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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

『学習指導要領』は、児童生徒が起立斉唱する「指導の結果」までは義務付けていない

2021年12月30日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ◆ 『学習指導要領』の適正実施に関する考察
東京の花輪です。

 東京では「10・23通達」で、「学習指導要領に基づき、入学式、卒業式を適正に実施すること」として、校長が「適正実施」のためと称して起立斉唱の「職務命令」を発して、多くの教員がそれに従わなかったことを理由に処分されてきました。
 この「学習指導要領に基づき、入学式、卒業式を適正に実施すること」とは、児童生徒を起立斉唱させること、と思っていた人はいませんか。或いは、『学習指導要領』には、児童生徒を起立斉唱させることが教員の責務と書いてあると思い込んでいませんでしたか。
 うかつにも私は深く考えずに、ずっとそんな風に受けとめていました。
 でもそれは、大きな誤解だったことに最近気付きました。
 きっかけは、大阪の松田さんの「調教NO裁判」原告第3準備書面(2021/9/16)を読んだことです。詳しくは添付ファイルの「考察」の方に書きました。
 確かに『学習指導要領・国旗国歌条項』には、「国旗を掲揚し国歌を斉唱するよう指導するものとする」とは書いてありますが、あくまで「指導する」であって「起立斉唱させる」とは書いていません。
 「指導する」ことと「起立斉唱させる」ことの違いについて、歴代文科省初等中等教育局長が国会で「指導の結果まで『学習指導要領』は義務付けておりません」と答弁していたことを皆さんはご存知でしたか。
 つまり、「学習指導要領に基づき、入学式、卒業式を適正に実施すること」とは、「教育指導上の課題として受けとめて指導を進めること」までであって、児童生徒が起立斉唱するという「結果を求める」ものではないのです。
 「教育指導上の課題として指導すること」とは「起立斉唱という結果を出すこと」ではなかったのです。
 これが国会で政府委員が答弁した公式見解です。

 だとしたら、教員に対する『学習指導要領』を根拠とする「職務命令」も、それに従わなかったことを理由とする「懲戒処分」もみな根拠を失うことになるのではないでしょうか。そこまで言うのは、手前味噌な論理の飛躍でしょうか。
 こんな勘違いしていたのは私だけかも知れませんが、今さらながらですが、そんな問題について考えた論考を添付します。長文ですが、興味を持たれた方はファイルを開いて読んでみて下さい。
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◎ 『学習指導要領』の適正実施とは、
児童生徒が起立斉唱するという「指導の結果」をだすことか

 1.はじめに

 今まで知らなかった国会答弁に気付いたきっかけは、大阪市教委相手に闘っている松田幹雄さんの「調教NO裁判」の第3準備書面(2021年9月16日)によってです。
 この裁判で、松田さんは「大阪市国旗国歌条例」を取り上げて、国の「国旗国歌法」の範囲を逸脱しているので無効であり、条例第4条(「市立学校の行事において行われる国歌の斉唱にあっては、教職員は起立により斉唱を行うものとする」)に基づいた松田さんに対する戒告処分も無効である、と主張しています。
 なぜ「大阪市国旗国歌条例」が無効かというと、国の「国旗国歌法」の範囲を逸脱しているから。逸脱している根拠としてあげているのが、国旗国歌法制定時の政府答弁です。
 まず有名な小渕恵三首相答弁(1999年6月29日・衆議院本会議)。
   「今回の法制化にあたり、国旗の掲揚に関し義務づけを行うことは考えておらず、したがって国民の生活に何らの影響や変化が生ずることとはならないと考えている」
 次いで、教育のあり方に関連するものを引用しています。(次節で詳しく引用)
   ○辻村哲夫文部省初等中等教育局長答弁(1999年7月1日・衆議院内閣委員会)
   ○銭谷眞美文科省初等中等教育局長答弁(2006年3月29日・衆議院文部科学委員会)
 準備書面ではそこから、「国旗国歌法制定当時の議論において、・・・学校現場における国旗・国歌の指導についても、内心の自由との関係で、指導の結果(すなわち児童生徒が国歌斉唱等を行うという結果を出すこと)までを求めるものではなく、あくまでも教育上、指導上の課題として指導を進めるにとどまることが強調されていた。」(p11)と導きます。
 つまり、起立斉唱するように指導はするけれど、その結果起立斉唱するかどうかまで義務付けはしない、なぜならそこまでしたら内心の自由に関わってしまうから。それが国の方針なのに条例で起立斉唱を義務付けているのは逸脱である、という主張です。
 こういう論点は、これまでの裁判では見られなかったのではないか、思います。
 そこで次に、準備書面に引用されているものも含めて、「指導の結果」について触れている政府答弁をいくつか具体的に引用します。
 2.政府答弁の引用

 (1)衆議院内閣委員会 内閣総理大臣・小渕恵三(1999年7月21日)
「児童生徒の内心にまで立ち至って強制しようとする趣旨のものでなく、あくまでも教育指導上の課題として指導を進めていくことを意味するものでございます。この考え方は、1994年に政府の統一見解として示しておるところでございまして、『国旗・国歌』が法制化された後も、この考え方は変わるところはないと考えます。」
 ※この答弁からは、以下の疑問が残りました。
   a,児童生徒の「内心にまで立ち至って強制」するとは、具体的にどんなことか?
   b,「教育指導上の課題」なら、「強制」はならないとはどういう意味か?

 (2)衆議院内閣委員会 辻村哲夫初等中等教育局長(1999年7月1日)
「 学校教育は、人格の完成を目指しましてさまざまな指導が行われるわけでございます。学校教育法等に基づきまして行われるわけでございまして、その指導の過程におきましては、子供たちの価値形成ということにかかわるわけでございます。しかし、内心に立ち入らないというのは、指導を受けました子供たちが、指導を受けた後に、それぞれ指導された内容についてどのように判断をするのか、それについてどのように考えるのか、このことについてまで国家が一定の制限をしたりあるいは禁止したりする、このことは許されないというふうに理解をいたしております。
 そこで、具体的な例ということでございますけれども、いろいろな事例があろうかと思いますが、例えば国歌の例について申しますれば、いろいろな指導を受けた後、しかし、やはり自分としては歌いたくないというような児童がいる場合に、無理強いしてこれを斉唱させるというようなことになりました場合には、やはりこの内心に立ち入らないということにかかわってくるのではないか、こんなふうに理解をいたしております。」
 ※ここでは、(1)小渕首相答弁の「内心に立ち至る」(a)の前提となる考え方が述べられていました。
   a(1),「内心に立ち入らない」とは、指導を受けた後の子どもの判断に「国家が一定の制限をしたりあるいは禁止したりすることは許されない」。
   a(2),内心に立ち入る具体例とは、「色々な指導を受けた後にも、やはり自分は歌いたくないという児童に無理強いして斉唱させること」。
 (3)衆議院文教委員会 御手洗康初等中等教育局長(1999年8月4日)
「 今回御審議をいただいております国旗・国歌に関する法案は、国旗と国歌を定めているものでございまして、それに伴いまして何らかの義務づけというような条文はないわけでございます。これに対しまして、学校教育におきましては、再三繰り返しになりますけれども、文部大臣が定めております学習指導要領におきまして、我が国の学校教育におきます国旗と国歌の指導について、全国的にすべての学校で教えなければならない基準ということでお示しをしているわけでございまして、学校の教員並びに校長は、この学習指導要領に基づきまして適切に教育課程を編成し実施しなければならない、こういう法的な関係に立つわけでございまして、最終的に子供たちがその指導をどう受けとめるかということは、これは教育の指導の結果の問題でございますので、そこまで学習指導要領は義務づけておりません
 子供は当然、通常の場合に、学校が定められた教育活動に主体的に参加していく、これは教育活動の本来持っております作用でありますし、教員はそういった教育活動の本来的な作用に従って児童生徒を指導していくということでございますけれども、指導の結果、最終的に児童生徒が、例えば卒業式にどういう行動をとるかあるいは国旗・国歌の意義をどのように受けとめるか、そういうところまで強制されるものではないという意味で、強制するものではないと申し上げているところでございます。」
 ※ここでは、(1)「教育指導上の課題と強制の問題」(b)について詳しく説明されています。
   b(1) 『学習指導要領』で示している全国的な基準とは、国旗と国歌の指導をすること。
   b(2) 義務付けているのはそこまでで、『学習指導要領』では指導の結果までは義務付けていない。
   「子供たちがその指導をどう受けとめるかということは、これは教育の指導の結果の問題でございますので、そこまで学習指導要領は義務づけておりません」。
   b(3) 「指導の結果」とは、「最終的に児童生徒が、例えば卒業式にどういう行動をとるかあるいは国旗・国歌の意義をどのように受けとめるか」。
 (4)衆議院文部科学委員会 銭谷眞美初等中等教育局長(2006年3月29日)
「 少し答弁が長くなるのをお許しいただきたいと存じますけれども、学校における国旗・国歌の指導は、国旗・国歌法の成立以前から行われていたところでございます。児童生徒に我が国の国旗と国歌の意義を理解させ、これを尊重するとともに、諸外国の国旗と国歌も同様に尊重する態度を育てるために行っているものでございます。このことは、児童生徒の内心にまで立ち入って強制しようとする趣旨のものではなくて、あくまでも教育指導上の課題として指導を進めていくことを意味するものでございます。
 また教員は、国旗・国歌法の成立以前から、学習指導要領を基準として教育課程を編成し、これに基づいて国旗・国歌に関する指導を含め教育指導を実施するという職務上の責務を負っているわけでございます。こうした学校教育における国旗・国歌の取り扱いについて、その立場に変更はございません。
 それで、お尋ねの件でございますけれども、国旗・国歌につきまして、校長、教員は児童生徒に対し国旗・国歌の指導をするわけでございますけれども、これは指導の結果までを求めるものではなく、あくまでも教育上、指導上の課題として指導を進めていくことを意味するものでございます。
 お話にございました当時の初等中等教育局長の答弁も、指導の結果、最終的に児童生徒が、例えば卒業式にどういう行動をとるか、あるいは国旗・国歌の意義をどのように受けとめるか、そういうところまで強制されるものではないと答弁したものでございます。そのことは、児童生徒に対する指導の結果までを求めるものではなく、あくまでも、教育指導上の課題として受けとめて指導を進めることが必要であるという趣旨でございまして、その立場に変わりはございません。」
 ※この答弁は、内容的には過去の答弁の繰り返しですが、時期的に言うと「10・23通達」発令(2003年)後の国会での答弁になります。
   a,「内心にまで立ち入って強制しない」については、「例えば卒業式にどういう行動をとるか、あるいは国旗・国歌の意義をどのように受けとめるか、そういうところまで強制されるものではない」
   b,「教育指導上の課題として指導する」については、「指導の結果までを求めるものではなく、あくまでも教育上、指導上の課題として指導を進めていくことを意味するもの」。
 (5)答弁内容の整理

 首相答弁では一般論・抽象論の部分を、文科省官僚がどう敷衍しているか、整理してみます。
 a,児童生徒の「内心にまで立ち至って強制」するとは、具体的にどんなことか?
 「指導された内容についてどのように判断をするのか、・・・まで国家が一定の制限をしたりあるいは禁止したりする、このことは許されない」(辻村答弁)
 「自分としては歌いたくないというような児童がいる場合に、無理強いしてこれを斉唱させるというようなこと」(辻村答弁)
 「指導の結果、最終的に児童生徒が、例えば卒業式にどういう行動をとるかあるいは国旗・国歌の意義をどのように受けとめるか、そういうところまで強制されるものではない」(御手洗答弁・銭谷答弁)
 b,「教育指導上の課題」なら、「強制」はならないとはどういう意味か?
 「学校における国旗・国歌の指導は、・・・児童生徒に我が国の国旗と国歌の意義を理解させ、これを尊重するとともに、諸外国の国旗と国歌も同様に尊重する態度を育てるために行っているもの」(銭谷答弁)
 「最終的に子供たちがその指導をどう受けとめるかということは、これは教育の指導の結果の問題でございますので、そこまで学習指導要領は義務づけておりません。」(御手洗答弁)
 「児童生徒に対する指導の結果までを求めるものではなく、あくまでも、教育指導上の課題として受けとめて指導を進めることが必要であるという趣旨」(銭谷答弁)
 ※ つまり、『学習指導要領』に基づく適正な指導とは、「国旗と国歌の意義を理解させ・・・尊重する態度を育てる」までであって、指導の結果「意義が理解できたか」・「尊重する態度を取れたか」までは求めない。それをやってしまうと「内心に立ち至る」ことになる。すなわち、「指導の結果」を求めないことが、『学習指導要領』の適正な実施の分岐点になるというのです。改めて振り返って見て、文科省の答弁はこの点で最初から一貫していてぶれていません。
 ところが、「10・23通達」に代表されるように、現実には「結果を求める指導」がまかり通ってしまっているのではないでしょうか。
 3.大阪でも、東京でも、「結果を求める指導」がまかり通っている

 (1)大阪府・市の場合


 大阪府・市国旗国歌条例が問題になります。
 調教NO裁判原告第3準備書面には、次のように記載されています。
「(大阪市)国旗国歌条例4条は、国旗国歌条例の目的を逸脱し、国旗国歌について具体的な義務を課している点で、いかなる規制をも施すことなく放置すべきものとする国旗国歌法の趣旨に反するものであるから,法律に矛盾抵触する条例として無効である。」(p12)
 大阪市国旗国歌条例は下記の通り、教職員に起立斉唱を義務付けています。
 第4条(国歌の斉唱) 市立学校の行事において行われる国歌の斉唱にあっては、教職員は起立により斉唱を行うものとする。
 ちなみに大阪府の条例も、この部分は全く同じです。
 第四条(国歌の斉唱) 府立学校及び府内の市町村立学校の行事において行われる国歌の斉唱にあっては、教職員は起立により斉唱を行うものとする。
 (2)東京都の場合
 ①「10・23通達」とそれに基づく「職務命令」

 「10・23通達」は、「学習指導要領に基づき、入学式、卒業式を適正に実施すること」とうたっていますが、『学習指導要領』に基づく「適正な実施」とは、何でしょうか。
 ここまで見てきた歴代の文科省初等中等教育局長の答弁によれば、「国旗を掲揚し国歌を斉唱する」という指導はしても「指導の結果」までは求めない、というのが『学習指導要領』の趣旨でした。
 とするなら、「10・23通達」に基づいて発出された「式典会場において、会場の指定された席で、国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること」という「職務命令」は、学習指導要領の適正実施どころかそれを逸脱する命令になるのではないでしょうか。
 ②「3.11通知」(2004年3月11日)
 正式名称は「入学式・卒業式の適正な実施について」。「10・23通達」発令後最初の卒業式で発せられた通知。
 板橋高校の卒業式で、卒業生の9割以上が不起立だったことに驚愕した都教委が、即日発した「通知」です。
 「・・・一部の学校の卒業式において、生徒のほとんどが国歌斉唱時に起立しなかったりするなどの不適正な事態が生じています」
 「結果」として、生徒のほとんどが不起立だったことを「不適正な事態」としている点で、『学習指導要領』の逸脱ではないでしょうか。
 さらにこの年の卒業式では他校でも卒業生の不起立が相次ぎ、6月頃に一斉に当該校の管理職・教員全員に対して、指導部長厳重注意と指導部長注意と併せて21件の処分が発令されました。これは『学習指導要領』逸脱する違法な処分だったのではないでしょうか。
 ③「3.13通達」(2006年3月13日)
 「3.11通知」の2年後、またしても、卒業式で卒業生の大半が不起立する事態が生じて、あわてて都教委が発令した通達です。正式名称は「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について」
 「・・・今般、一部の都立高等学校定時制課程卒業式において、国歌斉唱時に学級の生徒の大半が起立しないという事態が発生した。ついては、上記通達および通知の趣旨をなお一層徹底するとともに、校長は自らの権限と責任において、学習指導要領に基づき適正に児童・生徒を指導することを、教職員に徹底するよう通達する。」
 この文言にあるとおり、ある定時制高校で、卒業式の国歌斉唱時に生徒の大半が起立しなかったという「結果」を受けて、校長と教職員に対して「結果」を出すよう求めています。これこそ、『学習指導要領』を誤解した「通達」ではないでしょうか。
 なおこの時も、当該校の担任と授業を担当していた教員らが「指導部長厳重注意」処分を受けました。
 ④全員が起立するまで式を始めない式進行表
 最近の例では、2017年3月の卒業式から「式進行表」に、「司会は生徒の不起立者多数の場合『ご起立下さい』と言う」という文言がないものは指導部が書き換えを求めて突き返すようになりました。「起立するまで式を始めない」という指導もあると聞きます。これは「指導の結果を求める」強制に当たるのではないでしょうか。
 ⑤生徒の不起立がゼロという「結果」
 これら「通達」「通知」などで教職員を締め上げていった結果、東京都ではほどなく卒入学式での生徒の不起立はゼロになっていきました。この「結果」は、都教委の教育施策が『学習指導要領』の不適切な実施であることの証拠になるのではないでしょうか。
 4.現在の文科省の担当者はどう答えるか

 12月9日、国際人権活動日本委員会主催の文科省交渉に参加して、文科省の担当者に質問をぶつける機会がありました。事前提出質問で資料として、上記国会答弁を示しつつ「児童生徒が起立斉唱するという結果までは教員に求めていない、という理解で間違いないか。」と糾しました。口頭回答の文字起こしは、以下の通り。回答者は、竹野健太 初等中等教育局教育課程課企画調査係長
「この指導は、児童生徒の内心にまで立ち入って強制しようとする趣旨のものではないと従前から申し上げているところでございます。この趣旨について、お示しいただいた過去の国会答弁においては児童生徒に対する指導の結果までもは求めるものではないというふうに説明しております。これは同じくその答弁にもありますように、指導の結果とか、最終的に児童生徒がたとえば国旗国歌の意義をどのように認めるか、そういうところまでをも、強制するものではない、というふうにあるように、いわば、教育指導上の課題として受けとめて指導を進めることが必要ですよね、ということかと存じております。」
 引き続きその場での質疑で、「指導の結果とは起立斉唱のことですね」と聞いたのに対しては、
「起立はないですよ。学習指導要領を見ていただくと分かるように。国旗を掲揚し国歌を斉唱する、最小的な指導というのは、学習指導要領はあくまで大綱的な基準でありますから、それを踏まえて教育課程を編成する学校において各判断する、指導していただくものかと思いますが、あくまでも学習指導要領の中には起立という文言はないですよね。ということは確認します。斉唱はあります。」
 「一般論として、指導の結果まで求めているものではないと言ってますが、それがイコール起立斉唱まで明示しているかどうかといったらそうではないかな、」
 「結果」イコール「起立斉唱」とストレートに認めることには慎重な言い回しをしていますが、『学習指導要領』「国旗国歌条項」の読み方として、「結果」を求めていないことは、ちゃんと認めています。
 ちなみに『学習指導要領・国旗国歌条項』の文言は下記の通りです。確かに「斉唱」はあるが「起立」はありません。
「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」(『学習指導要領』第5章の第3の3、いわゆる「国旗国歌条項」)

 5.最後にひとこと

 いまさら『学習指導要領・国旗国歌条項』の解釈を持ち出しても実りあることかどうか分かりません。
 でも、「君が代訴訟」の一連の判決では、「職務命令」の合法性の根拠として『学習指導要領・国旗国歌条項』が必ず持ち出されてきましたが、その解釈が間違っていたとしたら「職務命令」の合法性と「懲戒処分」の正当性が根底から揺らぐのではないでしょうか。
 皆さんは、どうお考えですか。

(2021年12月28日 花輪紅一郎)


 [関連資料]
 ※「10・23通達」(2003年10月23日)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~hishobunshanokai/tuutatu1023.pdf
 ※ 第145回 衆議院 文教委員会 第16号 平成11年8月4日 (御手洗答弁)
https://kokkai.ndl.go.jp/simple/dispPDF?minId=114505077X01619990804#page=18
 ※ 第164回 衆議院 文部科学委員会 第9号 平成18年3月29日 (銭谷答弁)
https://kokkai.ndl.go.jp/simple/dispPDF?minId=116405124X00920060329#page=4
 ◆ 『「学習指導要領」の適正実施に関する考察』(ダウンロード)

AUTHOR: 管理人RK
TITLE: 「君が代」調教NO!処分取消裁判第5回ロ頭弁論を終えて
DATE: 01/02/2022 00:03:00
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  《大阪ネットニュースから》
 ◆ 大阪市を逃がさない!論点がはっきりしてきた!
元大阪市立中学校教員グループZAZA 松田幹雄

 ◆  自由権規約・子どもの権利条約…被告(大阪市)が応答せざるをえなくなりました
 11月29日、第5回口頭弁論がありました。
 私たち(原告と代理人)は、原告(松田)第4準備書面で、被告(大阪市)の姿勢を次のように批判しました。
『被告は、前回期日で、原告の自由権規約・子どもの権利条約にかかる主張に対する応答をするよう裁判所から釈明を受けていた。しかし、今回被告から出された準備書面(3)は、その釈明に誠実に対応するものではなく、あまつさえ、原告が「徒に争点を拡大」しているかのような主張を行っている。しかし、被告のこのような主張は、訴訟に対する誠実な対応とは到底言えず、被告には猛省を促したい。』

 そして、改めて、被告に対して原告の自由権規約・子どもの権利条約にかかる主張に対する応答をするよう求めました。
 裁判長が、被告(大阪市)に、原告の求釈明に答えるよう求めたため、被告(大阪市)は求釈明に答えざるを得なくなりました。
 昨年12月提訴時の訴状で、現在の大阪市の卒業式のあり方と不起立者への懲戒処分が子どもの権利条約(12条・13条.14条・28条・29条)違反であり、教員の地位勧告違反だと訴えました。
 また、今年4月提出の第1準備書面では、国連の自由権規約委員会の審議状況も紹介して、自由権規約違反であることを指摘しましたが、被告(大阪市)は、一貫して、その主張に応答せず、はぐらかし、逃げ回っていました。
 やっと捕まえたという感じです。その論点で主張を深め、裁判所に判断を迫っていきたいと思っています。
 ◆ 被告(大阪市)が「生徒が不起立を見ること」が混乱であり、処分の理由となると主張
 被告(大阪市)第3準備書面で以下のように述べました。
『原告は、6において、原告の「君が代」不起立により行事進行の混乱は生じていない旨主張する。しかしながら、卒業式という公式の行事において、教師という立場にある原告がルールに従わない姿を見ることで保護者、来賓、生徒に影響が生じており、その場がざわつかなくとも混乱が生じていたことは明らかである(乙21・33~34頁)。なお、仮に目立った混乱が生じなかったとしても、それは原告が卒業式当日に起立斉唱しないことを卒業式に先立って明言していたため、卒業式においてできるだけ混乱が生じないようにするため原告の座席位置を変更する等被告が工夫した(答弁書8頁)ことによるのであるから、原告の責任を免れる理由とはならない。』
被告(大阪市)は生徒が不起立を見ることが混乱であり、処分の理由になると言ったのですが、こちらからすると願ってもないことです。これこそが、「調教」の証拠であり、市教委は、生徒が現実(「君が代」に対して起立・斉唱しない、できない人がいるという現実)を知る権利を認めないのか、と迫ることができるからです。
 本質的論点が浮かび上がってきました。

 「君が代」調教NO!松田さん処分取消裁判の次回第6回期日は、来年2月14日(月)10時半~大阪地裁808号法廷です。
『大阪ネットニュース 24号』(2021年12月19日発行)


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