パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

10・26予防訴訟控訴審結審 原告陳述(2)

2010年11月03日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 10・26予防訴訟控訴審結審 原告陳述(2)
 ◎ 主よ、お赦し下さい
牧野理恵

 牧野理恵と申します。私は、1987年からハ王子東養護学校に勤務し、現在の八王子特別支援学校まで20年余り都立学校に勤務しております。
 先ほど日暮さんが、主に知的障害児の学校での経験から話されましたので、私は主に肢体不自由児の学校、2003年の通達が出された当時に勤務していた、多摩養護学校での経験から、2つの点について述べます。
 1点めは、2003年の通達によって、肢体不自由児の学校の卒業式がどのように変わり、子どもたちがどのような影響を受けたかということです。
 肢体不自由児の学校では以前から、「フロア形式」で式を行っていました。これは、演台を舞台から床の上に降ろして、証書授与をはじめ式全体を平らな床の上で、卒業生と保護者や在校生が向かい合って行うやり方です。このやり方なら、足の不自由な生徒が、学校で車椅子や杖を使って自分で移動する練習を重ね、その成果を発揮して、卒業証書を自分でもらいに行くことができます。また、言葉の不自由な生徒が、名前を呼ばれたときに、顔の表情や手足のわずかな動きで返事をする姿を、家族や周囲の人がしっかりと見ることができます。
 このように、以前の卒業式は、卒業生が、在学中の身体やコミュニケーションの取り組みの成果を発揮して、「自立への第一歩」を踏み出す「最後の授業」であり、「晴れ舞台」だったのです。
 ところが通達によって、この「フロア形式」は実施できなくなりました。演台は舞台に置かれ、卒業生は証書を舞台の上で受け取ることになりました。そのため、卒業生が自分で卒業証書をもらいに行くことはできなくなりました。
 舞台に上がるためには階段かスロープを通らなくてはならず、転ぷ危険があるからです。また、卒業生の姿は保護者や在校生から遠くなり、顔の表情や手の動きは見えづらくなりました。
 このように、それまで肢体不自由の学校の卒業式で大切にしてきた、「自立に向けての取り組みの成果を見届ける」ということが、できなくなってしまったのです。
 さらに通達によって、在校生も大きな影響を受けました。
 肢体不自由の学校には、自力で座る姿勢がとれない生徒や、身体が緊張しやすく呼吸のカが弱いため、車椅子に長い時間座っていると呼吸が困難になる生徒も多くいます。そうした生徒は以前から、式の会場に体育用のマットを敷き、教員と一緒にマットに降りて、教員の介助で身体の姿勢をとりながら参加していました。
 ところが通達によって、参加者全員が舞台の「日の丸」の方向を向いて座ることになり、在校生は式の間ずっと、前の人の車椅子の背中だけを見ていることになりました。
 今までマットに座っていた生徒も、同じように車椅子に座り続けなくてはならなくなりました。もし生徒をマットに降ろせば、担当の教員もマットに座ってその子を支える必要があり、「国歌斉唱」のときに座っていたら処分を受けるかもしれないからです。
 このように、卒業式は在校生にとって、不安と苦痛の場となってしまったのです。
 2点めは、通達によって私自身がどのような経験をしたかということです。私はキリスト教信者です。毎週、プロテスタント教会の礼拝に出席し、起立して賛美歌を歌い、祈りを捧げています。そうした礼拝のひとつひとつの行為を通して、キリストへの信仰を表現しています。聖書には、次のような言葉があります。
 『あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。それらを拝んではならない。』(出エジプト記20章3節、5節)
 いわゆる「十戒」の中のひとつです。この言葉に従うため、私は、キリスト以外の「神とされているもの」を拝むことは避けています。
 このような私にとって、「日の丸」に向かって起立し礼をすること、「君が代」を歌うことは、キリスト以外の「神とされているもの」を拝むことになります。
 日本のこれまでの歴史の中で、「日の丸」は天照大神を表す象徴、「君が代」は天皇を讃える歌とされているからです。通達に従って、式の中で起立して「君が代」を歌うという行為を、私は、聖書の戒めに背く「罪」であると感じるのです。
 2003年11月の職員会議で、校長から通達と実施指針についての報告がありました。他の教員たちの意見に続けて、私は次のように発言しました。
 「信仰上の立場から納得できません。校長先生と、また皆さんと、このことについてお話したいと思っています。」
 そして12月に、私の考えや気持ちを書いた資料を、管理職や同僚たちに渡しました。その資料の中に、私は次のように書きました。
 「式当日、処分を覚悟で起立しないにしても、通達に従って起立するにしても、このまま黙って自分の中で結論を出してしまうのでは、どちらをとっても悔いが残るのではないか、と思いました。今回の通達と実施指針の内容は、私が一番大切に思っていることを脅かすものです。」
 2004年1月、校長と1対1で話しをすることができました。そのとき私は、次のように話しました。
 「今回の通達に私が納得できないのは、ひとつは信仰上の理由からです。もう一つは、このことが戦争へ向かう流れとつながっている、と思うからです。今、黙っていることは、その流れを認めてしまうことになるので、何らかの行動を超こさなくてはと思ったのです。日本のクリスチャンは戦前、天皇礼拝を認めて、戦争を容認してしまいました。今また同じ過ちを繰り返してはいけないと思うのです。私も他の先生方も、このことで3学期いっぱい悩むと思います。」
 これに対して校長は次のように答えました。
 「悩む余地はないのです。もし、ひとりでも従わない人がいれば、校長・教頭とも降格処分、一般の教諭は減給処分、それが複数回となれば、さらに厳しい状況になるでしょう。もし式当日に問題が起これば、管理職と本人の処分だけでは済まず、学校全体の問題となるのです。」
 以前は「先生方の思想・信条の自由は認める」と言ってくれていた校長が、通達が出ると「悩む余地はない」と言わなくてはならないことに、心が痛みました。この話の内容も、報告資料として校内の教職員に配りました。そして、同瞭から様々な感想や意見をもらいました。
 多くの意見は、「自分も日の丸・君が代の強制に反対です。」という内容でしたが、それ以上に私の胸に迫ってきたのは、次のような言葉でした。
 「皆それぞれ守りたいものはあるだろうが、それを『不起立』という形で表現するのは、本人だけでなく学校全体がリスクを負うことになる。もし一人でも起立しない場合は、学校が特別監視下に置かれ、面接や届け出書類などが、弱い立場の同僚たちにも課せられることになる。あなたはそれでもいいのか。」
 このような同僚たちの声を聞いて、私は連日、迷い続けました。私が信仰を守ろうとすることによって、大切な同僚や校長・教頭を苦しめることになるからです。自分だけでなく周囲に迷惑をかけること、私自身の処分に伴う負担、仕事への影響、家族への影響を予想すると、自分には耐えられないのではないかと恐れました。
 3月になると校長から「職務命令書」が出されました。
 私は毎日「退職を覚悟でキリストに従う」か、「自分の信仰を押し殺して職務命令に従う」か、心が大きく揺れ動きました。出ロの見えない暗いトンネルを歩いているような気持ちでした。3月中旬の日曜日に、教会の礼拝で読んだ聖書の言葉によって、私は結論を出しました。
 それは、イエス・キリストが教えた「主の祈り」の中の『私たちの負い目をお赦し下さい』という言葉でした。「私も、お赦し下さい、と祈るしかない」と思いました。
 数日後、学校で休憩時間に同僚たちが開いた「国旗・国歌についての自由討論会」の中で、私は「これから校長先生にこの手紙を渡してきます」と言って、次のような短い手紙を読み上げました。
 「国歌斉唱のとき『起立』まではしようと思います。これが今の私の精一杯の結論です。」
 2004年3月の卒業式当日、私は「国歌斉唱」のときに起立をしました。音楽科の同僚によるピアノ伴奏を聞きながら、私は心と体がバラバラになって崩れていくような気がしました。両隣の車椅子に座っている子どもたちの手を握りしめ、「主よ、お赦し下さい」と心の中で祈りました。
 3学期が終わると、私は疲れきって、しばらく身体が動きませんでした。4月になり、新しい校長が着任して、早速「職務命令書」が渡されました。入学式の「国歌斉唱」では、私は心にオブラートがかかったような感じで、起立をしました。
 新学期が始まり、忙しさに身を任せて、この問題について考えないようにしていました。5月の休日には求人広告を熱心に読みました。クリスチャンとしてキリストに従うことと、教育公務員として今回の通達に従うことは、私の中では両立できないと思い、退職を考えていました
 ところが6月、同僚から「予防訴訟の原告にクリスチャンがいる」と知らされました。今までは遠い存在だった「予防訴訟」を身近なものと感じるようになりました。8月には、同じ信仰をもつ教員たちと出会う機会があり、通達によって経験してきた思いを分かち合うことができました。そして、聖書の中の、次の言葉を読みました。
  『もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。』(ヨハネの手紙第1・1章9節)
 この言葉を読んで、「私は仕事を続ける中で、キリストを信じる者としての葛藤を、公の場に表明していこう」と決意し、この訴訟の第3次原告団に加わりました。
 原告になっても、これまでの葛藤が解決したわけではありませんでした。卒業式が近づくと緊張してきて、胃が痛くなったり、胸がつかえるような不快感が続いたりしました。でも通達の直後に感じていた「出ロの見えない暗いトンネルの中を歩いているような気持ち」から、「トンネルの先の方に光が見えて、それを目ざして歩いているような気持ち」になりました。
 現在は、式の中で「君が代」が流れている間、私は「起立」の姿勢で目を閉じて、「主の祈り」を祈っています。「君が代」と同じ約40秒間の「主の祈り」の中には、先に述べた「私たちの負い目をお赦し下さい」という言葉もあります。
 それを心の中で祈ることで、自分の気持ちを何とか平静に保っています。けれども、これは一時しのぎの対処療法に過ぎません。早くこの通達がなくなって、式のたびに「罪の負い目」を感じる必要がなくなるように、心から願っています。ご静聴ありがとうございました。

コメント    この記事についてブログを書く
« 子どもの貧困の根絶に向けて... | トップ | 子どもの貧困の根絶に向けて... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日の丸・君が代関連ニュース」カテゴリの最新記事