平凡であることの幸せ

人生は光に導かれる旅

☆Life is a journey towards the guiding light

夏至を迎え沙羅木の花(夏椿)も咲きだし 鴎外の故郷、津和野を思う

2012-06-21 | 旅行記

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早くも台風がやってきて、夏至Natutubaki1

沙羅の木の花(夏椿)も咲きだし 山陰の小京都、津和野の森鴎外(森 林太郎)の生家も思い出す。

(先祖代々津和野藩主、亀井家の御典医。廃藩置県等をきっかけに10歳で父と上京。西周の親族でもある。)

鴎外は、東大医学部を卒業後、陸軍軍医となり ドイツ留学後、文学者としても名高く 軍人と文士(小説家・翻訳家・評論家・劇作家)という多面性を持ち、文豪と呼ばれる以上の魅力を持つ秀才である。 と 思う。

(横浜市歌の作詞も鴎外である<明治42年>) 

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つわぶきの生い茂る野に津和野川が流れ、鯉の掘割と白壁の家老屋敷が並び、城下町の面影を残す津和野には 鴎外の詩にちなんで 「沙羅の木」という お土産屋さんがあり、津和野銘菓の源氏巻や 民芸品などが並ぶ。

また、弥栄神社の祇園祭の神事として奉納される鷺舞は国の重要無形民族文化財指定にされている。

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石州和紙で作られた人形が可愛くて 

以前買ったものが色あせてきたので またまた買ってしまい、

二つ並べて壁に飾った。(体長70~80センチ位)

大好きな金子みすずのカレンダーとともに。

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小高い山の中腹にあり、Oagesan
参道にトンネルのように並ぶ朱塗りの千本鳥居が鮮やかな太皷谷稲成神社 は(稲が成ると表記)、日本五大稲荷のひとつに数えられており、 高台にある境内からは、津和野の町が一Taikoinarisuzu_2_3望でき、オレンジ色の石州瓦の甍の波が見渡せる。(沖縄のオレンジ色の屋根瓦より濃い色合い)

供物のお揚げさん(油揚げ)とローソクでお参りし お守りがわりに 願いが成就するよう 綺麗な音色の「幸運鈴」を買った。

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また、西洋ゴシック建築の津和野カトリック教会にも、目をひかれる。キリシタン殉教の地fである乙女峠には、マリア聖堂が建ち マリア様再現の聖地として巡礼地でもある。

 

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さて、今年は鴎外生誕150年で(1862-1922)、11月には 60歳で亡くなるまでの後半生を過ごした東京都文京区に区立 森鴎外記念館がopenするのをはじめ、さまざまな記念事業や関連イベントが実施されているそう。

没後は向島弘福寺に埋葬されたが 関東大震災後、三鷹の禅林寺と津和野の永明寺に改葬された。(禅林寺には太宰治のお墓もある)

 余ハ石見人森 林太郎トシテ死セント欲ス

墓ハ 森 林太郎墓ノ外一 字モホル可ラス  (遺言より)

<<ああ・・・私は何故 お墓にすいよせられてしまうのだろう・・・。 19日の太宰治の桜桃忌にも 心中相手の山崎富江さんのお墓(文京区 曹洞宗永泉寺)に 導かれるように訪れてお参りをした・・・。(後日 山崎富江さんについて 記すことにしよう・・・。)>>


  <沙羅の木  森 鴎外>

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褐色(かちいろ)の根府川石に

白き花 はたと落ちたり

ありとしも 青葉がくれに

見えざりし 沙羅の木の花

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 我が家の沙羅の花も石の上に落ち、数輪拾ってお皿に浮かべてみました。

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Sara
咲いている時は高いところで葉の中に隠れていて気づかず、白い花が落ちて、はじめて清楚な美しい花を咲かせていたことにに気づく。人生もまたそういうものなのかもしれない・・・。

沙羅の木を見上げると 亡き父の穏やかな笑顔が重なる・・・。

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Sara4また立ちかへる 水無月の

歎きを誰に かたるべき。<o:p></o:p>

沙羅のみづ枝に 花さけば、

かなしき人の目ぞ見ゆる。

<芥川 龍之介 「相聞」>

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そういえば 城下町の生家といえば 柳川北原白秋の生家の仏間に 白秋のデスマスクが安置されていたのは衝撃的だった(後になって複製と知ったけど)・・・。

 

* 旅をすると、そこに眠る魂に呼び覚まされ、心が揺り動かされるような気がする。*

****** 追記 *********

鴎外が帝室(皇室)博物館館長を務めていた晩年に書いたとみられる未完の論文「上野公園ノ法律上ノ性質」が、東京国立博物館で発見されたそう。内容は帝室財産であった上野公園を政府に移管する案に異議を唱えているが、鴎外が1922年に死去後、上野公園は1924年当時の東京市に下賜されたそうです。


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