不破哲三さんの書いたものを読んで驚きました。太平洋戦争の開戦、とくに真珠湾攻撃の決定過程です。東京裁判の記録や、不破さんの国会質問の議事録に詳しく書いてあるので信憑性があると思われます。
太平洋戦争は、1941年12月8日日本がハワイの真珠湾基地を攻撃したことで始まりました。戦後、戦争犯罪人を裁いた東京裁判で、この決定に誰が参加したのかが問題になりました。
当時の総理大臣。東条英機は、自分は総理大臣だったが、この決定には参加していない、12月2日ごろ参謀総長から陸軍大臣の資格で聞いた、と答えています。
決定の順序を整理してみますと、真珠湾攻撃の方針が決まり、天皇の承認を得て作戦命令が出たのは11月5日、それを受けて連合艦隊が千島・択捉島の基地を出発したのが11月26日でした。この間、総理大臣以下、閣僚は誰も知らないところで進んでいたのです。それでも東條首相は陸軍大臣を兼任していたので陸軍大臣の資格で攻撃前に知ることが出来ましたが、これが軍人でない首相だったら現実に攻撃が始まった後で初めて知ることになったでしょう。
私はこれを読んでぞっとしました。総理大臣が知らないうちに戦争が始まるのです。天皇と軍人だけで決めて戦争を始める。政府は誰も知らないのです。確かに天皇は知っていました。しかしその天皇は、戦後になって、自分は大臣の輔弼(助言)によって物事を決めてきたのだ、といいました。そうだとすると、輔弼すべき大臣が一人もいない場で、軍人だけで決めたことになります。
その結果が3年半後の敗戦と1千万人単位の犠牲者を生みだしました。考えるだに恐ろしいことです。
私たち日本人はこの教訓を忘れないことが必要でしょう。そのためには戦争をしないという憲法9条とともに、平和を守るという国民の意思が確実に国政に反映させるような民主主義を守り通すことが大事だと考えたことでした。
(参考文献)
不破哲三:「科学の目」で日本の戦争を考える(上) 前衛2015年2月号 13-41ページ
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