《 君が代強制反対に刑事罰!? 》 板橋高校「君が代」刑事裁判結審!
◎ この事件は「どういう意味を持っていたのか」
桜ほころぶ卒業式の季節、穏やかな陽光に包まれた東京高裁102号法廷で「板橋高校卒業式『君が代』刑事弾圧裁判」が結審した。
「報告集会から」 《撮影:hirata》
弁護側からは6人の弁護団が代わる代わる『最終弁論要旨』を読み上げた。
改めて、「事件」の全容が見えてくる、分かりやすく周到な弁論だった。
あらゆる角度から、法律上の争点が取り上げられ二重三重に緻密に論証されると同時に、原審の事実認定の誤りもさながら刑事ドラマを見るように証拠を元に丹念に推論を重ね鮮やかに立証し、「軽微なこと」が「犯罪」に仕立て上げられていく公権力による捜査・起訴の特異なプロセスも解明された。いかに都教委・公安警察が「KY(空気読み過ぎ?)」であったかくっきり浮かび上がってきた。
(1)加藤弁護士 ~総論
新しい証人・証拠採用など丁寧な審理が行われたことに感謝する。
1年9ヶ月の審理を経て、原判決の事実誤認、法令適用の誤りが明らかになった。
「制止行為」が無かったことは、保護者新証言から明らか。田中教頭証言に信用性がないことは、土屋都議・金子指導主事供述調書より明らか。原判決は300人の目撃者を納得させるものではない。
校長の「命令」は「10・23通達」を前提としているが、通達の根拠が「学習指導要領」としても、効力はギリギリ教職員に対してのみで、市民・保護者は対象外である。
そもそも「言論そのものを問題にした」不当な起訴であった。
米連邦最高裁ティンカー判決(※リンク)は、「生徒であれ、教員であれ、校門をくぐったとたんに、表現の自由への憲法上の権利を失うものではない。」と判示している。「不明確な恐怖感や混乱への懸念は表現の自由を否定するには十分ではない。」「憲法はこのようなリスクを冒さなければならないといっている。」という崇高な言葉に留意したい。
(2)大迫弁護士 ~動機に関する事実誤認
原審も認めているように、卒業式参列の目的・動機はゆかりある教え子のピアノ伴奏のためであり、それを知って勤務のローテーションを急遽変えたことからも明らかである。
挨拶の動機は、保護者に事態の深刻さを知ってもらおうとしたもの。昨年までは「内心の自由」を尊重するメッセージがあり保護者には考える時間があった。
(3)小沢弁護士 ~制止行為に関する事実誤認と法令適用の誤り
①配布制止行為も呼びかけ制止行為もなかった。
監視役として増員派遣されたK岡指導主事すら「制止は目撃していない」と証言。
ICレコーダのどこにもそのような記録がない。
検察側証言の、供述調書との食い違いは、矛盾を回避するための後知恵の言い訳。
新保護者証言こそ、最初から最後まで関心を持って見つめていた信頼性の高い証言。
②業務妨害の「結果」も「おそれ」もない。
待機中の保護者席は、元々「厳粛」な場ではなく、配布や呼びかけに無関係に騒然としている。
退去命令以降は、受動的防御的対応であり、威力を用いる故意・認識はない。
形式的に該当したとしても、「明治のタバコ一厘事件」に比すべき「卒業式の2分間」。
③「威力業務妨害罪」法令適用の誤り。
「業務」の要件を満たしていない。保護者への「起立斉唱」命令は、校長の「業務」ではない。
「威力」の要件も満たさない。人数的にも、式を中断させていない、有形力を行使していない点からも。
(4)平松弁護士 ~違法性阻却
仮に形式的に構成要件に該当するとしても、
① 「制止」は、「急迫不正な侵害」に当たり、「正当防衛」が成り立つ。
② 「内心の自由」が侵害される危機を訴えた「表現行為」は、「正当行為」である。
③ 「退去命令」は、校長らの不当な業務なので、適法性を欠く。
④ 「表現の自由」の法益、参列の自己の権利防衛は、2分間の遅れよりもはるかに勝る。
(5)田場弁護士 ~公訴権の濫用
特定の政治的目的のための、不必要恣意的な捜査に基づく、違法・不当な起訴である。
・「10・23通達」直後の卒業式、君が代強制急先鋒の土屋都議参列、TBS取材の下で、卒業生の9割が着席したことは、校長・都教委には大きな衝撃だった。
・式終了時点での問題は「不起立」のみで、担任団の聴取など「犯人捜し」が行われたが、見つからなかった。その後で、藤田さんの行動が問題にされた。
・当日(3/11)夕方の産経新聞の取材に校長は、警察を呼ぶつもりはなかったと答え、刑事事件化は全く考えていない。翌日(3/12)板橋警察が来校したが、どこが「犯罪」か分からず「被害届」を出せなかった。
・3/16都議会で、土屋都議の質問に横山教育長が答える形で「制止を振り切り」「法的措置を執ります」と、藤田さんを刑事訴追する方向が定められた。
・3/26公安と板橋警察が大挙学校に押しかけ、2回の実況検分、3時間に及ぶ担任達への尋問という、教育の場には極めて異例な捜査が行われた。
・同日「被害届」が出されるが、それに記載されていた「建造物侵入」は12/3の「起訴状」では消えて、「威力業務妨害罪」となっていた。犯罪をこじつけたことが歴然。
・「被害届」を出すことには、職員会議で大半の教員が反対していた。にも関わらず校長・都教委は「10・23通達」完全実施を政治目的化し、「軽微なこと」を「事件」に仕立て上げていった形跡が歴然である。
(6)只野弁護士 ~まとめ
本件は、本来であれば、およそ刑事「事件」の名に値するような事案ではない。本件の本質は、その事件性にあるのではなく、被告人の行為を取り巻く教育の場に相応しくない当局側の政治的思惑に存在するからである。
行為の外形を捉えて、刑事事件が思想的・政治的言論抑圧の手段として利用されるとき、民主主義社会は崩壊の危機に陥る。
公権力は、一方において行政権の行使として、「10・23通達」に基づく国旗国歌の強制により学校現場に思想良心の自由を抑圧する違憲違法な状態を作り出し、他方において刑罰権を行使して、これに批判的な言動を封じ込めるという両面において、民主主義社会の基盤を根底から掘り崩す事態を招いたと言わざるを得ないであろう。
(『曽根意見書』からの引用)
「報告集会から2」 《撮影:hirata》
検察官の番になると、一言ボソッと「書面の通り」で、読み上げは省略された。4回の公判を通して、検事からは一言以上の言葉は聞かれないままだった。
検察側『最終答弁書』は3ページの薄っぺらなものだったそうだ。
それに対し弁護側の『最終弁論書』は120ページを超える渾身の力作である。
(『傍聴記』ですので、法律用語その他記述に不正確なところがあることをお含みおきの上お読み下さい。)
報告集会では、藤田さんも弁護団も、一つの仕事をやり終えたという爽やかな笑顔が印象的だった。
新しい証人や曽根意見書を得て、法理論的に何となく分かるけど何となく分かりにくい点が煮詰まって、いい理論が出せたとの感想。
◎ 判決公判は
5月29日(木)15:00~16:30 東京高裁102号法廷
判決文の読み上げがあるそうです。
公権力の無軌道ぶりが断罪されて「スッキリ」できるか、表現の自由は窒息したままで「モヤッと」するか。刑事事件の有罪率は99.8%…。答は2ヶ月後に。
◎ この事件は「どういう意味を持っていたのか」
桜ほころぶ卒業式の季節、穏やかな陽光に包まれた東京高裁102号法廷で「板橋高校卒業式『君が代』刑事弾圧裁判」が結審した。
「報告集会から」 《撮影:hirata》
弁護側からは6人の弁護団が代わる代わる『最終弁論要旨』を読み上げた。
改めて、「事件」の全容が見えてくる、分かりやすく周到な弁論だった。
あらゆる角度から、法律上の争点が取り上げられ二重三重に緻密に論証されると同時に、原審の事実認定の誤りもさながら刑事ドラマを見るように証拠を元に丹念に推論を重ね鮮やかに立証し、「軽微なこと」が「犯罪」に仕立て上げられていく公権力による捜査・起訴の特異なプロセスも解明された。いかに都教委・公安警察が「KY(空気読み過ぎ?)」であったかくっきり浮かび上がってきた。
(1)加藤弁護士 ~総論
新しい証人・証拠採用など丁寧な審理が行われたことに感謝する。
1年9ヶ月の審理を経て、原判決の事実誤認、法令適用の誤りが明らかになった。
「制止行為」が無かったことは、保護者新証言から明らか。田中教頭証言に信用性がないことは、土屋都議・金子指導主事供述調書より明らか。原判決は300人の目撃者を納得させるものではない。
校長の「命令」は「10・23通達」を前提としているが、通達の根拠が「学習指導要領」としても、効力はギリギリ教職員に対してのみで、市民・保護者は対象外である。
そもそも「言論そのものを問題にした」不当な起訴であった。
米連邦最高裁ティンカー判決(※リンク)は、「生徒であれ、教員であれ、校門をくぐったとたんに、表現の自由への憲法上の権利を失うものではない。」と判示している。「不明確な恐怖感や混乱への懸念は表現の自由を否定するには十分ではない。」「憲法はこのようなリスクを冒さなければならないといっている。」という崇高な言葉に留意したい。
(2)大迫弁護士 ~動機に関する事実誤認
原審も認めているように、卒業式参列の目的・動機はゆかりある教え子のピアノ伴奏のためであり、それを知って勤務のローテーションを急遽変えたことからも明らかである。
挨拶の動機は、保護者に事態の深刻さを知ってもらおうとしたもの。昨年までは「内心の自由」を尊重するメッセージがあり保護者には考える時間があった。
(3)小沢弁護士 ~制止行為に関する事実誤認と法令適用の誤り
①配布制止行為も呼びかけ制止行為もなかった。
監視役として増員派遣されたK岡指導主事すら「制止は目撃していない」と証言。
ICレコーダのどこにもそのような記録がない。
検察側証言の、供述調書との食い違いは、矛盾を回避するための後知恵の言い訳。
新保護者証言こそ、最初から最後まで関心を持って見つめていた信頼性の高い証言。
②業務妨害の「結果」も「おそれ」もない。
待機中の保護者席は、元々「厳粛」な場ではなく、配布や呼びかけに無関係に騒然としている。
退去命令以降は、受動的防御的対応であり、威力を用いる故意・認識はない。
形式的に該当したとしても、「明治のタバコ一厘事件」に比すべき「卒業式の2分間」。
③「威力業務妨害罪」法令適用の誤り。
「業務」の要件を満たしていない。保護者への「起立斉唱」命令は、校長の「業務」ではない。
「威力」の要件も満たさない。人数的にも、式を中断させていない、有形力を行使していない点からも。
(4)平松弁護士 ~違法性阻却
仮に形式的に構成要件に該当するとしても、
① 「制止」は、「急迫不正な侵害」に当たり、「正当防衛」が成り立つ。
② 「内心の自由」が侵害される危機を訴えた「表現行為」は、「正当行為」である。
③ 「退去命令」は、校長らの不当な業務なので、適法性を欠く。
④ 「表現の自由」の法益、参列の自己の権利防衛は、2分間の遅れよりもはるかに勝る。
(5)田場弁護士 ~公訴権の濫用
特定の政治的目的のための、不必要恣意的な捜査に基づく、違法・不当な起訴である。
・「10・23通達」直後の卒業式、君が代強制急先鋒の土屋都議参列、TBS取材の下で、卒業生の9割が着席したことは、校長・都教委には大きな衝撃だった。
・式終了時点での問題は「不起立」のみで、担任団の聴取など「犯人捜し」が行われたが、見つからなかった。その後で、藤田さんの行動が問題にされた。
・当日(3/11)夕方の産経新聞の取材に校長は、警察を呼ぶつもりはなかったと答え、刑事事件化は全く考えていない。翌日(3/12)板橋警察が来校したが、どこが「犯罪」か分からず「被害届」を出せなかった。
・3/16都議会で、土屋都議の質問に横山教育長が答える形で「制止を振り切り」「法的措置を執ります」と、藤田さんを刑事訴追する方向が定められた。
・3/26公安と板橋警察が大挙学校に押しかけ、2回の実況検分、3時間に及ぶ担任達への尋問という、教育の場には極めて異例な捜査が行われた。
・同日「被害届」が出されるが、それに記載されていた「建造物侵入」は12/3の「起訴状」では消えて、「威力業務妨害罪」となっていた。犯罪をこじつけたことが歴然。
・「被害届」を出すことには、職員会議で大半の教員が反対していた。にも関わらず校長・都教委は「10・23通達」完全実施を政治目的化し、「軽微なこと」を「事件」に仕立て上げていった形跡が歴然である。
(6)只野弁護士 ~まとめ
本件は、本来であれば、およそ刑事「事件」の名に値するような事案ではない。本件の本質は、その事件性にあるのではなく、被告人の行為を取り巻く教育の場に相応しくない当局側の政治的思惑に存在するからである。
行為の外形を捉えて、刑事事件が思想的・政治的言論抑圧の手段として利用されるとき、民主主義社会は崩壊の危機に陥る。
公権力は、一方において行政権の行使として、「10・23通達」に基づく国旗国歌の強制により学校現場に思想良心の自由を抑圧する違憲違法な状態を作り出し、他方において刑罰権を行使して、これに批判的な言動を封じ込めるという両面において、民主主義社会の基盤を根底から掘り崩す事態を招いたと言わざるを得ないであろう。
(『曽根意見書』からの引用)
「報告集会から2」 《撮影:hirata》
検察官の番になると、一言ボソッと「書面の通り」で、読み上げは省略された。4回の公判を通して、検事からは一言以上の言葉は聞かれないままだった。
検察側『最終答弁書』は3ページの薄っぺらなものだったそうだ。
それに対し弁護側の『最終弁論書』は120ページを超える渾身の力作である。
(『傍聴記』ですので、法律用語その他記述に不正確なところがあることをお含みおきの上お読み下さい。)
報告集会では、藤田さんも弁護団も、一つの仕事をやり終えたという爽やかな笑顔が印象的だった。
新しい証人や曽根意見書を得て、法理論的に何となく分かるけど何となく分かりにくい点が煮詰まって、いい理論が出せたとの感想。
◎ 判決公判は
5月29日(木)15:00~16:30 東京高裁102号法廷
判決文の読み上げがあるそうです。
公権力の無軌道ぶりが断罪されて「スッキリ」できるか、表現の自由は窒息したままで「モヤッと」するか。刑事事件の有罪率は99.8%…。答は2ヶ月後に。
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