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2005年1月21日(金曜日) 偽証
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嘘を吐いてはならないというのは一つの思想である。
日の丸・君が代についての賛否も一つの思想である。強制に反対の行動をした人間を許せないという考えをもつのも当然のこと一つの思想である。それでは、そのとんでもないという行為をした人間を制裁すべく偽証することは許されるのか。
目的のためには嘘を吐いていいのかという問題である。目的が正義なら偽証してでも追い詰めるべきか。歴史を紐解くまでもなく古今多くの人々が偽証によって罪に落ちた。「汝、偽証するなかれ」、とはすべてに優先する根幹的な思想ではないのか。
思想というよりモラルというべきか。人はモラルを喪失した時に、いかなる高尚な思想を抱いていたとしても堕落することとなる。嘘も方便というのは他愛ないことの範囲で言われることである。
法廷での偽証は最も堕落した行為である。人を罪に陥れることとなる。そこまでしても守るべき思想というのは果たしてあるのだろうか。
まこと静粛の間に配布を終了し説明に入った。教育長議会答弁、「校長などの制止にかかわらず・・・配布して」、に関与した人々は法廷で何を言うのであろうか。
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2005年1月20日(木曜日) 背乗り
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戦争の世紀とはどのような社会であったのか。社会全体が閉塞状況にあったのであろうか。面白くない、希望がない、悪いことばかりが起こる、そういった気分が蔓延していたのであろう。
人は辛い状況に置かれるとストレスが蓄積して残酷な心理に傾斜していく。辛い、苦しい中でも精神の平衡を保てる人は稀有である。次第に集団的ヒステリーの虜となる。「やっちまえ」、ということである。
何でもいいのだ。個人では現状を打破出来ない故にこそ、集団的な破壊的、残虐な行為に快感を覚える。かくして歴史を振り返るまでもなく人間集団は数限りない悪事をなしてきた。
衣食足りて礼節を知るということか。
今の日本の社会はどうなのか。若者の多くが希望を失っている。職がない。あっても契約という名の下にボロ雑巾のように扱われる。
独創的な行為は唯一犯罪のみという。かくして振り込ませ詐欺を筆頭としてありとあらゆる知能的な犯罪が輩出する。すぐれた人材ならずして、すぐれた犯罪が輩出するという社会現象を生むに至った。
犯罪が進化する世紀である。偽造、背乗りの時代である。
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2005年1月19日(水曜日) 常軌
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元共同通信記者、魚住昭氏はいう。「裁判所が検察に対するチェック機能を果たしていないのが、刑事司法の一番の問題である」と。
かっての特捜の雄、堀田力氏は語る。「自分たちは正義だという思い込みが強い」と。「安直に立件する傾向がある」と。
検察のバッジ、「秋霜烈日」とは国民に対するそれであったのか。
12月23日、マンションに立ち入りビラを投函し逮捕された僧侶は、起訴後1月14日に保釈されたが23日間の勾留である。僧侶を苛めると仏罰があたるぞよ。
東京地検公安部は常軌を逸している。それがそのまま許される日本社会である。社会そのものが歪んできた。検察の不当な言い分を仮に認めるとしても2、3日勾留すればそれで十分ではないか。
社会保険庁の職員のビラ入れは尾行してビデオ撮影したという。その映像が昨日法廷で50分にわたり流された。「ほらこの通り」、と検察は言うのであろうがこれこそ常軌を逸している。
犯罪であるというなら注意するか阻止すべきだ。証拠申請して裁判官が認めたという。裁判官は捜査官の不作為に対し厳しい判決でも下すつもりなのであろうか。
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2005年1月21日(金曜日) 偽証
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嘘を吐いてはならないというのは一つの思想である。
日の丸・君が代についての賛否も一つの思想である。強制に反対の行動をした人間を許せないという考えをもつのも当然のこと一つの思想である。それでは、そのとんでもないという行為をした人間を制裁すべく偽証することは許されるのか。
目的のためには嘘を吐いていいのかという問題である。目的が正義なら偽証してでも追い詰めるべきか。歴史を紐解くまでもなく古今多くの人々が偽証によって罪に落ちた。「汝、偽証するなかれ」、とはすべてに優先する根幹的な思想ではないのか。
思想というよりモラルというべきか。人はモラルを喪失した時に、いかなる高尚な思想を抱いていたとしても堕落することとなる。嘘も方便というのは他愛ないことの範囲で言われることである。
法廷での偽証は最も堕落した行為である。人を罪に陥れることとなる。そこまでしても守るべき思想というのは果たしてあるのだろうか。
まこと静粛の間に配布を終了し説明に入った。教育長議会答弁、「校長などの制止にかかわらず・・・配布して」、に関与した人々は法廷で何を言うのであろうか。
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2005年1月20日(木曜日) 背乗り
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戦争の世紀とはどのような社会であったのか。社会全体が閉塞状況にあったのであろうか。面白くない、希望がない、悪いことばかりが起こる、そういった気分が蔓延していたのであろう。
人は辛い状況に置かれるとストレスが蓄積して残酷な心理に傾斜していく。辛い、苦しい中でも精神の平衡を保てる人は稀有である。次第に集団的ヒステリーの虜となる。「やっちまえ」、ということである。
何でもいいのだ。個人では現状を打破出来ない故にこそ、集団的な破壊的、残虐な行為に快感を覚える。かくして歴史を振り返るまでもなく人間集団は数限りない悪事をなしてきた。
衣食足りて礼節を知るということか。
今の日本の社会はどうなのか。若者の多くが希望を失っている。職がない。あっても契約という名の下にボロ雑巾のように扱われる。
独創的な行為は唯一犯罪のみという。かくして振り込ませ詐欺を筆頭としてありとあらゆる知能的な犯罪が輩出する。すぐれた人材ならずして、すぐれた犯罪が輩出するという社会現象を生むに至った。
犯罪が進化する世紀である。偽造、背乗りの時代である。
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2005年1月19日(水曜日) 常軌
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元共同通信記者、魚住昭氏はいう。「裁判所が検察に対するチェック機能を果たしていないのが、刑事司法の一番の問題である」と。
かっての特捜の雄、堀田力氏は語る。「自分たちは正義だという思い込みが強い」と。「安直に立件する傾向がある」と。
検察のバッジ、「秋霜烈日」とは国民に対するそれであったのか。
12月23日、マンションに立ち入りビラを投函し逮捕された僧侶は、起訴後1月14日に保釈されたが23日間の勾留である。僧侶を苛めると仏罰があたるぞよ。
東京地検公安部は常軌を逸している。それがそのまま許される日本社会である。社会そのものが歪んできた。検察の不当な言い分を仮に認めるとしても2、3日勾留すればそれで十分ではないか。
社会保険庁の職員のビラ入れは尾行してビデオ撮影したという。その映像が昨日法廷で50分にわたり流された。「ほらこの通り」、と検察は言うのであろうがこれこそ常軌を逸している。
犯罪であるというなら注意するか阻止すべきだ。証拠申請して裁判官が認めたという。裁判官は捜査官の不作為に対し厳しい判決でも下すつもりなのであろうか。
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