エホバの証人の親子問題、体罰問題を語る上で、「組織の責任」(体罰奨励時期の圧力)を抜かしては、片手落ち、というか、根本問題の無視!ということで。
70年代、80年代はエホバの証人体罰奨励されていた時代ですね。
ひよかさんのブログ「ひよかのJW自然消滅気」の
こちらの一連の記事が、当時の体罰奨励の実態を良く表していると思います。
この記事は、ひよかさんによると「ある長老婦人が大切に持っていらした、かなり前に講演された講演者(たしか巡廻監督)の講演原稿」だそうです。
私も、ここで書かれていることは、良く聞いていたので、協会の筋書きに基づいたものであることは間違いありません~。
ぜひリンク先読んでください、。
いっや~。
私は、オフ会かなんかで集まって、みんなでこの原稿を読んで、
どらぁぁあ~![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_thunder.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_thunder.gif)
とかって叫びたいです。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
以下引用です。
テモテはなぜそのようなすばらしいクリスチャンになりましたか?
それはテモテの母親のユニケと祖母ロイスが彼をよく幼い時から訓練したからです。しかし、同じエホバの民であっても必ずしもよくなるとは限りません。
例えば 大祭司エリの子供は物質上の利得を得るため人をだまし結果として何を刈り取りましたか?
エホバ神から殺されました。
エホバ神から殺されました。って。。。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_thunder.gif)
また引用
例えば、ある親は、子供が悪い時、軽く叩きます。それほど痛くありませんが子供は泣き出します。親が怒ったというだけで悲しくて泣き出します。子供が与えられるムチは涙が出るほど痛いものでなければなりません。
子供は叩かれた時、二度とこのようなことはしないと思うほど十分痛いものでなければなりません。そうしたムチを与える事がエホバ神の命令です。
いや、もう、突っ込みたいところを引用すると、全文引用になってしまいますから、ぜひ、リンク先を読んでいただきたいです。
この筋書きにも出てきますが、集会中、子供を寝かすな、寝てるなら起こせ、おもちゃや本、絵を書く紙などは与えるな、子供の集会の話から得られることがある。(あるかっ!!!
)
こういう事は、よ~く言われてましたよね。3歳くらいの子が集会の話から一体何を学ぶっていうんでしょうか。
集会のあとに何を学んだか、聞いてみるのもモチベーションになる、みたいな事もよく言われてましたが、大人になって聞かれてもわかんないような話なんですよ。
2時間、ただ座っている。寝るのも、絵を描いたりするのも禁止。やったら体罰。これって、、、何かの拷問?
こういう事から何か学ぶといったら、妄想の仕方、とか、無になる禅の精神とか、かな。(妄想のほうは、結構良い訓練になりました。)
またこちらのブログ はな みずきさんの 春
の中で、こんな一言があり、これはまさに、か.い.が.ん!!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_thunder.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_thunder.gif)
でしたので、引用。
カルトに子供は邪魔
そうだ!!!これだよ!これだったんだよ!!!
はなみずきさんのブログ記事はこちらです。「愛し合う者同士が傷つけあうシステム」
組織の体罰奨励の影には、、子供らしい子供は組織の成長にとってマイナスである。
出来れば子供なんか、最初から作らなければいい。ペットも時間やお金や労力を取られる(奉仕をそぐならば)なら、子供と同じレベル。飼わないようにするか、「あるべき位置を保つ」ようにしろ、と。
こういう組織の本音があったのではないでしょうか。
子供をロボットに。促進の業に迷惑をかけないように。こうやってしつければ、迷惑にならないし、将来戦力になるから一石二鳥。
合点がいく!!!
以下引用
実は、このカルトは「子どもに道徳」を教え込んでいるわけではなく「道徳」の一部を「子どもを支配するための道具」として利用しているに過ぎません。だから、あなたの感じるような「謙虚さのない道徳観」のようなアンバランスを生み出すのではないかと思います。
子どもをどのように扱うかで、その宗教組織の「カルト性」を計ることが出来ると思います。
ひよかさん、はなみずきさん、啓発的な記事のアップ、ありがとうございます。
なんか、また目が覚めたような気がします。
70年代、80年代はエホバの証人体罰奨励されていた時代ですね。
ひよかさんのブログ「ひよかのJW自然消滅気」の
こちらの一連の記事が、当時の体罰奨励の実態を良く表していると思います。
この記事は、ひよかさんによると「ある長老婦人が大切に持っていらした、かなり前に講演された講演者(たしか巡廻監督)の講演原稿」だそうです。
私も、ここで書かれていることは、良く聞いていたので、協会の筋書きに基づいたものであることは間違いありません~。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
いっや~。
私は、オフ会かなんかで集まって、みんなでこの原稿を読んで、
どらぁぁあ~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_thunder.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_thunder.gif)
とかって叫びたいです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
以下引用です。
テモテはなぜそのようなすばらしいクリスチャンになりましたか?
それはテモテの母親のユニケと祖母ロイスが彼をよく幼い時から訓練したからです。しかし、同じエホバの民であっても必ずしもよくなるとは限りません。
例えば 大祭司エリの子供は物質上の利得を得るため人をだまし結果として何を刈り取りましたか?
エホバ神から殺されました。
エホバ神から殺されました。って。。。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_thunder.gif)
また引用
例えば、ある親は、子供が悪い時、軽く叩きます。それほど痛くありませんが子供は泣き出します。親が怒ったというだけで悲しくて泣き出します。子供が与えられるムチは涙が出るほど痛いものでなければなりません。
子供は叩かれた時、二度とこのようなことはしないと思うほど十分痛いものでなければなりません。そうしたムチを与える事がエホバ神の命令です。
いや、もう、突っ込みたいところを引用すると、全文引用になってしまいますから、ぜひ、リンク先を読んでいただきたいです。
この筋書きにも出てきますが、集会中、子供を寝かすな、寝てるなら起こせ、おもちゃや本、絵を書く紙などは与えるな、子供の集会の話から得られることがある。(あるかっ!!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_thunder.gif)
こういう事は、よ~く言われてましたよね。3歳くらいの子が集会の話から一体何を学ぶっていうんでしょうか。
集会のあとに何を学んだか、聞いてみるのもモチベーションになる、みたいな事もよく言われてましたが、大人になって聞かれてもわかんないような話なんですよ。
2時間、ただ座っている。寝るのも、絵を描いたりするのも禁止。やったら体罰。これって、、、何かの拷問?
こういう事から何か学ぶといったら、妄想の仕方、とか、無になる禅の精神とか、かな。(妄想のほうは、結構良い訓練になりました。)
またこちらのブログ はな みずきさんの 春
の中で、こんな一言があり、これはまさに、か.い.が.ん!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_thunder.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_thunder.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_thunder.gif)
カルトに子供は邪魔
そうだ!!!これだよ!これだったんだよ!!!
はなみずきさんのブログ記事はこちらです。「愛し合う者同士が傷つけあうシステム」
組織の体罰奨励の影には、、子供らしい子供は組織の成長にとってマイナスである。
出来れば子供なんか、最初から作らなければいい。ペットも時間やお金や労力を取られる(奉仕をそぐならば)なら、子供と同じレベル。飼わないようにするか、「あるべき位置を保つ」ようにしろ、と。
こういう組織の本音があったのではないでしょうか。
子供をロボットに。促進の業に迷惑をかけないように。こうやってしつければ、迷惑にならないし、将来戦力になるから一石二鳥。
合点がいく!!!
以下引用
実は、このカルトは「子どもに道徳」を教え込んでいるわけではなく「道徳」の一部を「子どもを支配するための道具」として利用しているに過ぎません。だから、あなたの感じるような「謙虚さのない道徳観」のようなアンバランスを生み出すのではないかと思います。
子どもをどのように扱うかで、その宗教組織の「カルト性」を計ることが出来ると思います。
ひよかさん、はなみずきさん、啓発的な記事のアップ、ありがとうございます。
なんか、また目が覚めたような気がします。
規則のように教えられていたので子供を組織の提案
どりやり
失敗したものです、大会でもそうした実演ばかり、反対者の夫が回りかれ強引にエホにされてからは、
短気は直ったのに、当方が問題に直面したので脱退
覚悟をしたら夫から暴力を子供の前で受けたのです。
家を出る準備中夫は交通事故似合い看病で出るに出られず、不活発の子供は以来家に二度とこなくなり、
25年JWは悪魔の様な長老たちのためにフイになりました、何でも完全主義の夫で長老とは意見が合わず、
返って学ぶ前より自分にも妻にも厳しくなり、真理は
逆効果となる。私は子供を叱らない自由な家風に育ち
伸び伸び明るい性格、しかし、Jwの規則厳格主義には
善さは消え暗い表情になる始末。暗い会衆、悪魔みたい超厳しい長老たち、脱退してからはエホバが労苦を
報いてくださり海外旅行を楽しんでおります。夫は
捨てられると思い全て自由にさせてくてます。会衆の
模範だったテモテ式に多くの子供たちを育てた姉妹は
配偶者たちが排斥されたり、人間はどこでどうなるかは分かりません、組織は辞めるのも自由にして若い
人たちの幸福を選択させるべきです。
とても、良くしてくれます。
入らせない、世の子との交わりはさせない、
運動会には親が集会の為に来ない、校歌は国家主事なのでダメ、騎馬戦は欠席、高校進学の為の勉強も集会
の方を支持する、柔道は欠席する。我が家の子供たち
はこれ等を守ってどんなに、つらい思いをしたことか
。真理を学んだ親の私が悪いのです。今はその分尽くしています。
今はだ~れもしていない。長老の息子さんでさえ、王国会館を走りまわっても注意だけ。
たった十数年で変わってしまうような教えなのか。
子供たちの青春を返してあげたい
連れて出席した、休みタイムでトイレは300人の
長蛇の列。子供たちはジット我慢、
翌日、司会者にナイショで上野動物園へ連れて行く、
モノレールにも乗り初めての経験で大喜び、しかし、
後で司会者に詰問され親は拷問に等しく傷ついたもの
です。この時、辞めていれば良かったのに、あの、雰囲気に飲み込まれたのです。まるで開墾時代のような
組織です。協会の雑誌記事とまるで違う方法で信者の
獲得に余念がないと思うのはこちらの人とりよがりでしょうか?
●体罰、当方は70年代に学び体罰に関してはまるで
規則のように教えられていたので子供を組織の提案
どりやり
失敗したものです、大会でもそうした実演ばかり
うちの親もちょうど70年代に入りました。私の教育もその頃でした。
大変な時代でしたよね、親にとっても子供にとっても。
私はとにかくおとなしい子だったんで、しかられることがあまりなかったのですが、事情を知らない(開拓者、独身)司会者から
鞭をしていないなんておかしい、今鞭をしないと大きくなってから手がつけられない子になるから、鞭をしろと圧力があり、まだ幼稚園くらいだったのに、欠点をあら捜しされ、間違いをするのを「待ち構えられて」体罰をされた経験がありますね、、
今思うと、あの頃のJW体罰は、子供が悪いから、子供が手がつけられないから体罰をするのではなく、体罰自体になにか、神の導きがあるような、、なんか迷信的なものがあったなあ、と思います。
●子供たちはすっかり大人になり、私には、
とても、良くしてくれます
それは良かったですね!!!JW圧力、JW迫害に負けず、家族の絆を強めたご家庭を見ると、励まされます。
そうですか、、これって外国だけじゃないんですね。子供たちは、非JW家庭と全く変わらないお行儀の、悪さ(笑)良い意味で、ですね、普通の子、集会場でも、走り回る、公演中は普通の絵本を読んだり、絵を描いたり、寝たり、
そういう感じです。日本もそうなのでしょうか。
こうやって体罰圧力なしの子育てが出来るのは、良いこと(または当たり前のこと)だと思うんですが、統計的に、そういう時代の子はもっと簡単に組織を離れてゆくんでしょうかね、、
ますます減少でしょうか。
んで、組織は焦って方針を変えたりして。。。
結婚したり子供をもうけたりするとハルマゲドンの時に重荷になるとおばさま姉妹達や血も涙もない長老達は言っていました。
●結婚したり子供をもうけたりするとハルマゲドンの時に重荷になるとおばさま姉妹達や血も涙もない長老達は言っていました。
そうですよね、、。私も言われましたよ、まじめにそれをしんじ、子供つくってませんもん!!もうリミットが、、、。う~ん。
全く人事じゃありません。
なんか、子供をもうけることについては、組織の方針にそむいたほうが後々よかったという事ですよね。恋愛とか隠れてちゃんとしていたJWが後から恋愛フリーになったりして、やっぱりやることはやっておいてよかった。なんてことになるんじゃないか、、なんてちょっと現役時代後半にまじめに考えてしまいました。