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岐路に立つ国際映画祭 東京と山形、開始から20年余

2009-10-31 19:58:01 | エンターティメント情報
岐路に立つ国際映画祭 東京と山形、開始から20年余

 日本を代表する二つの国際映画祭が今月、開かれた。22回を数える東京国際映画祭(17~25日)と、20周年を迎えた山形国際ドキュメンタリー映画祭2009(8~15日)。規模も個性も異なるが、両者を俯瞰(ふかん)すると、映画界が、そして世界が抱える問題が見えてくる。
■目立つ「未熟」な主人公 東京国際映画祭
 東京国際映画祭の今年のコンペは、「未熟」がキーワードだった。作品の出来という意味ではない。主人公の未熟さを物語の推進力にした作品が目立ったのだ。
 審査員特別賞の「激情」(スペイン=コロンビア)は、移民の建設作業員と若い家政婦との悲しい恋愛劇。男は現場監督に暴力を振るって死なせ、窮地に陥る。当たり前だ。同情の余地がない。女優賞の「エイト・タイムズ・アップ」(フランス)は職と家を失う女性の物語。彼女は仕事というものをなめている。こちらも自業自得だ。
 ほかにも、未熟な人物が大挙登場する。単純な左翼かぶれのお坊っちゃま、ストーカーまがいの自意識過剰男、他人の死を利用して幸せになるトラウマ女性……。背景にはそれぞれ不況や差別などがあるのだろう。しかし、その描写が足りず、観客をあきれさせる作品も少なくなかった。
 その中で、究極の未熟者を主人公にしたのが、東京サクラグランプリなど3冠を得た「イースタン・プレイ」(ブルガリア)だった。アルコール漬けの毎日。世界を斜めからしか見ない。恋人に優しくしたり冷たくしたりして翻弄(ほんろう)する。最低の男だ。しかしカメン・カレフ監督はソフィアの閉塞(へいそく)状況を克明に見せることで、観客をしてこの駄目男に共感めいたものを抱かせるという綱渡りに成功した。アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ審査委員長が「真実を描いた作品。15本の中で、際だって我々の心をとらえた」と激賞したのもうなずける。
 人間は誰しも未熟であり、「未熟」は芸術の定番テーマたりうる。ただし、未熟な人物の言動に説得力を持たせ共感させるには、繊細な表現が必要だ。一歩間違うと、観客を怒らせることになる。分水嶺(ぶんすいれい)は作り手の成熟度にある。
    ◇
 コンペ以外では「ワールドシネマ」「アジアの風」の両部門が、充実したラインアップで世界の潮流を伝えた。アジア部門の作品賞はウニー・ルコント監督の第1作「旅人」。日本公開も早速内定した。特別功労賞は7月に急逝したマレーシアのヤスミン・アフマド監督。日本映画部門の作品賞は、松江哲明監督の「ライブテープ」だった。
 日本のイルカ漁を盗撮した米国映画「ザ・コーブ」も初上映された。欧米で論議を呼ぶ作品を当の日本人が見る機会を提供したことは評価したい。ただ、公式部門とは別枠で平日昼1回のみの上映という扱いは不自然。映画祭が掲げる「環境」というテーマは政治問題でもある。論争を受けて立つ覚悟が必要だ。
■「格差」の現実を反映 山形国際ドキュメンタリー映画祭
 隔年開催の山形は、ベルリンの壁崩壊の89年に創設。前回から山形市に代わりNPO法人が主催になり、資金難にも苦しむが、市民主導の手作り運営が、よそにない親密な空気を生んだ。
 コンペ部門は15本。近年受賞した「鳳鳴(フォンミン)」「水没の前に」のような強力作はなかったが、異なる国の作品同士が思わぬ形で響き合い、グローバル化時代を実感させた。
 大賞のフラハティ賞は、カナダのリシャール・ブルイエット監督の「包囲 デモクラシーとネオリベラリズムの罠(わな)」。世界の新たな支配原理として新自由主義が台頭した背景とその影響を、ノーム・チョムスキー、スーザン・ジョージら知識人の証言で解き明かした。
 「今回の出品作の多くは、『包囲』が指摘した問題が背景にある。多彩な作品を包む傘として、全会一致で大賞に選んだ」と審査員のガリン・ヌグロホ。確かに、これを総論に、その他の作品が多様な各論を展開していた。
 最優秀賞の「忘却」は、深刻な経済格差を生きるペルー庶民の声と、混乱を残して去った歴代大統領の姿を対比。優秀賞の「要塞(ようさい)」の舞台となったスイスの難民収容施設には、「市場競争」の余波を受けた亡命希望者が世界から押し寄せる。
 市民賞と特別賞をダブル受賞した「ナオキ」は、英国人監督ショーン・マカリスターが、山形市のワーキングプアカップルの日常に密着した。
 56歳の男は、実業家として築いた財産をバブル崩壊ですべて失い、時給810円で郵便局アルバイトとして働く。27歳年下の恋人は、昼は事務員、夜は水商売の1日15時間労働。真綿で首を絞められるような「日本式貧困」。「アフリカの方がましだ」という監督のつぶやきは笑えない。
 賞には漏れたが、「RiP! リミックス宣言」は今回最大の話題作。知的財産権の「過保護」にポップな手法で異議申し立てし、論争を呼んだ。「アムステルダム(新)国立美術館」は、美術館の改装計画が市民の反対で大迷走。権利と公益を考える上で、ともに広く見られるべき作品だ。
■縮む「アート系映画」下支えを
 アート系映画の市場は縮小の一途にある。昨秋の金融危機で配給業者の買い控え傾向は一層強まり、カンヌ受賞作でも、劇場公開が難しい。
 東京の審査委員長のイニャリトゥ監督は、閉会式で「映画の危機」に警鐘を鳴らした。
 「シネマは劇的変化にさらされている。バカげた超大作があふれ、アート系映画はインテリ向けの袋小路状態。映画祭で優れた作品を見つけても、果たしてそれが世に出るか。一番気の毒なのは、底の浅い映画しか見られない観客だ」
 セミナーなどでも「危機」が語られた。「権利料の高騰で業者が疲弊した」「DVDやテレビの収益が減少した」「メッセージが明確な作品でなければ売れない」……。
 イニャリトゥ監督は、映画祭が現状打破に貢献するべきだと提言した。
 「1週間の祭りに全資金を注ぐのは無駄。優れた作品をせめて1カ月上映してほしい。口コミで多くの人に見てもらえるはずだ」
 理想論だろうか。だが、これに近いことを実践している映画祭がある。山形だ。
 隔年開催の山形は、映画祭が休みの年に都内で出品作の大型特集上映を開催。地元でも毎月2回上映会を続け、観客の掘り起こしに努める。前回のアジア部門最高賞の「長江にいきる 秉愛(ビンアイ)の物語」は今春、映画祭スタッフの手で劇場公開にもこぎつけた。
 商業性の薄いドキュメンタリーだからできた面はある。だが、海外の映画祭でも、出品作の配給支援など、観客と作品を橋渡しする様々な取り組みがなされている。困難な時代だからこそ、映像文化のすそ野を広げる息の長い活動が、映画祭に求められている。


2. 米グーグル、音楽検索サービス開始 ネットラジオ局などと協力

 インターネット検索最大手の米グーグルは28日、米国で音楽検索サービスを始めると正式に発表した。曲名や歌手の名前などで楽曲情報を検索できる。ネットラジオ局や音楽配信ベンチャーなどと協力し、音楽の試聴もできるようにした。
 人脈サイト大手、マイスペース傘下の音楽配信ベンチャーや、ネットラジオ局が配信する楽曲などを検索できる。配信各社のサービス経由で楽曲を購入して携帯音楽プレーヤーなどで楽しむこともできる。曲名などが分からない場合でも、歌詞の一部だけで楽曲を検索することも可能という。

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