=前川喜平前文科省事務次官が語った=
◆ 「教育の機会均等」と夜間中学への思い (紙の爆弾)
埼玉県の元教職員らが、前川喜平・前文部科学事務次官(62歳)の講演会を十月四日、さいたま市浦和区で開催した。前川さんは、約四〇〇人の市民に「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」(教育機会確保法。超党派の議員立法として二〇一六年十二月七日成立、一四日公布)の策定に、〝黒子〟として関わったことから語り始めた。
教育機会確保法は、「教育機会の確保等に関する施策」が、「義務教育の段階における普通教育に相当する教育を十分に受けていない者の意思を十分に尊重しつつ、その年齢又は国籍その他の置かれている事情にかかわりなく、その能力に応じた教育を受ける機会が確保されるようにするとともに、
その者が、その教育を通じて、社会において自立的に生きる基礎を培い、豊かな人生を送ることができるよう、その教育水準の維持向上が図られるようにすること」などを、「基本理念として行われなければならない」と規定。
地方公共団体に、夜間学校の「就学の機会の提供その他の必要な措置を講ずる」よう義務付けている。
◆ 夜間学校を法に規定するまでの歴史
前川さんは、夜間学校が法にこのように規定されるまでの歴史を、以下のように述べた。
終戦後、日本国憲法第二六条二項は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする」と、親(保護者)が子どもに教育を受けさせる義務を規定。一九四七年施行の学校教育法に基づく新制中学校ができた。
だが貧しく、昼間、働かなければいけない子どもがたくさんいて、就学率が高まらない。そこで、現場の教員たちが夜間中学を始めた。しかし、当時の文部省は「夜間中学は、やるな」と邪魔し、冷たい態度だった。
夜間中学は一九五五年頃は九〇校、五〇〇〇人超が学んだが、一九六〇年代終わりには二〇校、五〇〇人を切り、一九六六年、当時の行政管理庁(現総務省)は早期廃止を勧告した。
一方、一九六五年の日韓基本条約締結、一九七二年の日中国交正常化で、韓国と中国からの引揚者が大量に帰国。一九七〇年代、特に関西で、これら引揚者や在日コリアン、被差別部落の人々などの学びの場に、一九八〇年代は不登校(旧文部省は登校拒否と言っていた)や学齢期を越えた人たちの学びの受け皿となった。
だが、旧文部省は、形式卒業者(不登校だが中学の卒業証書をもらった人)を入学させなかった。
文科省は二年前に悔い改め、形式卒業者を受け入れる通知を出し、二〇一七年度からは市町村だけでなく、都道府県が設置する場合も、交付金を出せるようにした。
前川さんはこのように、夜間学校が規定されるまでの歴史を振り返った。
◆ 夜間中学の教育内容と現時点の課題
前記・学校教育法第一条に定める「学校」のうち、大学を除く小中高校、特別支援学校等に対し、文科省は、「(第一次安倍政権で改定した)教育基本法、学校教育法、その他の法令」と「学習指導要領に示すところに従い、…適切な教育課程を編成する」よう強制している(学習指導要領「総則」。卒業式等での〝君が代斉唱〟強制も、学習指導要領の「特別活動」等の記述を根拠にしている)。
前川さんはこの学習指導要領等の、夜間中学での適用について、以下のように述べた。
文科省は今まで夜間中学を、(良くも悪くも)ほったらかしにしていた。つまり、「学習指導要領通りやれ」と、よけいなことを言わなかったが、教育機会確保法施行に伴い今後、「学習指導要領通りやれ」「文科省検定済教科書を使え」と言ってくる可能性がある。
しかし今、夜間中学の担当をしている文部官僚は、柔軟な対応をすると思う。教育課程の特例制度ができ、一人一人の生徒に合わせた教育課程でやってよいことになり、漢字は、大人として知っておく必要のある三八一字でよいことになっている(ちなみに、小学校改訂学習指導要領・国語の別表の「学年別漢字配当表」では、常用漢字のうち、一から六年で計一〇二六字を学ぶよう規定)。
この三八一字には、「汽車」の「汽」のような、現代であまり使用しない字は入っていないが、四七都道府県名の漢字はすべて入っている。
夜間中学はまだ、全国で三一校しかない。前述の通り、市町村だけでなく都道府県も設置できるようになったが、文科省が「各県、一校以上作りましょう」と言っても、「作る」「作らない」は自治体の判断なので、都道府県と市町村との間で、押し付け合いが始まる心配はある。ともあれ、全県をカバーすることが大切だ。
◆ 教育の格差解消を
会場ホール正面の向かって右側には、主催者が毛筆で大書きした、日本国憲法第一三条の「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」が、左側には前記・憲法第二六条二項とともに一項の「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」が、それぞれ掲げてある。
前川さんは、この「個人としての尊重」を規定した第一三条と、学習権を規定した第二六条一項が重要だと述べた。そして、「すべて国民は、…経済的地位…によって、教育上差別されない」と規定した教育基本法第四条の「教育の機会均等」が、「十分にできていない」と指摘。「日本が抱えている課題である、貧困の解消は、教育の格差解消だ。子どもたちが人生をスタートするところで、格差・機会不平等があってはならない」と力説した。
◆ 経済的貧困解消と豊かな人間関係
次に前川さんは、経済的貧困への政府・文科省の近年の対応策を、以下の通り説明した。
民主党政権が二〇一〇年度から高校の授業料を一律無料にしたのは画期的だったが、同政権以前から都道府県等で保護者の収入に応じた授業料減免制度はあり、〝一律無料〟は〝貧困〟の家庭にはメリットがなかった。
そこで、自民党・公明党連立の安倍政権になって、一四年度から年収約九一〇万円未満の世帯に対し、保護者の年収に応じ、年約一二万円~三〇万円の授業料に相殺する「高等学校等就学支援金」制度に改め、年収約九一〇万円以上の世帯は授業料を負担してもらうようにした。そして、その分のお金を「高校生等奨学給付金」事業(非課税世帯等の「授業料以外の教育費」負担を都道府県がカバーする。国庫負担は三分の一。【注1】参照)に回すようにした。
しかし経済的貧困の解消だけでなく、子ども食堂等、子どもに手を差し伸べたり相談できる人など、豊かな人間関係(社会資本)も必要だ。
米国は格差を放置しており、子どもの最貧困国だ。米国憲法には自由権はあるが、日本国憲法第二六条一項の「教育を受ける権利=学習権」のような、社会権の規定はない。日本国憲法の方がよほど進んでいる。米国の真似は、ほどほどにした方がいい。
安倍晋三首相と対照的に、憲法を評価する前川さんに、ここで拍手が起こった。
この後、前川さんは現在一部科目が必修になっている高校の数学について、「せっかく高校に追いやった二次方程式を、文科省は改訂学習指導要領で中学に戻してしまった。文科省で少数派だったが、私は高校の数学は必修でなく選択に落とせと主張してきた。必修は、(苦手な)生徒の自己肯定感を失わせ、中退を増やしている」「中学まで数学は必要だが、後期中等教育(高校)で数学必修の国は少ない。意味のあることを勉強させる方がよい」と述べた。
そして憲法第二六条に戻り、「一人一人の違いを大切にし、一人一人に応じた教育を同じように保障することの大切さ」を強調し、講演を締め括った。
◆ 指導要領の〝君が代規定〟は政治の産物
文科省が「小中高校等の教育課程編成で、大綱的基準として法的拘束力がある」としている学習指導要領。
その小学校音楽の「第3 指導計画の作成と内容の取扱い」の文言は、
①一九八九年三月改訂→国歌「君が代」は、各学年を通じ、児童の発達段階に即して指導すること。
②一九九八年十二月改訂→国歌「君が代」は、いずれの学年においても指導すること。
③二〇〇八年三月二十八日と今年(一七年)三月三十一日改訂→国歌「君が代」は、いずれの学年においても歌えるよう指導すること。
と、年を追うごとに強制度が激化している。
特に、③の「いずれの学年においても」、つまり、〝君=天皇の治世の永続を祈る〟という〝君が代〟の歌詞の意味の理解が困難な小一(六歳児)時から、「聞かせる」だけでも賛否が分かれる歌なのに、「歌えるよう指導する」とした調教的な押し付けは、独裁国のようだ。
実は③は、〇八年二月十五日の原案公表までは、②と同じ文言だった。
だが、(1)この二月十五日、安倍晋三氏側近の衛藤晟一自民党参院議員(七十歳)が、文科省を訪れ、当時の高橋道和(みちやす)教育課程課長(現初等中等教育局長)・合田(ごうだ)哲雄教育課程企画室長(一八年三月時点の教育課程課長。現内閣参事官)に直談判、(2)日本会議系の政治団体が、「歌えるよう」を加筆せよという、同一内容の組織的(何百通という単位)なパブリックコメント工作をネット等で大展開した(【注2】参照)。
文科省はこういう政治圧力と癒着し、一カ月半後の三月二十八日、官報告示した学習指導要領に、「歌えるよう」を加筆してしまった。
それまで、指導要領の原案公表から官報告示までの間の意見や指摘を受けての、明白な事実の誤認やテニヲハに係る修正はあった。だが、このような日本国憲法第一九条・二〇条・二一条の保障する「思想・良心・信教・表現の自由」に抵触しかねない、教育の根幹に関わるうえに、発達段階を考慮していない〝修正・加筆〟は皆無であり、前代未聞の大改変だ(もちろん、指導要領改訂の方向付けをする、中央教育審議会答申にも、「歌えるよう」の加筆を求める文言はない)。
さらに、今年三月三十一日の改訂学習指導要領〝告示〟時、文科省は「君=天皇」や「国=国家権力」の概念を理解するのがより困難な、三~六歳児対象の幼稚園教育要領にまで、「正月や節句など我が国の伝統的な行事、国歌、唱歌、わらべうたや我が国の伝統的な遊びに親し」むと、〝君が代〟を加筆してしまった。
そこで筆者は、講演後の質疑応答の時間に、これら事実を挙げ、「〇八年と今年の学習指導要領での〝君が代刷り込み規定〟の大改変において、保守系政治家(背後の政治団体を含む)の介入があったか」を、前川さんに問うた。
前川さんは「政治の力に押し込められた。国旗国歌問題は政治に押されっぱなしになっている。しんどい問題ではあるが、私自身は教員が君が代を歌わない権利はあると思う」と答えた。
【注1】文科省財務課高校修学支援室が二〇一四年六月に出した、「高校生等奨学給付金事業の概要」と題する文書は、「授業料以外の教育費」とは、「教科書費・教材費・学用品費・通学用品費・教科外活動費・生徒会費・PTA会費・入学学用品費」だと記述している。この事業は、高校生がいる生活保護世帯と住民税所得割額非課税世帯の保護者の申請で、最大一三万八〇〇〇円支給する。
【注2】文科省教育課程課が〇八年二月十五日から約一カ月間公募した、小中学校学習指導要領改訂案へのパブコメ全文のコピー(個人情報を削除した約二万頁分を、『広辞苑』ほどの厚さの二一分冊のファイルに綴じたもの)を、市民延べ十数人が閲覧した(筆者も同行)。
総則への「国を愛する態度」の加筆や、社会科で「国旗・国歌への敬意」「国旗・国歌の由来の指導、儀礼を身に付けさせよ」「日本の建国の由来及び神話学習の充実」「自衛隊の国際貢献をもっと教えろ」等を要求する同一内容が、異常に多かった。
オール手書き、同一筆跡のもの(改行も、「国家斉唱」の誤字もすべて同じ)が、五枚連続で綴じられているパターンに市民らが驚き、「これらも一件ずつにカウントするのか」と質すと、教育課程企画室の川村匡(ただし)係長(当時)は「同文、同一筆跡であっても、差出人が違えばカウントする制度です」と回答した。「週刊金曜日」〇八年六月六日号の拙稿で報告している。
※永野厚男 (ながのあつお)
文科省・各教委等の行政や、衆参・地方議会の文教関係の委員会、教育裁判、保守系団体の動向などを取材。平和団体や参院議員会館集会等で講演。
『紙の爆弾』(2017年12月号)
◆ 「教育の機会均等」と夜間中学への思い (紙の爆弾)
取材・文 . 永野厚男
埼玉県の元教職員らが、前川喜平・前文部科学事務次官(62歳)の講演会を十月四日、さいたま市浦和区で開催した。前川さんは、約四〇〇人の市民に「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」(教育機会確保法。超党派の議員立法として二〇一六年十二月七日成立、一四日公布)の策定に、〝黒子〟として関わったことから語り始めた。
教育機会確保法は、「教育機会の確保等に関する施策」が、「義務教育の段階における普通教育に相当する教育を十分に受けていない者の意思を十分に尊重しつつ、その年齢又は国籍その他の置かれている事情にかかわりなく、その能力に応じた教育を受ける機会が確保されるようにするとともに、
その者が、その教育を通じて、社会において自立的に生きる基礎を培い、豊かな人生を送ることができるよう、その教育水準の維持向上が図られるようにすること」などを、「基本理念として行われなければならない」と規定。
地方公共団体に、夜間学校の「就学の機会の提供その他の必要な措置を講ずる」よう義務付けている。
◆ 夜間学校を法に規定するまでの歴史
前川さんは、夜間学校が法にこのように規定されるまでの歴史を、以下のように述べた。
終戦後、日本国憲法第二六条二項は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする」と、親(保護者)が子どもに教育を受けさせる義務を規定。一九四七年施行の学校教育法に基づく新制中学校ができた。
だが貧しく、昼間、働かなければいけない子どもがたくさんいて、就学率が高まらない。そこで、現場の教員たちが夜間中学を始めた。しかし、当時の文部省は「夜間中学は、やるな」と邪魔し、冷たい態度だった。
夜間中学は一九五五年頃は九〇校、五〇〇〇人超が学んだが、一九六〇年代終わりには二〇校、五〇〇人を切り、一九六六年、当時の行政管理庁(現総務省)は早期廃止を勧告した。
一方、一九六五年の日韓基本条約締結、一九七二年の日中国交正常化で、韓国と中国からの引揚者が大量に帰国。一九七〇年代、特に関西で、これら引揚者や在日コリアン、被差別部落の人々などの学びの場に、一九八〇年代は不登校(旧文部省は登校拒否と言っていた)や学齢期を越えた人たちの学びの受け皿となった。
だが、旧文部省は、形式卒業者(不登校だが中学の卒業証書をもらった人)を入学させなかった。
文科省は二年前に悔い改め、形式卒業者を受け入れる通知を出し、二〇一七年度からは市町村だけでなく、都道府県が設置する場合も、交付金を出せるようにした。
前川さんはこのように、夜間学校が規定されるまでの歴史を振り返った。
◆ 夜間中学の教育内容と現時点の課題
前記・学校教育法第一条に定める「学校」のうち、大学を除く小中高校、特別支援学校等に対し、文科省は、「(第一次安倍政権で改定した)教育基本法、学校教育法、その他の法令」と「学習指導要領に示すところに従い、…適切な教育課程を編成する」よう強制している(学習指導要領「総則」。卒業式等での〝君が代斉唱〟強制も、学習指導要領の「特別活動」等の記述を根拠にしている)。
前川さんはこの学習指導要領等の、夜間中学での適用について、以下のように述べた。
文科省は今まで夜間中学を、(良くも悪くも)ほったらかしにしていた。つまり、「学習指導要領通りやれ」と、よけいなことを言わなかったが、教育機会確保法施行に伴い今後、「学習指導要領通りやれ」「文科省検定済教科書を使え」と言ってくる可能性がある。
しかし今、夜間中学の担当をしている文部官僚は、柔軟な対応をすると思う。教育課程の特例制度ができ、一人一人の生徒に合わせた教育課程でやってよいことになり、漢字は、大人として知っておく必要のある三八一字でよいことになっている(ちなみに、小学校改訂学習指導要領・国語の別表の「学年別漢字配当表」では、常用漢字のうち、一から六年で計一〇二六字を学ぶよう規定)。
この三八一字には、「汽車」の「汽」のような、現代であまり使用しない字は入っていないが、四七都道府県名の漢字はすべて入っている。
夜間中学はまだ、全国で三一校しかない。前述の通り、市町村だけでなく都道府県も設置できるようになったが、文科省が「各県、一校以上作りましょう」と言っても、「作る」「作らない」は自治体の判断なので、都道府県と市町村との間で、押し付け合いが始まる心配はある。ともあれ、全県をカバーすることが大切だ。
◆ 教育の格差解消を
会場ホール正面の向かって右側には、主催者が毛筆で大書きした、日本国憲法第一三条の「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」が、左側には前記・憲法第二六条二項とともに一項の「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」が、それぞれ掲げてある。
前川さんは、この「個人としての尊重」を規定した第一三条と、学習権を規定した第二六条一項が重要だと述べた。そして、「すべて国民は、…経済的地位…によって、教育上差別されない」と規定した教育基本法第四条の「教育の機会均等」が、「十分にできていない」と指摘。「日本が抱えている課題である、貧困の解消は、教育の格差解消だ。子どもたちが人生をスタートするところで、格差・機会不平等があってはならない」と力説した。
◆ 経済的貧困解消と豊かな人間関係
次に前川さんは、経済的貧困への政府・文科省の近年の対応策を、以下の通り説明した。
民主党政権が二〇一〇年度から高校の授業料を一律無料にしたのは画期的だったが、同政権以前から都道府県等で保護者の収入に応じた授業料減免制度はあり、〝一律無料〟は〝貧困〟の家庭にはメリットがなかった。
そこで、自民党・公明党連立の安倍政権になって、一四年度から年収約九一〇万円未満の世帯に対し、保護者の年収に応じ、年約一二万円~三〇万円の授業料に相殺する「高等学校等就学支援金」制度に改め、年収約九一〇万円以上の世帯は授業料を負担してもらうようにした。そして、その分のお金を「高校生等奨学給付金」事業(非課税世帯等の「授業料以外の教育費」負担を都道府県がカバーする。国庫負担は三分の一。【注1】参照)に回すようにした。
しかし経済的貧困の解消だけでなく、子ども食堂等、子どもに手を差し伸べたり相談できる人など、豊かな人間関係(社会資本)も必要だ。
米国は格差を放置しており、子どもの最貧困国だ。米国憲法には自由権はあるが、日本国憲法第二六条一項の「教育を受ける権利=学習権」のような、社会権の規定はない。日本国憲法の方がよほど進んでいる。米国の真似は、ほどほどにした方がいい。
安倍晋三首相と対照的に、憲法を評価する前川さんに、ここで拍手が起こった。
この後、前川さんは現在一部科目が必修になっている高校の数学について、「せっかく高校に追いやった二次方程式を、文科省は改訂学習指導要領で中学に戻してしまった。文科省で少数派だったが、私は高校の数学は必修でなく選択に落とせと主張してきた。必修は、(苦手な)生徒の自己肯定感を失わせ、中退を増やしている」「中学まで数学は必要だが、後期中等教育(高校)で数学必修の国は少ない。意味のあることを勉強させる方がよい」と述べた。
そして憲法第二六条に戻り、「一人一人の違いを大切にし、一人一人に応じた教育を同じように保障することの大切さ」を強調し、講演を締め括った。
◆ 指導要領の〝君が代規定〟は政治の産物
文科省が「小中高校等の教育課程編成で、大綱的基準として法的拘束力がある」としている学習指導要領。
その小学校音楽の「第3 指導計画の作成と内容の取扱い」の文言は、
①一九八九年三月改訂→国歌「君が代」は、各学年を通じ、児童の発達段階に即して指導すること。
②一九九八年十二月改訂→国歌「君が代」は、いずれの学年においても指導すること。
③二〇〇八年三月二十八日と今年(一七年)三月三十一日改訂→国歌「君が代」は、いずれの学年においても歌えるよう指導すること。
と、年を追うごとに強制度が激化している。
特に、③の「いずれの学年においても」、つまり、〝君=天皇の治世の永続を祈る〟という〝君が代〟の歌詞の意味の理解が困難な小一(六歳児)時から、「聞かせる」だけでも賛否が分かれる歌なのに、「歌えるよう指導する」とした調教的な押し付けは、独裁国のようだ。
実は③は、〇八年二月十五日の原案公表までは、②と同じ文言だった。
だが、(1)この二月十五日、安倍晋三氏側近の衛藤晟一自民党参院議員(七十歳)が、文科省を訪れ、当時の高橋道和(みちやす)教育課程課長(現初等中等教育局長)・合田(ごうだ)哲雄教育課程企画室長(一八年三月時点の教育課程課長。現内閣参事官)に直談判、(2)日本会議系の政治団体が、「歌えるよう」を加筆せよという、同一内容の組織的(何百通という単位)なパブリックコメント工作をネット等で大展開した(【注2】参照)。
文科省はこういう政治圧力と癒着し、一カ月半後の三月二十八日、官報告示した学習指導要領に、「歌えるよう」を加筆してしまった。
それまで、指導要領の原案公表から官報告示までの間の意見や指摘を受けての、明白な事実の誤認やテニヲハに係る修正はあった。だが、このような日本国憲法第一九条・二〇条・二一条の保障する「思想・良心・信教・表現の自由」に抵触しかねない、教育の根幹に関わるうえに、発達段階を考慮していない〝修正・加筆〟は皆無であり、前代未聞の大改変だ(もちろん、指導要領改訂の方向付けをする、中央教育審議会答申にも、「歌えるよう」の加筆を求める文言はない)。
さらに、今年三月三十一日の改訂学習指導要領〝告示〟時、文科省は「君=天皇」や「国=国家権力」の概念を理解するのがより困難な、三~六歳児対象の幼稚園教育要領にまで、「正月や節句など我が国の伝統的な行事、国歌、唱歌、わらべうたや我が国の伝統的な遊びに親し」むと、〝君が代〟を加筆してしまった。
そこで筆者は、講演後の質疑応答の時間に、これら事実を挙げ、「〇八年と今年の学習指導要領での〝君が代刷り込み規定〟の大改変において、保守系政治家(背後の政治団体を含む)の介入があったか」を、前川さんに問うた。
前川さんは「政治の力に押し込められた。国旗国歌問題は政治に押されっぱなしになっている。しんどい問題ではあるが、私自身は教員が君が代を歌わない権利はあると思う」と答えた。
【注1】文科省財務課高校修学支援室が二〇一四年六月に出した、「高校生等奨学給付金事業の概要」と題する文書は、「授業料以外の教育費」とは、「教科書費・教材費・学用品費・通学用品費・教科外活動費・生徒会費・PTA会費・入学学用品費」だと記述している。この事業は、高校生がいる生活保護世帯と住民税所得割額非課税世帯の保護者の申請で、最大一三万八〇〇〇円支給する。
【注2】文科省教育課程課が〇八年二月十五日から約一カ月間公募した、小中学校学習指導要領改訂案へのパブコメ全文のコピー(個人情報を削除した約二万頁分を、『広辞苑』ほどの厚さの二一分冊のファイルに綴じたもの)を、市民延べ十数人が閲覧した(筆者も同行)。
総則への「国を愛する態度」の加筆や、社会科で「国旗・国歌への敬意」「国旗・国歌の由来の指導、儀礼を身に付けさせよ」「日本の建国の由来及び神話学習の充実」「自衛隊の国際貢献をもっと教えろ」等を要求する同一内容が、異常に多かった。
オール手書き、同一筆跡のもの(改行も、「国家斉唱」の誤字もすべて同じ)が、五枚連続で綴じられているパターンに市民らが驚き、「これらも一件ずつにカウントするのか」と質すと、教育課程企画室の川村匡(ただし)係長(当時)は「同文、同一筆跡であっても、差出人が違えばカウントする制度です」と回答した。「週刊金曜日」〇八年六月六日号の拙稿で報告している。
※永野厚男 (ながのあつお)
文科省・各教委等の行政や、衆参・地方議会の文教関係の委員会、教育裁判、保守系団体の動向などを取材。平和団体や参院議員会館集会等で講演。
『紙の爆弾』(2017年12月号)
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