◆ 日の丸・君が代 問われた平成
進んだ愛国心強制 (東京新聞【こちら特報部】)
「日の丸」の掲揚と「君が代」の斉唱が学校教育で規定された一九八九年の学習指導要領改定から三十念。平成の時代は教師らにとって、思想良心の自由に「踏み絵」を迫られた時間でもあった。卒業式などで起立せず、君が代を歌わなかったのは職務命令に反するとして、処分を受けた教師らがその違憲性を訴えた裁判は今春、終結。国際労働機関(ILO)は日本政府に改善を促した。国旗国歌強制問題は今、どこにあるのか。(安藤恭子、石井紀代美)
◆ 処分の教員「私の心変わらなかった」
「私にとって『日の丸・君が代』は、日本の侵略戦争の象徴。職務命令には従えないと思った。子どもたちが主役の式を乱すのではないか。式のたび迷ったが私の心は変わらなかった」
東京都内の特別支援学校の小学部教諭を務める田中聡史さん(50)は語る。
田中さんは二〇一一~一三年の卒業式と入学式の計五回、職務命令に従わなかったとして、都教育委員会から戒告三回、減給二回の懲戒処分を受けた。処分取り消しと損害賠償を都に求めた集団訴訟「東京『君が代』裁判」の第四次訴訟の原告十三人の一人だ。
最高裁判決で戒告処分が適法だとされた第一次訴訟からの積み上げを目指した第四次訴訟で、最高裁第一小法廷は三月、双方の上告を受理しない決定をした。戒告処分の取り消しや損害賠償は認められなかったものの、戒告より重い減給処分を科すことには、取り消しを認めた一・二審判決が確定した。
田中さんにとって、定年後の再雇用が望めなくなるなどの不利益よりも辛いのは、「大声で『君が代』を歌う子どもたちの姿」。「知らないうちに愛国心を刷り込まれる現状を変えられなかった」と話す。
原告代理人の沢藤統一郎弁護士は「君が代の強制が、憲法が保障する人権でも最も重い思想良心の自由を侵すのは明らか。『違憲』と認められなかったのは怒りしかない。ただ、教職員に実害がある減給より上の処分は繰り返しであっても『裁量権の逸脱乱用』と判断される。都教委の言い分も通らなかった。判決は痛み分けだ」とみる。
「処分を放置すれば、戒告から減給、停職へと重くなり、最後は懲戒解雇だ。これは、教員が思想や信条、良心を動てるまで処分し続ける『転向強制システム』だが、先生たちの勇気ある裁判が、都教委の暴走を止める歯止めとなった」
◆ 思考停止生む圧力
東京の教師らに対する処分問題は、二〇〇三年、「教職員は会場で国旗に向かって起立し国歌を斉唱する」と定めた、石原慎太郎都政下の「10・23通達」にさかのぼる。一九九九年に制定された国旗国歌法も当時の小渕恵三首相は「新たな義務は課さない」と説明したが、石原都政は強行した。
「『日の丸・君が代』不当処分撤回を求める被処分者の会」によると、通達に基づき懲戒処分を受けた教職員は、二〇一七年度までに延べ四百八十人余り。教員らが処分取り消しや再雇用拒否の撤回を求めた裁判も、計二十六件に上る。
沢藤氏は「日の丸・君が代は国家のシンポル。式典では、個人が国家と向かい合う姿が可視化される。立って歌えと命令することは国家を敬えという強制にほかならない。都教委という統治機構の側が、絶対やってはならないことだが、秩序のために強行する。司法も、合理的秩序は教育行政として必要と追認しているのが現状だ」と批判する。
大阪では一一年、橋下府知事(当時)の下、国歌斉唱時の起立を求める「君が代起立条例」が成立。教職員が国歌を斉唱しているか管理職が目視で確認、校長が府教委に報告するよう求める「口元監視」の通知が出される事態に「やりすぎ」と批判が上がった。
◆ 妨げられる自由な考え 民主主義の脅威
日の丸・君が代の強制をめぐり、現場への圧力は高まるばかりだ。文部科学省によると、学習指導要領改定後の一九九〇年の卒業式で、全国の公立校の国歌斉唱の実施率は、小学校76・7%、中学校71・3%、高校55・3%だった。二〇一三年にはほぼ100%に達し、「適切に実施されている」(教育課程課)として、それ以降は調査されていない。
実施を求める動きは、小中高にとどまらず国立大学や幼稚園や保育園にも及んでいる。
「愛国教育」も加速している。〇六年十二月、第一次安倍政権下で「愛国心」の養成を盛り込んだ改正教育基本法が成立した。第二次政権下でも政治の意向に沿う形で、竹島や尖閣諸島を「固有の領土」と明記する教科書が増えた。小中学校で道徳教科化も始まり、心の内面が評価されるようになった。来夏の東京五輪・パラリンピックに向け、「国威発揚」感も高められる。
名古屋大の愛敬浩二教授(憲法)は教員に対する強制について、「思想良心の自由」を侵すという問題のほか、教員が権力に迎合する自分の姿を生徒に見せるという教育的モラルの問題もあると指摘する。
国家に有用な人材をつくることを目的とした戦前教育の反省から、戦後は子ども一人一人の能力をよりよく発展させることに重点が置かれた。「自分の頭で考え、おかしなことには『おかしい』と意見を言うことが必要だと子どもに教える。なのに、自分のしていることはどうなんだ、と矛盾を突き付けられる問題でもある。『日の丸・君が代が嫌なら教師を辞めればいい』と言う人もいるが、それでは済まない問題だ」
東京大の高橋哲哉教授(哲学)は、日の丸・君が代強制問題の本質を「思考停止システム」と見抜く。本来、入学式などの式典での国旗掲揚や国歌斉唱は当たり前ではない。自由な式のやり方があるはずなのに処分でもって思考を止めてしまう。日の丸・君が代が戦争の汚点を反映するものでも、教員を命令に従うロボットに変えてしまう。「そんな教員を見て育つ子どもは、自由な思考が妨げられる。人間は、自由にものを考えることで危機に対応できる存在。思考停止は民主主義にとっての脅威であり、国そのものを崩壊させる。国家権力が自滅したナチスや軍国日本のようになりかねない」と警鐘を鳴らす。
◆ ILOが是正勧告不当な扱い中止を
十九日、国会でひとつの集会が開かれた。学校現場で日の丸・君が代が強制させられてきた問題に対し、ILOと国連教育科学文化機関(ユネスコ)の合同委員会が出した是正勧告を紹介するものだった。
「日の丸・君が代の強制が、国際社会からも異様なものとして受け止められた」。独立系教職員組合「アイム89東京教育労働者組合」の北原良昌執行委員長は、報告書をそう評価する。
これまで国などは、斉唱と起立は単なる儀式であると主張してきた。しかし報告書は「ある歌を歌ったり式典で起立したりすることは極めて個人的な行為。そのような行為を強制する規則は個人の価値観や意見の侵害とみなしうる」と、日本政府とは正反対のとらえ方をした。
「愛国的な式典」で国旗掲揚や国歌斉唱をしたくない教員も対応できるルールを作ることなどを日本政府に求め、教員らに対する不当な扱いを中止するよう求めている。
文科省財務課の鞠子雄志課長補佐は「こちら特報部」の取材に対しへ「勧告はまだ正式に伝達されていない。それを待って対応を精査する」と答えた。
一四年に合同委員会に申し立てた元都立特別支援学校教員の渡辺厚子さん(68)は訴えた。「上意下達を強いられてきた教員が再び、子どもの成長のために息を吹き返すことができるか。国や都は、教員を一方的な命令に服させる対象としてではなく、生き生きとした教育を一緒に作っていく主体として捉えてほしい。この勧告が転換のきっかけになることを願っています」
※デスクメモ
丸谷才一の「裏声で歌へ君が代」は約四十年前の小説だが、本のカバーに丸谷の言葉がある。「わたしは政治的人間ではない。しかし、そんな人間にこそ政治は襲ひかかるし、あるいは、そんな人間ほど、政治に襲ひかかられたと感じるものらしい」。今、ずしりと胸に刺さる言葉。(直)2019・4・20
『東京新聞』(2019年4月20日【こちら特報部】)
進んだ愛国心強制 (東京新聞【こちら特報部】)
「日の丸」の掲揚と「君が代」の斉唱が学校教育で規定された一九八九年の学習指導要領改定から三十念。平成の時代は教師らにとって、思想良心の自由に「踏み絵」を迫られた時間でもあった。卒業式などで起立せず、君が代を歌わなかったのは職務命令に反するとして、処分を受けた教師らがその違憲性を訴えた裁判は今春、終結。国際労働機関(ILO)は日本政府に改善を促した。国旗国歌強制問題は今、どこにあるのか。(安藤恭子、石井紀代美)
◆ 処分の教員「私の心変わらなかった」
「私にとって『日の丸・君が代』は、日本の侵略戦争の象徴。職務命令には従えないと思った。子どもたちが主役の式を乱すのではないか。式のたび迷ったが私の心は変わらなかった」
東京都内の特別支援学校の小学部教諭を務める田中聡史さん(50)は語る。
田中さんは二〇一一~一三年の卒業式と入学式の計五回、職務命令に従わなかったとして、都教育委員会から戒告三回、減給二回の懲戒処分を受けた。処分取り消しと損害賠償を都に求めた集団訴訟「東京『君が代』裁判」の第四次訴訟の原告十三人の一人だ。
最高裁判決で戒告処分が適法だとされた第一次訴訟からの積み上げを目指した第四次訴訟で、最高裁第一小法廷は三月、双方の上告を受理しない決定をした。戒告処分の取り消しや損害賠償は認められなかったものの、戒告より重い減給処分を科すことには、取り消しを認めた一・二審判決が確定した。
田中さんにとって、定年後の再雇用が望めなくなるなどの不利益よりも辛いのは、「大声で『君が代』を歌う子どもたちの姿」。「知らないうちに愛国心を刷り込まれる現状を変えられなかった」と話す。
原告代理人の沢藤統一郎弁護士は「君が代の強制が、憲法が保障する人権でも最も重い思想良心の自由を侵すのは明らか。『違憲』と認められなかったのは怒りしかない。ただ、教職員に実害がある減給より上の処分は繰り返しであっても『裁量権の逸脱乱用』と判断される。都教委の言い分も通らなかった。判決は痛み分けだ」とみる。
「処分を放置すれば、戒告から減給、停職へと重くなり、最後は懲戒解雇だ。これは、教員が思想や信条、良心を動てるまで処分し続ける『転向強制システム』だが、先生たちの勇気ある裁判が、都教委の暴走を止める歯止めとなった」
◆ 思考停止生む圧力
東京の教師らに対する処分問題は、二〇〇三年、「教職員は会場で国旗に向かって起立し国歌を斉唱する」と定めた、石原慎太郎都政下の「10・23通達」にさかのぼる。一九九九年に制定された国旗国歌法も当時の小渕恵三首相は「新たな義務は課さない」と説明したが、石原都政は強行した。
「『日の丸・君が代』不当処分撤回を求める被処分者の会」によると、通達に基づき懲戒処分を受けた教職員は、二〇一七年度までに延べ四百八十人余り。教員らが処分取り消しや再雇用拒否の撤回を求めた裁判も、計二十六件に上る。
沢藤氏は「日の丸・君が代は国家のシンポル。式典では、個人が国家と向かい合う姿が可視化される。立って歌えと命令することは国家を敬えという強制にほかならない。都教委という統治機構の側が、絶対やってはならないことだが、秩序のために強行する。司法も、合理的秩序は教育行政として必要と追認しているのが現状だ」と批判する。
大阪では一一年、橋下府知事(当時)の下、国歌斉唱時の起立を求める「君が代起立条例」が成立。教職員が国歌を斉唱しているか管理職が目視で確認、校長が府教委に報告するよう求める「口元監視」の通知が出される事態に「やりすぎ」と批判が上がった。
◆ 妨げられる自由な考え 民主主義の脅威
日の丸・君が代の強制をめぐり、現場への圧力は高まるばかりだ。文部科学省によると、学習指導要領改定後の一九九〇年の卒業式で、全国の公立校の国歌斉唱の実施率は、小学校76・7%、中学校71・3%、高校55・3%だった。二〇一三年にはほぼ100%に達し、「適切に実施されている」(教育課程課)として、それ以降は調査されていない。
実施を求める動きは、小中高にとどまらず国立大学や幼稚園や保育園にも及んでいる。
「愛国教育」も加速している。〇六年十二月、第一次安倍政権下で「愛国心」の養成を盛り込んだ改正教育基本法が成立した。第二次政権下でも政治の意向に沿う形で、竹島や尖閣諸島を「固有の領土」と明記する教科書が増えた。小中学校で道徳教科化も始まり、心の内面が評価されるようになった。来夏の東京五輪・パラリンピックに向け、「国威発揚」感も高められる。
名古屋大の愛敬浩二教授(憲法)は教員に対する強制について、「思想良心の自由」を侵すという問題のほか、教員が権力に迎合する自分の姿を生徒に見せるという教育的モラルの問題もあると指摘する。
国家に有用な人材をつくることを目的とした戦前教育の反省から、戦後は子ども一人一人の能力をよりよく発展させることに重点が置かれた。「自分の頭で考え、おかしなことには『おかしい』と意見を言うことが必要だと子どもに教える。なのに、自分のしていることはどうなんだ、と矛盾を突き付けられる問題でもある。『日の丸・君が代が嫌なら教師を辞めればいい』と言う人もいるが、それでは済まない問題だ」
東京大の高橋哲哉教授(哲学)は、日の丸・君が代強制問題の本質を「思考停止システム」と見抜く。本来、入学式などの式典での国旗掲揚や国歌斉唱は当たり前ではない。自由な式のやり方があるはずなのに処分でもって思考を止めてしまう。日の丸・君が代が戦争の汚点を反映するものでも、教員を命令に従うロボットに変えてしまう。「そんな教員を見て育つ子どもは、自由な思考が妨げられる。人間は、自由にものを考えることで危機に対応できる存在。思考停止は民主主義にとっての脅威であり、国そのものを崩壊させる。国家権力が自滅したナチスや軍国日本のようになりかねない」と警鐘を鳴らす。
◆ ILOが是正勧告不当な扱い中止を
十九日、国会でひとつの集会が開かれた。学校現場で日の丸・君が代が強制させられてきた問題に対し、ILOと国連教育科学文化機関(ユネスコ)の合同委員会が出した是正勧告を紹介するものだった。
「日の丸・君が代の強制が、国際社会からも異様なものとして受け止められた」。独立系教職員組合「アイム89東京教育労働者組合」の北原良昌執行委員長は、報告書をそう評価する。
これまで国などは、斉唱と起立は単なる儀式であると主張してきた。しかし報告書は「ある歌を歌ったり式典で起立したりすることは極めて個人的な行為。そのような行為を強制する規則は個人の価値観や意見の侵害とみなしうる」と、日本政府とは正反対のとらえ方をした。
「愛国的な式典」で国旗掲揚や国歌斉唱をしたくない教員も対応できるルールを作ることなどを日本政府に求め、教員らに対する不当な扱いを中止するよう求めている。
文科省財務課の鞠子雄志課長補佐は「こちら特報部」の取材に対しへ「勧告はまだ正式に伝達されていない。それを待って対応を精査する」と答えた。
一四年に合同委員会に申し立てた元都立特別支援学校教員の渡辺厚子さん(68)は訴えた。「上意下達を強いられてきた教員が再び、子どもの成長のために息を吹き返すことができるか。国や都は、教員を一方的な命令に服させる対象としてではなく、生き生きとした教育を一緒に作っていく主体として捉えてほしい。この勧告が転換のきっかけになることを願っています」
※デスクメモ
丸谷才一の「裏声で歌へ君が代」は約四十年前の小説だが、本のカバーに丸谷の言葉がある。「わたしは政治的人間ではない。しかし、そんな人間にこそ政治は襲ひかかるし、あるいは、そんな人間ほど、政治に襲ひかかられたと感じるものらしい」。今、ずしりと胸に刺さる言葉。(直)2019・4・20
『東京新聞』(2019年4月20日【こちら特報部】)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます