◆ 「70年談話」は安倍首相のアキレス腱!?
皆さま 高嶋伸欣です
1.昨日の『日本経済新聞』9ページに「70年談話」を危惧する記事が掲載され、編集委員の佐藤賢記者が「今年は戦後70周年の節目で歴史問題は重く、安倍外交のアキレス腱になりかねない」と指摘をしています。
2.そのコメントは、「日曜に考える 安倍政権の進むべき道は」との特集で同ページに掲載されている谷垣禎一・自民党幹事長のインタビュー記事の中で、谷垣氏が安倍首相について、「仕事が早いのは基本的に悪いことではないが、アドレナリンがわっと出て、前のめりになることがないわけではない」と語っていたのを受けて、具体的な懸念事項として、示したものです。
3.さらに同じページに掲載された川人貞史・東大大学院教授(日本政治・政治過程論)のインタビュー記事では「歴史問題も領土問題も解決は難しい。唯一できるのはことを荒立てないことだ。首相には中国や韓国を刺激しそうな行動を取らないでほしい」とまで言われてます。
4.どちらかと言えば安倍政権寄りと見られている『日経』にここまで言われているのです。
安倍首相は勢いよく「70年談話を出す」などと言って、保守派の支持率維持を図ったのですが、その日が近づくにつれて”勝手にはさせない”という包囲網は狭まるばかりです。こうした厳しい状況を佐藤記者が、いみじくも「安倍外交のアキレス腱」と表現したのだと思います。やがてそれは「時限爆弾」にさえなる可能性があります。
5.戦後50年の「村山首相談話」には「改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明する」と明確な謝罪の文言があって、戦後60年の「小泉首相談話」にもこの表現を盛り込んでいます。
この文言を「安倍談話」が「そのまま受け継がれるのかが焦点だ」(『朝日』1月7日)が「歴代の内閣の立場を全体として引き継いでいく」という曖昧な説明ばかりです。
6.もちろん、国内外からは「そのまま受け継ぐ」ことが求められています。けれども「中韓への配慮が強い内容になれば首相を支持する保守勢力の反発を招きかねず、『文言の調整は一筋縄ではいかない』との声が(首相に近い議員からは)漏れる」(『日経』1月7日)状況です。
7.そうした板挟みの状況下で、菅官房長官は9日のBSフジの番組の中で、村山談話を「全体としては継承するが、同じものをやるのであれば新たに談話を出す必要がない。70年の歩みや未来志向ということを含めた談話になる」と述べたそうです(『産経』1月10日)。
8.やはり同じ文言は盛り込まないつもりなのだ、とも読めます。国内外から注目されているのは、それこそ同じ文言を使うことでアジアへの謝罪と反省の姿勢に変わりがないことを示すかどうか、ということであるはずです。
9.今後もこの種の説明を繰り返して官房長官は、村山談話の文言通りにはしないですむ状況を作っていくものと思われます。
その場合に、「未来志向」としてどのような内容が示されるかが問題です。これについても、具体的な話題が出てきた段階で素早く検討して安倍政権ペースにさせない取り組みが必要と思われます。
10.その一つの事例が早くも浮上しました。本日(12日)の『産経』によると、昨日のフジテレビ系の番組『新報道 2001』で下村博文・文科大臣が「安倍談話」について「国際協調に配慮しながらも、安倍政権らしい談話を考えていくべきだ。国民から見ても日本らしいアイデンティティーを持った談話を作っていくべきだ」と語ったそうです。
11.その「日本らしいアイデンティティー」について、下村氏は番組の中で「真の国際人になるためには、真の日本人としてのアイデンティティーを持たないと世界で通用しない。グローバル人材育成のため小学校3年生からの英語教育を導入するが、同時に日本の伝統や文化や歴史を教えることを学校教育の中で徹底したい」と、語っています。
12.「やはり出てきた”日本の伝統や文化の重視”」です。かつて、教育基本法の改定が議論されてきた中で、2000年頃までは、さすがの自民党でも全面改定では賛成が得られないとして、部分改定を主張するに留まっていました。
そうした時に、具体的な部分改定を提唱した一人が中曽根康弘・元首相で、その主張の根幹は目標に「文化と伝統の尊重」を加筆せよ、というものでした。中曽根氏による改定の主張は『読売』朝刊の大型コラム『地球を読む』(1997年4月21日)でまとめて示されています。
13.その論旨は以下の通りです。
「今日諸般の改革をしなければならなくなった根本は戦後教育の誤りにある。その教育改革の一番の基本は教育基本法の改正である。」
「(教育基本法は)中身を見ると、人類、平和、自由、民主主義という言葉はあるが国家、民族、文化、歴史、家庭と言う言葉はない。言い換えれば、当時、マッカーサー元帥はどの国でも通用するような教育基本法を勧告として日本に与えた。従って、それは蒸留水のようで日本固有の味はない。」
「どの民族もどの国家も固有の価値を持って初めて世界的に存在意義がある。」
14.
「日本は自然国家である。今から千五百年前に大和朝廷ができ、それは初め氏族制度であった。その時は政教一致の神政政治的なものであったのだろう。天皇は神聖な神に仕える神主の頭領であった。」
「明治になってからプロシア憲法を入れて、天皇は世俗的な権力を持ち、軍刀を持った。軍刀を持った天皇体制はこの間の戦争で米国に倒された。」
「戦後は天皇は軍刀を捨てて、今度は笏(しゃく)を持つわけにはいかないから顕微鏡を持った。これは大変な智慧である。」
「天皇は文化の擁護者であった。それが日本が比較的国内平和を維持してきた原因である。その天皇制は伝統を保持し、千数百年続けて現存している。」
15.
「日本歴史の大きな成果は更に、わび、さび、もののあわれという新しい価値を日本人が発見したことである。(芭蕉の幽玄の道、能や歌舞伎、茶道、生け花など)他の民族にない独自の美を発見し、このことは21世紀にかけて世界化が進んでいく中に日本の高尚な独自性を示すものとして、世界に評価されるものになっていく。」
「この天皇制と、わび、さび、もののあわれ等の芸術が日本歴史の誇るべき文化価値なのである。このような文化的独自性を持つ日本は千数百年の歴史の時間の中で造成され、自然国家として益々価値を発揮すべき場に臨む。」
16.
「これに対し、米国や中国は戦略国家であり、人工国家である。」「自然国家は戦略国家から手玉に取られることもままあるが、この自然国家の尊厳性を我々は自覚し、発揮すべき時である。」
17.要約すれば、日本の文化と伝統は天皇制があったことで独自性が生まれ、保護されてきたことで、世界に誇れる存在になっているということを歴史として明示すべきであって、そのことを学ばせるように教育基本法に教育の目標として「文化と伝統の尊重」を加筆するべきだ、ということです。
18. この中曽根提案はすでに、第1次安倍政権による教育基本法の全面改定で現実化されています。
19.ところで、ここでいう「わび、さび、もののあわれを日本独自の文化」として誇張する論理は、日本軍がアジア侵略を正当化した論理の「皇国地政学」に盛り込まれていたものとほぼ同じです。
現人神という類例のない神聖な存在によって統治されている日本人(大和民族)が劣等民族のアジアの地域を支配するのは正当なのだとする論理の中で、日本人社会の優秀さを強調するものとして組み込まれていたのです。
その論理が誤りであることは、アジアの人々の抵抗によって日本軍が破滅に追い込まれた結果で証明されたはずでした。けれども、戦後の総括が不十分であったために、こうして再び侵略正当化の論理が蘇りつつあるのだと、言えそうです。
20.1980年代前半、ある高校「現代社会」の教科書にこの論理が登場し、検定でも削除されませんでした。そのため、「この記述は危険だ」と私たちが声を上げ、採択がほとんどされない状況に追い込むことで、廃刊になっていました。
21.それが、教育基本法の全面改定によって新たに学校教育に入り込もうとしている(学習指導要領の改定に組み込まれる?)ところで、「安倍談話」の主たる内容に据えられる可能性さえ強まってきた、ということのようです。
22.このままでは、ますます安倍政権による皇室の政治的利用が多角的に進められそうです。その分、天皇や皇后による「お言葉」もさらに政治的なものになりそうです。
やはり、「お言葉」をどう受け止め、どう扱うのかの議論が必要に思えます。改めて考えを整理してみるつもりです。
また長くなりましたが、すべて高嶋の私見です。 転載・拡散は自由です
皆さま 高嶋伸欣です
1.昨日の『日本経済新聞』9ページに「70年談話」を危惧する記事が掲載され、編集委員の佐藤賢記者が「今年は戦後70周年の節目で歴史問題は重く、安倍外交のアキレス腱になりかねない」と指摘をしています。
2.そのコメントは、「日曜に考える 安倍政権の進むべき道は」との特集で同ページに掲載されている谷垣禎一・自民党幹事長のインタビュー記事の中で、谷垣氏が安倍首相について、「仕事が早いのは基本的に悪いことではないが、アドレナリンがわっと出て、前のめりになることがないわけではない」と語っていたのを受けて、具体的な懸念事項として、示したものです。
3.さらに同じページに掲載された川人貞史・東大大学院教授(日本政治・政治過程論)のインタビュー記事では「歴史問題も領土問題も解決は難しい。唯一できるのはことを荒立てないことだ。首相には中国や韓国を刺激しそうな行動を取らないでほしい」とまで言われてます。
4.どちらかと言えば安倍政権寄りと見られている『日経』にここまで言われているのです。
安倍首相は勢いよく「70年談話を出す」などと言って、保守派の支持率維持を図ったのですが、その日が近づくにつれて”勝手にはさせない”という包囲網は狭まるばかりです。こうした厳しい状況を佐藤記者が、いみじくも「安倍外交のアキレス腱」と表現したのだと思います。やがてそれは「時限爆弾」にさえなる可能性があります。
5.戦後50年の「村山首相談話」には「改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明する」と明確な謝罪の文言があって、戦後60年の「小泉首相談話」にもこの表現を盛り込んでいます。
この文言を「安倍談話」が「そのまま受け継がれるのかが焦点だ」(『朝日』1月7日)が「歴代の内閣の立場を全体として引き継いでいく」という曖昧な説明ばかりです。
6.もちろん、国内外からは「そのまま受け継ぐ」ことが求められています。けれども「中韓への配慮が強い内容になれば首相を支持する保守勢力の反発を招きかねず、『文言の調整は一筋縄ではいかない』との声が(首相に近い議員からは)漏れる」(『日経』1月7日)状況です。
7.そうした板挟みの状況下で、菅官房長官は9日のBSフジの番組の中で、村山談話を「全体としては継承するが、同じものをやるのであれば新たに談話を出す必要がない。70年の歩みや未来志向ということを含めた談話になる」と述べたそうです(『産経』1月10日)。
8.やはり同じ文言は盛り込まないつもりなのだ、とも読めます。国内外から注目されているのは、それこそ同じ文言を使うことでアジアへの謝罪と反省の姿勢に変わりがないことを示すかどうか、ということであるはずです。
9.今後もこの種の説明を繰り返して官房長官は、村山談話の文言通りにはしないですむ状況を作っていくものと思われます。
その場合に、「未来志向」としてどのような内容が示されるかが問題です。これについても、具体的な話題が出てきた段階で素早く検討して安倍政権ペースにさせない取り組みが必要と思われます。
10.その一つの事例が早くも浮上しました。本日(12日)の『産経』によると、昨日のフジテレビ系の番組『新報道 2001』で下村博文・文科大臣が「安倍談話」について「国際協調に配慮しながらも、安倍政権らしい談話を考えていくべきだ。国民から見ても日本らしいアイデンティティーを持った談話を作っていくべきだ」と語ったそうです。
11.その「日本らしいアイデンティティー」について、下村氏は番組の中で「真の国際人になるためには、真の日本人としてのアイデンティティーを持たないと世界で通用しない。グローバル人材育成のため小学校3年生からの英語教育を導入するが、同時に日本の伝統や文化や歴史を教えることを学校教育の中で徹底したい」と、語っています。
12.「やはり出てきた”日本の伝統や文化の重視”」です。かつて、教育基本法の改定が議論されてきた中で、2000年頃までは、さすがの自民党でも全面改定では賛成が得られないとして、部分改定を主張するに留まっていました。
そうした時に、具体的な部分改定を提唱した一人が中曽根康弘・元首相で、その主張の根幹は目標に「文化と伝統の尊重」を加筆せよ、というものでした。中曽根氏による改定の主張は『読売』朝刊の大型コラム『地球を読む』(1997年4月21日)でまとめて示されています。
13.その論旨は以下の通りです。
「今日諸般の改革をしなければならなくなった根本は戦後教育の誤りにある。その教育改革の一番の基本は教育基本法の改正である。」
「(教育基本法は)中身を見ると、人類、平和、自由、民主主義という言葉はあるが国家、民族、文化、歴史、家庭と言う言葉はない。言い換えれば、当時、マッカーサー元帥はどの国でも通用するような教育基本法を勧告として日本に与えた。従って、それは蒸留水のようで日本固有の味はない。」
「どの民族もどの国家も固有の価値を持って初めて世界的に存在意義がある。」
14.
「日本は自然国家である。今から千五百年前に大和朝廷ができ、それは初め氏族制度であった。その時は政教一致の神政政治的なものであったのだろう。天皇は神聖な神に仕える神主の頭領であった。」
「明治になってからプロシア憲法を入れて、天皇は世俗的な権力を持ち、軍刀を持った。軍刀を持った天皇体制はこの間の戦争で米国に倒された。」
「戦後は天皇は軍刀を捨てて、今度は笏(しゃく)を持つわけにはいかないから顕微鏡を持った。これは大変な智慧である。」
「天皇は文化の擁護者であった。それが日本が比較的国内平和を維持してきた原因である。その天皇制は伝統を保持し、千数百年続けて現存している。」
15.
「日本歴史の大きな成果は更に、わび、さび、もののあわれという新しい価値を日本人が発見したことである。(芭蕉の幽玄の道、能や歌舞伎、茶道、生け花など)他の民族にない独自の美を発見し、このことは21世紀にかけて世界化が進んでいく中に日本の高尚な独自性を示すものとして、世界に評価されるものになっていく。」
「この天皇制と、わび、さび、もののあわれ等の芸術が日本歴史の誇るべき文化価値なのである。このような文化的独自性を持つ日本は千数百年の歴史の時間の中で造成され、自然国家として益々価値を発揮すべき場に臨む。」
16.
「これに対し、米国や中国は戦略国家であり、人工国家である。」「自然国家は戦略国家から手玉に取られることもままあるが、この自然国家の尊厳性を我々は自覚し、発揮すべき時である。」
17.要約すれば、日本の文化と伝統は天皇制があったことで独自性が生まれ、保護されてきたことで、世界に誇れる存在になっているということを歴史として明示すべきであって、そのことを学ばせるように教育基本法に教育の目標として「文化と伝統の尊重」を加筆するべきだ、ということです。
18. この中曽根提案はすでに、第1次安倍政権による教育基本法の全面改定で現実化されています。
19.ところで、ここでいう「わび、さび、もののあわれを日本独自の文化」として誇張する論理は、日本軍がアジア侵略を正当化した論理の「皇国地政学」に盛り込まれていたものとほぼ同じです。
現人神という類例のない神聖な存在によって統治されている日本人(大和民族)が劣等民族のアジアの地域を支配するのは正当なのだとする論理の中で、日本人社会の優秀さを強調するものとして組み込まれていたのです。
その論理が誤りであることは、アジアの人々の抵抗によって日本軍が破滅に追い込まれた結果で証明されたはずでした。けれども、戦後の総括が不十分であったために、こうして再び侵略正当化の論理が蘇りつつあるのだと、言えそうです。
20.1980年代前半、ある高校「現代社会」の教科書にこの論理が登場し、検定でも削除されませんでした。そのため、「この記述は危険だ」と私たちが声を上げ、採択がほとんどされない状況に追い込むことで、廃刊になっていました。
21.それが、教育基本法の全面改定によって新たに学校教育に入り込もうとしている(学習指導要領の改定に組み込まれる?)ところで、「安倍談話」の主たる内容に据えられる可能性さえ強まってきた、ということのようです。
22.このままでは、ますます安倍政権による皇室の政治的利用が多角的に進められそうです。その分、天皇や皇后による「お言葉」もさらに政治的なものになりそうです。
やはり、「お言葉」をどう受け止め、どう扱うのかの議論が必要に思えます。改めて考えを整理してみるつもりです。
また長くなりましたが、すべて高嶋の私見です。 転載・拡散は自由です
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