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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

子どもに対する日の丸・君が代の強制の実態

2010年06月02日 | 人権
 《子どもの権利条約カウンターレポート(DCI)》から VIII-11-3
 ◎ 子どもに対する日の丸・君が代の強制の実態

(1)都立C高校において

 2003年12月に都立C高校で創立50周年記念行事が行われた。同校では「10・23通達」以後最初の行事であり、式典において国旗掲揚と国歌斉唱の実施が都教委から強く迫られた。このことを疑問視した生徒会役員の生徒が生徒会主催の討論会を開いた。生徒会顧問や校長など教職員や生徒も多数参加して活発な討論が行われた。君が代に賛成する意見や反対する意見、平和の大切さを訴える意見など生徒から様々な意見が出された。
 これに対して都教委は、討論会の内容を問題視し、3月22日に事情聴取のために12人の都教委職員をC高校に派遣した。教職員全員の事情聴取が、それぞれ個別に30分から1時間かけて行われた。結果、一部の教職員により「学習指導要領に反する不適切な指導」が行われたとして、生徒会顧問の教職員と教頭が「厳重注意」の処分を受けた。
 生徒に対する調査こそ行われなかったが、卒業式の前に計画されていた2回目の討論会は中止せざるを得なくなった。以後同校では同種の討論は行われなくなり、生徒が自由に意見を発表する機会はなくなった。”物言わぬが善し”という空気が同校の教職員と生徒の間に広がった。
(2)都立B高校において
 都立B高校定時制の2005年3月の卒業式では、在校生4人(在籍6名中当日出席4名)全員が国歌斉唱時に起立をせず着席したままでいた。それを見た教頭は、着席している生徒の座席の前に歩みよって、「立ちなさい」と叱責した。生徒達はそれでも着席したままでいたため、教頭は一部の生徒の身体を強く揺すった。それでもなお生徒は起立しなかった。教頭の念頭には、上記の「国歌斉唱時に起立しなかった生徒がいた場合は教師の指導不足とする」旨の都教委の通知があったと考えられる。
(3)養護学校において
 1960年代以降の研究と試行錯誤の結果、多くの肢体不自由校は、バリアフリーの点から壇上ではなくフロアを舞台にして卒業式等の学校行事を行ってきた。同一空間における共感性を高めると同時に安全面、医療面でも必要な形式であった。全員が互いに相手の顔、表情を見ることができるため、生徒の表情、体調急変に多くの人が気づき、連携して機敏に対応することができたのである。また、肢体不自由の子どもが、車いす等を用いてフロアを自分で進み、自力で卒業証書を受けとることができた。それは、「自分で進み、受けとる自立の記念」という性格を内包した形式であった。
 しかし、都教委は、上記の「10・23通達」によって、全ての学校が舞台壇上正面に国旗を掲揚し、児童・生徒、教師、保護者が壇上に向かって座り、児童・生徒全員が壇上に上がって卒業証書を受け取る形で卒業式をするよう通達(強制)した。これによって、卒業式に対する各学校の創意工夫が不可能となる。肢体不自由学校での卒業式の形式は一変させられ、自力で壇上へのスロープを登る事が困難な子どもは、教師などに介護されて壇上に上らなくてはならなくなった。ある学校では、子ども・親が電動車椅子で自力走行しフロアで証書を受け取りたいと校長に要望したが、聞き入れられず教員の全介助にさせられた。子どもにとって「自分で進み、受けとる自立の記念」という卒業式の性格が破壊されてしまったと言える。
 また、学校の管理職は「3・11通達」が出て以降、君が代斉唱時に教員が起立することに最大の関心を払うことになった。そのため、養護学校においては、君が代斉唱時におきる子どもたちの生命の危険、突発的な様々動き、生理現象等に必要な教員の対応が、管理職によって阻害される事態が起きている。
 ●ケース①:小学部1年生の子どもがトイレに行きたいとサインを出した。トイレへ連れて出ると副校長が追いかけてき、「連れ出すな、おむつを着けさせればよい」と言った。副校長は教員の起立を優先させようとするあまり、子どもの生理的要求を抑圧、不快状態を放置させようとした。
 ●ケース②:君が代斉唱時に教員が子どもの排便のため連れ出し起立命令に従わないことがあってはならないとして、便秘に苦しみ浣腸をして排便している子どもに対して、管理職は卒業式の日は浣腸をしないよう担当教員から親に伝えるよう指示した
 ●ケース③:最重度障害の子どもに対し、楽で安全な姿勢で式に臨めるように教員が坐って抱きかかえていた。校長はそれを見咎め、「介助はしないで放置し、起立する」もしくは「子どもを式には参加させないようにする」よう、教員に迫った。

 以上の例は氷山の一角であり、日の丸・君が代の強制に関わる子どもの権利侵害は、枚挙に暇が無い。既述したように、日本の近現代史の事情から日の丸・君が代に対する国民の評価は論争的である。それにも関わらず、行政が権力的に教職員に国旗掲揚・国歌斉唱を強制し、教職員への強制を介して子どもにも国旗・国歌斉唱が強制されている。学校行事において、子どもの思想・良心の自由(子どもの権利条約14条)が侵害されているのは明白だろう。また、障害児学校では、国旗掲揚・国歌斉唱の強制によって教師による適切な対応が阻害され、安心・安全に学校で過ごす権利すら脅かされている。子どもの権利条約23条(障害児の権利)違反であると指摘しなければならない。
 その上で留意すべきは、日の丸・君が代強制の問題を<ある特定の思想を持った子ども>や<障害を持った子ども>といったマイノリティーの子どもの権利侵害と捉えてはいけないということである。上記事例のように、日の丸・君が代やそれらの強制に様々な意見を持っている全ての子どもと教師が、この論争的な主題について子ども同士および子どもと教師の間で意見交換や討議する事を許されていない状況にある。子どもに対する「指導」や「指導不足」の教師に対する処分が、学校における子どもの自由な意見表明に対し決定的な萎縮効果を生み出している。子どもの意見表明(子どもの権利条約12条)とそれに応える教師の教育の自由が破壊され、それによって保障されるはずの子どもの十全な成長発達そのものが侵害されていると捉えるべきだろう。
参考・引用
・ 東京・教育の自由裁判原告団「東京都における『国旗・国歌』の強制」
・ 渡辺厚子「『日の丸・君が代』強制によってひきおこされている障害児学校での人権侵害」
・ 「基礎報告書355・359・363・364・371・383」

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