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エホバの証人とセクシュアリティーの続き

2007-09-30 23:52:18 | ●エホバの証人考
さて、まず、以前の記事について皆さんの率直なコメント、ありがとうございます。。いろいろ考えさせられました。

その記事でカトリック神父と同性愛についてちょっと触れましたが、

(あと、あらら果実さんへのコメントでもちょっと触れましたが)


私も同性とお付き合いしたことがあるんですよ~。


高校の時だったけれど、バリバリJW全盛期だったので、かなり決まりが厳しく、男女交際なって口に出すことさえ難しかった時代ですが、、、

やはり私もある意味でのセクシュアリティーがあったと思われます。


隣のクラスのちょっと男性っぽい女の子に熱を上げて、ちょっとの間ですがエクスクルーシブでデートとかしてました。

もちろん私もおぼこJWでしたから、高校生といえどもまだまだ子供で、ずばり「性」については何もしらず、このお付き合いや恋はほんと淡いものだったんですが、


お付き合いなんてそういうもんじゃないのかな。って今思います。ものみの塔がけしかける、デート→淫行、性の宴会(だからやめて。そういうヘンな想像は。)みたいな事が目的でお付き合いしたり、異性に興味を持ったりする人は少ないと思う。

私がその時彼女に求めていたのは、親密さとか、エクスクルーシブな安心した関係とか、大切にしてもらえるとかいった甘えみたいなものでした。

別に同性愛傾向があったわけではなく、女の子なら誰でもいい、と思ってたわけでもありません。シンプルにその子が好きだっただけだし、休み時間会いにいったり休みの日には映画にいったり、その程度。

映画にいくときは相手が女性なんだけど、男性の彼氏に見立てて目一杯おしゃれしたり、、といった単純なことがものすごく楽しかった。

それだけです。


何が言いたいのかというと、JW2世も異性交遊を始めるとき、こういった純な感情からだと思うのですが、組織に言わせると堕落した性への一歩とうわけなんですよね。

人間、悪い悪いと言われ続けてると、ほんとに自分が性悪な人間だと思い込んでしまうように、健全なセクシュアリティーもいつしか恥ずべき、隠すべき、治すべき欠点と思えてくる。

もちろん、組織は信者がそう思うと、淫行防止になり都合が言い訳ですが、囲いから出ないように羊を不具にする、そんな極端な措置だと思います。



さて、セックス以外のセクシュアリティーですが、

たとえば男らしさ。


ちょっと前はごついバイクを所有した兄弟が会衆でバッシングを受けることは珍しくなかったです。ごついバイクを所有することはシンプルに男らしさの象徴だと思いますが

会衆のお局的姉妹とかから、「○○兄弟はあんな世的なバイクを買って、反抗心や粗暴の表れだ」とか「慎みに欠ける」とか言われて、「移動に必要ならスクーターで十分」などと挙句長老から助言。

なんて事は良くありました。


こういう人はごついバイクとはセクシュアリティーだと敏感に感じてたんでしょうね。なんか分からないけど、いけない感じがするわ。って。

はは。


女性の場合は前にも書いたようにもっとシンプルですが、肌を見せる、メイクをする、こういうことが自己表現としてのセクシュアリティーの一部です。きれいに見せることで、自分の気分がいい。

こういうものもJW内では戒められます。男を誘ってるとか。ストレートにあばずれ(ほほほ。なんというお言葉でしょう。)であるとか、そこで自己否定されるわけです。


JWをやめてから、少し胸が開いた服なんかも堂々と着られるようになりましたが、胸があいてるときれいに見えますよね。そうすると(第三者の意見は無視。)気分がいい。気分がいいと人にも会いたくなる。どんどん開放的になるんです。

こんな簡単な事、そしてすごく大きなことがJWでは抑圧されていたことを考えると、セクシュアリティーの否定というのは単に不道徳云々の問題ではなく、簡単に「性、淫行」の問題でくくられるべきではないトピックではないかな、

と思いました。


また2世JWにとって、セクシュアリティーの否定が、大人になれないひとつの原因であることも否めないと思います。
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セクシュアリティーを否定されるエホバの証人

2007-09-29 01:34:51 | ●エホバの証人考
セクシュアリティーと一言に言ってもかなり広範囲による意味合いがあるのであれなんですが、(←?)ここでは性的関心ということにします。

ふ~。

じゃ、いってみようか~。


さて。人間のセクシュアリティーを否定すると精神の不安定を引き起こすという研究結果があるそうです。あ、セックスはしなくてもいいんだそうです。ただ性的興味、性的表現を否定されるということは、人間そのものを否定されることなのだそうです。

ちょっと前までは常識だからということで一定の歳になれば結婚するという社会でしたが、晩婚化、ノー婚化が進むようになった今日ならではの研究だと思います。


エホバの証人は性がもたらす病気をめちゃ強調する一方で女性が子供を産まないですごす危険性とかは全く無視です。ものみの塔は医学に対して進んだ考えをしてるのか、と勘違いしてましたが、やっぱり自分の教理に都合のいいデータだけを取り上げるんですよね、


ところで、カトリックを見てください。神父が結婚できないという決まりのせいで、同性愛が盛んです。

あれはカトリックだから、世の協会だからソドムとゴモラのような退廃した精神が宿る。サタンの組織の証明。とかってエホバの証人は結論しがちですが、

実際はセクシュアリティーのゆがんだ仕方での抑制の結果だと思います。


女性との性がだめ、となるとどこかに逃げ道を求めるのが人間なんじゃないかな。それはカトリックの神父でもエホバの証人でも変わらないと思うんです。

教会の同性愛はそっちのほうのコアな性向を持っている人を別にして、イノセントな「愛」から始まったものも多いと思う。少年を女性にある程度見立てて愛情をかけたり感じたりする、

それに純に反応してゆくゆくは同性愛のようなものが成立してきた、、、なんて背景があるんじゃないかな。


結局カトリックが神父の結婚を禁じていなければこんなに神父の間で同性愛が増えることもなかったのでは?というのが私の意見です。


研究によると、このように(ここではカトリック神父が同性愛に走ること)いかなる形でも性の興味を殺さないことは自己の精神防御につながるそうですが、



エホバの証人はどうでしょう。


結婚以外では異性同性にかかわりなくダメ。


ストレートな「性」だけでなく、セクシャリティーには女らしく振舞う(ぴったりした服を着てみる。男性の視線を楽しむなど)男性らしく振舞うといった細分化された興味、欲求も含まれますが、

そういうものも一切ダメです。否定されます。不品行です。
貪欲さの現れです。みだらな関心です。エトセトラエトセトラ、、、。


こうやって自己表現というセクシャリティーも一切含めて否定されるわけです。



ついで唯一の例外であるかのように見える「結婚内」のセクシュアリティーですが、、

これも、、毎週毎週集会行って、雑誌読んで、JWの中で生活すれば分かりますが、

あっちにころんでもこっちにころんでも、不品行だの貪欲だので、審理委員会ものになる危険性がごろごろ。

なんか地雷を踏みそうでまともなセックスもできない。


そんな状態です。


あと、慎み深いセックスってなんでしょうかね。セックスって行為自体が慎み深くない性質があるんじゃない?


こうやって結婚外、内、異性同性、表現方法、振る舞い、密かなファンタジーやマスターベーション類まで、つまり、全てにおいてセクシュアリティーを否定されたJWは

外に飛び出してゆくか、死んだものとなって会衆内にとどまるか、苦しんである程度の意味で精神を病んでゆく、


究極的にはそう運命づけられてるように思います。




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「魅力のない2世」

2007-09-27 04:39:16 | ●2世問題
JW1世と話していると、

「会衆の若い人に魅力がない」

なんていう発言を聞くことがあります。

「若い人」というのは、2世のことだと思っていいですよね。今じき若い1世というのはあまりいないので。


JWの仲間からも魅力がない、といわれてしまう2世とは?!


これを言われた時、私はなんて失礼なことをいう人なんだろうと思って、影ですごく憤慨しました。

もちろん憤慨したわけは図星だったからなんですが、


この姉妹が主張するには、、

JWの若い人は何もかもできる、知ってると傲慢になりやすい。若くて傲慢な人には魅力がない。姉妹たちはなぜかきつく、ぎすぎすしてる。些細な事にすごく敏感に反応する、ヒステリック、人が寄り付かないような種類の人間になってる。

というんですよ。


私は憤慨しながらも、、自分がそういう種類の人間にありつつある(20代の後半でした。)事にも気づいていて、、愕然としました。

なんか傲慢で、間違いを指摘されると我慢できない、他の兄弟姉妹たちをバカにする態度、とかとか。

なぜ???



一つ前の記事でPusiさんからのコメントで

●私の人生も失敗だらけ…でも順調にいってたらわからない事もいっぱいあったし、傲慢で、いやな人間になってたと思います。(JWのように失敗しないので…)いろいろ経験する事が大事なのでは。


といわれて、


あ、そうか~

と思いました。

2世が傲慢になるのは、失敗や自分での決定がない人生を送ってるからなんですね~。


はあ。なるほど。

そう考えると合点がいきます。

若いのに失敗がない。

だって組織の言う事を行ってれば失敗はない、ということになるので、ある程度決まりを守っていれば自尊心も保てる、JW世界からはそれだけでえらいと言われる。
(ある程度というのは大体において姦淫をしない。ってこと、全時間の仕事に就かないで奉仕してる。大学に進まず会衆の模範になってる。くらい。)

失敗がない人なんて普通いないんですが、JW世界では原則を守ってる限り、失敗は経験しませんよね。。。

だから必然的に若さの傲慢さと結びついて、鼻持ちならない人間を作ってしまうんでしょう。(若さがなくとも特権がある長老も同じ作用あり。鼻持ちならない人間をつくるシステム。笑)

JW教育の弊害のひとつです。


間違いなく私もそのうちの一人でした。傲慢で鼻持ちならない嫌な人間だったと思う。。。

それを指摘されてもどうしようもなかったんです。あそこにいる限り。


JW世界はとかく2世をちやほやする傾向があります。

それは。


エフタの娘



の法則ですね。


なんか、、、本人の意思によらずして若いのに禁欲生活を強いられ、、それが一生続くんだよね、、

と世から出てきた1世は不憫に思うのかもしれません。実際不憫ですが。
童貞の人か、一生処女とか。

(別にセックスが大切とは思いません。が、JWゆえに結婚できない、愛し合ってるのに泣く泣く我慢とかは問題だと思います。)

それで、

結構何かにつけ2世をほめる傾向にあるんでしょう。


それも2世を思い上がらせる原因かもしれません。エフタの娘が「憂さ晴らしにパーティさせてよ」といったように、
2世もある程度わがままでも見過ごしてもらえますから。


ついで、何度も同じことを言うようですが、

2世は大学で思想を切磋琢磨されることもなく、

全時間の仕事で苦労することもなく、

JW親からの生活保護があるので、生きる上でも言い訳や逃げ道がたくさんあり、

開拓してると暇な時間がいっぱいあるので、口だけ、机上だけの理想論が発達し、

長年JWやってるので、テクニカルなことも、教理も、裏テクも知り尽くして



結果自分はひとかどの人間である。と思うようになってしまう。


姉妹の場合、周りが結婚してゆくとか、自分が取り残される、オールドミス(今、こういう言葉あるんですか。)になる、という不安や周りの指摘から自分自身を守るために女を捨てた、きつい性格で防御、

みたいな図が出来上がるのです。

ダメ人間を作るエホバの証人組織。

とほほにもほどがある。。。

あ、記事の最後になってしまいましたが、JW解約サイトでエフタの娘についての解釈が出てましたね~~~~皆さん、もうごらんになられましたか。(新しくアップされたPDFの中にあります。

怖かったです。

どきどきです。

ご自身で見てください。











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決定が出来ない2世

2007-09-25 19:31:49 | ●2世問題
エホバの証人問題で親から「真理」(エホバの証人用語で、ものみの塔が掲げる教理のことを指します。)を「事実」として教えられてきた子供たちを「2世」と呼びますが、


往々にして「エホバの証人問題」と「エホバの証人2世問題」が似ているようで全く異なるので、JW問題にかかわっている一般の人はちょっと戸惑うところだと思います。なので、JW問題でも特に2世にだけ当てはまるトピックは新しいカテゴリー「2世問題」に入れることにしました~。


さて~。

JWから離れるにあたって、色んな決定をしなくてはいけないようになったんですが、

それが!!!

ふと気づいたら、、、決定が出来ない。


普通の人からみたら馬鹿か、と思われるかもしれません。

でも、決定する→決定に伴う結果を受け入れる。これがいまだ信じられません。

30代ですよ、私。


思えば今までJWだった私はものみの塔の教理を「原則」として、その原則でOKか、NOか決めてきたわけです。っていうか、自分で何かを決めることはなかった。

たとえば付き合ってる人と別れる。という決定ですが、普通の人の場合、「この人と別れたら後で後悔するかも。」ということを踏まえて結論を出すわけだけど、

JWの場合は

世の人と付き合ったらダメ。→別れるべきと決まっている。→別れたらエホバや組織から喜ばれ、神の前で正しいことをした→終わり
原則に従った結論はどんなものでも正しく、原則から外れてる場合は本人がいかに幸せでも間違った決定。

こんなふうになってます。


今までそれが嫌だ嫌だと思っていたけれど、今思えばなんてシンプルで楽な人生だったんだろうな、、

JWの場合、いくら後悔しすることがあっても、最後にはかならず「いや、エホバの前で正しい決定をしたんだ。楽園という祝福がある」って神からのOKだし(?)があるん

です。

これからは原則がなく、自分の決定は自分で、そしてその結果を負って生きてゆく。

当たり前ながら、人生のほとんどをこういう原則判断してきた私にとって、それが出来るのかどうか、、

正直いって分かりません。



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体罰の必要性?その2

2007-09-14 07:20:42 | ●海外のJW事情
体罰の話の続き。


前回はエホバの証人でなければ集会や奉仕がなく、体罰を受ける機会自体が少ないということと、エホバの証人流の体罰を受けない世の子供も立派な大人になる、

ということを書きました。


皆さんも実例をいろいろ見てこられたと思いますが、エホバの証人の子供にはゆがみ、ひずみが出ます。大多数が絵に描いたようにいい子である一方で、

子供のくせに非常に暴力的な子たちがエホバの証人の中にいます。

統計とったわけではないけど、いろんな国でいろんな会衆を見て回ったところ、どの会衆にも一人くらいいるんです。

大体が女の子です。

幼稚園か小学校低学年くらいまでの子で、

大人の手をあざが出来るまでつねったり、時にはバッドなどの道具を使って人をたたいたり、たたこうとしたりする子供です。

女の子に多いのは、やはりエホバの証人が早くから男尊女卑を教えていることで、「女性」の意味も分からない子供は知らず反抗を感じるんでしょう。

こういう暴力的な子は感受性が豊かな子であることが多いので、女の子であり、男の子であり、早くからJW世界に窒息しての結果だと思います。



(興味深いことに、私はこういう極端に暴力的な子を世の子で見たことがありません。)

こういう子は親が努力しても大抵の場合組織が要求する「良い子」にはなれません。活動過多症とか名づけられて周りも多くを求めなくはなりますが、

本当は体罰も心配も要らないのが大体です。


と、いうのも、年頃になればこういう子も自然と暴力を振るわなくなっていきます。大抵趣味とかの関心事で気がまぎれるか、JWの世界も裏表使えばかなり楽にやっていけるという要領もわかってきて落ち着いてくるんです。

別に「むち」が子供を導いたわけではないんです。

むちをされた暴力的な子、むちを全然されず野放しにされていた暴力的な子と比べてみると、どちらも同じ結果になってることが多いんです。(もちろん度を越えた体罰を受けていれば内面ではトラウマを抱えているでしょうが)

時間が経てばこういう子もよいお嬢さん、さわやかな青年になるものです。


ものみの塔の体罰は行儀の良い子供によって自分を良く評価されたいという、誰にでもある親の願望とうまくマッチして容易に加速することが多く、

ものみの塔はそこのところをよく踏まえて、「注意深く」扱わないといけないところです。(でも実際には今でもあまり考慮されてないようですね)


もうひとつ。

子を打ちこらせとかいう聖句を文字通りいつまでも当てはめているJWですが、

最近は子供が暴力的な場合、それが幼児期の一時的でなければ、脳に異常があるための「症状」であるという報告もあり、何事も体罰で収める、あるいは表面上を暴力で制することがいかに端的で単純な考えか分かりますね。

体罰に関しても、やはり聖書を一字一句当てはめるのは間違ってると思いました。


わたし自信はもちろん体罰を受けました。体罰というより家庭内暴力だと思います。今でも暴れるので「だった」といえないところがみそだよね。

弊害としては普通に人と話しをしてるとき、「この人はいきなり怒り出して暴力を振るうのでは?」とまじめに心配になるとか、

やはり人に嫌われるのが病的に怖い(軽い社交でも本気で心配するなど。)

とかがあります。

そういう病的な心配はJWのマイコンが抜けてからはぱったりとなくなりました。
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体罰は必要か

2007-09-14 06:38:10 | ●海外のJW事情
PCかネットの調子がおかしくてメールのお返事など書いたんですが、消えてしまいました!なので、メールくださった方、すみません、もう少しお待ちください。

この記事は以前に書いたので、アップだけ出来るかどうかやってみます。


前回の続きでございます。


ものみの塔は体罰についてなんとなくフェイドアウトしようとしつつ、たまに記事で爆弾発言などをするのを忘れません。

これは絞めとかないとな、というニュアンスよりも


組織は一貫してるとか、他の甘い教会とは違うという差別化の表示

にすぎにのでは?と思います。

しかし、それで暴力を振るわれる子供の身になってみると、、迷惑な話です。


たいていこういう事を書いているおじいさんたちは第一次世界大戦あたりの頑固な家庭で育ってますから、ついつい筆がのってしまうんでしょう。


その「つい」が多くの人間をゆがませていることも知らず。


さて、エホバの証人の特徴に「子供が礼儀正しい」というのがありますね、日本でも外国でもエホバの証人の子供は小さいのにスーツなどを着て、確かにほとんどの子がおとなしいです。(韓国人、フィリピン人、ロシア人を除く。別に悪口にあらず。)研究生や家の人がこういう礼儀正しい惹きつけられるのも、古今東西同じストーリー。

子供というのは、結局子供です。どんなに出来た子でもわけが分からないのが子供ですから、こういう、年はも行かないのに妙に物分りが良く、礼儀正しい子はずばり「体罰」でしつけられています。


私は体罰は全面否定ではありません。やっぱり子供ですから、言葉で分からないときもあるし、動物をいじめたり、他の子供をたたいたりするような時は手かおしりの一つもピシリとやるのも親の勤めだと思います。

でもそれは言葉がろくに通じない頃までの話で、小学生になったら例外を除いてするべきではないと思ってます。

(エホバの証人の間違いは体罰をとめる時期が遅すぎる、または行き過ぎた人になると大人になってもやってます。それは異常です。性的倒錯の粋に入ってると思います。ものみの塔は年齢制限なしに、子供は永遠に親に従えと教えているので、これをエスカレートさせてます。)

さて、


問題は、エホバの証人の場合、普通の子よりも体罰を受ける機会が多いんですが、集会、大会、奉仕、研究参加、くだらない交わり、などが頻繁にあって、どんないい子でもミスをする確率が絶対的に多くなります。


世の子は比べて、小さい頃はあまり公の場に出ることがないのでそれだけでも体罰の機会が減ります。

つまり、エホバの証人の子が受けている体罰はたいていの場合、無駄な理由によります。普通はうけなくてもいい体罰なのです。

それでもエホバの証人は子供の頃のしつけは大切です。躾けられた子は大人になってから親にハジを欠かせないと書いてあります。


とかって言います。


その実によって分かる、というやつですね。

では、その「実」を見てみると、、、


世の人を見てください。JWのように頻繁に体罰を受けなかった人たちだけど、


普通に普通の人に育ってます。

別に親に恥をかかせたり、犯罪をしたりしてません。


逆にJWを見てみると、精神的に壊れて社会に対応できない人に多くの人が育ってます。


その実で技が明らかになるとは良く言いました。


つまり、エホバの証人のように頻繁に体罰を受けない人もきちんと、きちんとした大人になる、ということです。


なので、エホバの証人の体罰は


乳歯の歯列矯正
のようです。

してもしなくても結果が変わらないどころか、矯正中はかなりの痛みと不自由が伴うし、良くかめないので栄養も取れないし、ブラケットが原因で虫歯になりやすい、と害ばかり。

です。

次回は「実例」をいくつか。

続く。


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海外のエホバの証人体罰事情

2007-09-14 05:46:15 | ●海外のJW事情
さて、本場での体罰はほんとのところどうなの?と思われると思うのですが、

今までちょこちょこ書いてきたものをまとめると、

よく分からない、というのが結論です。


その理由として

1 体罰はもっともプライベートな話題のうちのひとつであり、性的な意味あいも含まれるので話しあわれない。

2 組織が「組織は一貫している」という姿勢を見せながら、ぜつみょ~にこの問題からフェドアウトしようとしていることからくる圧力

3 成員が組織をかばおうとする

4 加害者である親が現役で同じフィールド(会衆)で活動しているため話題にできない

5 州、国によっては体罰は犯罪なので、親がやったこととはいえ公にしにくい

6 周りのJWは皆スパイなので何も話せない

ざっとこんなものが挙げられると思います。



実際度を越えた体罰がエホバの証人組織の指導のもとで行われていたか、についてはイエスとノーだと思います。

ノースアメリカは特に移民が多く、その中でも白人系、有色人種系でおおきく文化、家庭のありかたが異なるので、

この前も書いたように、新しい世代のJWでもアフリカ系だと、「食事を残したらぶつよ。」

などと人前で子供を脅したり、ぶったりする姉妹が普通にいる一方で、

保守的な白人系の中には組織全盛期に組織が体罰を進めてもがんとして拒否してきた兄弟姉妹たちもいる。

という感じでしょうか。


しかし閉ざされた家庭のことなので、真相は分かりません。こういう黒人の姉妹のほうが家庭では道理をわきまえていて、白人コンサバな家庭が見えないところで暴力を振るっているかもしれません。


2世を見ると白人系家庭でも親を憎んでいたり精神的に壊れている人は普通にいますので、こういう人は多分過激な体罰や、言葉の暴力、脅迫を受けてきたんだと思います。


やはり脱JWをするまで体罰については語らないだろうし、JWを抜けた人は排斥でなくとも疎遠になるので、体罰の真相についてはいつまでも語られないままだと思います。


今エホバの証人は子供自体が少ないので、現代の体罰についてはなんともいえませんが、集会でおとなしい子は多分体罰を受けているでしょう。日本のように、普通に「家に帰ったらむち」などという台詞も普通に聞きます。

フィリピーノ系、韓国系のJWは概して子供はうるさくてもいい、というお国がらか、集会で子供が騒ぎまわっても全然気に留めなかったりして、

白人系からは「霊性が低い」などと陰口をたたかれてますが、


ホームステイなどで家庭内に入ってみた事もある経験から言うと、体罰はたいてい行われていませんでした。

次の記事で「体罰は組織の主張するように必要か」について書きたいと思います。

続く。
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創世記の疑問の続き

2007-09-09 06:54:09 | ●教理への疑問
みなさんのコメントにもあるように、こういう質問や疑問を持つとJWはすぐ「知る必要がない」と言いますが、

かなりの確率で「知る必要がない」と言われる内容ほど大切だったり、JW教義上危険エリアだったりするんです。


(1914年の予言の年代計算はするべきではなかったし、大切なのはキリストとエホバの愛であって大切なことではない。とか。)


創世記の疑問も、ここがつじつまが合ってなければ聖書のほかの部分もそれほど大切ではないということですよね。

たとえば、「公正」とか「宇宙論争」なんですが、


最近30年熱心なカトリックだった人とちょっと話す機会があって、その時ちょっと開眼したんですが、(笑)

彼は「三位一体より自分にとって難解な教義はキリストの購いだ。なぜ、神なのに
ただ単に許さないで、もう一人の命が必要なのか。」

って言ったんですよ。


はいはいはい!それ思ってました~!!


公正って一体なんなんでしょうね?人間には分からない神の特質です。

公正って目には目を、歯には歯をという意味でしょうか。


人間なら普通、たとえば子供が犯罪者に殺されて、その犯罪者が死刑になろうとも

「そんなことしても○○(子供の名前)は帰ってきません」っていいますよね。

命には命だから、もうひとつの命が失われたからそれでOK、っていう人いないし、犯人が憎いから殺してやりたい、とは思うだろうけれど、いざ人間を前にして、その人を殺そうとする人がどれだけいるだろうかな。究極には許すことだって出来る。

って思うと、、、神さまってその点においては人間より劣るように聞こえるじゃないですか。?

エホバ神には許すことが不可能、なのかな、

「公正」という特質のせいで?


それから、人間が神の特質を受け継いでいるとしたら、この公正という特質は全然受け告げられていないと思う。良い意味でも悪い意味でも。

私はあんまり公正なんて特質を身につけたくないです。


宇宙論争に話を戻しますが、

ものみの塔ではアダムとエバを殺さず、リセットしてやり直さなかった理由は
神の特質にあり、公正だったと言っていたと思います。つまり、他の選択肢は無かったと。

まあ、そういわないと今の世の中の悪は全てエホバのせいになっちゃいますもんね。エホバが判断を誤った結果だというふうに。神は公正だからその選択肢しかなかったというと、

エホバに責任はなくなる。

神は公正だからイエスが犠牲の死を遂げなければならなかった。

というふうに。

決して父が子の命の犠牲を欲したわけではないのだ。というふうに。






わからない。


だから、何で??

なぜ、アダムとエバは生きながらえてこの世を作らなければならなかったのか、なぜイエスは犠牲にならなければいけないのか。

公正とかって言う事により、

聖書のいうことはつじつまがあっているように見えるけど、

先回書いたように、ちょっと事がずれるとつじつまが合わなくなってくるんです。

アダムがエバに倣って罪を犯したのは非常に都合がいいことになってします。ペアで追放すればいいだけだから。

じゃあ、アダムとエバが忠実で、その子供たちの誰かが、いつか


その実を食べないとも限らない。

限らないどころか、人間が多くなれば多くなるほど誰かが罪を犯す確率は多くんるわけで、アダムが残ろうが一緒に罪を犯そうが、

やっぱり完全族と不完全族に世界が分かれることになったのか???

キリストではない誰かが不完全族のために犠牲になろうとも、一方でまた完全族の誰かが罪を犯す。

地球をハルマゲドンで滅ぼし、一掃してリセットし、新たにラクエーン!みたいな
シンプルな解決策はなくなる、、ことになる。


こう考えると、、公正、イエスの犠牲自体が怪しく思います。


もう一度、、、これ、疑問。エホバは完全なのに、どうして失われた命を単に戻すことが出来ないのか。

その能力は完全な命が「犠牲」としてささげられるまで「ホールド」されているの?だとしたら、どこの誰がホールドしてるの?宇宙の政府機関かなんか?エホバは全能にして、、ある状態がそろわないと動けない、、そんなロック機能でもあるのでしょうか。

人間は単に物事を許すことが出来る。でも神はできない?

別に、、冒涜してるわけではなくって、、疑問です。


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創世記の疑問

2007-09-04 06:32:58 | ●教理への疑問
いただいているメールとコメントのお返事が遅れています~すみません。

せっかくいただいたコメントやメールなのできちんと(?)お返事がしたいので、ちょっと遅れてますが気長に待ってやってください。

今、5分くらいあるので、きちんとじゃなくていい(笑)記事を一個だけ。


創世記の疑問なんですが、

創世記によると最初の人間夫婦が神に背き、論争(つまり今の世の中は論争の結果)が始まった。らしい。これは神の公正さを表しているらしい。

でも、もしアダムがエバの誘いを断り、妻を退けても神に忠誠を保ったら(そしたら、それこそ初めのエホバの証人の誕生って感じですね。)

エバはどうなったんでしょう。エバだけ追放?
エバだけ追放されたら公正さをもってエバが人類を営む権利っていうか、チャンスっていうかは

アダムが背いたときと同じように与えられたんでしょうか。

だとしたら、地球には完全で死なない人族と、
エバの子孫、不完全で死ぬ人間族の二つに分かれて、、、


んで、何世紀かたてばお互いの種族が合ってしまったりして、、

二つの種族の間で、、、


恋が生まれちゃったりして、


で、エバ族とアダム族の交わりは禁止されるんだろうけど、

禁止されることは誰かがやっちゃうわけで、完全な人間と不完全な人間に子供が出来て、、、、第三の種族が出来たり、、、

したんでしょうか。


やっぱり不完全な人間族のほうが今の世のように発達するだろうから、
エホバがこの不完全人間族のほうを滅ぼす時点くらいには、、、今とまったく同じような社会になってて、

完全なアダム族のほうは裸で暮らしてる、、の?



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