世界の2世特集(笑)
私はハリソンフォードの映画「目撃者」でアーミッシュの生活をみるまであまりこの宗教のことを知りませんでしたが、、
映画のほうは世界の犯罪や悪から逃れて清らかにひっそりと幸せに暮らす人たち、みたいな好意的な書かれ方をしていまいた。
ユーチューブでアーミッシュのコミュニティーで生まれた子供たち(2世)のドキュメンタリーが出ていたので見てみました。
The Outsiders: Amish Teens
少し前に見てもう一度きちんと見直す時間がなかったので少し情報が間違っているかもしれません。あらかじめご了承ください。
すみません。
このドキュメンタリーによるとアーミッシュの2世たちは18歳になると世に出るか、アーミッシュの生活を選ぶか決める機会が与えられるそうです!!
これは個人的にびっくりしました。
あそこに暮らしている人たちはエホバの証人のように親の見えない圧力があってそのままアーミッシュの生活を続けていくのかと思っていました。
しかも選択の次期が近付くと「世」を体験する機会が与えられるのです!!!
へえ~。
それでパーティーやらコンサートやらばか騒ぎに参加するアーミッシュ2世が描かれています。
それで世を選択するか、アーミッシュにとどまるか決めるのだそうです。
JWのやり方から見るとずいぶん良心的なような気がしますよね。
もちろんJWと同じように親や長老は子供にアーミッシュの世界にとどまってほしいという圧力をいくらかは「期待」として与えているようですが、
18歳になればどちらかを選択する機会が決まりで与えられていれば子供が信仰を選ばなかった時も両親のあきらめもつきやすいでしょうし
なにより信仰をあとにする若者たちへの気持ちの負担が減ると思います。
もちろんその機会が与えられる前にアーミッシュコミュニティーを逃げ出したり、二重生活を送ったりする2世もいるみたいですね。
それから信仰を去った子はそれで幸せハッピーエンドになるかと思うと、やはり「おかげで天国には行けないけれど。。。でもアーミッシュでも全員が天国に行けるわけじゃないし。。。」
などと一人ごとのようにインタビューに答えている子供を見るとJW界と同じだな~と思いました。
それからアーミッシュコミュニティーにいれば教育が受けられないので家族を去ると決めた少女や、信仰に残る・去るの決定で引き裂かれるカップルなどなど
ここにも2世がいるんだな。。と見ていて身につまされるドキュメントでした。
もちろん同時に信仰を去ることを決めた2世の中には「アーミッシュでなくとも神に受け入れられる」と悟った2世や「本当の自分に罪悪感を抱かなくて良くなった」など精神の解放を経験しているようです。
しかし、もう一つのアーミッシュ2世を扱ったナショナルジオグラフィックのドキュメント「Devil's Playground」では約90パーセントの2世がアーミッシュの世界にとどまることを決めているという報告がありました。
JWの比率からするととても高い確率ですが、どうしてでしょうね?
私はハリソンフォードの映画「目撃者」でアーミッシュの生活をみるまであまりこの宗教のことを知りませんでしたが、、
映画のほうは世界の犯罪や悪から逃れて清らかにひっそりと幸せに暮らす人たち、みたいな好意的な書かれ方をしていまいた。
ユーチューブでアーミッシュのコミュニティーで生まれた子供たち(2世)のドキュメンタリーが出ていたので見てみました。
The Outsiders: Amish Teens
少し前に見てもう一度きちんと見直す時間がなかったので少し情報が間違っているかもしれません。あらかじめご了承ください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_cloud.gif)
このドキュメンタリーによるとアーミッシュの2世たちは18歳になると世に出るか、アーミッシュの生活を選ぶか決める機会が与えられるそうです!!
これは個人的にびっくりしました。
あそこに暮らしている人たちはエホバの証人のように親の見えない圧力があってそのままアーミッシュの生活を続けていくのかと思っていました。
しかも選択の次期が近付くと「世」を体験する機会が与えられるのです!!!
へえ~。
それでパーティーやらコンサートやらばか騒ぎに参加するアーミッシュ2世が描かれています。
それで世を選択するか、アーミッシュにとどまるか決めるのだそうです。
JWのやり方から見るとずいぶん良心的なような気がしますよね。
もちろんJWと同じように親や長老は子供にアーミッシュの世界にとどまってほしいという圧力をいくらかは「期待」として与えているようですが、
18歳になればどちらかを選択する機会が決まりで与えられていれば子供が信仰を選ばなかった時も両親のあきらめもつきやすいでしょうし
なにより信仰をあとにする若者たちへの気持ちの負担が減ると思います。
もちろんその機会が与えられる前にアーミッシュコミュニティーを逃げ出したり、二重生活を送ったりする2世もいるみたいですね。
それから信仰を去った子はそれで幸せハッピーエンドになるかと思うと、やはり「おかげで天国には行けないけれど。。。でもアーミッシュでも全員が天国に行けるわけじゃないし。。。」
などと一人ごとのようにインタビューに答えている子供を見るとJW界と同じだな~と思いました。
それからアーミッシュコミュニティーにいれば教育が受けられないので家族を去ると決めた少女や、信仰に残る・去るの決定で引き裂かれるカップルなどなど
ここにも2世がいるんだな。。と見ていて身につまされるドキュメントでした。
もちろん同時に信仰を去ることを決めた2世の中には「アーミッシュでなくとも神に受け入れられる」と悟った2世や「本当の自分に罪悪感を抱かなくて良くなった」など精神の解放を経験しているようです。
しかし、もう一つのアーミッシュ2世を扱ったナショナルジオグラフィックのドキュメント「Devil's Playground」では約90パーセントの2世がアーミッシュの世界にとどまることを決めているという報告がありました。
JWの比率からするととても高い確率ですが、どうしてでしょうね?
選択できるってことはすばらしいことだと思いますが、特別な環境の元で社会化(洗脳とは一概にいえない)された後に投げ出されるのも厳しいなと思いました。
アーミッシュの人たちがコミュニティーに戻っていったのは、濃密な人間関係や自己肯定感をみたしてくれる場所が他になかったからだと思いました。
彼らが今まで暮らした人生の中で他の環境で生きた来た人たちとの表面的な付き合い(ドラック・消費・セックス)では何も満たされなかったのでしょう(言葉では語りあえないものがコミュニティー内にしかないand相手はサタンの遊園地に住む住人ですから)。
神を信じるということではアメリカは熱心な人が多いので、日本と違い影響は薄いと思いますし。日本では宗教は世俗化されてますから、神を信じることそのものにカルト的な多数決意識があります。神を信じている人が多いアメリカでは教義そのもの(聖書)を壊すことは難しいのでしょう。
アーミッシュのコミュニティはある程度の自由をなくすことで濃密な関係を維持しようとしていて、これは、完全に現代文明批判ですよね・・・。
現代人は産業化(徹底的な分業)することで、物質的には豊かになったが、他人との共通点がどんどんなくなり、言葉では語りあえないものの減少が急激的にすすんだ。
日本でも自然信仰や地方信仰として、イデオロギー的な環境運動も盛んにおこなわれていますし・・・。昔はその地域共同体がいやでしょうがなかったというのに。
そう考えるとイデオロギーって全て宗教のような気がしてきてきます・・・。ありもしないことを理想化して、それを糧に生きるということにおいて。
でも、新しい社会を作ろうとすると、必ずイデオロギーが必要になることも否定できないし。
書いていて頭がパンクしそうになってきました。人間が死ぬ以上、理想化したものを妄信することはやめれらないのでしょうかね。
町山さんの未公開映画を見るTVでは他にも宗教関係のドキュメンタリー映画があったと思います。
今思い出せるのだと、クリスマスに買い物をやめさせようとする牧師とか・・・www
http://www.youtube.com/view_play_list?p=0925185783929A44
http://d.hatena.ne.jp/yukikkusu/20090717
こっちのアーミッシュの動画は町山さんの解説づきで~す。
●アーミッシュの映画も衝撃的ですよね・・・
そうですね、私も今までアーミッシュの(そしてその2世の)実態というか赤裸々な姿を見たことはありませんでした。貴重な映像だと思います。
(JWでもこういうドキュメンタリーとして扱って欲しいな
親も大げさに泣きわめく
●特別な環境の元で社会化(洗脳とは一概にいえない)された後に投げ出されるのも厳しいなと思いました
そうですね。JWの場合車は運転するしPCは使えるし世の娯楽にはTVなどを通じてある程度親しみがあるし、、、、
そういう点では自分を取り囲む環境というのは変わらないわけですよね。
アーミッシュの場合は仲間も親族からも切り離されて外国に一人出るというかんじでもっと勇気がいるかもしれません。
●神を信じている人が多いアメリカでは教義そのもの(聖書)を壊すことは難しいのでしょう。
そうですね、だからこそJWも生き残っているのかなと思います。
このインタビューでも「アーミッシュから出たら他の教会に属するのか」と聞かれ「5年後くらいにはたぶん。でもしばらくは教会には属したくない」と2世が答えていましたね。
キリスト教の信仰というのは生活の基盤みたいな感じで欧米の人にとってのこるのでしょうか。
同時にそれは信仰ではなく回りの環境のせいかなとも思います。国が挙げて信仰しているものですからね。。クリスマスとか行事で意識することも多いだろうし。。。
●そう考えるとイデオロギーって全て宗教のような気がしてきてきます・・・。ありもしないことを理想化して、それを糧に生きるということにおいて。
でも、新しい社会を作ろうとすると、必ずイデオロギーが必要になることも否定できないし。
そうですね。
いわゆる「すべてには平衡が必要」(JWには言われたくないですが。
より良い社会を作るためのイデオロギーだったのに、いつしか時間が経つとそのイデオロギーを維持するための社会があると勘違いするようになる。
そうすると良いイデオロギーも「因習」となり「カルト」となり人が苦しむことになるんですよね。
町山さん解説付きのバージョンがあるのは知りませんでした。さっそく見たいと思います。
ありがとうございます!
そうですか。18歳になると選べるのですね。
jwで同じことをしたら半分も残らないような気がします。
アーミッシュの人たちが馬車で移動しているのをはじめて見たときびっくりしたのを思い出します。
それがいきなり「世」を知ったら驚くでしょうね。
でも産まれた家庭で運命が分かれるんですね。
お返事が遅くなりました。
●jwで同じことをしたら半分も残らないような気がします
あ、そうですね。(笑)アーミッシュは一応自分で選ぶ事が認められているみたいですけど、JWは選ぶ事は認められてませんから。。。そこがやはりJWってダメだなあ~と感じるところです。
人の人権を認めてないというか(笑)
●でも産まれた家庭で運命が分かれるんですね
人には違った形の試練が与えられると思うんです。その中で人間性が強くなっていくんではないかな~と最近思っています。
もちろん「与えられる試練」は割り当て制でなく葛藤がない生活環境に生まれる人もいるはずですが
その場合強くなる機会もないというか?
そういう点では「人生は公平」というよりも、試練があった人のほうが不公平にも勝ち組な気もしますよ~。