パーフェクトワールド

現在はゆっくりの更新ですがよろしくお願いします。

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ちょっとお休み。のお知らせ。

2008-06-30 02:24:19 | ●お知らせ・その他
夏休み前ですね~~~。

休暇前にちょっと仕事が忙しくなるのと日本語が使えるPCを修理に出すのとでブログをその間ちょっとお休みさせていただきます。一週間から10日くらいかな、、。

その間コメントなど返せないと思うのですが、後で必ずお返事します。

またよろしくお願いします~~
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ちょっと脱線。ベストセラー??

2008-06-23 05:25:27 | ●2世問題
ムチの話題、これが最後の記事といったのに調べていたら色々出てきたので続きます。

スポック博士の育児書について調べていたら、「ベストセラー本の一覧」というのがひっかかりました。ものみの塔でもおなじみ(?)のスポック博士の育児書はどうやら世界のベストセラー一覧入りしているらしいのですが、、


あれ

他にも見慣れたタイトルが。。。


●神はわたしたちに何を求めていますか 著者エホバの証人 部数二億


●地上での生活を永遠に楽しんでください 一億3900万


●とこしえの命に導く真理 (う!これも~??)一億800万


●永遠の命に導く知識(サブリミナル絵が載ってるやつですよね。)9300万

え~!!!まだあるの???


●あなたは地上の楽園で永遠に生きられます 4200万

●真の平和と安全-どのように見いだせるか 3700万

どうですかっ!!!


まあ、、、JW書籍はただだからベスト「セラー」というのかどうか分かりませんし、


読まないで捨てられたやつも部数に数えてもいいんですか、


とか、会衆の姉妹に引き取られて押入れの中で朽ちてゆく書籍も統計に入ってるのかな、


とか、私の嘘の奉仕報告がこのベストセラー表に反映されている?!とか、


疑問はいっぱいあります。


でもなんか、、すごいな~。私も現役時代は頑張たし。って感じ??



っていうか?神はわたしたちに何を求めていますかって本じゃないですよね。小冊子ですよね。

あの小冊子は嫌いでした!
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無力感を学習させるエホバの証人の「むち」教育

2008-06-20 07:11:54 | ●2世問題
はい。また体罰ですか~。すみません、最近思い記事が重なっていて、、書いてるほうも辛いんですが、これがほんとに最後。


セリグマンという心理学者が犬を使って「学習性無力感」の実験をしたそうです。

2つのグループに犬をわけ、犬を固定します。軽い電気ショックが流れるのですが、一方のグループの犬は板を押すと電機ショックが止められるようになっていて、もう一方のグループは何をしても電気を止められないようになっている。

(実験者は後々までこの実験を悔いたそうです。。少量の電気だったそうですが、実験とはいえかわいそうですね。)


この二つのグループの犬を今度は自由にした状態で別の部屋に入れ、同じように電気ショックを与えると、電気ショックを止められなかった部屋にいた犬は、逃げられるのに逃げようとしなかった。という実験です。


この実験で犬は以前の体験から「何をしても無駄」と学び、状況が変わったとしても同じよう率先して無力になってしまう。


エホバの証人の「従順」教育のための体罰もこれと同じような効果があるような気がします。抵抗できないうちに体罰を与えられ続けていると、一人立ちできる年になっても自立の一歩(ものみの塔では「反抗・反逆」といわれているので一定の反対を受ける)という勇気が出ないのも当然です。


(ちなみに、この無力を学習してしまった無力犬ですが、実験者が無理やり犬を動かして逃げられることを示すとしばらくするうちに正常に逃げられるようになったとのことです。


エホバの証人の場合はものみの塔のマインドコントロールがかかった状態で行動することはかなり難しいと思いますが、マイコンさえ解ければ無力感も克服することが出来るという希望が見えますね。)
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エホバの証人とダブルバインド4「体罰その2」

2008-06-17 23:03:20 | ●エホバの証人考
長くなりましたが、JWとダブルバインドの最終回です。


●エホバの証人の体罰の始まり方


私は体罰には反対ですが、子供が言葉を理解しない場合で、結果が行われる体罰よりも重い(例えば熱いストーブに触ろうとする。触れば手をたたかれる以上に痛いし危険。)なら子供のより大きな益のために仕方がないと思います。

しかしエホバの証人の行っている体罰はこういう体罰ではありません。


子供がなにか危険なことを行おうとしてるから制するのではなく、「親に従わせる」ことを学ばせるための体罰です。


例えば集会中騒いだ子は「騒いだ」ことではなく「静かにしなさい」という親の命令に従わないので体罰を受けます。


また研究生は司会者から「今この年の頃にしつけをしておかないと、ティーンになった時親に反抗して苦労するので、今からしつけを始めましょう」という風に体罰を進められます。


この「しつけ」とは道路から飛び出さないとか、人には挨拶やお礼をしましょうとか、友達をいじめないとか、


そういうより良い人間になるための訓練ではなく、「親に従順な子供」になることを指します。


よく考えればキリストの愛や、神の愛を学んでいる集団が、子供の事となるといきなり>「子供が小さく抵抗できないうちに暴力で誰がボスであるか叩き込んでおけば将来反抗されないですよ」と教えるのですからおかしいですよね。

もちろん、知らずJW組織の犠牲となった親御さんたちは「しつけ」というと、当然子供の益のためのしつけだろうと思っていますからその背後にある意味には気づかないのです。司会者でさえ(どうせその多くは子供さえいない)自分が何を薦めているのか気づかないのでしょう。


(が、子供の人生がかかってるんだから少しは考えて欲しいものです。


この時、司会者は子供にぐずられて集会や生活において研究生の注意が「王国」からそれてはいけないので、子供を他のJWの子供と同じようにロボット化させ、邪魔にならないように早めに取り計らっておこうという気持ちはある程度あるとは思います。


他のJW子供たちがそうなってるんだからこの子供だけ例外ってことはないだろうと。子供にもエホバの証人の広告塔になってもらおうと。「体罰を受けた」子が行儀よく、おとなしくなり、組織に長くとどまるのが体罰には益がある証拠だと。


しかし、だからこそJW体罰で起こった障害を訴える必要があると思うのです。体罰は一時期には益があるようにみえても将来的には子供の人生をも崩壊させる恐れのある(副作用)があるんだと。


輸血でなくなった方は何もいえません。でも、死人に口なしでも、2世には口がある!

ってことで。


●JW体罰が暴走するわけ


先にあげさせていただいたエホバの証人のアメリカでの体罰死や、日本でのJW体罰死の例にあるとおり、そして多くの死には至らなかったものの武器や道具を使ったエホバの証人の体罰を受けた人にとってJW体罰の教えは時に度を越して暴走する

という事実は現実です。


その理由にはまさに、JWしつけが社会での常識を身につけるためでも、より良い社会人になるためでも決してなく、「親に逆らわない従順な子供」ひいては「人格のない人形のような子」を作るための体罰であることにあると思います。


だから積極的にダブルバインドなどの「罰を与える口実をつくる」工作が必要なんでしょう。

親のほうから何か子供のあら捜しをしたり、罰を与える機会がない場合、罠にかけて機会を作ろうとしたりするJW親がいるのは、罰を与えていないと子供が反抗すると不安になるのかもしれません。

「親に絶対服従」を良い子供の条件とするものみの塔。少しでも従わないなら親は「こんなはずではない」と逆上するように組織から「親に不従順な子供はイスラエル時代石打ちにされた」「神の前では死に値する罪」などとマインドコントロールされ、感じるように仕向けられています。


親がJW組織に従おうとする時エホバの証人家庭で罰を逃れられる子供はいないのです。


●もうひとつの理由


よく耳にするのは「それでもJW内で起こっている体罰が信じられない」という未信者の方の意見です。


これは一重にハルマゲドンの教えがあり、子供をたたいてでも、子供に「首輪をつけてひっぱってでも」(これは70年、80年頃に実際JW内でよく使われた言葉)エホバの組織にとどまらせ、ハルマゲドンを生き残らせるのが親の愛であるという考え方が関係しいると思います。


体罰を与えると与えない子供と比べてより長く組織にとどまる傾向があるのですが、(暴力により気力がなくなり、組織から出る勇気がなくなるため。)


ハルマゲドンで死ぬより、いけるしかばねでもいい。組織にとどまって欲しい。その後楽園になって癒されるし、永遠に生きるというより大きな益を考えたとき、子供の苦しみは一時的なものになるであろう。


ってことです。


先にあげたストーブに近づく子を見て、子供が泣こうが、親を恨もうがそれでも良いと思ってその手をたたく、その親心と全く同じ。


皮肉ですが。


●習慣化する暴力

「子供はカルト活動に邪魔。だから都合よく暴力で制する」という裏があり体罰をしつけと称して奨励したエホバの証人(ものみの塔)。そしてハルマゲドン教理の切羽詰った非日常感覚から常識では考えられない暴走をしてしまう親。

エホバの証人の体罰にはもうひとつ罠があります。


暴力は習慣化します。


子供が大人になって、JWを離れても、依然と習慣化してしまった暴力を振るう親が居ます。JW内では普通隠し通されますが、習慣化した暴力は子供が巣立った後、弱いほうの配偶者に矛先が向けられるJW家庭が意外に多いのです。


エホバの証人はさらに世の教会が主催するDV対策やシェルター、セラピーなどに参加できないので、問題は深いと思います。



暴力に例外はない!「しつけ」だから「子供」だからといって暴力が許されるわけではない。それから暴力が習慣ついた人間は他の人にも状況が許せば、機会があれば暴力を振るうようになる。暴力で得することは何もないよ!

とものみの塔に言いたいです。
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エホバの証人とダブルバインドその3「体罰」

2008-06-14 04:34:34 | ●2世問題
先回の記事でエホバの証人の体罰(通称「むち」)はしつけのための体罰ではなく体罰を与えるための体罰である、と書きましたが、


こんなブログがあります。

「あなたの子どもを加害者にしないために」
その中の「パワハラにおけるダブルバインド(二重拘束)の構造」という記事があり、(これは職場でのダブルバインドを用いたパワーハラスメントの記事ですが)

こんな一文があります。


以下引用:


要は、徹底的に罰を与えて反抗する気を喪失させることが真の目的であり、その最終目標は、自分の思うとおりに動くロボットを作ることなのである。


しかし、ロボットになれと命令することは非人間的でできないから、そのつど適当に枕詞をつける、それが条件なのだ。


“条件”には、もう一つ重要な役割がある。

条件に合わない行動であれば罰を与えるという、一見“しつけ”のように見せることができることだ。


このように、あいまいな条件は、被支配者を罰すると同時に、“外”に対してはまんまとカモフラージュになっている。これが、この手の支配が、時には隣に座っている人からも分からない所以なのである


以上引用終わり:



エホバの証人の「むち」「体罰」体験や批判が行われるとき、必ずくるのが
現役さんの


「そのおかげで常識が身についた」等の擁護コメントですよね。


これがあるから今までJW体罰について書かなかったといっても過言ではありません。はい。


今思うに、こういう「肯定」意見は体罰というDVの傷を負ってきた2世にとって、またはまだその暴力で苦しんでる人にとって二次的被害のようなもの、ではないでしょうか。


DVやモラルハラスメントを受けている人に向かって「あなたにも悪いところがあるんじゃない?」とか言ったり「お互い我慢あっての夫婦でしょう」などと暴力家庭に戻らせようとする、ああいう人のことです。


アメリカのエホバの証人体罰死についての記事にこんなコメントがありました。

「私はJW2世だけど、体罰を受けたこともないし、他の100人の同じようなJWも知っている。第一こういう事件を起こした人はエホバの証人だと主張するけどエホバの証人じゃありません。」





典型的無神経なコメントです。


まるで、、レイプ被害者の会で「女性にも落ち度がある」「その証拠に私は一度もそういう目にあったことがない」とかって言っちゃってるようなものです。


そこで上の擁護はさんにこんなコメントがついてました。

「私はカトリックで、修道院で育ったけど性犯罪にはあわなかった。あわなかったからといってそういう犯罪がおこっていないとはいえない」


そ~そう~

そうだよ!


体罰でひどい目にあってきたJWに「そういうのは極端な例はあまりない」とか、「自分はうけなかった」(←誰も聞いてないし)とか、

こういう発言でJWの「条件付け」体罰をなかったことにして欲しくはない。です。


以下、アメリカで起きたJW体罰死の記事です。

海外での虐待事件


(こちらでもリンクさせていただいている「元エホバの証人ポータル」サイトのYoshさんの記事です。yoshさんのブログはこちら→ 「雑記」


以下:


エホバの証人の両親が12歳の娘を縛り付け、叫び声が聞こえないよう娘の口の中にタオルを詰めた上、5フィートの電気ケーブルで160回以上鞭打ち殺害するといった事件が起きました。

事件を起こしたエホバの証人夫婦、夫ラリーと妻コンスタンス、には6人の子供がいました。土曜の夜に彼らは夕食に出かけようとしていましたが、コンスタンスの財布の入ってるジャケットが見つからなかったため、ラリーは8歳から17歳までの子供たちにジャケットを探すように命じました。しかし子供たちが一生懸命に探しているように見えなかったため、ラリーは電気ケーブルで8歳の息子レスターを4~5回叩きました。

しばらくしてラリーは汚れた洗濯物が散らばっていてジャケットを探すのが困難になっていることに気づきました。この家では、洗濯と洗濯物の片付は12歳の娘のLareeが担当していました。ラリーはLareeに「ムチの姿勢をとれ」と命令し、さきほど息子を叩いた電気ケーブルでLareeを4~5回叩きました。しかし、Lareeがもがいて逃げようとしたため、ラリーはさらに怒り、2人のティーンエイジャーの息子にLareeをベッドに縛らせた後、Lareeの背中を39回叩きました。その後、妻のコンスタンスも同じ電気ケーブルを使って、20回以上、Lareeを叩きました。

Lareeは叫び始めました。ラリーは息子に持ってこさせたタオルをLareeの口に詰め込み、スカーフでその上を覆い、止血帯のようにスカーフを棒に巻きつけました。さらにLareeのシャツを切り取り、他の子供たちに彼女のパンツを下ろさせた後、ラリーが39回以上、コンスタンスが20回以上、それぞれLareeを叩きました。たくさん叩かれたことでLareeの背中は出血し始めました。ラリーは彼女の縄を解いて彼女の向きを変えた後、おなかと胸をさらに39回以上叩きました。Lareeはその後病院で、複数の鈍的外傷による死亡を宣告されました。

後に父親ラリーは留置所で自身の胸をナイフで刺し自殺を図りましたが、軽傷で済んだようです。近所の人の話では、彼ら家族は静かで人付き合いのない家族だったそうです。隣の住人によると「唯一、ある土曜日に彼らが全員揃って教会に行くのを見たことがありますが、彼らは本当に楽しそうで、機嫌がよく、幸せそうに見えました。」とのことでした。

(シカゴ・トリビューン紙 2001年11月14日 より)


以上引用終わり:


Yoshさん訳をありがとうございます。


原文はこちら だそうです。


他の兄弟たちにこういう暴力にくわわせるのがエホバの証人らしい!(しかも殺している)

私のところも自分の兄弟が体罰用の棒を持ってこさせられたり、参加させられていました。とても嫌な感じです。


ここのお家は死まで至ったのですから、この娘さんの兄弟たちの心の傷もきになります。ただし、兄弟の一人は「(死は)エホバの証人のせいではない」とマインドコントロール的な発言をしています。
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エホバの証人とダブルバインドその2

2008-06-10 07:20:31 | ●エホバの証人考

先回の記事でどちらを選択しても罰を受ける八方ふさがりの状態とその葛藤から来る害「ダブルバインド」について書きました。


エホバの証人の中では沢山のダブルバインドが存在していて、それが精神的苦痛を生み出し精神疾患の元のひとつになってるのでは、と思います。


●ニーズが先き


キリスト教の概念に薄い日本人がエホバの証人のようなハードコア(?)クリスチャンになれるのはなぜ?と思う方もいらっしゃると思います。

元からキリスト教に関心があってJWになった一部の一世を除き、私の母のように家族生活に役立つと言われて軽い気持ちで研究を始めた主婦層が比較的多いのが日本のJW。「信仰」どころか「あいうえお」も読めない子供2世がどのように「JW的信仰」を得てゆくのか、、


マインドコントロールが解けてから、それこそ一夜にしてJWの頃持っていた信仰がなくなった私は、自分の「信仰」って何だったのかな、、と考えざるを得ませんでした。


マイコンが解ける一夜前はいわゆる「死も辞さない」JW信仰を持ってた(はず)なんです。。


今思うと、私の2世としての信仰は

エホバの証人のダブルバインドの産物だったのでは、と思のです。


脱JWした人たちのブログやHPを見ていると脱JWした2世で新しい信仰(特にキリスト教)に向かう人の少なさを感じます。自分もその一人です。


世の人はよく「自分は信仰の必要性を感じたことがない」とか「何かに頼る人の気が知れない」「宗教は弱い人のものだ」といいますよね。

私はその発言に一部賛成で一部不賛成です。


民族虐殺や不治の病で死んでゆく子供たち、人間に摂取虐待される動物たち、破壊される自然、、、こういう一人ひとりの力が及ばない問題を見るとき、解決策としてやはり人間は超自然的な存在又は神に頼らざるを得ないと思います。

そうでなければやるせないですし、自分には出来ないから関係ないというのはあまりにも非人間的。



では個人レベルでは?


というと、今の私には苦しいときの神頼みの精神(?)はありますが、エホバの証人のような「全てを捨てて」修行のような信仰は、、出来ません。


正直になぜかというと、、需要がないんです。


JWの頃はエホバの証人でいるニーズがあったんですよね。


それは「ダブルバインド」によりどんなに頑張っても挫折失敗するように仕組まれていて日々罪悪感を感じ、その結果どうしても許しが必要で、救いが必要で、「神の組織に身を寄せて」生きる必要が出来たから、


ではないか??と思うのです。。


親も会衆の長老も、ものみの塔も「自責」に比べればゆるいです。上の3つがいくら頑張っても隙間が出来る。でも「自分の良心」なら、24時間休みなしに責めてくるわけですから。。。


自分が一番の敵とはこの事です。自分だから容赦ない。許しがない。時に罪悪感はストップすることを知らない、


そんな感じですね。


神がそれを救ってくれることを願うのみ。



こんな感じ。



私の信仰はニーズ(ものみの塔のダブルバインドによる罪悪感)がなくなったので供給も必要でなくなった。


それだけ、という感じがしてきました。



罰を与えるのが目的の「ダブルバインド」ですもんね。



●ヨーロピアンのキリスト教も同じ原理??


罪をクリエイトすることによって罪悪感を感じさせ、いろんなレベルで一般人をコントロールするというやり方は特にヨーロッパのキリスト教歴史で行われていた、というとキリスト教の方に怒られるかもしれませんが、

私はそんな風にも思います。

原罪という考え方ですね。


エホバの証人の場合原罪にはあまり注目しないのですが、その代わり個人責任での罪(例えばマスターベーションなど)が異常に問われます。

自分という人間が恥ずかしい
自分という人間が恥ずかしさで直視できない
存在していることが罪なような気がする


神を利用したダブルバインドは往々にしてこんな感情を生み出すもの。


今でも多くの現役JWがこんな風に自分を思いながら、
日々生活しているのです。
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エホバの証人とダブルバインド

2008-06-07 03:09:16 | ●エホバの証人考
はじめに「ダブルバインド」(double bind theory)という言葉を知ったのは以前紹介させていただいたこちらのブログでした。

「カルト宗教 エホバの証人(ものみの塔)の被害を乗り越えて」の中のこちらの記事-カルト宗教エホバの証人における妄想強化性とダブルバインド性による総合失調症と悪化」


この言葉を知ったとき、

これだあぁぁぁぁ~~~


と思いました。


これだ!これだよ!!


これなんだよ~!!!!






今までパニック症に陥りながらも脱JWして、それからなおもブログを書くという助けが必要で、実際に会衆から逃げた日から1年たって、、そしてコメントなんかで時々「もうJW苦情はやめたら?」みたいなご意見をいただくことも増え、


最近ちょっと考えていました。


たしかに前向きに生きなければいけないかもしれない。

でも!!!



なんかまだ完全にすっきりしてないぞ!!!



という気持ちが強かったのです。


怒涛のようだった脱マインドコントロール前後は別にしてなんとな~くまだもやもやしてる。つまり、、

まだものみの塔を糾弾しきれてない!!!


という気持ちがあったのです。


そこをもってこの「ダブルバインド」という言葉に会い、これでその「もやもや」や「怨念」(笑)が説明できる~!!!と、こころが晴れました!!!


●ダブルバインドとは?

Wiki調べてみたら  以下引用↓

1956年にグレゴリー・ベイトソンによって発表された説。家族内コミュニケーションがダブルバインド・パターンであると、その状況におかれた人が統合失調症に似た症状を示すようになる、と指摘する説。

↑以上引用終わり。


そっ!総合失調症に似た症状!!?


●その理論


1 2人以上の人間の間で
2 最初に否定的な命令=メッセージが出され
3 次にそれとは矛盾する第二の否定的な命令=メタメッセージが、異なる水準で出される
4 そして第三の命令はその矛盾する事態から逃げ出してはならないというものであり
5 ついにこのような矛盾した形世界が成立しているとして全体をみるようになる



つまり、簡単にいうと「本音と建前が理解できない(ように設定されてる)」世界における矛盾からくる苦しみ、というわけですね。

ここまで書くと、もうみなさんは「あ、それJW世界」

ってピンと来ると思うのですが、エホバの証人世界では家庭レベルで、会衆レベルで、そして個人レベルで様々な形のダブルバインド(二重拘束)が行われていたわけです。ダブルバインドの宝庫、オンパレード、っていう感じでしょうか。


●ダブルバインドによって起こること。


なぜ矛盾した二つの命令が与えられるのか?

これは「罰する口実」を作るためだそうです。

二つの矛盾した命令があり、両方を立てることは出来ない。だから必然的に犠牲者はこの決まりを設けた者からどちらに転んでも罰を受けることになる。チェスで例えるなら(またこのたとえ)どこに動いてもゲームオーバーになってしまうシチュエーション「チェックメイト」状態です。


被害者はそうならないために努力するが、与えられた命令が対立するため無理。よって罰は与えられ、心の葛藤の末、無力感を学ぶ。


ダブルバインドを続けられると被害者はロボットのようになってしまうそうです。


ロボット。。。エホバの証人ブログでよく聞く言葉ですよね。


ダブルバインドを仕掛けてくる人は被害者に対して何がしたいのか。


それは無力にさせて、操りやすいロボットにすること。「決まり」「ルール」によって霊的に成長させたり、行儀をしつけたりするのが目的ではなく失敗して失望して自分の下にやってくるのが狙い。


●エホバの証人の家庭でおこるダブルバインドの例:


1 熱心なJWである母親により

2 世俗の教育を避け、世俗の仕事にもつかず(バイト生活)恋愛もしないで開拓奉仕をするよう「励まされる」

3 開拓&仕事はきついのでずっと続けてゆくことは不可能。時期がきて降りようとすると「開拓しないような人は家に置けない。即日出てゆくように」と言われる。あるいは自立するすべを奪っておいて、自立するように要求する。

学歴も職歴も結婚する予定もなく、開拓をやってるので働く時間もないこの2世にとって八方ふさがりになる。さらにエホバの証人は開拓者でない者には援助をしないという強い傾向を持っているので、周りからサポートを受けて一人だちは無理。


4 宗教的マインドコントロール(JWを辞めるなら神から疎外される。ハルマゲドンで滅ぼされる。排斥になれば近親者や友人から絶たれる)により、その場を去ることが許されていない。



こ~んな状況があるのではないでしょうか~。私はこのパターンに悩まされていました。


あと、女性なら

1 JW親により世の人との結婚を破談にさせられる。
2 その上で「○○姉妹に赤ちゃんができた。」などとこれ見よがしに言われる
3 JWマイコンによりJW以外の人と結婚することは出来ない


こういういやらしいモラルハラスメントを受けてきた姉妹たちもいるでしょう~。

家庭でのJWダブルバインドの悪いところは、親が自分のやっていることに気づかないとはいえ、聖書や神、ものみの塔教理などを持ち出して自分のしたいことを子供にさせる、あるいはいじめて鬱憤をはらしているという点ではないでしょうか。


親もエホバの証人ならむしゃくしゃしてるでしょうから(笑)酌量の余地はあるものの、ゆくゆくは精神崩壊を招く要因となりえる、こんなセオリーを知らないとはいえ使っているというのは大変危ない火遊びだと思います。


一番顕著な例はエホバの証人が奨励している「鞭=体罰」でしょう。


1 JWの幼児が集会にいく。そこで騒いだり遊んだり、書籍以外の本を読んだり、泣くことさえも禁じられている。

この場合、ひとつの決まりだけでもうすでに矛盾しています。

幼児が数時間完璧に行儀よくしていられるでしょうか。新生児にもこの決まりは当てはまります。

2 結果鞭という体罰を受ける。集会に行かないという事は許されていない。

3 幼児なのでその状況から立ち去る(親もとを離れる)ことは不可能



これぞ完璧なダブルバインド!!

しかも、失敗するたびに体罰を与えられるというドメスティックバイオレンスまで加わっています。


ここからエホバの証人が主張する「鞭という体罰」が単なるしつけの体罰では決してない
ことが分かりますね。


エホバの証人の体罰は条件付けの体罰です。


組織に都合のよいロボットを作ってゆくための。ダブルバインドと暴力の結果、反抗する気力もない子供をつくるための。

ちょっと精神が壊れて日常生活がまともにできず、エホバを頼らざるをえない「良い」青少年を作ってゆくための。


みなさん!!!だまされちゃいけません!



JW2世に精神を病んでいる人たちが多いのがうなずけますよね。2世はダブルバインドで苦しめられるほか、文字通りの暴力でそれを体験付けられているんすから。

そして悲しいことに、大人なら「家庭内暴力」と世間に抗議できますが、JWの体罰は表向きは躾となっているので抗議を聞いてもらえない場合が多いでしょう。現役JWの発言などからも分かるように、ハラスメント、暴力を受けている本人が「自分のために」「愛によって」行われていると組織の主張どおりマイコンされている場合が多い、っていうか、ほとんど。


私もそうでした。


情けない!今気づいてよかった。ありがとう。



エホバの証人の会衆の中で起こるダブルバインド例:


1 一瞬たりとも性的な事を考えてはいけない。イエスは欲望を抱くものはすでに淫行を犯したと言った。罪!

2 それ守るの無理。夫婦間でも「貪欲」さが見られたら排斥理由にもなりえる。性と貪欲さとはっきり線を引ける人などいない。


3 JW辞めるのは許されない


守ることが不可能な決まりを生活全般で与えられているJWは罪を犯さずには居られない。→罪悪感、告白、審理委員会などの恐怖や屈辱。

無力化。欝。


その図式がはっきりしてますね。


それからもっと複雑なダブルバインドもあります。↓


●自分の心理の中で起こる教理によりダブルバインド


1 神は愛!私たちを気遣っておられる、神の愛を感じなさい!

2 聖書の中で神は残酷なことを沢山している。許すことより罰することのほうが多い。人を滅ぼす計画がある。



1 エホバの証人は愛で満ちている!!!世界一幸福な民である!喜べ!喜びを世の人に宣伝しなさい

2 エホバの証人であるが故に貧困、婚期を逃す人や子供をあきらめる人、家庭の崩壊などで苦しんでいる。会衆内にはいじめや足の引っ張り合い、地位によるへつらい、ひいきなどがある。


1 祈りは私たちに与えられた特権。私たちは自由に神に近づける。それから慰めを得なさい!!

2 少しでも罪を犯せば祈りは聞かれない。


罪を犯すから祈りたい。でも罪を犯したから祈れない。(罪を犯さない人間はいない。)



やはりJWにとって辛いのはこの教理でのダブルバインドではないでしょうか。親に捨てられても神はあなたを捨てないという概念がありますよね。

ものみの塔のマインドコントロールにより、ものみの塔の命令は神の命令と思わされていた私たちにとって、

神からの疎外という罰は一番怖かった、はず。


ものみの塔の目的はどう頑張っても達成できない決まりを作ることにより、私たちは無力でいたらなく、常に許しを必要としている惨めな人間なのだと、だから組織に従ってないと神から是認されないのだと、

そしてその勤めは死ぬまで続く。という。




これがこういう卑劣な手を使ってくる相手が上司とか、親とかなら、もっともっと早く「冗談じゃない!」と見切りをつけられて、精神的ダメージも少なかったと思うのです。でも相手が「神」なら?

精神的ダメージも人間からやられるのと比べると、、強い。


私は親の迫害、DV,モラルハラスメント、もちろんこのダブルバインドを受けながらもそこそこ大丈夫でした。

でも教理のダブルバインドだけは辛かった。



ほんと精神病になるかとまじめに思っていました。今思うとそれにはそれなりの理由があったんだな、と納得です。ケーススタディーにしていただきたいくらい。エホバの証人の中には実例わんさかです。


神は愛。なのに私はそれが分からない。

兄弟たちは愛。でもそれが感じられない。

愛が動機。でもその愛が見えない。



愛がないのが問題じゃない。問題があることが問題じゃない。


例えば私が小学生の頃、エホバの証人だという事で先生たちからいじめられていました。

が!


私は全然辛いとは思わなかったのです。


なぜなら先生というのは怖くて意地悪で生徒をしかるのが仕事な人たちと思っていたから。(つまり「担任」と書いて「鬼」と読む感覚。


一方会衆では些細な仲間はずれや大人姉妹兄弟の言葉にもいちいち躓いていました。


理由は、、、そう、愛があふれること、慰めが得られることを「神」から約束されているのに、それがちっとも行われていなかったからです。


これが、逆に「先生とは生徒をいつくしむ保護者のような、聖職」と認識していたら、先生たちにいじめられるという出来事はどれほど私を傷つけたか?ってことですよね。



問題は「そうであってはいけない」はずなのに、という心が分裂しそうなほどの矛盾なのです。。




よく、「組織には問題がつきもの」とか「人間間の不和とか上層部のネグレクトとかどこの社会にもあること」とか言う人がいます。


今やっと説明できるけど、



違うんだよ!それとは!!



参考にしたブログ、HPです。ありがとうございました。


ブログ「あなたの子供を加害者にしないために」の中のパワハラにおけるダブルバインド(二重拘束)の構造


これ元HPが分からず、、、  §6 ダブルバインド
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JWと血について話し合うための基礎知識6 「医療面から」

2008-06-04 03:37:02 | ●エホバの証人と恋愛/未信者の方へ
写真は目ざめよ!」1994年5月22号「神を第一にした若者たち」


元JWなら「おお~」と思われたことと思います。知る人ぞ知る、、、輸血拒否でなくなった子供たちの写真で表紙を埋めるという、かなりショッキングな号でした。

そんなに古い号じゃないというところが怖いですね。


この号の雑誌についての詳しい記事はこちらで読めます。写真もこちらからお借りしました。

エホバの証人情報センターの中の記事「何人の子供たちが「ものみの塔」の教えにより死んでいったのでしょう?」より。


死をもいとわないエホバの証人。。。でも一方で医療面でエホバの証人が本当に血を避けているのか?というと皮肉にも「違う」という答えになってしまうのです。

例えば分かりやすいのは、、

●「全血」。


エホバの証人は輸血としては受け入れませんが、骨髄移植の中に混入すれば全血でも取り入れてよいことになっているそうです。(1984年五月号ものみの塔「読者からの質問」)


また、骨髄移植自体もOKですが、骨髄とは血の大本になるゼリー状のもので、骨髄移植の際「骨髄を輸血します」と説明している医療サイトもあり、これも事実上血と同じような物質といってもいいような気がします。(血液細胞は骨髄で作られる。骨髄成分は造血幹細胞1.7%、血液成分が98.3%)

ものみの塔誌はこの点について「採取された骨髄にはいくらかの血がふくまれているかもしれません。」として良心の問題としている。


「いくらかの血が含まれるかもしれません」~???98%以上血液成分でいくらか、、ですか・・・・


ものみの塔はこういう事実については知っていながらあえて成員から隠すという方法を取っています。


●白血球


白血球として受け入れることはできない。しかし末梢血幹細胞としてならOK。


で、末梢血幹細胞ってなに?とおもってちょっと調べてみました。


ドナーのためのオリエンテーションのページのこちらのページでは


以下引用


血球は完成(成熟)血管内に入り全身に流れます。血管の中に流れている血液を「末梢血」と呼びます。

通常、みなさんが「血液」と考えているものと「末梢血」とは同じものです。



以上引用終わり


え?血管の中に流れている血液を「末梢血」と呼びますって。。。じゃあ、血そのものじゃないですか??

名前が違ったらOK??


(じゃあ、お医者さんはこれから血を別名で呼んでくれれば良いわけですね!?)


taさんよりコメントがありました。引用させていただきます。↓

末梢血幹細胞(peripheral blood stem cell)は、骨髄にある造血幹細胞(hematopoietic stem cell)のように、これから血液成分になるはずの、今は血液としての働きをしていない細胞です。

造血幹細胞と異なり、骨髄のように固形の組織からではなく、末梢血幹細胞は流れている血液から採取します。JW的には、分画の一種、とみなせるのでしょう。


↑以上引用終わり。

taさんご指摘ありがとうございました~




●分画した血の成分

これも大体ok。これって、、挿○しなければきわどいところまでいっても淫行の罪にならないというエホバの証人の考え方に似てますね。

(実際は挿○がなくともキス以上は淫行定義にひっかかります。)


ちなみになぜ微小分画を受け入れてもよいのかについては、ものみの塔はこのように述べています。

1少量だから(笑)
2「命を支える輸血」ではないから


でた~!!!命 を 支 え る 輸 血


命をささえない輸血ならいいんですか~


そしてなんで???


普通なら命がかかわっているからこそ、普段はダメでも例外的に使うというのが常識感覚のような気がします。

わけわからん!!!


あと、少量ならいい、というのはちょっと量(?)のセックスなら淫行にならないって言ってるようなものです。


●自己血輸血


自己血輸血は自分の血をとっておいて手術時に使う方法です。100%自分の血ですから問題ないように思えますが、ものみの塔はなんとこれも否定しています。


理由は、、、参照資料確認のためにネットで調べてみたのですが、ほとんどのものみの塔資料は聖句が上げられてませんでした。(なぜそれがいけないのか聖書から説明せず、実際の医療事実が挙げられているものが多かったのです。


血は地注ぎだされなければならないという聖句でしたが、、ちょっと今見つかりませんでした。どなたか教えてください。。。



「血を注ぎださなければならない。」これは動物の死体についての決まりであって、、人間ではありませんよね。だとしたら戦争で死んだ人たちの血をわざわざ地に全部注ぎださなければならなかったはずです。


この聖句をもって一旦外に出た血は全て捨てないといけない=自己血輸血ダメとなっているのです。


私は輸血拒否は100歩譲って本人がそう望むなら(自分の親族なら別です!!)尊重してもいいと思っています。もちろんものみの塔がそういってるからという理由ではなく、聖書を読んでそう結論したならばです。そういう「殉死」は初期クリスチャンが競技場で亡くなったように今日であってもおかしくありません。


しかし!!!


自己血輸血を拒否する聖書的根拠は全くないと思うのです!!!


もし、自己血輸血が禁止されていなかったら、突然の事故をのぞいて、輸血拒否受け入れ病院を探すために命を削るとか、手術が延期になって病気が進行するとか、そういう事態がどれほど避けられたでしょうか。


血は地に返されるべきであるという文は「血を食べてはいけない」という掟とは違い、ギリシャ語聖書には一度も出てきません。


それで、その掟はキリスト到来以後廃れたと考える証拠になります。


なぜものみの塔は自己血輸血までかたくなに禁止するのか。「以前もっとも口調で言っちゃったから」引っ込みがつかない程度の理由でいまだ解禁されていないのだとしたら、、本当に罪があると思います。

さて、


自己血について、ものみの塔には少しでも血が体外で停滞したらダメと書いてありますが、後日良心上の問題としてgoサインが出ている人工透析も血がぐるぐる回ってるわけでなく、少しのタイムラグがあることがわかってきて、、

では人工透析はよくって手術の際はダメという理由がないということで、だんだん「どのくらいとまったらダメなのか」という点についてもあやうくなっているような気がします。



以前書いたかもしれませんが、手術時に出た血を集めて再び体に入れるセルセーバーも血液洗浄の機械を通すわけで、一旦血が体の外にでてから体内に戻るまで、最新の機械を使っても数時間かかるのに、教会からオーケーが出ているのはなぜでしょうか。


またjwが使ってもよいとされている分画成分は何日も貯蔵されています。

これからは「読者からの質問」などで

「ある人は貯蔵した血液を○○すれば(例えば冷凍、洗浄、成分を加えるなど加工)治療過程の一部とみなすとしてそれを受け入れる決定をするかもしれません」とか、

「ある兄弟たちは信仰の試みに直面して自己血輸血が良心上受け入れられる処置だと判断するかもしれません。私たちはそのゆような兄弟たちを批判して気落ちさせるべきではありません。(良心が弱い人たちのため~しなさい、とかいう聖句をフィーリングでなんとなく引用)

長老たちはそのように霊的にも身体的にも弱っている兄弟たちに重荷を加えるのではなく、むしろ聖書からの慰めという油を塗ることによって神からの羊を養っていることへの敬意を表せます。(病気のものは長老を呼んで油を塗ってもらえという聖句参照。この聖句はjw的には審理委員会のことだけど。皮肉ってことで。)」

とか、


こんな感じで間接的に解禁されてゆく部分だと思います。そうでなければおかしいです。。。


(あくまで罪だけど、霊的に弱くなり受け入れる人たちもいるというペナルティー付解禁とか。)


ただしそれまでまだまだ長い時間がかかるかもしれません。






長くなりましたが、これで「エホバの証人と血について話し合うための基礎知識」ざっと網羅できたと思います。


最後に、まとめとして、このページを紹介したいと思います。


ものみの塔協会の血の教えを支持する兄弟姉妹に対する22の質問

いつもお世話になっているエホバの証人情報センターの中の記事ですが、私はこのページを最近みつけました。もう一度見ようと思ったら、サイト内からなかなか見つけることが出来ず、検索にもヒットしないのでこちらに載せておきます。


箇条書きで輸血拒否するエホバの証人の心を揺るがす質問が22つ挙げられています。


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JWと血について話し合うための基礎知識5 「イエスの意見」

2008-06-03 06:25:33 | ●エホバの証人と恋愛/未信者の方へ
次に書こうとしていた記事の覚書を無くして探しているうちに結構間が空いてしまいました。覚書が見つからないのでその記事は後回しにしたいとおもいます~


JWと血について話し合うためのシリーズ(?)あと少しだけ続きます。


さて!


エホバの証人は輸血することが殺人などの「人道的に許されない」「しようとはおもってはいけない事柄」(「論じる」より。非常~に嫌な言い回しですね。)と同じで重大な罪だといいます。


ではイエスはこれについてどう述べておられるのでしょうか。




何も述べておられません!



これは一体どういうことなのでしょうか?!


そんなに重要なら繰り返し述べるはずなのに、実際は一度も血を避けることについての言及はしていません。(ちなみに、モーセの十戒でも血については述べられていません。)


イエスが民に「神に喜ばれることとは」「どんな律法が重要か」を述べる機会はいくつかありましたが、その時も


血についてはな~んにも述べていません。



それどころか、「私の血を飲み、肉を食べるものでなければ私にふさわしくない」というたとえをあえて使っています。


神権宣教学校なら「ふさわしくないたとえの用い方」ってことで即「努力」マークで落第ですね。


しかし、イエスはあえて血を飲むという例えを使って、古い律法から勤めて努力して離れ、より高度な愛に基づいた法律を受け入れる「意識改革」をしない人はだめ!自分の追随者にはふさわしくない!

といわれたかったのではないでしょうか。


だとしたら、エホバの証人は文字通りにも、象徴的にもふさわしくない!


ということを表しているのような気がします。
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