==================
【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
==================
東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
==================
対米従属で「世界征服」を夢想するデマゴギー政治家安倍首相を倒そう!
======================
▲ <教育統制>と<つけ>
2006年の教育基本法改悪以降、国家主義教育が幼児から大学、生涯教育まで貫徹されようとしています。これは全面的な<教育統制>です。
この<教育統制>について、戦前の哲学者・戸坂潤は、『日本イデオロギー論』(1935年)(岩波文庫、186~189ページ)の中で次のようなことを述べています。文中〔 〕は余儀なくされた伏字です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今日云うところの各種の「統制」は云うまでもなく政治的統制を意味する。
・・・・・
人も知るように、教育の統制は日本に於ては極めて厳正であって、中でも小学校(乃至(ないし)中学校)は模範的な統制演習場となっている。
教育の権威は、論語でもなければ仏典でもなければソクラテスの理想でもない。
ましてルソーやペスタロッチでもありえない。
そうした普遍人間的な文化的権威の代りに、一国主義的な法治的な権威を帯びた一つの〔暴力〕的に構成されたイデーが重圧を加えているのを見なければならぬ。
之が日本に於ける教育統制の元来の本質であり、又日本に於ける統制一般の典型の一般なのである。・・・
・・・国史の「国史」的(一国史的)認識は、教育統制の宣布と同時にほぼ完全に構成されて了ったと見ていいが、それが取りも直さず教育統制の稀に見る積極的な構成要素となっているものに他ならない。
教育統制はやがて初等教育から段々上部教育にまで網を拡げて来た。
すでに中学校の検定教科書はやがて国定教科書によって置き換えられようとしている。高等学校や専門学校では国定教授細目が決定されている。
大学令が改革されたことによって、帝大及び帝大以外の各官公私立大学の講義内容と講義目的とは事実上は名目上決定されている。・・・
・・自由を称する各官立大学に於て、〔天皇機関説〕を講じる教授講師は、その講義を停止又は訂正することを余儀なくされている。・・・
教育者自身に対する統制は仮に上級学校や大学へ行けば意義が薄くなるとしても、被教育者に対する教育統制(そしてこれこそ統制の目的なのだ)となれば、関係は全く逆だろう。
学生生徒に対する学生生徒自身の、又大学乃至学校当局、又官憲による、又市民社会そのものによる、教育統制は、今日有名な現象だ。
学生生徒自身が教育統制をやるのは変だと思われるかもしれないが、併(しか)し前に云った通り、統制は実は統制でなくて或る種の構成だったのだから、右翼学生団などは国家の暗黙の〔承認の中〕にこうした自治的(?)「統制」の機関を構成しているわけになるのである。
普通の学校・大学の教育統制に限らず、35年4月から始まる青年学校から始めて、各種農村塾、青年団、在郷在営軍人団、各種宗教団、等一切のものが、直接間接に教育統制の分担者であることは断るまでもない。蓋(けだ)し広義の教育界は、統制の模範実施所に他ならないのである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ところで、1925年生まれの北村小夜さんはよく「戦争は教室から始まる」と言われていますが、まさにその通りだということがよくわかります。
ちなみに、北村小夜さんの『戦争は教室から始まる』(2008年 現代書館)という本には、次のようなことが述べられています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「教育への国家統制が強められるときは、いつも教育内容とともに教師も統制の対象になります。」(102ページ)
「戦後日本の教育の歴史を大雑把に振り返ると、教育行政は制定直後から憲法・教育基本法の空洞化・形骸化を基調としてきました。すなわち民主教育を弾圧してきました。
私の教員生活とその後の取組みは、それとの闘いであったように思います。今日の情況は、その取組みが不十分で戦前の教育の息の根を止めえなかったことのつけだと思います。その慚愧の年でこうして『戦争は教室から始まる』と言って歩いています。」(178~179ページ)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この中で、
<今日の情況は、その取組みが不十分で戦前の教育の息の根を止めえなかったことのつけ>
と言う言葉があります。
その積もり積もった<つけ>を払うことが、今私たちに課されているのだと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東京では、例年卒業式の際、約10の団体がビラまきをしています。
今年度は「戦争法」が強行採決され、まさに、「日の丸・君が代」が戦争に直結する時代になってきました。
また来年の参院選からは18歳になった高校生たちにも選挙権が与えられます。
したがって、来春の卒業式におけるビラまきは重要だとおもいます。
そこで、都教委包囲首都圏ネットワークが呼びかけ、実行委員会主催で以下のような交流会が持たれますので紹介します。
心ある方々はお集まりください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<交流会名>「11・7卒業式等のビラまき交流会」
<主 催> 11・7卒業式等のビラまき交流会・実行委員会
(呼びかけ:都教委包囲首都圏ネットワーク)
<日 時>2015年11月7日(土) 18:30~21:00
<場 所>阿佐ヶ谷地域区民センター 第五集会室
(JR阿佐ヶ谷駅下車徒歩2分)
<内 容>①参加者自己紹介
②これまでのビラまき経験の紹介
・ビラまき対象校
・生徒・保護者・教職員の反応
・管理職や警察の対応、など
③それらを踏まえての討論
・効果、教訓など
④来年春のビラまきについての意見交換
・具体的な予定校など
<資料代>200円
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
*********************************************************
「都教委包囲首都圏ネットワーク」のブログのアドレス
http://houinet.blogspot.jp/
「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ
http://homepage3.nifty.com/hinokimi/
「ひのきみ全国ネット」のウェブサイト
http://hinokimi.web.fc2.com/
【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
==================
東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
==================
対米従属で「世界征服」を夢想するデマゴギー政治家安倍首相を倒そう!
======================
▲ <教育統制>と<つけ>
2006年の教育基本法改悪以降、国家主義教育が幼児から大学、生涯教育まで貫徹されようとしています。これは全面的な<教育統制>です。
この<教育統制>について、戦前の哲学者・戸坂潤は、『日本イデオロギー論』(1935年)(岩波文庫、186~189ページ)の中で次のようなことを述べています。文中〔 〕は余儀なくされた伏字です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今日云うところの各種の「統制」は云うまでもなく政治的統制を意味する。
・・・・・
人も知るように、教育の統制は日本に於ては極めて厳正であって、中でも小学校(乃至(ないし)中学校)は模範的な統制演習場となっている。
教育の権威は、論語でもなければ仏典でもなければソクラテスの理想でもない。
ましてルソーやペスタロッチでもありえない。
そうした普遍人間的な文化的権威の代りに、一国主義的な法治的な権威を帯びた一つの〔暴力〕的に構成されたイデーが重圧を加えているのを見なければならぬ。
之が日本に於ける教育統制の元来の本質であり、又日本に於ける統制一般の典型の一般なのである。・・・
・・・国史の「国史」的(一国史的)認識は、教育統制の宣布と同時にほぼ完全に構成されて了ったと見ていいが、それが取りも直さず教育統制の稀に見る積極的な構成要素となっているものに他ならない。
教育統制はやがて初等教育から段々上部教育にまで網を拡げて来た。
すでに中学校の検定教科書はやがて国定教科書によって置き換えられようとしている。高等学校や専門学校では国定教授細目が決定されている。
大学令が改革されたことによって、帝大及び帝大以外の各官公私立大学の講義内容と講義目的とは事実上は名目上決定されている。・・・
・・自由を称する各官立大学に於て、〔天皇機関説〕を講じる教授講師は、その講義を停止又は訂正することを余儀なくされている。・・・
教育者自身に対する統制は仮に上級学校や大学へ行けば意義が薄くなるとしても、被教育者に対する教育統制(そしてこれこそ統制の目的なのだ)となれば、関係は全く逆だろう。
学生生徒に対する学生生徒自身の、又大学乃至学校当局、又官憲による、又市民社会そのものによる、教育統制は、今日有名な現象だ。
学生生徒自身が教育統制をやるのは変だと思われるかもしれないが、併(しか)し前に云った通り、統制は実は統制でなくて或る種の構成だったのだから、右翼学生団などは国家の暗黙の〔承認の中〕にこうした自治的(?)「統制」の機関を構成しているわけになるのである。
普通の学校・大学の教育統制に限らず、35年4月から始まる青年学校から始めて、各種農村塾、青年団、在郷在営軍人団、各種宗教団、等一切のものが、直接間接に教育統制の分担者であることは断るまでもない。蓋(けだ)し広義の教育界は、統制の模範実施所に他ならないのである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ところで、1925年生まれの北村小夜さんはよく「戦争は教室から始まる」と言われていますが、まさにその通りだということがよくわかります。
ちなみに、北村小夜さんの『戦争は教室から始まる』(2008年 現代書館)という本には、次のようなことが述べられています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「教育への国家統制が強められるときは、いつも教育内容とともに教師も統制の対象になります。」(102ページ)
「戦後日本の教育の歴史を大雑把に振り返ると、教育行政は制定直後から憲法・教育基本法の空洞化・形骸化を基調としてきました。すなわち民主教育を弾圧してきました。
私の教員生活とその後の取組みは、それとの闘いであったように思います。今日の情況は、その取組みが不十分で戦前の教育の息の根を止めえなかったことのつけだと思います。その慚愧の年でこうして『戦争は教室から始まる』と言って歩いています。」(178~179ページ)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この中で、
<今日の情況は、その取組みが不十分で戦前の教育の息の根を止めえなかったことのつけ>
と言う言葉があります。
その積もり積もった<つけ>を払うことが、今私たちに課されているのだと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東京では、例年卒業式の際、約10の団体がビラまきをしています。
今年度は「戦争法」が強行採決され、まさに、「日の丸・君が代」が戦争に直結する時代になってきました。
また来年の参院選からは18歳になった高校生たちにも選挙権が与えられます。
したがって、来春の卒業式におけるビラまきは重要だとおもいます。
そこで、都教委包囲首都圏ネットワークが呼びかけ、実行委員会主催で以下のような交流会が持たれますので紹介します。
心ある方々はお集まりください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<交流会名>「11・7卒業式等のビラまき交流会」
<主 催> 11・7卒業式等のビラまき交流会・実行委員会
(呼びかけ:都教委包囲首都圏ネットワーク)
<日 時>2015年11月7日(土) 18:30~21:00
<場 所>阿佐ヶ谷地域区民センター 第五集会室
(JR阿佐ヶ谷駅下車徒歩2分)
<内 容>①参加者自己紹介
②これまでのビラまき経験の紹介
・ビラまき対象校
・生徒・保護者・教職員の反応
・管理職や警察の対応、など
③それらを踏まえての討論
・効果、教訓など
④来年春のビラまきについての意見交換
・具体的な予定校など
<資料代>200円
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
*********************************************************
「都教委包囲首都圏ネットワーク」のブログのアドレス
http://houinet.blogspot.jp/
「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ
http://homepage3.nifty.com/hinokimi/
「ひのきみ全国ネット」のウェブサイト
http://hinokimi.web.fc2.com/
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます