《第4回「日の丸・君が代」問題等全国学習・交流集会から》
◆ 河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会報告
1.裁判の進行状況
①06年事件(河原井:停職1ヶ月 根津:停職3ヶ月)
2012年1.16最高裁判決はア~ウの判断基準を使った。
ア.職務命令は合憲
イ.戒告を超えてより重い…処分を選択することについては、慎重な考慮が必要
ウ.処分歴や不起立前後の態度等が規律や秩序を害する場合には、重い処分が許される。
河原井:・積極的…妨害はなく、過去2年度の3回の不起立にとどまるから、停職処分は重すぎるとして処分取消。
・損害賠償請求については高裁差し戻し
→差戻審:2012年11月7日、30万円の支払いを都に命じた。
「停職は、単に給与上の不利益があるのみならず、停職期間中教壇に立てないという不利益を被る。財産的損害の回復のみによっては、控訴人の精神的損害が慰謝されるものではない」として。
根津:過去の処分歴にかかわる非違行為は、積極的妨害であり、規律や秩序を害するものだから、処分は違法とはいえない。
②07年~09年事件(河原井:停職3ヶ月、停職6ヶ月×2 根津:停職6ヶ月×3)
07年事件は結審間近
08,09年事件は始まったばかり。
不起立は教員の良心に沿った教育活動であった。根津の過去の処分にかかわる行為は、「日の丸・君が代」の強制に反対し、「君が代」不起立をするのと同一線上の、考える子どもたちを育てる教育活動であった。この2点を主張し、「教育の自由」についての憲法判断を求める。
2.1.16最高裁判決を受けての裁判運動体の主張や行動について
上記イの判断基準によって、「減給以上の処分が取り消されたことは運動の成果である」と多くが評価することを否定はしない。しかし、そこを大きく見るあまり、この最判の一番の狙いが、ア+ウであることに注意が行っていないのではないだろうか。
ウは、数回の不起立までは大目に見るが、徹底して抵抗する者は容赦しない、そうした者には累積加重処分をしていいのだと、最判は行政にお墨付きを与えたのだ。根津に限ったことではなく、今後の不起立者、抵抗者に対して用意したのである。こここそが重要なのに、この点について、これまで多くの運動体が沈黙をしてきたことを振り返る必要があるのではないか。
今春、都教委は田中聡史さんに対し、ウを使い、減給1ヶ月処分を発した。このことに対し、「1.16判決に違反した処分だ」「裁判で覆す」というにとどまらず、多くの人に見えるかたちで、直接的な異議申し立て行動を、総力をあげて取り組むべきだったと思う。1.16判決以降、ウについて大きく声をあげなければいけなかったと思う。
都教委が田中さんに不起立4回目で減給1ヶ月処分を出したことについては、たたかいの分断・終息がどの程度達成できたかを見る意味もあったと思う。(1.16最判は、減給以上の処分を取り消し、当事者や運動体に一定程度の勝利感を与え、運動の終息をはかる意味もあったと考える。)
そして、都教委の予測通り、減給1ヶ月処分に対して運動体からほとんど反撃はなく、それは実質累積加重処分を、運動体が黙認したことを意味するのではないか。
ウの誤りと危険さを大きく主張しなければ、仕掛けられた差別分断の枠組みに自らはまり、攻撃を牽引することになるのではないか。
いまからでも、ア+ウについてきっちり主張し、広めていこう。
なお、今春は不起立に立ち上がった教員がここ数年で最も多かった。都教委に与えた衝撃の大きさを共に確認したい。
都教委、国家権力の「日の丸・君が代」闘争を根絶しようとするあらゆる方策を見抜き、打ち砕き、原則を貫く団結を固めよう。
自民党憲法草案、96条改憲、集団的自衛権や海兵隊、オスプレイ配備、そして実教出版日本史を使わせない「見解」等々、昨今の政治状況を見れば、ア+ウの誤り、及び、「君が代」不起立は強制下での教育労働者としての抵抗の意思表示であり、教育活動であることを大きく、広く情宣し、都教委と対峙していく必要性を感じる。
「規律や秩序」判断は、自民党憲法草案の先取りでもあり、この批判も忘れてはならない。
3.当会として活動してきた、していること
①田中聡史さん支援
攻撃・弾圧の最前線に立たされている人を支援することが一番大事。それは、運動を牽引することでもあると考え、田中さんの同僚、保護者への働きかけ(卒業式当日と前後、再発防止研修時、そのほか、機会あるごとにチラシまき)をしている。同時に校長や都教委に対して、抗議・要請を続けている。
田中さんがはじめの2回の処分を受けた、あきる野学園の職員や保護者にもチラシを撒いている。
②都教育委員会定例会の監視・傍聴と発信
③都庁前チラシまき(定例会のある第2、第4木曜日の8時から9時まで)
都教委がいかに子どもの人格的成長を保障せず、指示に従う人間育成のための国家主義的教育をしているか、そして「日の丸・君が代」の強制と教員処分はその象徴であることを訴え続けている。「君が代」強制に反対し、不起立をしてきた私たちが何より願うのは、子どもが自分の頭で考え判断し、行動できること、人格的成長をすることだと訴える。
◆ 河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会報告
1.裁判の進行状況
①06年事件(河原井:停職1ヶ月 根津:停職3ヶ月)
2012年1.16最高裁判決はア~ウの判断基準を使った。
ア.職務命令は合憲
イ.戒告を超えてより重い…処分を選択することについては、慎重な考慮が必要
ウ.処分歴や不起立前後の態度等が規律や秩序を害する場合には、重い処分が許される。
河原井:・積極的…妨害はなく、過去2年度の3回の不起立にとどまるから、停職処分は重すぎるとして処分取消。
・損害賠償請求については高裁差し戻し
→差戻審:2012年11月7日、30万円の支払いを都に命じた。
「停職は、単に給与上の不利益があるのみならず、停職期間中教壇に立てないという不利益を被る。財産的損害の回復のみによっては、控訴人の精神的損害が慰謝されるものではない」として。
根津:過去の処分歴にかかわる非違行為は、積極的妨害であり、規律や秩序を害するものだから、処分は違法とはいえない。
②07年~09年事件(河原井:停職3ヶ月、停職6ヶ月×2 根津:停職6ヶ月×3)
07年事件は結審間近
08,09年事件は始まったばかり。
不起立は教員の良心に沿った教育活動であった。根津の過去の処分にかかわる行為は、「日の丸・君が代」の強制に反対し、「君が代」不起立をするのと同一線上の、考える子どもたちを育てる教育活動であった。この2点を主張し、「教育の自由」についての憲法判断を求める。
2.1.16最高裁判決を受けての裁判運動体の主張や行動について
上記イの判断基準によって、「減給以上の処分が取り消されたことは運動の成果である」と多くが評価することを否定はしない。しかし、そこを大きく見るあまり、この最判の一番の狙いが、ア+ウであることに注意が行っていないのではないだろうか。
ウは、数回の不起立までは大目に見るが、徹底して抵抗する者は容赦しない、そうした者には累積加重処分をしていいのだと、最判は行政にお墨付きを与えたのだ。根津に限ったことではなく、今後の不起立者、抵抗者に対して用意したのである。こここそが重要なのに、この点について、これまで多くの運動体が沈黙をしてきたことを振り返る必要があるのではないか。
今春、都教委は田中聡史さんに対し、ウを使い、減給1ヶ月処分を発した。このことに対し、「1.16判決に違反した処分だ」「裁判で覆す」というにとどまらず、多くの人に見えるかたちで、直接的な異議申し立て行動を、総力をあげて取り組むべきだったと思う。1.16判決以降、ウについて大きく声をあげなければいけなかったと思う。
都教委が田中さんに不起立4回目で減給1ヶ月処分を出したことについては、たたかいの分断・終息がどの程度達成できたかを見る意味もあったと思う。(1.16最判は、減給以上の処分を取り消し、当事者や運動体に一定程度の勝利感を与え、運動の終息をはかる意味もあったと考える。)
そして、都教委の予測通り、減給1ヶ月処分に対して運動体からほとんど反撃はなく、それは実質累積加重処分を、運動体が黙認したことを意味するのではないか。
ウの誤りと危険さを大きく主張しなければ、仕掛けられた差別分断の枠組みに自らはまり、攻撃を牽引することになるのではないか。
いまからでも、ア+ウについてきっちり主張し、広めていこう。
なお、今春は不起立に立ち上がった教員がここ数年で最も多かった。都教委に与えた衝撃の大きさを共に確認したい。
都教委、国家権力の「日の丸・君が代」闘争を根絶しようとするあらゆる方策を見抜き、打ち砕き、原則を貫く団結を固めよう。
自民党憲法草案、96条改憲、集団的自衛権や海兵隊、オスプレイ配備、そして実教出版日本史を使わせない「見解」等々、昨今の政治状況を見れば、ア+ウの誤り、及び、「君が代」不起立は強制下での教育労働者としての抵抗の意思表示であり、教育活動であることを大きく、広く情宣し、都教委と対峙していく必要性を感じる。
「規律や秩序」判断は、自民党憲法草案の先取りでもあり、この批判も忘れてはならない。
3.当会として活動してきた、していること
①田中聡史さん支援
攻撃・弾圧の最前線に立たされている人を支援することが一番大事。それは、運動を牽引することでもあると考え、田中さんの同僚、保護者への働きかけ(卒業式当日と前後、再発防止研修時、そのほか、機会あるごとにチラシまき)をしている。同時に校長や都教委に対して、抗議・要請を続けている。
田中さんがはじめの2回の処分を受けた、あきる野学園の職員や保護者にもチラシを撒いている。
②都教育委員会定例会の監視・傍聴と発信
③都庁前チラシまき(定例会のある第2、第4木曜日の8時から9時まで)
都教委がいかに子どもの人格的成長を保障せず、指示に従う人間育成のための国家主義的教育をしているか、そして「日の丸・君が代」の強制と教員処分はその象徴であることを訴え続けている。「君が代」強制に反対し、不起立をしてきた私たちが何より願うのは、子どもが自分の頭で考え判断し、行動できること、人格的成長をすることだと訴える。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます