに、レイモンド・フランツの「良心の危機」を手に入れました。

私はまだエホバの証人のただ中にいて、日々いろんな圧力を受けているのでこういう穏やかな、しかし理性的な(そして良い意味でのエホバの証人的な)文章を読んでいると、心が正気に保たれるような気がします。

読んでいてほっとするとともに、生活の中でものみの塔のナンセンスと時に狂気にあてられる中、力強い力が得られるような本です。


ところで、なぜ今までこの本を読まなかったというと、

それは後ろめたかったからです。

親は近くにいませんが、もし何かの拍子で見つかったら(私が事故って、この本が遺品として親に届けられたら~??とかとか)困るとか、

ポルノでもゲットするような感じがありまして、(著者には大変失礼な話ですが。)


本当に今までためらっていました。

かなり大判で厚い本なので隠すにも隠せない。


さて、実際読んでみて、これは一人でも多くの人に読んでもらいたい本だと、再認識しました。

電子化されて、こっそり()ダウンロード購入できるようになっていればいいのに、と思って、ちょっと調べてみたのですが、ダウンロード購入できるようにはなっていないようです。

どなたか情報知りませんか?


※以下はこの記事へのコメントです。


Unknown (Joel)
2009-02-06 00:57:48
簡単な概略は以下のサイトに載っていますが、全文の電子化されたものはないと思います。。。
http://www.jwic.info/franzbio.htm
なにせ長文ですし・・・

日本語版はない (possible)
2009-02-06 01:20:17
英語版(原本)の本は「PDF」化されて売られています。

しかし,日本語版は,ないでしょうね。
自分でスキャナで読み取り,電子化するしかないのではないでしょうか。

日本語の本に関しては,その本に限らず,著作権が切れてない限り,ほぼすべての本が,電子化されてダウンロードできるという状況にはないと思います。
みんな「紙に印刷」されて販売されていますよね。

コメント

JWと血について話し合うための基礎知識6 「医療面から」

2008-06-04 03:37:02 | ●エホバの証人と恋愛/未信者の方へ
写真は目ざめよ!」1994年5月22号「神を第一にした若者たち」


元JWなら「おお~」と思われたことと思います。知る人ぞ知る、、、輸血拒否でなくなった子供たちの写真で表紙を埋めるという、かなりショッキングな号でした。

そんなに古い号じゃないというところが怖いですね。


この号の雑誌についての詳しい記事はこちらで読めます。写真もこちらからお借りしました。

エホバの証人情報センターの中の記事「何人の子供たちが「ものみの塔」の教えにより死んでいったのでしょう?」より。


死をもいとわないエホバの証人。。。でも一方で医療面でエホバの証人が本当に血を避けているのか?というと皮肉にも「違う」という答えになってしまうのです。

例えば分かりやすいのは、、

●「全血」。


エホバの証人は輸血としては受け入れませんが、骨髄移植の中に混入すれば全血でも取り入れてよいことになっているそうです。(1984年五月号ものみの塔「読者からの質問」)


また、骨髄移植自体もOKですが、骨髄とは血の大本になるゼリー状のもので、骨髄移植の際「骨髄を輸血します」と説明している医療サイトもあり、これも事実上血と同じような物質といってもいいような気がします。(血液細胞は骨髄で作られる。骨髄成分は造血幹細胞1.7%、血液成分が98.3%)

ものみの塔誌はこの点について「採取された骨髄にはいくらかの血がふくまれているかもしれません。」として良心の問題としている。


「いくらかの血が含まれるかもしれません」~???98%以上血液成分でいくらか、、ですか・・・・


ものみの塔はこういう事実については知っていながらあえて成員から隠すという方法を取っています。


●白血球


白血球として受け入れることはできない。しかし末梢血幹細胞としてならOK。


で、末梢血幹細胞ってなに?とおもってちょっと調べてみました。


ドナーのためのオリエンテーションのページのこちらのページでは


以下引用


血球は完成(成熟)血管内に入り全身に流れます。血管の中に流れている血液を「末梢血」と呼びます。

通常、みなさんが「血液」と考えているものと「末梢血」とは同じものです。



以上引用終わり


え?血管の中に流れている血液を「末梢血」と呼びますって。。。じゃあ、血そのものじゃないですか??

名前が違ったらOK??


(じゃあ、お医者さんはこれから血を別名で呼んでくれれば良いわけですね!?)


taさんよりコメントがありました。引用させていただきます。↓

末梢血幹細胞(peripheral blood stem cell)は、骨髄にある造血幹細胞(hematopoietic stem cell)のように、これから血液成分になるはずの、今は血液としての働きをしていない細胞です。

造血幹細胞と異なり、骨髄のように固形の組織からではなく、末梢血幹細胞は流れている血液から採取します。JW的には、分画の一種、とみなせるのでしょう。


↑以上引用終わり。

taさんご指摘ありがとうございました~




●分画した血の成分

これも大体ok。これって、、挿○しなければきわどいところまでいっても淫行の罪にならないというエホバの証人の考え方に似てますね。

(実際は挿○がなくともキス以上は淫行定義にひっかかります。)


ちなみになぜ微小分画を受け入れてもよいのかについては、ものみの塔はこのように述べています。

1少量だから(笑)
2「命を支える輸血」ではないから


でた~!!!命 を 支 え る 輸 血


命をささえない輸血ならいいんですか~


そしてなんで???


普通なら命がかかわっているからこそ、普段はダメでも例外的に使うというのが常識感覚のような気がします。

わけわからん!!!


あと、少量ならいい、というのはちょっと量(?)のセックスなら淫行にならないって言ってるようなものです。


●自己血輸血


自己血輸血は自分の血をとっておいて手術時に使う方法です。100%自分の血ですから問題ないように思えますが、ものみの塔はなんとこれも否定しています。


理由は、、、参照資料確認のためにネットで調べてみたのですが、ほとんどのものみの塔資料は聖句が上げられてませんでした。(なぜそれがいけないのか聖書から説明せず、実際の医療事実が挙げられているものが多かったのです。


血は地注ぎだされなければならないという聖句でしたが、、ちょっと今見つかりませんでした。どなたか教えてください。。。



「血を注ぎださなければならない。」これは動物の死体についての決まりであって、、人間ではありませんよね。だとしたら戦争で死んだ人たちの血をわざわざ地に全部注ぎださなければならなかったはずです。


この聖句をもって一旦外に出た血は全て捨てないといけない=自己血輸血ダメとなっているのです。


私は輸血拒否は100歩譲って本人がそう望むなら(自分の親族なら別です!!)尊重してもいいと思っています。もちろんものみの塔がそういってるからという理由ではなく、聖書を読んでそう結論したならばです。そういう「殉死」は初期クリスチャンが競技場で亡くなったように今日であってもおかしくありません。


しかし!!!


自己血輸血を拒否する聖書的根拠は全くないと思うのです!!!


もし、自己血輸血が禁止されていなかったら、突然の事故をのぞいて、輸血拒否受け入れ病院を探すために命を削るとか、手術が延期になって病気が進行するとか、そういう事態がどれほど避けられたでしょうか。


血は地に返されるべきであるという文は「血を食べてはいけない」という掟とは違い、ギリシャ語聖書には一度も出てきません。


それで、その掟はキリスト到来以後廃れたと考える証拠になります。


なぜものみの塔は自己血輸血までかたくなに禁止するのか。「以前もっとも口調で言っちゃったから」引っ込みがつかない程度の理由でいまだ解禁されていないのだとしたら、、本当に罪があると思います。

さて、


自己血について、ものみの塔には少しでも血が体外で停滞したらダメと書いてありますが、後日良心上の問題としてgoサインが出ている人工透析も血がぐるぐる回ってるわけでなく、少しのタイムラグがあることがわかってきて、、

では人工透析はよくって手術の際はダメという理由がないということで、だんだん「どのくらいとまったらダメなのか」という点についてもあやうくなっているような気がします。



以前書いたかもしれませんが、手術時に出た血を集めて再び体に入れるセルセーバーも血液洗浄の機械を通すわけで、一旦血が体の外にでてから体内に戻るまで、最新の機械を使っても数時間かかるのに、教会からオーケーが出ているのはなぜでしょうか。


またjwが使ってもよいとされている分画成分は何日も貯蔵されています。

これからは「読者からの質問」などで

「ある人は貯蔵した血液を○○すれば(例えば冷凍、洗浄、成分を加えるなど加工)治療過程の一部とみなすとしてそれを受け入れる決定をするかもしれません」とか、

「ある兄弟たちは信仰の試みに直面して自己血輸血が良心上受け入れられる処置だと判断するかもしれません。私たちはそのゆような兄弟たちを批判して気落ちさせるべきではありません。(良心が弱い人たちのため~しなさい、とかいう聖句をフィーリングでなんとなく引用)

長老たちはそのように霊的にも身体的にも弱っている兄弟たちに重荷を加えるのではなく、むしろ聖書からの慰めという油を塗ることによって神からの羊を養っていることへの敬意を表せます。(病気のものは長老を呼んで油を塗ってもらえという聖句参照。この聖句はjw的には審理委員会のことだけど。皮肉ってことで。)」

とか、


こんな感じで間接的に解禁されてゆく部分だと思います。そうでなければおかしいです。。。


(あくまで罪だけど、霊的に弱くなり受け入れる人たちもいるというペナルティー付解禁とか。)


ただしそれまでまだまだ長い時間がかかるかもしれません。






長くなりましたが、これで「エホバの証人と血について話し合うための基礎知識」ざっと網羅できたと思います。


最後に、まとめとして、このページを紹介したいと思います。


ものみの塔協会の血の教えを支持する兄弟姉妹に対する22の質問

いつもお世話になっているエホバの証人情報センターの中の記事ですが、私はこのページを最近みつけました。もう一度見ようと思ったら、サイト内からなかなか見つけることが出来ず、検索にもヒットしないのでこちらに載せておきます。


箇条書きで輸血拒否するエホバの証人の心を揺るがす質問が22つ挙げられています。


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JWと血について話し合うための基礎知識5 「イエスの意見」

2008-06-03 06:25:33 | ●エホバの証人と恋愛/未信者の方へ
次に書こうとしていた記事の覚書を無くして探しているうちに結構間が空いてしまいました。覚書が見つからないのでその記事は後回しにしたいとおもいます~


JWと血について話し合うためのシリーズ(?)あと少しだけ続きます。


さて!


エホバの証人は輸血することが殺人などの「人道的に許されない」「しようとはおもってはいけない事柄」(「論じる」より。非常~に嫌な言い回しですね。)と同じで重大な罪だといいます。


ではイエスはこれについてどう述べておられるのでしょうか。




何も述べておられません!



これは一体どういうことなのでしょうか?!


そんなに重要なら繰り返し述べるはずなのに、実際は一度も血を避けることについての言及はしていません。(ちなみに、モーセの十戒でも血については述べられていません。)


イエスが民に「神に喜ばれることとは」「どんな律法が重要か」を述べる機会はいくつかありましたが、その時も


血についてはな~んにも述べていません。



それどころか、「私の血を飲み、肉を食べるものでなければ私にふさわしくない」というたとえをあえて使っています。


神権宣教学校なら「ふさわしくないたとえの用い方」ってことで即「努力」マークで落第ですね。


しかし、イエスはあえて血を飲むという例えを使って、古い律法から勤めて努力して離れ、より高度な愛に基づいた法律を受け入れる「意識改革」をしない人はだめ!自分の追随者にはふさわしくない!

といわれたかったのではないでしょうか。


だとしたら、エホバの証人は文字通りにも、象徴的にもふさわしくない!


ということを表しているのような気がします。
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JW輸血拒否の意外な歴史

2008-05-22 02:22:51 | ●エホバの証人と恋愛/未信者の方へ
意外、、といってもネットを見ている方にはもうすでに知っておられると思いますので、ダイジェスト版として手短にまとめたいと思います。


ホームページ「エホバの証人情報センター」のエホバの証人の血の教えの歴史的発展とその現状というコーナーの中の第一章「エホバの証人の医学・医療に関する教えの歴史」が詳しいのでぜひ読んでみてください。


このHPではエホバの証人が過去主張してきた医学方針を取り上げています。


ここでは「寝る方向」(北に向いて寝ると磁石の流れの恩恵を得られる)とか、「全ての病気は腸から始まる」「アルミ二ウムの食器の危害」(当時のJWはアルミニウム食器を使っているレストランを避けたりしたそうです。)などが、

JWが当時出版していた雑誌「黄金時代」(後の目覚めよ!誌)によってまことしやかに説かれていたようです。


●ものみの塔の医学嫌いの傾向


JWが発行していた雑誌には数々の医学不審に関する記事が載せられていた。

以下「黄金時代」1931年8月5日727ページ引用

「医者たちが使う薬や、血清や、予防接種や、手術などは、時々行われる外科的な処置を除いては、何の価値も無いということを、われわれは肝に銘じておくべきである。

彼らの言う、いわゆる「科学」はエジプトの黒魔術から始まっており、その悪魔的な性質を失っていないのである。


「黄金時代」の読者は僧職者の不愉快な真実を知っている。同じように、読者は、医者についての真実も知るべきである。彼らは「神学博士」と同様に悪魔崇拝をする呪い師(医者祭司)から始まったのである。」


以上引用終わり


医者は悪魔崇拝から始まった?科学は黒魔術から始まった?


と~っても大胆な意見ですね!

そのほか

●狂犬病は存在しない
●高温殺菌の牛乳は危険
●細菌によって起こる病気の否定


などの興味深い記事が並んでいます。(上に挙げたリンクをご覧ください)


同時にものみの塔協会はいろんな怪しげな治療法を推薦していたようです。たとえば、、、

●癌の治療法を発見?

「ものみの塔」1913年7月1日200ページ引用:



「われわれは、最近、体表にできる癌に対する大変効果的で、簡単な治療法を知った。

われわれは、医師がその効能を試してみたのち、その情報を1000ドルで買い取り、癌病院を設立し、治療は順調にいっていると聞いている。

その処方はわれわれの所にただで来ており、われわれはその処方を伝えたいと思う。

しかしこれは体表の癌に悩まされている人で、われわれに直接手紙を書いて、状態を知らせてくれた者に限る。料金は徴収しないが、患者を守るために、その者は処方を他人に売ったり、その使用によって支払いを受けたり、処方を他人に教えたりしないことの約束を必要とする。

誰でも癌の患者であれば、われわれの所から処方箋の得られるこれらの条件について知らせを受けられる」


以上引用終わり:


また医療器具と称して「バイオラ派ラジオ」(ってなに?)、ウィジャ盤のような病気診断機などの販売を誌上で行っていたようです。


●現在の輸血拒否教理につながる流れ


ものみの塔は予防接種なども過去禁じてきました。

「黄金時代」1923年1月3日引用


「予防接種の原理からだけでも、この行為は糾弾するに値する。腐った物質である膿を血液循環の中に注入することなど、どう贔屓目に見ても、吐き気を起こさせる嫌悪すべき行為である。

予防接種に何らかの意味があるとすれば、それは健康人あるいは病人に感染物質を注入して、忌むべき悪質な病気を作ることである


予防接種が稀ならず、死、梅毒、癌、結核、発疹、癩病やその他の病気の原因となっていることは、もはや疑いの余地もなく示されている。

知恵の優れていた子供たちはワクチン接種を受けた後まもなく、鈍くて愚かな子供になってしまった。彼らを健康状態に回復させるのは困難であった。」


以上引用終わり:


現在のものみの塔の妙に断定的、威圧的な口調に似ていますね。「ワクチンを受けた後は子供がおろかになってしまった」って。。。(笑)。すみません、でもちょっと笑ってしまいました。


(予防接種については後に協会は見解を変えて個人的に決定するべきこと柄としました。)


詳しくはHP「エホバの証人情報センター」の第二章:予防接種に関する教えの歴史で読めます。


●現在の輸血拒否教理はいつできたのか


先回の記事で載せたように創始者ラッセルの時代には輸血拒否の教理はなかったようです。


●1945年7月1日号「血を食べることに関しての罪」-ここでは血を食べる事と輸血をする事は結び付けられていない。

●1951年7月1日号で「輸血禁止」が明確に。しかし罰則はなかった
●1961年1月15日号で「輸血をしたものは排斥になる」と発表。

それ以後、多くの細かい規則が年を追って出てくるようになり、具体的な治療法がやりだまに挙げられては後に解禁になるというパターン。

詳しい内容は同HPの第三章:「血の教え」の成立の歴史で読むことができます。


筆者は医師の方だったと思います。すばらしい資料ですので、まだ読んでおられない方はぜひ一度目を通してみてください。

こういう以前の主張を見てみると、いくら昔の記事で医学的に暗い時代だったとはいえ、、、、

神の導きなど微塵もうけてない組織だ、という印象を受けました。


次回はJW内で起こっている「輸血拒否教理」を見直す運動についてです。
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JWと血について話し合うための基礎知識4 「新訳聖書から」

2008-05-21 03:12:23 | ●エホバの証人と恋愛/未信者の方へ
エホバの証人と血について聖書から話し合うための予備知識シリーズの最終回です。

結構早く終わりましたね。

っていうのも、「輸血を避ける」JW教理を支持してる聖句は断然少ないからです!!


今日は新訳(ギリシャ語聖書、キリスト以後の聖書)からの聖句を見てみましょう~。


JWの主張

論じるの本より:

「クリスチャンは血を避けるようにと命じられています。-使徒15章28節、29節。」



該当聖句使徒15章28節、29節の内容」

「聖霊と私たちは次の必要な事柄のほかは、あなた方に何の重荷も加えないことがよいと考えました。

すなわち、偶像に犠牲としてささげられたものと血と絞め殺されたものと淫行をさけている事です。

これらのものから注意深く身を守っていればあなた方は栄えるでしょう。健やかにお過ごしください。」


この聖句へのものみの塔の脚注
聖句を引用する際、「聖霊とわたしたち」のあとに括弧付けで(クリスチャン会衆の統治体)と付け足している。

さらに「絞め殺されたもの」の後に同じくかっこで(または血が抜かれずに殺されたもの)とつけたしている。


最後に「ここで血を食べることとは、偶像礼拝や淫行など、私たちが行うことをのぞんではならない事柄と同じように扱われています。」という文が加えられています。


「私たちが行うことを望んではならない事柄」って何?この回りくどいいいまわしは?サブリミナル??

エホバの証人の適応の仕方の問題点

●語られた背景、本来何について語っているのかを無視している。


聖句の前後を読んでみるとあっさり分かります。

15章1節 「ある人たちが下ってきてモーセの律法どおり割礼を受けない限り救われないと兄弟たちに教え始めた」

15章5節 信者となっていたパリサイ人たちも同じことを主張しだす。


この当時クリスチャンには従来のイスラエル人とキリストによって新しく信仰に加わった異邦人(イスラエル以外の国民)がいて、

当然昔から古いしかたで信仰を守ってきたイスラエル人にとって新しいキリスト教のやり方について行けない部分もあったらしいです。

そのひとつに割礼(男性の××に××すること)があったのです。

古い律法を廃止したキリスト以後、割礼はもやは神からのご要求ではありませんでしたが、それでも古いメンバーは割礼をしないと救われないと言い出して、人にも薦めだした。


つまりこの聖句は「割礼問題」の一環だったのです。


さらに、ここで新世界訳聖書は普通「Gentileジェンタイル(異邦人)」と訳される語を「Nations(諸国民)」とあえて(?)訳して全体を把握しにくくしています。

新世界訳聖書は血の教理が出来た後にできた聖書なので、血の教理の事を考えて、あえて「イスラエル人と異邦人(イスラエルではない国民)の対立」というクリアな情報が伝わらないように「イスラエル人と諸国民」としたのではないか???


などと勘ぐってしまいました。

異邦人ではなく諸国民と言うと急に言葉の対象が広がりますし、異邦人と書くと時代まで限定されるのに対して、諸国民では今の私たちも対象になる雰囲気があります。


こういう変なトリックが新世界訳は改ざん聖書であると言われてしまうゆえんだと思います。

私の主張


すでに廃止された律法に固執する古いタイプのクリスチャンと、新しい異邦人(ノン・ユダヤ人)との対立を避けるため、ペテロ、バルナバ、パウロ、ヤコブが

「二つのグループに聖霊が与えられてるし、間に何の差別もないし、キリストの親切によってみんな救われるのだから、古いくびきをお互いかけたりするのはやめましょう」

などと言い、古いクリスチャン派をたしなめる一方で、たしなめるだけじゃなんなので、古いクリスチャンのほうの面子も建前は保たないと、という政治的配慮から

古いクリスチャンたちがまだ守っている「食事の決まり」(偶像に捧げられた肉を避ける、イスラエルの律法で清くないとされる方法で殺された肉を避ける、血を食べない)それから誰でも納得すると思われる「淫行を避ける」を付け加えて、

「これだけ守ってればいじゃない?Take it easy!」

と言ったに過ぎない。


しかも食事の決まりのほうは、偶像に捧げられた肉でも気にするな、もうそんなことに躓かない、というさとしも出てくるわけで、やはりこの場で出てくる決まりはユダヤ人の気持ちを大切にする、あくまで建前の決まりごとであったとさえ読める。


●前後を読んで欲しくないものみの塔「なぜ20,21節を使わないのか」


ものみの塔は必ず、輸血拒否の根拠として使徒15章28、29節を出してきます。

ところが、同じ章の20節でも全く同じ事がかかれているのですが、こちらは絶対に引用してきません。


なぜなら、20節のほうは、そのすぐ上の19節、その後の21節で

「ですからわたしの決定は諸国民(注:他の聖書では異邦人)から神に転じてくる人々を煩わさず」


20節「ただ、偶像によって汚されたものと淫行と絞め殺されたものと血を避けるよう彼らに書き送ることです。」

21節「モーセは安息日ごとに諸会堂で朗読されており、彼を述べ伝える者が古来どの都市にもいるからです。」


この聖句の語られた意味が簡単に分かるようになっているからなんですね?

結論

21節にあるとおり、安息日ごとに読まれているモーセの律法が有名なので、誰でも知っているその律法から有名なものを4つピックアップして並べてただけ、のものだった。

おもに目的は異邦人とユダヤ人との争いを避けるためだった。


●この聖句は偶像礼拝と淫行と血を食べることは同等の罪とは述べていない。


1:まず、ここで勝手に抜かしている絞め殺されたものを食べないという律法ですが、緊急事態には食べても良いものでした。(申命14:21,28,29)(レビ記17:15,16)


ものみの塔が言うように同じセンテンスに置かれていることが「同等」なら、緊急事態に行ってもよい項目がひとつ入っているので、淫行も血を食べることも緊急事態にはOKという事にもならないのか?

2:「偶像に犠牲として捧げられたもの」を食べることは偶像礼拝ではない。

ものみの塔はこれを知っているのに、あえてここで、「偶像にかかわったものを食べること」を「偶像礼拝」と僭越に意味を置き換えている。

さらに偶像に犠牲として捧げられたものを食べることは良心の問題で許されていた。


パウロはコリント第一8章4節~8節でこう言っています。

4節 さて、偶像にささげられた食物を食べることについてですが、わたしたちは、偶像が世にあって無きに等しいものであること、また、神はただひとりのほかにはいないことを知っています。

7節 しかしながら、すべての人にこの知識があるわけではありません。ある人々にはこれまで偶像に慣れてきたので、偶像に対する犠牲の捧げ物として食物を食べ、こうして彼らの良心は弱いために汚されます。

8節 しかし食物がわたしたちを神に推奨するのではありません。食べなくても後れをとるわけではなく、食べたからといって誉れになるわけでもありません


まだ他にも、肉の処理についてそんなに気にしなくても良いといっている聖句はあります。


コリント第一10章25節

何でも肉市場で売っているものは、あなた方の良心のために、何も尋ねないで今後も食べなさい。

26節「地とそれに満ちるものとはエホバのもの」だからです。


27節 不信者のだれかがあなた方を招き、あなた方が行きたいと思った場合、自分の良心のために、何も尋ねることなく、何でも自分の前に出される物を食べなさい。

28節 しかし、もしもだれかが、「これは犠牲としてささげられたものです」とあなた方に言うなら、そのことを明かした人のために、また良心のために、それを食べてはなりません



ローマ14章1節

信仰に弱いところのある人を迎え入れなさい。しかしそれは、[人の]内心の疑問にっついて決定するためではありません。


2節 ある人は何でも食べてよいとの信仰を持っているのに対し、弱い人は野菜を食べます。食べる者は食べない者を見下げてはならず、食べない者は食べる者を裁いてはなりません。神がその人を迎え入れられたのです。



結論 以上の聖句から、偶像に捧げられたかもしれない肉、律法で清いとされている方法で殺されたかどうか分からない肉(血抜きされていないもの、絞め殺されたもの)

でも食べるか食べないかは良心の問題となった。つまり、血を食べる、食べないはそれほど重要ではなかった。




おまけ

ものみの塔創始者ラッセルはこの使徒15章に関して今のJWとは違い、正しい解釈をしていたようです。(ラッセルの時代には輸血禁止の教理はなかった)


こう述べてます。エホバの証人情報センターよりお借りします。

以下引用


「この答は、四つの項目を除いてその律法を無視するものでした。

そしてこれらの四つのうち最初の三つまでが、それまでユダヤ人であった人たちと、それまで異邦人であった人たちとの共通の交わりの基礎となるように述べられていることは明らかです。

その三つとは、


(1)偶像に犠牲として捧げられた肉から避けること、

(2)ユダヤ人の方法によって殺されていない動物を食べることを避けること、

(3)血を食べることを避けること、


でした。ユダヤ人として育てられた人々にとってこれらの三項目を無視することは不可能に近いことだったでしょう。


そして異邦人の改宗者がこれらを守らなければ、そのことは常に彼らの社会的な障壁となったことでしょう。ここに推奨されている事柄は、ユダヤ人から構成される(統治)「体」と、異なった教育と感情を持つ異邦人とが交わりを続けて行く上で必要だったのです。



同じ考えは血の使用の禁止にもありました。ユダヤ人にとってはこれは禁じられたものであり、彼の契約によればそれは生命の象徴でした。それに与ることは、奪った生命に対する責任を負うことを意味するのでした。


異邦人は律法の契約の元にいなかったために、このような禁令は異邦人には全く当てはまりませんでした。

しかしこの事柄に関する限り、それはユダヤ人の考えに余りにも深く根付いていたために、異邦人がこの事柄を守ることは教会の平和にとって必要なことだったのです。



(「ものみの塔」誌1887年5月15日、復刻版2158頁、英文よりのエホバの証人情報センター筆者訳)


以上引用終わり。


ラッセルの解釈を読んで輸血を拒否しているエホバの証人はどういう態度をとるでしょうか??


次回は血の教理が比較的新しい教理である点についての記事です。
コメント (8)

JWと血について話し合うための基礎知識3「サムエル14章の解釈」

2008-05-20 01:28:37 | ●エホバの証人と恋愛/未信者の方へ
「解釈」ってほどの聖句じゃないです。


KoroさんがJWの出版物「血のブロシュアー」でのサムエル第一14章32節の解説部分をコメントしてくれました。

(Koroさん情報と入力ありがとうございます。)引用させていただきます。以下Koroさんのコメントより「血のブロシュアーP4」引用:

「緊急事態が生じたと言う理由で、血に関する神の律法は無視されるべきものではありません。戦時の危機のさなか、イスラエルの兵士の中には、空腹のあまり動物を殺して、血のまま食べた者たちがいました。緊急事態であることから、彼らが血で自分たちの命を支えても差し支えなかったのでしょうか?そうではありません。彼らの指揮官のサウル王は、兵士の取った行動がやはり大きな間違いであること、指摘しました。{サムエル第一14:31-35}と、引用されていたのです。


このJWブロシュアーによると、この出来事は緊急事態であった。戦時の危機のさなか起こったように書かれています。

加えて緊急事態であることから、彼らが血で自分たちの命を支え(た)と書いてあります。


でたっ!!!

JW造語「命をささえる血」

JWはこのように「血を食べてはいけない」と書いてある聖句を説明する時、なぜか「命をささえる」という語を添えるんですよね。輸血=神が禁止された事柄というぜんていで物を考える2世だった私にとって「命を支える血」という表現は当たり前で全然気にならなかったのですが、

今考えてみると暗に「血を食べること」=「輸血」と連想させるための

サブリミナルだったんだな~。と分かりました。


話がずれましたが、実際のサムエル第一14章32節とは一体どんな聖句なのでしょうか。

ここに聖書を開いてみてみましょう。


サムエル第一14章31節後半「それで民は非常に疲れた。


サムエル第一14章32節

「そこで民は貪欲にも分捕り物に飛びかかって、羊や牛や子牛をとり、それを地の上にほふりはじめ、民は血のままで食べ始めた」


前後を見ると

22節「フィリスティア人が逃げ去ったことを危機、彼らもまたその跡に追い迫って戦いに加わった」などという記述からみると勝ち戦だったように思います。「戦時の危機の中」というものみの塔の表現は、

血をたべちゃった状況がいかに「異常な状況」で、「輸血しないと死ぬ」というシチュエーションに重ねて考えられるようにしたい、というくるしい画策が伺われますね。

さらに、前のほうの節を読んでみると、民が疲れていたのはサウルが「その日」にたてた「夕方になる前に、敵に復讐する前に物を食べてはいけない」という請願が主な理由だったようです。


つまり、お腹がすいていた。しかもその断食は40日にわたるものとかじゃなくって、その日、同日にかけられたものだったので、食べないと死ぬという緊急事態でもなかったようです。





●しかもこのエピソードにはおまけがあり、


夕方、戦に勝つ前にものを食べてはいけないという父の願掛けを知らず、ヨナタンが蜜を食べちゃったという記述があります。


サウルが夜のうちにフィリスティア人を一掃しましょうか、と神にお伺いを立てたとき、37節「ところがその日は彼にお答えにならなかった。」とある。


エホバ怒ってる?!


JWなら普通「やっぱり民が血を食べたからだ~」と当然思うのですが、実は
何も食べないと誓約したのにヨナタンが蜜を味見していたからだった!という事実が明らかになります。↓

43節「そこでサウルはヨナタンに言った。何をしたのか告げなさい。それでヨナタンは言った。私は少しばかりの蜜を確かに味見しました。私を死なせてください!」


民が大規模に血を食べたって事実なんかはあっさり忘れられているようです。

なぜでしょうか。



つまり、血を食べるというのは旧約聖書においてさえそれほど重要な位置づけさえされていなかった。

という事ではないでしょうか~。



ちなみに誓約を破って蜜を食べたヨナタンですが、民がヨナタンを殺すのはいやだ~と言ったためお咎めなし。


ここでも誓約破り→必ず死!

ではなく、状況におおじて罰があったり全然なかったりしたという臨機応変さが見られます。


とにかくこの聖句の存在はものみの塔にとって目の上のたんこぶみたいな物なんでしょうね。災い転じて福にしようと、こじつけて参照聖句にしてみたものの、前後を読んでみるとぼろが出てしまう、

そんな程度のトリックなんですが、、
私は現役時代、すっかりものみの塔のトリックにひっかかってしまっていました。脱JW前に事故や大病をしてたら、明らかに輸血拒否で死んでるところでした。

なぜなら、、

一重に


聖書読んでなかったから!


みなさん、聖書は読みましょう~。
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エホバの証人と輸血について話し合うための基礎知識

2008-05-16 22:26:00 | ●エホバの証人と恋愛/未信者の方へ
JWの輸血拒についてはいろんなHPで詳しく述べられていますが、なんか難しいと思っている方のためにざっと全体を見てみたいと思います。

輸血についてオープンに話し合うJWは少なく、矛盾を指摘しても結局は「信仰の問題だから」とシャットアウトされてしまうと思いますが、

輸血をしないと危険なのに拒否しているJW親族や、お子さんが事故にあった場合輸血を拒否しそうなJW配偶者がいらっしゃる場合は「しょうがない」では済まされないですよね。


また、医療的な事が「よく理解できない」「調べるのが面倒」だから「ダメなものはダメ。信仰の問題。」と体よく片付けているJWもいますから、順を追って説明すれば信仰は捨てないけれど輸血することに関しては考え直してもいい。

と思ってくれるJWもこれからは出てくると思います。(これからは協会も限りなく輸血解禁にちかいルールにシフトチェンジしてゆくはずです。)

聖書は血を食べることを禁じているのか


エホバの証人の特色はイエス時代以降をあつかったギリシャ語聖書部分よりも、イエス以前の古いヘブライ語聖書からよく語ることです。厳しい決まり、ルールなんかは大体ヘブライ語聖書のほうによく出てくるからでしょう。

禁止事項よりも愛を語るイエスの言葉はエホバの証人にとって優先順位が低いということですね。


しかし実際にはイエスはJWたちがいまだよく引き合いに出す「古い律法」を廃止して、それよりも勝った律法(決まりではなく愛によって物事を決める、より高度な律法)に返るために来たはずなんです。


だからキリスト以後はヘブライ語聖書部分はあくまで参考、補助として読むべきだと思います。しかしJWはまるでイエスの犠牲がなく、律法は何も変わらなかったようにヘブライ語聖書のおきてを守り行ってます。


●JWが輸血拒否の根拠として出してくる聖句にイエスの言葉はありません。

●ギリシャ語聖書から引用してくる場合は使徒15章を出してくると思いますが、これはユダヤ人の古い慣行から抜けきれていなかったオールドタイプのクリスチャンの気持ちを「フォロー」するための「よいしょ発言」でした。

(次の記事で詳しく書きます)


ゆずって血をどんな形でも体に取り入れないことが神のご意志だとすると、


なぜはっきり分かるように書いていないのか

という疑問がおこります。実際は、


●モーセの十戒の中に血を食べることについて言及はない
●モーセが書いたレビ記では外人居留者は血抜きしてない動物を食べてもお咎め無しだった。

後には血抜きしてあるかどうか分からないものは外人に売れば~。という聖句もでてきます。

(この事は、JWが輸血問題でよく出してくる「血が危険なのをエホバはよく知っておられて愛ある気遣いから警告しておられるのだ」という説がおかしいと示しています。)

●サウルの兵士が戦闘後お腹がすいて血抜きしてない肉を食べた時も実刑なし。
(あまりおすすめできる行為ではないが、刑を下すほどの悪行ではない)

ものみの塔はこの聖句の言い訳として「非常時だったからエホバは考慮された」って言ってますが、失血死などは空腹と比べて非常時ではない???と??

●キリスト後は「売ってる肉は気にしないで食べれ」などという、かなり緩和された発言がいくつか載っています。


結論;ふるい記述(レビ記やノアへの記述)では血を食べることを禁じていた。
   後になるほど緩和され、キリスト以後は良心の問題であったことが読み     取れる。


血を食べることを輸血は同じか



私は脱JWしましたが、だからといってすっぽんの血を飲んだり、生き物を血を滴らせたまま食らったりは、、したくありません。

こういう人は一般の世の中でも多いと思います。


だからJWが聖書から血を食べないというなら、普通に尊重します。


が、血を食べる事と輸血をしない事には大きなギャップがあると思うし、関連性はかなり薄いと思います。


●アルコールの例え


JWは「医者がある人にアルコールを取る事を禁じたとしたら、アルコールを飲まないけど、アルコールを直接注入するのはいいというでしょうか。それはアルコールを避けているといえますか」ってたとえをだして、

血を食べない=輸血禁止


と結論付けてくると思いますが、


●アルコールは飲んでも(食べても)静脈に注入しても同じ物質である
●血は飲めば食物として吸収されてしまうが、静脈に注入されれば血のままである


という点で同じではありません。


(余談になりますが、このたとえに出てくる「アルコールを飲むことを禁止された人」例えば妊婦さんだとしますが、アルコールを含んだ化粧品も使ってはいけないんでしょうか。皮膚はちゃんと吸収しますからねっ。

実際は「そんなことはない」

と思います。用途が違うからです。

では、血を食べてはいけないのと医療行為(例えば失血死)という用途が全然違う行為の場合やはり「常識」感覚で考えてOKなんじゃないでしょうか。)


●臓器移植はOK!ならば。。。。


JWは臓器移植してもいいんですよ。

「では、医師に臓物を食べる事を禁じられている人がいます。食べていないからといって臓器移植をするならその人は医師の指示に従ってるといえますか?」


はあぁ~???


従ってるよ!だって食べるのと臓器移植は別もの!なぜなら食べたら食べ物として吸収されるけど、移植したら臓器として働いてくれるんでしょ。

じゃ、血も同じだよね。。。

ものみの塔も「輸血は臓器移植と同じ」と以前言ってましたし。


血は必要物を体に運ぶ臓器。バイパスみたなもの。

食べるのとそれを「使う」のとは違う。輸血は後者だと思います。

血を食べることと輸血とは全く別の行為だと思います。


よってエホバの証人は良心から血を含んだ食べ物は今後同じように避けていけばいいと思います。

ですが、輸血は別件として考えて必要な時にはすればいいと思うのです。



イエスのさらに勝った律法はどこに?


それでもまだ聖書は血を禁じてる、それには輸血が含まれると主張するJWには、こんな問いをしてみると良いかもしれません。


100歩譲って神は人間にいかなる場合でも血、輸血を避けることを要求しておられるとして、


イエスは状況に応じて律法を変えられ、フレキシブルでいることによってより高度な仕方で律法を守った。

これにJWも従うべきではないですか~???


●イエスは安息日に決まりを破って病人を癒された


安息日を守るのはモーセの十戒にも出ていて当時めちゃくちゃ重要な律法でした。(JWは安息日を守ってません。)が、人間の健康というより大切な益のためにそれを変えるのを躊躇しなかった。


実際には安息日をきちんと守っていた人も家畜が井戸に落ちる、など非常事態があればちゃっかりそれは助けていたわけです。


では失血で死に掛けているという事態は家畜が井戸におちる自体と比べても少しも劣ることのない非常事態だと思うんですが、

その場合でも血の法律が優先されるというのはおかしいのではないでしょうか。


エホバの証人は「神の律法を優先して輸血を拒否して死んだとしても、復活させてくださいます。」といいます。


だったら、イエスは「安息日を守って私が奇跡を起こさないで病人が死んだとしても父なる神は復活させてくださいます。」と言うべきだったんでは?


※製作した聖句資料が消えました()ので今回は聖句が載ってません。後でまた載せます。
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エホバの証人への質問-母乳には白血球が含まれる-その時あなたの良心は?!

2008-05-15 06:19:48 | ●エホバの証人と恋愛/未信者の方へ
今、、、ひそかに「朗読カセット生産中止」の記事のコメント欄があつい。。。

あまり反応がないかなと思ってたので結構な反響にちょっとびっくりしてます。

テープなんていらないよ、と思われる方も多いかもしれませんが、外国の車ってCDプレーヤーついてないのが多い(つまり古い車を平気で乗ってる)んですよね~。だからうちもテープ派でした。(笑)

あと、テープだと自分で録音、途中消して取り直したりっていうのが簡単だし、ほんとお年寄りのJWたちは今でも結構活用されてますよね。

なぜCDがダメなのか、というと、、よく分かりませんが、外国で売ってるCDプレーヤーってすぐ壊れちゃうでしょ、、なかなかスキャンされなかったり、、。テープだとその点「がっちゃん」って入れてプレイ、ストップ、早送り~巻き戻し~って目に見えてアナログなので、そういうところがお年寄りの心をぐっとつかんでいるのでは。と。



まあ、、CDならまだしも、お年寄りにダウンロードしろってほうが無茶ですよね。ダウンロード?それなに?って感じでしょうから。



さて今日の本題 「エホバの証人と母乳」問題です。


むか~しものみの塔であった胎児の独白(覚えてますか~)をまねてみました。


JW赤ちゃん:いつもおいしい母乳をありがとう。ママさんの母乳はどうしておいしいの?

JWママ:ママの母乳にはね、沢山の栄養が含まれているからよ。そこらの牛乳とは成分が違うのよ。

JW赤ちゃん:へ~。そうなんだ。白いから牛乳かと思った。

JWママ:母乳が白いのは白血球が血液の何倍も含まれているからよ。


JW赤ちゃん:ぶっ!!マジでですか???ってことは、オレってJWじゃないですか、白血球は禁止だったよね。そしたら母乳飲めないの?母乳禁止?排斥?


JWママ:ほほ。いいのよ。JWは幼児洗礼してないでしょ。バプ受けてないんだったら排斥しようがないじゃないの。

JW赤ちゃん:あ、っそっか~。やっぱりママは頭いいや!バプっていうよりバブだもんな、オレ。。。

JWママ:さ、もっと飲みなさい。健康にいいのよ。

JW赤ちゃんン:健康にいいんだったら、なぜ愛の神が禁止されるのでしょう。

JWママ:ごちゃごちゃ減らず口たたかないの。あなたもパパ(長老)に似てきたのね。イやだゎ。

JW赤ちゃん:じゃ、十分に訓練された良心により遠慮なくいただきます。ママに乾杯!


輸血問題話題。。。続く。

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エホバの証人の心を揺るがす質問

2008-05-05 03:49:00 | ●エホバの証人と恋愛/未信者の方へ

以前、JWのマイコンを解くには「自分で考えるように仕向ける」ため褒めるのがいいらしいと書きました。

色々みなさん事情が違うと思いますが、そんな時間がない!という方に、、

参考のひとつにしていただければと思い、エホバの証人を揺るがす質問の仕方について書いてみたいと思います。

「こういう質問がいい。」「効果があった」など情報を持っておられる方はぜひぜひコメントください。


●注意事項:質問に対して「自分の意見を言わせる」ためには普段から褒めるという下ごしらえがやはり必須だと思われます。


1:質問の種類


どうでもよいトピックをあえてピックする。


いきなり「輸血問題」とかはいくら突っ込みどころ満載でもしちゃだめですよ~。


理由はこういう世間で問題になるような話題はエホバの証人として「つっこまれるだろう」ともっとも構えているトピックだからです。

協会も「反撃」を用意してくれてますし、色々煙に巻く方法を知っています。輸血についていままで意義を唱えてきた人はあなただけではないはずだからです。

そして、JWはこういう「いかにもおかしく、世間から批判されるような」教理については「世の人にはどうせ理解してもらえないだろう。信仰がかかわっている問題だから。」などと普段から思ってますから、

質問に答えられなくても、あなたに納得ゆく答えを提示できなくっても、


心は全然揺るがない~


のです。



じゃ、質問する意味ないよね!!!



もうひとつの理由は大きいトピックはいくらでも論議がずれてゆくので心を揺さぶるどころか「論議」に焦点がいってしまいますから、やはり避けたほうがいいです。



具体的な例:

誕生日。


どうして祝っちゃいけないの~?


こういうと、JWはあまり緊張することなく、聖句を挙げたりして話してくれると思います。


2:質問の結論



どの質問でも必ず質問の行き先を


統治体またはものみの塔協会に持ってゆくといいです。


理由は先ほどと同じ、あちこち枝葉末子論議の行く先がまちまちだと質問で心を揺さぶるほどは何も感じてくれないから。


例:誕生日


聖句を見せられた後


あなた:「あれ~でも聖書に祝うな!とははっきり書いてないんだね~。ここからだと誕生日が悪いって自分では分からなかった~。」

JW「神が統治体を用いて聖句の当てはめ方を教えてくれてる。うんぬん。’」


あなた:じゃあ、誕生日がいけないって統治体が言ったの?統治体(またはものみの塔協会)は神の霊感を受けてるの???


JW いいえ、神の導きを受けているだけです。


あなた:じゃあ神が直接テレパシーを送ってる、ってわけではないんだ。でも、どうして統治体は、、例えば誕生日がダメとか分かったんだろう、、


JW 祈りのうちに聖句を考慮してこうなりました


あなた:じゃあ、○○さんとかが祈って聖書読んで聖句の当てはめ方を啓示うけちゃうとかいうこともあるのかな


JW いいえ、神は思慮深い奴隷を任命してそのものたちを通して霊的食物を備えるようにしてますから。


あなた:その神から任命された思慮深い奴隷がものみの塔協会という証拠というか、、聖句とかあるの?


JW はい。聖句提示、1919年の説明などなど

あなた: う~ん。ごめん!!いまいち理解できない!


JW じゃあもっとシンプルな聖句を。愛があるなら真のクリスチャンとかかれてます。

あなた:なるほど~。JWはとってもいい人たちですよね。でも、、愛があるなら真のクリスチャンなら、、、他の宗教でも愛があればそれも真のクリスチャンなの。。


JW いいえ。


あなた:でも、、愛があるなら、、、って書いてあります。


JW:神は以前にも特定のグループに属することで信仰をためされ、救われました(ノアの例やイスラエルの例を出してくる)


あなた:で、、現在ではそのグループはエホバの証人なんだ。

JW:そうです。

あなた:では、神がこの組織を用いているっていう確信はどこからどうやったら得られるんですか。


以下同文


「JW解約」サイトで書かれていましたが、

輸血や予言や排斥、体罰、教育拒否などなど、こういったことはそれ自体とってもセンセーショナルな内容だからついつい突っ込みたくなりますが、それらは単に「木の葉」に過ぎず、そういう部分を話あってもあまり効果はない。

ものみの塔のマインドコントロールという木の「根っこ」はものみの塔(統治体、思慮深い奴隷級、神の組織などなど名称を変えた同一の団体)が神の組織なのかどうか、


という点だと思います。


ものみの塔が神の組織ならば彼らのいう事は正しいし、従わなくてはいけないけれそ、ものみの塔が神の組織でないならば言ってる事は、、、

たわごと!!!!


というわけです。


これを私たちはつい「ものみの塔の主張が間違っていることを証明できたら、ものみの塔がうそつきという事が分かってもらえる」と思いがちですよね。


本当は

「ものみの塔が神の組織であることを証明できないなら、ものみの塔の主張はうそである」


なんですよね。


ただ逆にしただけなんですが、大きな違いだと思います。


間違いをひとつひとつ指摘してゆくよりも、大本「ものみの塔って何?誰?誰からお墨付きをもらっているの?証明できるの?」という本題だけをついたほうがいいような気がするんです。


どうでしょうか。。。。
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祈りをもって始めましょう・・・・ちょっと待ったぁ~!!!(怒)

2008-04-21 05:43:52 | ●エホバの証人と恋愛/未信者の方へ

祈りをもって始める。

エホバの証人はちょ~っと霊的な人だとこれですね。大会のホール掃除でも「祈りを持ってはじめましょう。」

海外ではもっとひどくて、奉仕をする前に車の中で「祈りましょう」最訪問するたびに「祈りましょう」っていう人が結構多くてこれにはほとほと嫌になりました。

お茶の前にも「感謝の祈り」


私がエホバだったら「いちいちうっとおしいゎ~~」って思ってしまいますね。トイレ掃除とか、3時のおやつの前に一体何を祈れっていうんでしょうか。ヤダヤダ。


でも冗談はさておいて私はこの集会以外での祈りが現役時代から本当に居心地悪かったんです。なんか祈りでもってはじめたとたん、そこからJW公式行事になるようで。

前置き終わり。





さて、未信者の方でJWのご家族やお友達を理解したり、脱JWに導かれるためにエホバの証人と研究されてる方もいらっしゃると思いますが、

以前にも書いたように私個人の意見ではエホバの証人と研究することにはマイナス要素が多いと思います。


現在研究している方を非難するものではありません。状況はすべての人で異なると思いますから。

それから長年配偶者がJWで悩んでこられた方はもうソフトな対応をしている場合じゃない!虎を得るには王国会館に入らず的心境に来てる方もいると思います。


一番大きな理由は

エホバの証人は研究生を前にすると完璧JW人間を演じる

からです。

よく研究生ができると「自分も霊的に成長できます。」


ってセリフがあるんですが、これは本当です。私は劣等JWでしたが、研究生がいた頃はとても優等生でした。人間的にもJW的にも。


貴重な研究生をつまずかせてはいけない、ということで、組織や仲間の悪口などは一切いわず、弱音も吐かず、「模範的JW」になるように自然と励まされちゃって、、、


なので、やはり正式に研究生となると、せっかく脱JWさせたい人物を硬くさせてしまうかもしれません。


それでも教理やJWとの接点がないとやりにくい、話もしづらいと思っておられる方は


研究を出来るだけ非公式な形に保っておく

といいと思います。


非公式な形とは

1:出版物を使わない(出版物を朗読して答えをいう形式にしない)


これは聖書だけで話し合いが出来るというのを前提にしてるJWですので、最初のうちに「聖書だけ使って話しあいたいです。」といえば向こうはそうせざるをえません。一度出版物を使ってしまうと出版物なしで、の形式にするのは相手に不信感を抱かせるかもしれないので、できる限り始めのうちに。


相手がどうしても出版物を使いたがったら

「この説を読んでいただけますか」といわれたら

拒否することです。


いきなり「嫌です!」といっても空気がよどむと思いますので、音読は苦手で、とか、ちゃんと予習しましたから読まなくても大丈夫などというといいと思います。どちらもきちんと筋の通った断りですから、堂々と断ってください。


朗読は直接マインドコントロールになる(書かれたものにはそれだけで心理的に権威となることがある)のと、もっと重要な事に研究司会者のエホバの証人を戸惑わせるためです。

(質問と答え形式でないとエホバの証人は勝手が違い、ひるみます。)


これでお互いに少しよい話し合いの形式が整うことになります。


2:祈りをもって始めない


「そろそろ祈りをもって始めましょうか。」

って!!!なんでなんで~???
司会者は少し時間がたつとこう言い出しますから、そう言われたら「しかし、、やはり、まだ自分が全能の神として心から納得する前に祈りをささげるという行為は出来ません。」

と言ってください~。


これも正論ですからJWは何もいえないはずです。JWは絶対他の神を崇拝できない!といいつつ、他人には全面納得の前に崇拝をほとんど当たり前としてます。
変ですよね!!!だから断ってください。


祈りをささげるとエホバの証人にとってそこが公式な場となり、もっともっとガードが固くなり、個人としてでなくエホバの証人広報としてしか思考しなくなりますから、最初から祈りを拒んでください。ここ、大切です。


3:意中の人と研究する。


これは異性だとJW教理では研究できないことになっています。特にJWが女性、あなたが男性だと女性が男性を教えてはいけない、などと言う時代錯誤な教理で絶対ダメですが、、

そこはJWの都合。外部者のあなたにとっては関係ない教理ですから、それでも絶対といいはれば結構通ります。

公式ものみの塔でも反対する夫が妻と研究してJWになった(ものみの塔での経験談ですから。)経験が載ってます。

そこでは「妻とは研究できないといわれたけれど、妻とでなければ研究しませんといった。そして妻との研究が始まった」とはっきり書かれています。

もちろん、意中のJWが配偶者でない場合は「研究」形式では出来ないと思いますが、そこがみそ。こちらは研究方式にはもっていきたくないわけですから、、。


非公式な形で聖書について話し合うことを同意する、くらいのニュアンスでOKが出るかもしれません。二人きりになることは相手も警戒するでしょうから、喫茶店で時間があったら時に話あっても良い。くらいだといいと思います。


どうでしょうか????


元JW組の方、現役の方、よろしければ現役時代の研究生に対する思い、姿勢などコメントしていただければうれしく思います!!!


おまけ:

ちょっと冗談。

研究書籍に「知識の本」を指定する。
「あれ、、なんかこの本の挿絵不自然な感じがするんです。」→あわせ鏡でサブリミナル挿絵を見せる!!!

きゃ~!!!!!
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